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千寿の楽しい歴史
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2015岩屋城の戦い探訪(岩屋城二の丸・西正寺・首塚)・千寿の楽しい歴史
岩屋城の戦い探訪(岩屋城二の丸・西正寺・首塚)    

平成27年2月5日(木)  天気:曇り一時小雨

太宰府市の木村氏の車で金子俊彦氏と私の2人を案内してもらいました。

二の丸及び高橋紹運墓

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高橋紹運の石碑

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辞世

「流れての末の世遠く埋もれぬ  名をや岩屋の苔の下水」(「陰徳太平記」)

高橋紹運(たかはし・じょううん)

戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。豊後大友家の家臣。吉弘鑑理の子で、立花宗茂の実父にあたる。

紹運は法名であり、初めは吉弘 鎮理(よしひろ しげまさ/しげただ)、のちに大友宗麟の命令で筑後高橋氏の名跡を継ぎ、高橋 鎮種(たかはし しげたね)と称した。


伝説 「石こづんばば」

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石こづんばば

四王寺山の大宰府口城門跡にある石垣と礎石の左側に、石を小山のように積み上げた場所があります。ここには「石こづんばば」という、岩屋城落城にまつわる物語が伝わっています。

天正14(1586)年の夏、九州制覇を目指し北上した薩摩の島津勢に攻められ、この一帯を治めていた大友家家臣の高橋紹運は、四王寺山中の岩屋城に立てこもりました。籠城した兵の数はおよそ700人余り、一方の島津勢は数万の軍勢で押し寄せました。しかし、堅い固な岩屋城と紹運の智略に富んだ応戦により、島津勢は多数の死傷者を出す結果となりました。

攻めあぐねた島津勢は、城の水の手を断つことを考え、里の老婆に金を与えることを条件に、水口を案内するように頼みました。金に目がくらんだ老婆は、水の場所を密告し、水を断たれた高橋勢はついに全員討ち死にしました。

その後、水口を案内した老婆の噂が里に広まり、紹運を慕っていた里人たちは、老婆を捕えて水場のそばに引き据え、上から石を積み重ね、生き埋めにしてしまったといいます。


岩屋山西谷寺

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岩屋山西正寺は、高橋紹介運の身内である藤内左衛門丞重勝(出家して正順)の開基です。

岩屋城陥落の前に紹運は重勝に、落城後の戦死者の菩提を弔ってほしいと、仏像その他の宝物を授けました。重勝は城を出て現在の地に草庵を構え、のちに西正寺と号し、浄土真宗の末寺となりました。

寺宝として高橋紹運の念持仏(法蔵菩薩五劫思惟像)などを安置しています。


高橋紹運首塚伝承地   筑紫野市

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紹運塚のことは貝原益軒の『筑前国続風土記』にもみえ、古くから注目を集めていたことがわかりますが、『筑前国続風土記附録』には「村の艮(うしとら)に茱原(ぐみはら)あり。東西四間南北五間許也。昔は封塚ありしといへとも今ハなし」。『福岡地理全誌』には「数十年前、塚ノ四方ヲ石ニテ畳メリ」とあり、変遷がうかがわれます。

木村さん、案内ありがとうございました。






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by kusennjyu | 2015-02-07 19:14 | 歴史学習会 |Topに戻る