宮崎旅行 JA年金友の会役員旅行 平成26年9月25日分
午前7時~8時30分まで各地を回り、43名(内女性4名)の参加者を乗せる。高田町を出発が8時30分。
九州縦断自動車道に熊本県南関町から午前9時頃に入る。
高田ー南関ー八代ー人吉ーえびの市ー都城市。ここで降りて霧島酒造を見学及び食事。
関之尾の滝と甌穴(おうけつ)の見学
関之尾公園には、大滝(幅40m、高さ18m)、男滝、女滝の三つの滝があります。
滝の上流へ600m、幅80mにわたって広がる甌穴(小さい瓶のよんあ穴)は、約34万年前に形成された河床の大きな結凝灰岩(けっぎょうかいがん)(火砕岩の一種)の割れ目に砂や石ころが入り、水の力と長い年月をかけて出来上がったもので、現在も進行中です。大きいものは3mをものなど、一帯には数千個の穴が散在しています。
日本では、木曽川やこの庄内川の上流に小さいものがありますが、こんなに大規模なものは世界でも類がないといわれ、フランスにあるポンデスールより大きく世界一であると地質学の権威者は、称賛されておられます。
川上神社由来記 (関之尾公園内にあります。)
徳川幕府の頃(今から約400年前)、地元の人たちが滝の下に堰を設け、新たに開発した水田に水を引きました。そのときに滝の上の岩肌に穴を掘り、出水神様(デミシンサマ)を祀りました。出水神様は九州でも最も古い水神様と謂われています。
しばらく経った貞享2(1685)年、都城18代領主島津久理公の命を受けた家老川上久隆は、苦難の末、滝の上の右岸の硬い岩盤に約100mのトンネルを穿ち、取水に成功しました。水は高い位置から低い位置にしか流れませんので取水口を滝上に作れたことは、それまで灌漑できなかった土地まで広く灌漑出来るようになったことを意味します。いつの頃からか関之尾住民は川上久隆はを水神様として祀るようになりました。
さらに時代は下がって明治28(1889)年、坂元源兵衛が滝上300mの左岸の岩盤をくり抜くことに成功し、庄内川左岸の土地まで広く潤すことになりました。その後、坂元源兵衛の意思を引き継いだ前田正名が明治35年谷頭まで通水に成功します。これら偉大な先人たちの業績により、関之尾の滝は下流の広大な土地を潤す大水源となったわけです。
関之尾住民は新たに「島津久理公、坂元源兵衛翁、前田正名翁」の御霊を出水神様と一緒に祀ることにし、毎年9月に出水水神祭を行い、家内安全・五穀豊穣・水難避けを祈ります。今では商売繁盛・縁結び祈願に訪れる人も多く、女滝にお酒を注ぐ姿もお見かけします。
この社殿は、昭和37年に、昔から水神様が祀ってあったこの場所に建立されました。
平成26年 川上神社
青島神社参拝
特別天然記念物 青島亜熱帯性植物群落
指定年月日 大正10年3月3日 特別指定 昭和27年3月29日 (国指定)
青島は、陸地に近い島で、島内には、本土に比べて特異な植物が繁茂し、北半球最北の貴重な亜熱帯性植物群落がある。
自生地植物は、197種で、熱帯及び亜熱帯性植物27種を算し、その代表植物ビロウの成木は約4300本で、ビロウ純木は群落地の六分の一を占める。最高樹齢は300年、木歴は古来の遺存と推定される。
天然記念物 青島の隆起海床と奇形波侵痕
指定年月日 昭和9年5月1日 国指定
周辺の岩盤は、新第三紀(三千万年から百万年前まで)海床に堆積した砂岩と、泥岩の規則的瓦層が傾き、(走向北30度東、傾斜20度東)海上に露出し、波浪侵蝕を受け、硬さの違いにより凹凸を生じたものである。岩盤上には、ひびや断層が多く団塊や侵蝕による蜂窩が見られる。
平成元年8月22日 宮崎市教育委員会
海ではサーフィンをしている人が多くいた。子供たちは砂浜でタイヤを引いて足腰を鍛えていた。
ごご4時30分にホテル到着。
午後6時から宴会が始まった。
みやまいいまち会 クリックして見て下さい。
新 「平成26年 朝倉櫨フォーラムに参加しました。」
「⑭みやまの直近のニュースと、出来事」 「平成26年度第1回南筑後選挙啓発研修会に参加しました」
みやま市観光協会公式WEB
梅野家歴史資料館 みやま市瀬高町大草女山932
梅野家庭園 4月 5月 新緑 6月 11月 梅野家の紅葉 季節を楽しんで下さい。
梅野家歴史2(傘寿を迎えて・梅野茂芳著者)・千寿の楽しい歴史 今テレビで話題の白蓮さんの写真が載っています。
青輝園 御座敷梅ユリ展
私の目標 皆さんに感謝します。