千寿の楽しい歴史
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2012島原大変 肥後迷惑(1792年噴火)・千寿の楽しい歴史
島原大変 肥後迷惑 

半田隆夫先生の講座資料より。


毎月1回、柳川市の「水の郷」で行われる半田隆夫先生の「ふるさと歴史講座」に出席して勉強しています。

古文書解読の講座で、昨年から「島原大変 肥後迷惑」に関する資料を解読しています。

2時間の前半は「資料の説明や前回の復習」で後半はグループで古文書の解読をします。

島原図(熊本工業大学図書館渋谷文庫蔵)

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島原大変・肥後迷惑   西日本新聞社提供   

ここの大和町は柳川市大和町です。

大和町をはじめ、山門郡内の小学校では、6年生になると、修学旅行がおこなわれます。
ここ十数年、各小学校とも、雲仙・長崎への1泊2日の旅行が多いようです。

平成2(1990)年4月、修学旅行から帰ってきた先生が、「例年、普賢岳の鳩穴(はとあな)には、ほとんど1年中、つららが下っていて、ひんやりするのに、なぜか、今年は、つららが下っていなかった」と話しました。

何かを予言したかのように、その年の11月17日、198年ぶりに普賢岳が噴火し、翌3(1991)年6月8日、大火砕流で、死者と行方不明者を合わせて43人をだしました。

普賢岳の鳩穴は、明暦3(1657)年の噴火の際の噴火口です。先の修学旅行のときには、それまでに火山のエネルギー(マグマ)が蓄積され、山が地熱をもったために、つららが見られなかったのでしょう。

寛政4(1792)4月1日、雲仙の前山(現在、眉山)が、大地震とともに崩壊しました。山が燃え、土石流が島原市域とその周辺の村々をおそい、1万245人の尊い命が奪われました。そして、さらに土石流が有明海に流れ込んだために、大津波が発生し、対岸の天草や宇土・熊本・玉名・荒尾・長洲・大牟田・高田・大和・柳川・大川地域の村々に大きな被害をもたらしました。

この地域を合わせて死者4653人、家屋の倒壊1200戸(「高波記」、長崎県立図書館所蔵)の大惨事でした。

では、どうしてこんな大惨事になったのでしょうか。この日、潟の夕日も多良岳に沈み、多くの人々は、眠りにつくころでした。午後8時ごろ、ゴオーッという海鳴りとともに、肥後と南筑後の有明海沿岸の村々が、大津波におそわれました。

有明海は、潮の干満差が大きく、干潮のときには干潟が数キロメートルもつづくのですが、このときは、大潮で、しかも満潮だったのです。図は、「眉山崩壊による津波の高さと被害者の数」を示したものです。

寛政4(1792)年眉山崩壊による津波の高さと被害者の数    

つじよしのぶ・堀川治城・半田隆夫らの調査による。


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これによると、津波の高さが、飽田郡河内村清田(現在、熊本市河内町清田)で23.4m、宇土郡大田尾村(現在、三角町大田尾)で22.5m、玉名郡上沖洲(現在、岱明町上沖洲)で6.5m、大牟田の諏訪川河口で2.4mを記録しています。大和町では、2.1m(「肥前国島原山崩高潮大変図」に「高波7尺」の高さでした。

写真は、「寛政津波被害の図」(熊本工業大学図書館渋谷文庫蔵)の一部です。これによると、例えば、長洲町では、大津波で500軒が流出し、男女700人が溺れて死に、100人がけがをしています。

大牟田では、「早米来(ぞうめき)は幸いにして、四つ山が津波を防ぎ、一人の死傷もなし。海潮は、鴨牟田水路まで押し上げたるのみ。

明けて4月2日、早馬を飛ばし、諸人の往来、肥後沿岸の注進(被害の報国)、櫛の歯をひくがごとし。

庄屋・組頭は、百方手をつくし、にわかに堺山に仮小屋を作り、家財・兵糧(食糧)を運上(供出)し、山上は立錐の地なし(避難した人たちでいっぱい)。

のち3日を経て、」戸主は家に帰り、山上にいた老人・婦女子は、十余日にして家に帰る」(『早米来略史』)というありさまでした。

大和町の寛政大津波の被害に関する資料は、まだ見つかっていませんので、実態は明らかにできませんが、避難する山が遠い大和町では、約2mの大津波の襲来によって、かなりの被害が出たものと思われます。

『旧柳川藩志』には、「島原温泉岳山崩れ、海嘯(津波)起こる。柳川領内被害多し」と記されています。

雲仙の前山が崩壊し、土石流が海中に突入したために生じた大津波が、対岸の有明沿岸に届くのにかかる時間は、速いところで15分、遅いところで40分でした。

ですから、現在、活発な火山活動をつづけている雲仙岳の溶岩ドームが、大地震で崩落し、大津波が生じたとしても、対岸の人々にとっては、多少の時間的余裕があります。

役場の注意報やラジオ・テレビなどの情報をキャッチしながら、あわてずに、高台や、津波が届かないところへ避難しましょう。

わが国最大の火山災害となった寛政4年の噴火活動は、天保6(1835)年まで43年間つづきました。
現在進行中の普賢岳の噴火は、造山活動ですので、まだしばらくつづくものと思われます。1日も早く噴火活動が終息し、お山が鎮まり、安心して生活のできる日々がくることを祈っています。

造山活動

普賢岳は、約2万年前に山が崩壊し、大きなカルデラを形成しました。その後、カルデラ内で、1万4000年前、8800年前、4000年前と、およそ4000年を周期に火砕流を伴う溶岩ドーム噴火を繰り返し、山を形成する造山活動が行われてきました。

寛政大津波関係供養塔等分布図(墓碑・記念碑を除く)

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島原大変・肥後迷惑   

荒尾市四山神社

熊本県河内町

玉名市岱明町  

以上の4項目は、半田隆夫先生と私の2人で昨年、図書館での資料蒐集と現地調査して写真を撮ったものです。    どうぞ参考にして下さい。   







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by kusennjyu | 2012-05-20 03:42 | 歴史学習会 | Comments(0) |Topに戻る