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千寿の楽しい歴史
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2011「田中道」をゆく(柳川市・大木町編)・千寿の楽しい歴史
「田中道」をゆく(柳川市・大木町編)   

平成23年5月4日午前 半田隆夫先生に案内してもらう。


慶長5(1600)年、関ヶ原の戦い後、岡崎10万石から筑後国32万5千石の国主として田中吉政が柳川に入封しました。

吉政は、本城である柳川城と領内に配置した11支城(赤司・久留米・猫尾・城島・榎津・黒木・福島・松延・鷹尾・中島・江浦)とを結ぶ交通を整備し、あるいは開通させました。

これら11の道のうち柳川と久留米を結び道は、「柳川往還」・「柳川道」(久留米藩領古図)・「久留米往還」・「久留米道」・「久留米街道」(慶長10年、「田中吉政仕置の条々」)などと呼ばれる重要なものでした。

現在の県道23号線にほぼ沿ったこの道を、ここでは「久留米柳川往還」と呼ぶことにしますが、この道はまた吉政の遺徳を偲んで「田中道」と呼ばれています。

柳川城下ーー矢加部町ーー金納村ーー下田町ーー金屋町ーー八丁牟田村ーー横溝町ーー大角町ーー

土甲呂町ーー小犬塚村ーー上野町ーー安武町ーー津福町ーー久留米城下

この「田中道」のうち、上の赤字は宿駅(人馬継所)です。


柳川城札の辻(柳川市辻町)

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左 出橋通り 右 瀬高町通り」と刻まれています。 左上の写真はクリックすると拡大します。

「札の辻」から左に中町・上町と北へ進むと「出橋(いでのはし)御門」です。

「瀬高町」とは現在の柳川市京町あたりです。

出橋(井手橋)・外町口(柳川市中町・保加町)

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出橋は沖端川を渡り柳川城下に入るために架けられた橋で、町側には出橋御門が設けられ人の出入を管理する番所が置かれました。

城の防衛のため見通しが効かないように、また直線的に攻め込まれないように、現在の橋よりやや西寄りの通りからずれた位置に架けられていました。

田中道の景観(柳川市三橋町柳河)

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往時の田中道の景観を現在に伝える数少ない地域です。

新道の両側を掘り、道の上に泥を中高に置いています。

周辺の土地よりも小高い道が通り、道の両側には堀が掘られています。

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藩境木(柳川市矢加部)

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現在の田中道は堀になっている(柳川市矢加部~金納)

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上の田中道は教振橋上から南側(左)と北側(右)の写真を撮る。教振橋の南西に矢加部小学校があります。

妙行寺(三瀦郡大木町上牟田口)

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紫雲山妙行寺は浄土真宗大谷派の寺院で、慶長元(1596)年下牟田口に創建、宝永3(1706)年に当地に移転しました。

山門には祇園守と左三巴紋が見られますが、立花家や田中家、有馬家との関係は不明です。

兵部神社(三瀦郡大木町横溝)

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吉政の没後、諸公役を免除され優遇されていた町の住人は座をつくり「御免地祭り」が行われました。

住吉神社(三瀦郡大木町土甲呂)

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現在の三瀦郡大木町土甲呂は、田中吉政の筑後入封後に新しく整備した久留米柳川往還筋に、慶長8年に設けられた町です。

吉政は流通構造再編のために、道路整備とあわせて、「町立て」・「市立て」を進めました。

往還沿いの住吉神社には田中吉政も祀られています。

次回は田中道(久留米市編)を紹介します。

以上の文章は、半田隆夫先生の「田中道」(久留米柳川往還)をゆくを拝借しました。


7月頃に、半田隆夫先生の「田中道」の本が販売される予定です。楽しみにお待ち下さい。
by kusennjyu | 2011-05-07 11:33 | 田中道 |Topに戻る