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千寿の楽しい歴史
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千光寺と筑後路の古刹めぐり(千寿の楽しい歴史)
千光寺と筑後路の古刹めぐり   11月22日(雨)  参加者 20名

大牟田市の三池史談会歴史探訪のマイクロバス(高速道路使用)での歴史探訪に参加する。

古刹めぐり   高良大社・千光寺・善導寺・観音寺・大円寺(各赤枠)  昼食・・片野瀬温泉小林荘

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千光寺

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左~田中忠政(二代目)の墓  右~征西将軍宮懐良親王陵墓(この階段の上)

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久留米市の東部、山本町豊田の耳納山麓にある曹洞宗寺院。

寺伝によれば、建久3(1192)年に筑後の在国司草野永平が千光国師栄西を招いて開山したと言われ、初めは臨済宗であったが、室町初期の文亀2(1502)年に領主草野重永が周防龍門寺の僧為契禅師を迎えて曹洞宗に改めたという。現在では「あじさい寺」として親しまれている。

この寺は、古くから征西将軍宮懐良親王陵墓の所在地の一つとして知られている。(九州に7ヶ所あると言われる。)

最近の研究によると、親王薨去の地は八女市星野村の大円寺とみられ、初め同村の大明神山に埋葬されたが、近世になって親王ゆかりの大円寺が千光寺の末寺になった折、今の千光寺に移葬されたとの見方がなされている。

同寺の梵鐘には永和3(1377)年の北朝年号があり、県指定の文化財。

栄西   1141年~1215年

「えいさい」また「ようさい」とも読む。鎌倉時代の禅僧。日本臨済宗の開祖。千光祖師とも言う。

備中の人、初め天台宗を修行、1168年入宋、禅を学んで帰朝、天台復興のため禅の必要を感じ、87年再び入宋、求法のためインドに赴こうとしたが、果たさなかった。

天台山で臨済禅を学び91年帰国、筑前今津の誓願寺に入って西国に伝道、99年鎌倉に下って、幕府の帰依を受け、寿福寺を建立、また京都に建仁寺を開いた。

喫茶と茶の苗をもたらしたことで有名。

懐良親王  1329年~1383年

「かねなが」また「かねよし」とも読む。後醍醐天皇の皇子。

1336年南朝の征西大将軍に任命され(8歳)、四国を経て九州に渡り、足利方と交戦、肥後の菊池・阿蘇氏らに支持され、61年から10年間大宰府を中心に活躍したが、九州探題今川貞世(了俊)に圧迫され、筑後矢部の奥地に退隠し、そこで没した。

その墓所については、中津市、日田市、西米良村、御船町、八女市、久留米市、星野村などにその伝承地がある。

柳坂ハゼ並木  雨のためバスの中から見ながら通過し善導寺へ向かう。

    三池史談会の大城美知地信先生の歴史探訪資料より。

千光寺と筑後路の古刹めぐり(千寿の楽しい歴史)_a0137997_939647.jpg千光寺から永勝寺へ
本堂南側より永勝寺への道となり、アラカシなどの林を過ぎると竹林となり、丸太の橋を渡ると林道に出て永勝寺の登り口に着きます。石段を登り永勝寺へ。

永勝寺から谷沿いの道を通り林道へ
永勝寺を下り2~3分で谷沿いのお滝場へ。杉林の下の谷川を岩づたいに渡ります。10分ほどで杉、ヒノキ林となり、急坂を登ると林道へ出ます。

林道から兜山へ
林道からひだりてへにすこし戻ると、右側山手に登路が続いています。
20分ほどで低木林となり、兜山キャンプ場へ着きます。
山頂(けしけし山)には天才画家、青木繁の碑があり、筑後平野の眺めは素晴らしいものです。
by kusennjyu | 2010-11-23 19:23 | 筑後地方の観光と魅力 |Topに戻る