防府天満宮 6月5日 快晴
春風楼
十代藩主毛利斎熙が文政5(1822)年、社頭に五重塔を建立を思い立つたが、天保2(1831)年不慮の支障に遭い一時中止になる。
現在の重層の楼閣様式に変更して明治6(1873)年に完工した。
この楼上からの眺望は四季折々誠に絶景で春風楼の名にふさわしい。
毛利重就公(英雲公)
長州藩七代の藩主で、財政の確立に努め、産業の開発、教育の振興を計り、藩中興の英主と仰がれる。
特に宝暦13(1763)年、撫育局を創設し検地によって得た余裕を別途に貯蓄せしめ、他への流用を禁じた。
年を経て、その米銀は巨額に達し、後年、長州藩の幕末維新期に於ける活動の財源となった。
さらに公は、防府に愛着し、この地こそ防長の殖産興業の中心となるべき処と着目、勝間開作、鶴浜、西浦浜などの良田、塩田を相次いで干拓した。
望東尼献歌碑
勤皇の歌人、野村望東尼は慶応3年秋、討幕軍の当地船出にあたり、その戦勝祈願のため防府天満宮に七日まいりして毎日和歌一首を手向けられた。
碑の歌は、その初日の献歌である。