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長崎街道「筑前六宿」の旅へ・千寿の楽しい歴史
長崎街道「筑前六宿」の旅へ

グラフ ふくおか 2011冬より

黒崎宿~筑前六宿の玄関口となる宿場

宿場町の構造をみる

長崎街道には、諸大名や長崎奉行などが泊まる「御茶屋(本陣)」や、その家臣などが泊まる「町茶屋(脇本陣)」が設けられた。

これらの茶屋は庶民が泊まる「旅籠」とは一線を画していた。宿場町には、この御茶屋や町茶屋を中心に、宿を統括する役人を置く「代官所」、駕籠や馬を乗り換えたり、物資を扱う「人馬継所(問屋場)」、さらに、旅人を検査する「構口」が置かれた。

また、宿場町は旅人をもてなす他にも「鉤(かぎ)の手」と呼ばれる直角に折れ曲がった道を造るなど、外敵の侵入を防ぐ役割も担っていた。

城下町から宿場町へ

黒崎宿は小倉から長崎へ向かう最初の宿である。慶長9(1604)年、城下町として建設されたものの、元和元(1615)年の「一国一城令」で城は取り壊され、城下町は宿場町へ移り変わった。それは、藩の通貨を造っていた鋳銭場跡に、速やかに御茶屋が建てられたことでもわかる。

黒崎湊で繁栄した宿

黒崎宿には、福岡藩では唯一、大坂への渡海船が発着する「黒崎湊」があった。
交通の便がいいことから商売の盛んな地となり、その繁栄ぶりは六宿の中でも抜きん出ていたという。また、黒崎湊に着船し、長崎街道を抜けるルートも大いに活用された。

幕末、京都から逃れてきた三条実美(さねとみ)ら五卿や、坂本龍馬なども船で上陸したといわれる。龍馬の黒崎での宿泊は定かでないが、五卿は湊から輿に乗り、送迎の藩兵に守られながら、黒崎の御茶屋に入ったという記録が残されている。

写真説明

1右上~黒崎宿東構口跡=元和元(1615)年、廃城となった黒崎城の堀を埋めて造られた。

2左上~御茶屋跡から出土した茶碗片=出土した茶碗は須恵で焼かれた御用器で、「黒崎」の銘が残った珍しいもの。

3中~『筑前名所図会』=黒崎駅の図。駅とは宿のこと(福岡市博物館 所蔵)

4右下~曲里(まがり)の松並木に残る江戸時代からの松。

5左下~常夜灯=1849年、灯台として黒崎湊の入口に建てられたもの。地元の船庄屋などの名前が刻まれている。

木屋瀬宿~古代より交通の要衝であった宿場

遠賀川水運の川港であった木屋瀬

黒崎宿から、ほぼ3里(約12km)先が木屋瀬宿である。木屋瀬は遠賀川のほとりにあり、本格的な宿場町に発展したのは17世紀半ばから。木屋瀬の繁栄には遠賀川の対岸である植木の存在が欠かせない。植木は中世以降、遠賀川水域を代表する川港であった。

その渡し場として木屋瀬は水陸の拠点となり、肥前名護屋城に向かう豊臣秀吉が通ったり、徳川家康が仮陣したと伝えられている。

そのことから、文禄・慶長期(16世紀末~17世紀初頭)には、すでに大名の休泊所が設けられ、商家は立ち並んでいたとされる。

明治40年の大火で町の約半分が焼失してしまったが、近年、整備・公開された江戸後期の豪商屋敷「旧高崎家住宅」などは残り当時の豪商の暮らしぶりがうかがえる。

高崎家はその財力を背景に、高山彦九郎、頼山陽、シーボルトなど、多くの文化人と交流があったといわれる。

江戸時代の旅人の姿をたどる

さて、当時の宿の生活をのぞいてみよう。宿場には御茶屋や町茶屋意外にも、庶民的な旅籠や木賃宿が軒を連ねていた。人々は「暮六ツ」と呼ばれる日没前に宿屋に入り、旅の草履を脱いで、荷を降ろした。木賃宿などは相部屋が常識。旅の者同士で話が弾んだことだろう。

旅の持ち物は道中記(旅行案内帳)に火打ち石、手ぬぐい、鼻紙、針や糸、短刀、日時計と磁石、筆記用具の矢立、髪結い道具、折りたたみ式の道中枕や薬など。

旅行中の食事は宿で取るほか、携帯した干飯や宿で作ってもらう弁当を持ち歩いた。人々は夜明けの「明六ツ」とともに出発し、次の宿を目指したという。宿場町は、そんな旅人を迎え、送り出す場所であった。

飯塚宿・内野宿・山家宿・原田宿




地元では2012年、長崎街道筑前六宿400周年の記念事業を計画しています。








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# by kusennjyu | 2012-05-27 04:23 | 長崎街道 | Trackback | Comments(0)|Topに戻る
宮川早生温州みかん発祥の地(柳川市)・千寿の楽しい歴史
宮川早生温州みかん発祥の地(柳川市)顕彰碑

読本 旧柳川  柳川山門三池教育委員会編  昭和41年2月1日発行より

現在、早生温州みかんの一種として広く普及している「宮川早生」の原木の発祥地で、顕彰碑が建立されています。宮川早生は味の「まろやかさ」が特徴の温州みかんで、1910年頃に福岡県山門郡城内村(現柳川市)の宮川謙吉邸にて発見された枝変わりを、 1925年に田中長三郎が発表しました。育てやすく収量性が良いなど優れた特徴を持つため、古くから全国的に広く栽培されています。

顕彰碑の碑文

福岡県山門郡城内村(現柳川市)の名家に生まれた医師宮川謙吉氏は、長く教職にあって婦女子の薫陶に令名の高い夫人千幹(ちもと)女史とともに、旧柳川藩主伯爵立花寛治の勧農殖産の志をうけ、かたわら園芸を愛好し、立花家家令吉田孫一郎氏から温州蜜柑の穂木を譲り受けて自邸内に自ら接木した。

ところがやがてその一枝に早熟で美麗な大果が結実しているのを発見し、大正5(1916)年、立花家農事試験場主催の品評会に出品した。

これを福岡県技師浅田岩吉氏が優良と認めて増殖を勧奨したことにより、県内に普及し始め、特に八女郡の持丸明三氏と山門郡の田中亀蔵、石井佐吉氏は率先して、この種の苗木育成と高接につとめた。

農学博士田中長三郎氏は大正12(1923)年以来、原木を調査した結果、立枝の一部が、芽状(がじょう)変異として早生種が発現したことを確証し、大正14(1925)年、これに宮川早生と命名して学会に発表した。

昭和4(1929)年、九州沖縄八県連合園芸共進会において、最優秀の賞を受け、以来本種は、樹勢強健、果型偉大、外観品質共に良好で、しかも豊産性の経済的早生品種として、一躍広く業界に認められることになった。

福岡県は昭和11(1936)年、原木を天然記念物に指定して、その保存につとめた。昭和23(1949)年、おしくも枯れ死した。

しかしこの原木の一枝から発見した本種は広く全国に普及され、早生温州の王座を占めてその栽培面積は、福岡県1千ヘクタール、全国1万ヘクタールに達する成況をみるようになった。我が国の柑橘産業の飛躍的発展はこの宮川早生におうとこおが、まことに大きいことを銘記すべきであろう。

宮川早生発生以来50年、ここに原木発祥の地を選び原木第2代樹を移植し、そのほとりに顕彰の碑を建てて長く後世にその由来を伝えたい。
   
 顕彰碑の裏面に
     宮川早生温州顕彰碑   昭和36年6月10日建立
     宮川早生温州みかん発見について  農学博士  田中長三郎

山川みかんを全国に普及させた人たち

山川村(現みやま市山川町)の田中亀蔵氏と石井佐吉氏は率先して、この種の苗木育成と高接につとめた。

商品として市場出しを考えたのは青輝園主の田中亀蔵氏であった。




温州(うんしゅう)みかん




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# by kusennjyu | 2012-05-25 06:36 | 柳川・大牟田・大川の歴史散策 | Trackback | Comments(0)|Topに戻る
みやま市文化協会の総会と講演会・千寿の楽しい歴史
みやま市文化協会の総会と講演会    5月23日午前10時開会    みやま市山川市民センター

今日は評議員として出席。 総数133名のうち93名出席のため、総会が成立しました。

会長挨拶に続き来賓者挨拶(みやま市市長・みやま市議会福議長・福岡県議会議員)。

議題    議決しました。

第1号議案    ①平成23年度事業計画(案)について    ②平成23年度決算承認について

第2号議案    ①平成24年度事業報告について       ②平成24年度予算(案)について

講演会       
演題  『人間性を育てる精神文化について』
講師  清水寺  住職  鍋島隆啓氏

①「ものごとは心にもとづく」
②「人生に良き志(道心)を持っているか」


人生に良き目標(志)を持つか、持たないかで人生は決定的に変わる。
人間は自分のこともさることながら、世のため、人のために自分が役に立て、そして周りからも必要とされる人間になったときは大きな喜びと幸福を感じる。

皆に感動をありがとうございました。

午後からは植木の剪定をしました。このように立ち木を残しました。隣では30分で麦コンノが終わりました。




家に咲いているバラです。










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# by kusennjyu | 2012-05-23 20:33 | 出来事・生活 | Trackback|Topに戻る

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