千寿の楽しい歴史
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2011伝説 朝鮮松原と伝説 鯛は米盗人・千寿の楽しい歴史
伝説 朝鮮松原

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瀬高を象徴する清流矢部川の左岸、本郷の地区に「朝鮮松原」があります。

今、初代の松は全部枯れて、2代目、3代目の若木ばかりです。松原と呼ぶより、矢部川の堤防を守る松並木といった方が、すさわしいような小さな松原です。

なぜ「朝鮮松原」と呼ぶのか・・・・・、それについて、次のような話があります。

今を去る390年ほど昔、文禄・慶長の役(世にいう秀吉の朝鮮征伐)に際し、筑後36万石の太守、立花宗茂公も1300の兵を引き連れ、親友、加藤清正らとともに、勇躍朝鮮に渡りました。

千数百の兵士には、1人残らず漆地に金粉を塗った金色さんせんたる甲(かぶと)をかぶせました。

秀吉の九州征伐のとき先鋒を務め、秀吉に「九州一の弓矢取り」と言わせたその軍団は、朝鮮においても、その勇猛ぶりを遺憾なく発揮し、僚友、清正とともに快進撃を続け、各地で連戦連勝を博しました。

特に蒜山(うるさん)の城で、明(みん)国百万の援軍に囲まれた清正の軍を助けるため、暗夜ひそかに小船に乗り、一千の手勢を率いて城内に合流した翌朝、急に立花家の旗印を立てて明軍を驚かせ、清正軍と力を合わせて敵軍を追い払いました。

この陣中で正月を迎えた将兵は、故郷を懐かしんで門松をたて、留守家庭をしのびました。文禄の役が終って、いったん柳川へ帰るとき、陣中に植えておいた門松を持ち帰った兵士がいて、それを矢部川の堤防に植えたのが、この松原の始まりと伝えています。

一時は数百本の松が、うっそうと茂っていたが、松食虫にやられて数十本に減ってしまったのは、返す返すも残念でなりません。

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「本郷」は、藩主が避暑した御茶屋がある風光明媚な地であり、画面を流れる矢部川には鵜飼(うかい)漁をする人々の様子まで小さく描き込まれています。

    「立花家記」より。

伝説 鯛は米盗人

昔々、上の庄に矢源太さんという大地主がいました。お金も物もあり余るほどあるのに、とてもケチンボで有名です。

沢山いる奉公人にも、粗末な着物をきせ、食べ物も少なく、しかも、まずい物しか与えませんでした。

近くに住む魚屋が毎日売りに行くが、たまに安い魚を買うことはあるが、鯛(たい)な高い魚は絶対に買ってはくれません。

そこで、意地になって毎日、鯛がありさえすれば売りに行くが、何べん行っても買ってくれません。

ある日、矢源太さんの玄関先に大きな鯛を置いて、塀(へい)の陰から、こっそり、のぞいていました。

矢源太さんが通りかかったので、タダなら拾うだろうと見ていると、ちょっと立ち止って拾い上げそうにしたが、いきなり足を上げて、鯛をポーンとけっとばして

「この米泥棒、お前がごつ、うまかお菜(かず)のあっと、飯のいけ過ぎてでけん。」
ち、太か大声で言うと、後ろも見ないで駆け出して行かれたそうな。
  

   松尾静雄氏の「瀬高むかしむかし」より。

by kusennjyu | 2011-07-07 05:19 | みやま市の民話と伝説 | Comments(3) |Topに戻る
Commented by 浅山和生 at 2017-04-11 10:18 x
本郷の住民です、朝鮮松原と伝説ありがとうございました。知人
にも話したいと思います。
Commented by emiko0708 at 2017-04-24 07:00
千寿さん
おはようございます。
加藤清正が関が原の後、立花家の家臣を一部引き受けた
理由はこの朝鮮でのいきさつもあったのでしょうか。

昨日は小さな小さな美術館においでいただき
ありがとうございました。

田中道のことも楽しみにしております。


Commented by kusennjyu at 2017-04-24 08:36
お早うございます。
立花宗茂が挑戦の役の時、加藤清正が敵に囲まれた時に助けたことにより友情が生まれたからです。
「山に登ったよ」をブックマークに登録しました。
あとで、ゆっくりと見ます。