千寿の楽しい歴史
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2010瀬高町水上校区を訪ねて(千寿の楽しい歴史)
瀬高町水上校区を訪ねて   

平成22年12月9日  晴れ

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建仁寺  瀬高町広瀬字禅院

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禅院の建仁寺は天台宗延暦寺末派で建仁元年(1201)に葉上大僧正が開山創立している。

代々、「法印大和尚権大僧都」となって管内に色衣を許された。

唐尾の西入口平田部落の「鳥居元(とりもと)」は、この寺の鳥居の跡と言われ、寺の由来と規模の大きさを物語っている。
      瀬高町誌より。

a0137997_1655621.jpg矢固部新左衛門記念碑   瀬高町広瀬の禅院への入口に建立されている。

筑後の和紙と日源和尚、文禄の初め、越前(福井県)僧日源は船小屋の少し上流の溝口に来て廃寺となっていた福王寺を再興した。

たまたま矢部川の清流が紙すきに適していることを知り、郷里から弟3人を連れて来て製紙業をはじめた。
これが九州和紙製造の元祖である。

文禄4(1595)年には柳川藩御用紙造りを命じられた。
宗茂・田中吉政にこれを奨励したので柳川紙の名、江戸で名声を博した。

元和6(1620)年、溝口は久留米領となったので、日源の弟の矢ケ部新左衛門は柳川藩内の小田村字唐尾に住居を移し製紙業を創めた。

矢ケ部新左衛門の弟新右衛門は溝口で、その弟新之丞は肥後宮圮村で製紙業をはじめている。

矢ケ部新左衛門は寛文9(1669)年、正月26日に死亡し小田村の墓地に葬られている。(矢ケ部家記録)

明治30(1897)年、当時の小田村の村長甲木鎮衛氏の発起で広瀬井堰に矢固部新左衛門の碑が立てられた。

    記念碑横の説明板より。

善光寺  瀬高町小田字平田

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檀一雄ゆかりの地

作家檀一雄が終戦後の昭和21年6月から11月までの間、善光寺庫裏の屋根裏部屋に逗留し数編の小説の構想を温めたゆかりの地です。

昭和21年4月4日、福岡県糸島郡小田浜の借間にて愛妻律子を腸結核で失い、失望と貧困の中、遺骨を片手に3歳足らずの長男太郎を肩車にし、柳川市沖端の父の家や小郡市松崎の母の疎開先などを転々とし禅光寺に辿り着き太郎と2人の再起の暮らしを始めました。

  つくづくと櫨(はじ)の葉朱(あか)く染(し)みゆけど
              下(した)照る妹の有りと云はなく


この悲歌は善光寺の山頂より筑後平野を見渡しながら、亡き妻の律子を偲び詠んだとされています。
   
    写真の説明板の一部より。

by kusennjyu | 2010-12-09 16:39 | 郷土唐尾 | Comments(0) |Topに戻る