大村伝統の味「角ずし」の歴史紹介・千寿の楽しい歴史
大村伝統の味「角ずし」の歴史紹介
大村の歴史と共に伝わる「角ずし」は530年余の伝統の味
文明6(1474)年、大村領主・大村純伊は、島原の有馬、諫早の西郷勢の連合軍などと萱瀬(かやせ)村の中岳において戦いましたが、一敗地にまみれ、唐津の沖合にある加々良島(加唐島)などに逃れておりました。
7年もの長い間、領地を奪い返す時をうかがっておりましたが、文明」12(1480)年、渋江公勢らの援軍を得て大村領を回復し、宿願を果たしました。
この時、大村の領民たちは喜んでこれを迎えましたが、早々のことで賄具などの用意もなかったので、とりあえず、もろぶた(木製の長方形の箱)に炊き立てご飯を広げ、その上に魚の切り身、野菜のみじん切りなどを広げ軽く押さえて領主をはじめ将兵の食膳に供しました。将兵たちは脇差で、これを適当に角切りにして食べました。また珍客に対しては心のこもったなによりのご馳走として喜ばれております。
私も米光先生から、寿司屋はどこでもあるが、「角ずし」はここだけと「やまと」さんに連れて行ってもらい、伝統の味を戴いて帰りました。米光先生、ありがとうございました。
江戸時代前から今に伝わるとされている大村寿司。別名シュガーロードと呼ばれる、長崎街道の宿場町であったことをしのばせるような、ほんのりと甘く、彩り豊かな押し寿司です。
530年あまりの歴史を持つ、海や山の幸に恵まれた、この土地ならではの伝統的な郷土料理のひとつです。ぜひ一度、味わってみませんか?
中岳の戦(なかだけのいくさ)
文明6(1474)年の暮れ、島原、諫早、有馬高純の連合軍が約2千人の軍勢で諫早尾和谷を経由して飯盛山に本陣を置いた。
大村純伊は、16歳で総大将となり、兵700余名で中岳原といそぎ、過去の戦いの経験により伊流川を防ぎょ線として布陣する。
有馬勢は大村勢を小勢と見てあなどり、大挙して伊流川を渡り迫って来たが、大村勢は右翼を長岡越前、左翼に庄左近い太夫を武将として善戦し、有馬勢を四度押し返したが、第二陣として控えていた純伊の姉婿の鈴田入道道意の裏切りに会い、形成は一転し大村勢の大敗となり純伊は多くの武将を失う。
総大将の大村純伊の運命もこれまでと思われたとき、旗本隊の鬼神の働きで難を逃れ、郡岳から松原より西へと船出していった。
終わります。有難うございました。
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