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千寿の楽しい歴史
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2012高田町東部の石の文化を訪ねて・千寿の楽しい歴史
高田町東部の石の文化を訪ねて    

平成24年10月19日午前中 参加者7名

矢嶋家の亀墓 有形民俗文化財  

所在 みやま市高田町田浦273-2

万治3年(1660)柳川二代藩主立花忠茂公時代の地方知行に矢嶋主水は三千石のうち岩津五百四十石、原三百五十石の記録がある。

矢嶋の分家である矢嶋平右衛門(黒崎開居住)は、一族の墓地を岩津金仙寺山にしたのであろう。

その後、昭和になり山門炭鉱開発に際して、田浦飯田の山中に移したのである。

四基の墓石は、海亀の台座の上に墓標が建てられていて、この様式の墓石は神戸の楠木正成父子の墓、萩の毛利一族の墓石等に見られる。

菩提寺は、柳川市片原町瑞松院である。

墓石銘は次のとおり
 
 ・陽泰院柳川大夫平右衛門矢嶋行恒公之墓 ・炊徳院殿純与義容大居士霊

・我月 登吉矢嶋行周公墓   ・覚天院殿高与哲倉塔
  
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竹飯八幡宮の鳥居 有形文化財(建造物)   

所在 みやま市高田町竹飯1476-1 竹飯八幡宮

筑後地方には、大善寺玉垂宮、水田天満宮、蒲池三島宮等に肥前型鳥居があり、それぞれ文化財に指定されている。竹飯八幡宮の鳥居もこの肥前型鳥居の形態の古い形を示している。

普通の鳥居は笠木(かさき)が全体的に曲線を示すが、肥前型では両端だけが曲線となっており、島木と貫(ぬき)のあいだが狭く、笠石はずん胴型で二段あるいは三段の継ぎ目をもっており、基礎部分は台座をもたず掘っ建て式になっている。

肥前には砥川(とがわ)の石工が有名であるが、この鳥居には残念ながら石工名もなく、造立年月日等の銘文はいっさいない。いつ、誰が作ったかは明らかでないが、竹井城の祈願神社としての性格を持っている八幡宮であるからには、田尻氏の寄進とも考えることができる。いずれにしても、当地方における唯一の肥前型鳥居で材質は杵島地方の安山岩である。

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満願寺の石塔群 有形文化財(考古資料)  

所在 みやま市高田町竹飯1283 満願寺

六地蔵

半陽刻した肥前型六地蔵の典型であり、安山岩製である。南部大牟田は肥後六地蔵が多いが、高田町には肥前石造文化が入り込んできており、石造文化の交流接点としても貴重なものである。

一基は、竿石(さおいし)の上に五輪塔の水輪を基台とし、その上に六地蔵と六角型竿石を配置たもので、造立に関しての刻銘はいっさいない。つぎの一基は、基礎の上に宝篋印塔基礎を竿石の代用とし、その上に六地蔵を安置し、笠は入母屋型の屋根である。

水輪、宝篋印塔残欠、入母屋型石塔屋根はいずれも、再利用したもので、万願寺が宗眼(そうがん)和尚によって天文年中に再興された後、この六地蔵が造立されたことを物語っている。

なお、水輪には、バ、バ-、バン、バクの梵字を刻しており、五輪塔の典型的なもので、室町時代初期のものであることを伺わせる。

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左~四天王角柱塔 右~八十八カ所巡りの仏像(以下は有形文化財ではありません。)

古来四天王像は、本堂の中に仏像が須弥壇に安置されると、その四方に四天王を祀って中心の本尊を守る形に配置される。

満願寺の四天王像は、野外にあって蓮弁型の四角柱を後背にし、丸堀にちかい半陽刻の一石造りである。材質は安山岩で、東に持国天、南に増長天、西に広目天、北に多聞天を配している。もともとは須弥山の上空の仏達を守護する神であるが、四天王を拝むと、大変なご利益があるといわれている。

持国天は家内安全、増長天は増益、広目天は広く世間を視る目、多聞天は多くのことをよく聞いて学ぶ心を授かるというものである。

この像がいつ、誰によって安置されたかはわからないが、筑後地方では大変珍しくこの地方の信仰を知るうえでの貴重な文化財である。

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満願寺の五輪塔群 有形文化財(考古資料)  

所在 みやま市高田町竹飯1283 満願寺

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次は海津を周りました。






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by kusennjyu | 2012-10-20 06:02 | みやま市の文化財 |Topに戻る