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高田町の人物・柿原種雄(旧町長)の紹介・みやまの人と歩みより
高田町の人物・柿原種雄(旧町長)の紹介・みやまの人と歩みより

会社経営から町長へ

柿原種雄は、明治30(1897)年8月3日、山門郡小川村(現、みやま市瀬高町太神)に生まれ、昭和8(1933)年には三池郡岩津村(現、みやま市高田町岩津)に移り住みました。種雄は、父菊次郎が建設請負業を営んでいたこともあり、その後ろ姿を見て育ちました。

青年時代に上京し、早稲田工手学校(現、早稲田大学芸術学校)の夜学に通いながら新聞社のアルバイトをし、加納治五郎が興した講道館で柔道の練習にも励んでいます。種雄は、努力と行動力の人でした。

大正12(1923)年、父の事業を引き継ぎ、土木事業、建築工事とさらに事業を発展させました。昭和20(1945)年には、株式会社柿原組を設立し、代表取締役社長に就任しています。

種雄は、終戦直前の昭和20年8月4日に高田村長に就任しましたが、昭和21年11月22日には辞職しています。辞職後は、会社経営に力を注ぎましたが、昭和27(1952)年5月20日、村長候補に立候補して当選する。

高田村長から町制施行に伴い高田町長へと3期12年にわたり務め、町政発展に尽しました。また、福岡県町村会会長や全国町村会副会長などの要職も歴任しています。


治水事業や干拓事業に功績

飯江川、楠田川、隈川の3つの川が流れる高田町は肥沃な土地が西部に広がっていますが、これらの河川が氾濫し、水害が頻繁に起こる町でもありました。種雄は「町を治めるには水を治めなければならない」と考え、治水事業に積極的に取り組みました。

村長に就任して1年後の昭和28(1953)年6月、梅雨期の大雨により飯江川丁字橋左岸が決壊し、流域の江浦一帯が水浸(ひた)しとなる水害に見舞われ、民家や田畑に大きな被害をもたらしました。種雄は、水害のないまちづくりを進める決意を新たに河川改修に取りかかりました。

昭和37(1962)年7月には、集中豪雨により飯江川の田尻付近が決壊し、流域の田代、岩津地区一帯が家屋浸水や田畑の冠水被害を受けました。種雄は飯江川の全面改修工事を早急に実現させるため、国・県へ精力的に働きかけました。こうして、飯江川をはじめ、楠田川・隈川の河川工事が進んでいきました。

有明海に面する高田町は、昔から干拓が行われてきました。地名にも新開・黒崎開などの名が見えます。三池干拓事業は国の直轄事業として、昭和28(1953)年から着工され、同42(1967)年まで15年の歳月をかけて行われました。

大牟田市と高田町の地先に総面積540ヘクタール、うち高田町工区の262ヘクタール(農地面積は162ヘクタール)にもおよぶ干拓事業です。種雄の就任期間は干拓事業の工事期間でもあり、一大事業の遂行に力を尽くしました。

そのほかにも、精力的に町の振興に取り組みましたが、町長3期目の残り1年は病気療養を余儀なくされました。しかし、種雄が村長のときから助役を務めてきた堺守をはじめ町職員や町民に支えられ任期を全うしました。


質素で倹約

種雄は、陳情などでよく上京しました。当時は汽車での上京であり、時間を有効に使うためでもありましたが、食事はいつも質素なもので済ませていました。関門海峡を渡って下関での立ち食いソバがお決まりでした。

家庭でも質素な生活でした。孫の話によると「一度だけ怒られたことがありました。それは食事に不満を言ったときです。他のことには、めったに怒らない祖父がこのときばかりはものすごく怒りました。種雄は「食べ物には不平不満をいわず、感謝の気持ちを持って食べなさい」と諭したそうです。食事は、家族や使用人、お手伝いの人も、みんな同じものを食べました。「人は食べ物に差をつけられるのが一番嫌いだ」、種雄は家族にそう言ったそうです。

また、種雄は大変信心深い人で、高僧を自宅に招いては近所の人たちを集め説教の場を設けたりしました。特に、禅の修行は怠りませんでした。自分には厳しいが他人には思いやり深い人でした。

昭和45(1970)年11月3日、長年にわたり長村長、福岡県町村長会会長として、地方自治の振興に貢献した功績により、勲五等瑞宝章が贈られ、翌年の4月1日に死去、享年74歳でした。町葬が高田町中央公民館で行われました。会場は沢山の花輪で埋め尽くされ、種雄の巾広い活躍と交友関係を物語るものでした。


私の思いで(水害)

昭和28年の水害は私は堀川バスで山川の西楽寺保育園に通っていました。台風水害の後はバスが普通になり、友達と3人で竹飯まで行き、先生と園児1人と合流して約4kmを歩いて通園しました。

昭和37年は中学生と時で、田んぼ一面が冠水して膝くらいまでありました。

水害の時は、私の家の所が1番低いために、必ず浸水して、裏へ水が流れていました。








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by kusennjyu | 2015-05-02 21:07 | みやま市の歴史 |Topに戻る