清水寺本坊庭園 国指定名勝 瀬高町の文化財(平成2年3月31日発行)より。
指定 昭和4年4月2日 所在地 瀬高町本吉清水谷1117-4
この庭園は室町時代の画僧雪舟の作と伝えられているもので、前方の愛宕山を借景として取り入れ、心字池を中心に庭石の配置、植込、池にそそぐ緩、急の滝など、自然と人工の美が見事に調和した名園である。
春から初夏にかけて萌え出る新緑におおわれ、秋は紅葉に彩られて、自然がおりなす絶妙の配色に一段と美観を増し、特に借景の愛宕山から昇る中秋の明月は池面に映えて見る人を幽玄の世界へと誘うようである。
本堂の本尊を拝して静寂としたこの庭と対面する時、しばし俗塵を忘れ仙境に居るようである。
しづかにも 月の僧坊 さまたぐる 竹後
ここを訪れる文人墨客も多く、歌人佐藤春夫、北原白秋、女流歌人柳沢白蓮、作家火野葦平等々、本坊入口の大銀杏の木の下の向って右に白秋の「ちちこいし・・・・」の歌碑と、左に前記の松尾竹後の句碑がある。
この庭の築造年代については元禄時代といわれているが、室町時代にあったものを元禄時代に本坊の改築にともない庭園も改造されたものと考えられる。清水寺にもこれに関する文献はない。
この庭園が昭和4年文部省より名勝として指定を受けたいきさつについて次の様なエピソードがる。
かつて当時県嘱託島田氏はこの庭について
「自分は昭和3年に庭園の調査をして原熈博士が来県の節、県内におけるつぼケ所ばかり案内した。だがどれも駄目だといわれ、最後に自分がかつて清水観音参詣の途中に立寄った。ちょっとよいつぼのように思った記憶から、物になるまいが余興のつもりで、このつぼを見てもらったが、これはいい庭だ。明日また詳しく調査しようと云うことで、それが動機で指定されるようになった。」(岡茂政著柳川史話)
また清水寺庭園の文部省指定の説明は
「元禄年間のものならんと云わるるもその築造年代明かならず。明治初年多少の廃頽を見たるも主要なる庭区は依然旧態を存す。三方山丘陵を以って繞らされ、後方台地の下に池又は島を設け右方遥かに瀬瀑を望み、左方近く直瀑を見る。池畔島嶼に石を配し、松樹あり槭(かえで)樹あり山に依れる清邃なる泉水庭にて佳姿にを有するものなり」
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