薩摩街道を行く(瀬高~羽犬塚) 平成22年4月13日 晴れ
平成18年11月5日に「薩摩街道 九州サミット」で第1回目を歩き、その後、平成20年に庄福さんと回りました。今回が3回目で写真を撮りブログに使用しました。
国道443号線より1本南側の東西に走る(裏通り)道路が薩摩街道です。
下庄宿
松尾宮
元町の松尾神社
鶴 記一郎文書より
瀬高町誌に「下庄松尾神社は、酒の神様で大国主命の子大山咋尊と杵島比売尊を祭ってある。寛永10年(1633)にこの地に建てられたのであるが、その以前肥後国喜野村の産土神を背負って高柳村に奉安したものをこの地に移したものである。
吉井から大江に流れる川を喜野殿川というのは、この清流の水で酒を醸造したことによるものである。即ち禅院・吉井は旧藩時代の酒造地であった。
江戸後期に入って上庄・下庄の町部に酒造業が移って来たのである。
伊能忠敬測量基点之地 新町公民館南側
伊能忠敬一行が瀬高町域を測量したのは、文化9(1812)年2月と10月の2回である。
1回目は2月8日で、坂部・今和泉らは、久留米領今村(筑後市)から測量を始め、柳川領本郷・中山・瀬高上庄・瀬高下庄・瀬高川(矢部川)を測量し、瀬高下庄の三池街道追分に高印を残した。
(伊能忠敬測量基点之地から
三池街道追分があり南へ曲がる。現在の県道江浦瀬高線より家1軒分東側に三池街道が通り約500M先の思案橋で現在の県道江浦瀬高線に入り県道と同じ道となる。)
そして大竹・上小川・吉井・松延・北広田・清水・竹ノ井・野町・立山・原町宿出口まで測り、一向宗松林山西乗寺と松尾喜兵衛宅に止宿した。
伊能忠敬・永井ら一行は、羽犬塚を出立し、無測で瀬高下庄に来て、この地点(「伊能忠敬測量基点之地」)から測量を始め、真木・井手ノ上・長島まで測り、瀬高町本陣竹次郎、別宿喜三右衛門宅に止宿した。
2回目(10月)の説明は割愛する。
矢部川堤防に出る手前付近
写真の吉開蒲鉾店の場所に、明治32年創立し大正時代まで江崎銀行が建っていた。
現在のこの道を、薩摩街道は真っ直ぐに堤防へ出る。 対岸が上庄宿になる。