矩手水門 所在 みやま市高田町黒崎開2492番地
矩手開(かねんてびらき)は、文化年間の柳川藩営の干拓事業であり、「樺島斗一(かばしまといち)」の名に由来して、別名「斗一開」とも言う。
この矩手開の排水の役目をしていたのが、この矩手水門であるが、この樋門(ひもん)は敷高は高過ぎ、幅も不足しており排水の不良に陥ることが多かった。
そこで、明治31年4月から改修をすすめ、当時の金額で四千数百円(当時の米1俵の価格が3円28銭)と村人3000人の就労をつぎ込んで、明治32年8月に完成した。
この改修により樋門は、敷高0.83m、幅2.00m、高さ3.00mの暗渠(あんきょ)三門になった。
吐口には主径4.6m、厚さ3.00mの全半円の眼鏡橋(苦楽橋という)がある。
この橋は吐口の両袖壁が倒伏するのを防ぐためで、水に映る赤煉瓦が美しい構造物である。
当時の樋門はなく、現在は苦楽橋だけが残っている。
民話と伝説 苦楽橋の由来へ 見て下さい。