千寿の楽しい歴史
kusennjyu.exblog.jp
ブログトップ
2012荒尾二造(東京第二陸軍造兵廠荒尾製造所)・千寿の楽しい歴史
荒尾二造(東京第二陸軍造兵廠荒尾製造所)   

パンフレットより


8日(日)に大牟田市立三池カルタ歴史資料館で展示されている「荒尾二造」を見て来ました。

私は昨年、三池史談会の歴史講座の時に荒尾在住の関係者からパンフレットをもらい、その時に初めて知り、びっくりしました。

a0137997_11384379.jpg



地図

a0137997_11391531.jpg



説明4枚

a0137997_11402951.jpg



a0137997_11411839.jpg



a0137997_11414812.jpg



a0137997_1142161.jpg



沿革

a0137997_1143482.jpg



荒尾で火薬の生産

荒尾二造は、荒尾市民に「二造」の略称で親しまれており、正式には「東京第二陸軍造兵廠荒尾製造所」といいます。

関東大震災で大きな被害があった東京都板橋区の旧東京第二陸軍造兵廠での火薬の生産を、群馬県岩鼻や京都府宇治等に広げ、満州事変以降は火薬消費量の増大化に伴い、敷地にゆとりがあり、火薬原料の石炭酸が入手しやすい大牟田に隣接した、当地荒尾に生産増量のため、最新設備を備えたことにyります。

昭和13年には、東西約5km、南北最大1km、周囲約10kmを対象として測量が開始されました。

翌14年には旧荒尾町、有明村、八幡村の100万坪を陸軍要地として買収し、八幡村果樹園集落は赤田方面に集団移転させられました。

正門、本村門、有明門、大谷門、八幡門の五個所の門を設置したあとは、従業員以外の工廠内の立ち入りが厳しく規制されました。

生産の規模

敷地中央部の市屋から緑ケ丘まで、最大幅22m~15mの幹線軍用道路約4kmを当初に整備し、支線道路や循環道路が網の目状に設置されました。

また、原料や製品の移送用に万田駅から二造中央部間に専用鉄道が敷設(全長5.195km)されました。

昭和17年4月の荒尾市制施行頃には、第1工場のクロベン工場やシダ工場が次々と完成して、火薬や炸薬の生産が開始されました。

当時作成された「工員補助名簿 荒尾製造所」には、技官・雇員等の2592名の方々が記されています。

三池炭鉱の地図

a0137997_1145479.jpg








みやまいいまち会  クリックして見て下さい。

「みやまの今週のニュース・出来事など」   「観光まちづくり試論」

みやま市観光協会公式WEB

みやま日和(みやま市観光協会ブログ)    クリックして見て下さい。

 「道の駅みやまの「あずまや」では今日までケーキフェア」

「7/14と15、みやまに様々なアーティストが来るぞ!しかも無料!」


梅野家歴史資料館  みやま市瀬高町大草女山932

梅野家庭園    4月  5月  新緑  6月  11月   季節を楽しんで下さい。

西日本新聞フォートサービスで梅野家庭園の写真(4月28日撮影分)を販売しています。

青輝園    御座敷梅   ユリ展    季節を楽しんで下さい。

私の目標   今一番大事なことは絆 を育てること。

by kusennjyu | 2012-07-09 11:43 | 歴史学習会 | Comments(0) |Topに戻る