千寿の楽しい歴史
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2011田尻惣馬の旧居跡・千寿の楽しい歴史
田尻惣馬の旧居跡    

平成23年5月11日午前  雨

大和町鷹尾に住んで居られる半田先生を郵便局に乗せて行った帰りに、田尻惣馬の旧居跡の前を通り、
半田先生から教えてもらい、先生が説明書を書いた言われ、それの関係写真を撮る。

説明板と掲示石柱

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旧居跡前の島公民館と田尻家の現在住居

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旧居跡(島公民館裏の寺院とその西側の空地付近が旧居跡であるそうです。)

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田尻惣馬(たじり・そうま)旧居跡    大和町文化財

指定 昭和53年11月14日   

所在 大和町大字鷹ノ尾字島


柳川藩の土木建築家田尻惣馬(惟信・これのぶ)は、延宝6(1678)年、惣助(惟貞・これさだ)の二男として生れました。

父惣助は、すぐれた土木家で、元禄年間、藩の普請役(ふしんやく)となり、貴重な領内の絵地図を作成、元禄10(1697)年には、藩主立花氏の別邸(「御花」)と国名勝「集景亭(しゅうけいてい)」を造っています。

元禄8(1695)年には、八女郡北山村の曲松(よごまつ)より山下までの矢部川沿岸1300間(2.3km)の堤防を築き、雨が降るたびに水浸しになっていた約70町歩(70ヘクタール)の荒田を良田に変えました。

その後、惣助の子惣馬は、この「千間土居(せんげんどい)」に楠や竹を植えて堤防を補強し、矢部川に水刎(みずはね・惣馬羽根)を作って水勢を弱めたり、水流を変える工夫をしました。

惣馬の築堤・水利工事の指揮はきびしく、「切るときは木六、竹八、葭(あし)九月、惣馬の首は今が切りどき」と噂され、鬼奉行と恐れられました。

惣馬は、宝永6(1709)年、33歳で普請役に登用され、正徳3(1713)年には、黒崎開普請方として、大潮のために決壊した黒崎開の堤防修築にあたり、享保2(1717)年、蒲池山麓の貯水池を築きました。そして、同5(1720)年に、在方普請役になっています。

惣馬は、また、矢部川の改修・廻水路新設・海岸の埋め立てなどを行い、当時、佐賀藩の成富兵庫(なりとみ・ひょうご)と熊本県の堀平左衛門(ほり・へいざえもん)とともに九州土木の三傑(さんけつ)と言われました。

惣助・惣馬父子の墓碑は、瀬高町本郷の九品寺(くほんじ)にあり、惣馬の碑銘には、

    田尻惣馬  専徳院活山自道居士
    大神氏惟信  俗名  田尻惣次
    宝暦十辰天七月十六日

と、戒名と俗名、そして亡くなった日が刻まれています。

惣馬の住まいがあった島の田尻家では、惣馬以後、明治以前の当主は、代々田尻惣馬を名乗っています。

 大和町教育委員会 

 説明板より。

矢部川(瀬高町広瀬)千寿の楽しい取材へリンクします。
蒲池山溜池へリンクします。

by kusennjyu | 2011-05-11 12:03 | 柳川・大牟田・大川の歴史散策 | Comments(0) |Topに戻る