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千寿の楽しい歴史
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2011伝説 「三池」の由来・千寿の楽しい歴史
伝説  「三池」の由来(1)

昔々、三毛に長者さんがいました。そこの1人娘は、たいへん気立てのやさしい子で、だれからも好かれていました。

いつもご飯を食べる時は、お縁で食べました。ある時、1匹のつがね(毛がに)が出てきました。娘さんが面白がって御飯粒をやると、つがねは喜んで食べました。

それからというもの、毎日、三度々々、御飯をよばれに来ました。御飯が効き過ぎたのか、つがねは見る見る大きくなり、お化けのようになったつがねに、女中たちが気味悪いというようになりましたが、いつからともなく姿を見せなくなりました。

それから数年たって、長者さんの家に、三池のお宮から白羽の矢が立ちました。毎年のお祭りの日に、村から1人ずつ人身御供を上げる習わしでした。

いくら長者さまでも例外は認められず、泣く泣く駕籠(かご)に乗せられ、お山へ担いでいかれました。

真夜中の子の刻(ねのこく=12時)ですから、外はまっ暗、村人たちは松明(たいまつ)を点して山に登り拝殿の前に下ろすと、われ先に逃げ帰りました。

それから一刻(ひととき)、草木も眠る丑三つ刻、一陣の生臭い風とともに、お宮の奥から大きな化け物が出てきました。そのとき光った稲光でその姿を見たら、世にも恐ろしい大蛇(だいじゃ)でした。

長さはどれほどか分らないが、大きな皿のような目を、らんらんと光らせ、まっ赤な舌の先を炎のように、ペロペロ動かしながら、駕籠の中の長者さんの娘さんを、一飲みにしようとしていました。

そのとき、大蛇の横から大きなつがねが、2本の鋏(はさみ)で、大蛇の首と尻尾の付け根を、チョキンとはさみ切ると、大急ぎで川へ逃げていきました。

翌朝、後片づけをしようと山に来た村人たちは、大きな3つの池が出来たのに驚きました。中をのぞくと、大蛇の3つの死体が、血の海の中に、のた打っていました。

後に、この3つの池に雨水が降り込んで、本当の池になったので、三毛村が「三池村」と名を替えました。

このとき、娘さんを助けた大つがねは、以前、娘さんに御飯をもらったつがねに違いないと、みな口々に話しました。

伝説  「三池」の由来(2)

三池町田町地区に、高田行宮跡(あんぐうあと)があります。

「日本書記」によると、景行天皇が九州の熊襲(くまそ)征伐の折、立ち寄られたところで、ここに大きな樟(くすのき)がありました。

朝はその陰が島原まで届き、夕(ゆうべ)には阿蘇山に映える日を、さえぎったというほどの大木でした。

天皇が「この木は神木(みき)だ。」と仰せられたので、この神木から「御木」、「三毛」、「三池」と訛(なま)って呼ばれるようになった、と言われます。

現在、この行宮跡には大きな樟はありませんが、周囲には大きな木立ちが茂り、夏でも涼しく、公園のようになっています。

この高田行宮跡から約300m離れた所に、八剣(やつるぎ)神社があります。毎年7月20・21日の2日間に行なわれる新町ギオンでは、長さ7mの大蛇山が、この宮からスタートして、田町陣屋新町を回ります。

大牟田の祭りには大蛇山が出るが、ここのが本物だそうです。

by kusennjyu | 2011-07-06 11:27 | みやま市の民話と伝説 |Topに戻る