千寿の楽しい歴史
kusennjyu.exblog.jp
ブログトップ
2011鷹尾神社を訪ねて・千寿の楽しい歴史
鷹尾神社を訪ねて

柳川市大和町鷹ノ尾字馬場  

a0137997_19403277.jpg



a0137997_19404717.jpg



a0137997_19413247.jpga0137997_19414378.jpg


a0137997_194239.jpg



a0137997_19421415.jpg



境内

a0137997_19423937.jpga0137997_19424981.jpg


鷹尾神社石鳥居    大和町文化財   

指定   昭和53年11月14日


所在  柳川市大和町大字鷹ノ尾字馬場

鷹尾神社は、平安時代の貞観11(869)年に、清和天皇の命によって祭られたと社伝に伝えられる格調高い神社です。

応神天皇・仲哀天皇・神功皇后を「祭神とするこの」神社は、もともと鷹尾郷の郷社と考えられ、平安末期には、筑後一の宮として、京都の別宮として、京都の待賢門院を本家、徳大寺大納言家を領家とする瀬高下庄の鎮守でした。

源頼朝が、諸国に守護・地頭を設置した文治元(1185)年の翌年6月、鷹尾郷には、藤原家宗が地頭として任命されています。

文治5(1189)年、鷹尾郷の地が、待賢門院の御願寺である京都の円勝寺領の鷹尾別府と呼ばれるようになっても、鷹尾神社は、下庄の鎮守であったのです。

社の造営・修造は、朝廷および鎌倉幕府・執権・室町管領、鷹尾城主田尻氏、柳川藩主立花氏などの下命(命令)によって行われ、南筑後有数の社として栄えています。

例祭には、流鏑馬・神幸・風流(破牟耶舞)の行事があります。

鷹尾神社古文書3巻は、昭和52年4月9日に、県の重要文化財に指定されました。

境内には、神功皇后行啓遺跡・神功皇后腰掛石・牛の宮があり、鳥居は、貞享元(1684)年に、藩主立花鑑虎によって寄進されたものです。

 大和町教育委員会の説明板より。


牛の宮   大和町文化財

指定  昭和62年12月14日   

所在   柳川市大和町大字鷹ノ尾字馬場の内


a0137997_20182440.jpg牛の宮は、藤原氏の守護神で、祭神は、その祖天児屋根命です。

鷹尾神社の古文書「瀬高下庄領家公文所下文」に、「牛宮祭料二石六斗」とあり、「建保4(1216)年閏6月16日」の日付けと「前対馬守藤原朝臣(花押)」の名があります。

いずれの時か、九州に赴任した藤原氏が、この神社の境内に守護神として祭ったと思われます。

昔、境内の大きな松に藤がまつわり咲き、それがあまりにも見事でしたので藤原の姓を「松藤」に改めたと伝えられています。

元禄8(1659)年に、松藤の姓を名乗る「村住聞共」50人與の者が、この石の祠「牛の宮」を建立したのです。

70年後につけられた石の扉には、「明和三丙戌歳(1766)11月吉祥日」「松藤78人與」と下り藤の紋が彫ってあります。

下り藤は、松藤家の紋であり、松藤姓の祖先の祠として、土地の人は、「松藤さん」と呼んでいます。

 大和町教育委員会の説明板より。

by kusennjyu | 2011-04-13 20:50 | 田尻氏の郷の散策 | Comments(0) |Topに戻る