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千寿の楽しい歴史
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2012瀬高町の文化財5(芳司本郷・下小川・唐尾の祭り)・千寿の楽しい歴史
瀬高町の文化財5(芳司本郷・下小川・唐尾の祭り)   

瀬高町の文化財(平成2年3月31日発行)より。

芳司本郷のドンキャンキャン 県指定無形民族文化財

指定 昭和54年3月6日 所在地 瀬高町文広・本郷

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八幡神社の大祭神事は、古くは旧暦11月9日、これを新暦に移行して12月21日が古来の祭典日であったが、現在は10月19日になっている。

当日は、広田八幡宮から本郷聖母宮への御神幸の神事が行われる。本郷聖母宮から行列を仕立て、神輿を迎えにくる。その有様は奴半纏、素脚に草穿の若者達が長いニンジ幣や毛鋒を投げ渡しながら、古謡調子に合わせつつ道中する。

御神輿の後から獅子頭の少年が鉦や囃子の音頭に合わせ田楽太鼓を打ち、かつ舞いを納めて御神輿に随行する。また神宮、神役の後からは文広氏子がが続き、裃姿横笛奏楽の「みゆき衆」、高張提灯の列、さらに獅子頭の田楽太鼓、鉦の列、並びに「ぼてぼて」飾小太鼓を持った幼児を肩車にした父親の列は老幼を問わず男子は全員御神幸に隋伴するのが習慣として今も続いている。

この風流は、中世の神事と近世の大名行列を組合せた独特の様式で「ドンキャンキャン」と呼ばれ、空には凍る寒の月、祭りを終えた家々は祝の酒盛り賑やかに夜の帷(とばり)に包まれる。

古文書記録の中に「天正十六年三月十五日」藩主立花宗茂は神前に流鏑馬奉納の願文を奉じている。これより芳司氏子の流鏑馬神事が行われていましたが、現今はでは農耕馬もいないので流鏑馬神事はとり止められているが、昔を知る人は祭典行事の終末を飾る圧巻としての思い出が今も強く深く残っているようである。古くは立花藩主の尊崇を受け、藩主自ら下馬して礼拝されたと伝えられている。

下小川八幡神社の風流   町指定無形民族文化財

指定 昭和56年2月23日 所在地 瀬高町太神字下小川

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大字太神字下小川の八幡神社は、鎌倉幕府の承久2年、宇佐八幡宮より分霊して祀ったと言い伝えられ、江戸時代になって五穀豊穣と村内安全を祈念して祭礼当日、毎年10月19日(昔は旧暦11月19日)に大名行列を型どった風流を行い伝承したと思われる。

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当日は風流行列50人、神事30人の計80人が参加する。風流の種目は太鼓打2人、鐘打2人、スッポ2人、大傘2人、番原4人、鋏箱4人、花4人(一番)、二番4人、三番4人、四番4人、五番4人、笛吹(若干名)、太鼓担4人、鐘担4人で午後1時、下小川東の山下家前を出発し、風流行事をしながら座元の所で一舞し、さらに神社まで行列して行き、社殿前で太鼓打の舞があって終る。

昔は青年男子2人が花嫁と花婿になって参加し、賑やかだったが今はない。また鋏箱4人が張り上げる声が面白い。一例を挙げると「若殿さまの初のぼり、ショウベンタコ(小担桶)どみゃ片づけろ、サトサイサイ」「段々畠のボウブラジョ(南瓜)なるこつぁしらずにへーまわる、サトサイサイ」
行列の距離は約2.5km、所要時間は3時間半位である。

唐尾 八幡神社祭礼 町指定無形民族文化財

指定 昭和56年2月23日 所在地 瀬高町小田字唐尾

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八坂神社は唐尾にある。安永4(17775)年6月、筑後国柳河領上妻郡山下町より勧請。祭神 素盞鳴尊・大巳貴命・少彦名命
祭典 領主より 安永4(1775)年6月10日、小田・平田・唐尾・中島四ケ所に神事、風流、子供踊りをするよう仰せ付けられて始まる。後、領主の忌日と重なったため6月13日となる。


風流奉納は、神輿・祠掌、奉楽、次に小田・平田・唐尾・中島の順で鐘・太鼓・高張傘・鉾等行列をもって各村を巡行し神前で奉し鎮座する(現在は神輿なくフリュウと呼ばれる山笠様のもの)。

寛政6(1794)年、子供踊りを止めたところ、文化11(1814)年5月、流行病が出たため再び願によりて従来の通り子供踊りを再開する。

文政6(1859)年、平田名は再び踊りを止め、唐尾名のみ従前の通り踊りを奉納し続けていた。明治5(1872)年以降踊りを止め風流のみ奉納する。

祭典の節は、御家老、中老、寺社奉行等出張の役についた。明治時代には村長が代りを勤めたという格式を誇った祭りである。
現在は新暦7月13日に行われ町長が出張している。(さらに現在は7月第3土曜日に行われ市長が出張している。)






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by kusennjyu | 2012-08-17 12:00 | みやま市の文化財 |Topに戻る