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千寿の楽しい歴史
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2017権現塚古墳(瀬高町坂田)・千寿の楽しい歴史
権現塚古墳(ごんげんづかこふん)  

瀬高町坂田(市指定史跡)

みやま市史資料編上巻(発行・平成29年3月)P270~P271より

みやま市教育委員会発行。


権現塚古墳は、標高9mほどの沖積台地の微高地上に立地し、国道209号線を南の大牟田市へ向かうと、東側にひときわ大きな高まりが見られて明らかに古墳とわかります(図1)。北側2kmには矢部川が蛇行、西流して有明海に注ぎ込みます。東を見れば、筑肥山地の一角の清水山が連なっています。古墳は広く開けて平坦な筑後平野にあって、東にある清水山の眼下にあります。

 『旧柳川藩志中巻』名所旧跡の「古墳」の項によれば、(文献3)、「俗に之を茶臼塚と唱ふ。周囲63間、直立6間あり」。また『瀬高町誌』(文献2)には、「周に堀のある段付円墳で、径36m、高さ7.8m、周囲113.5mの古墳である。」との記述があります。

 主体部および年代は不明ですが、直系45m、高さ5.7m二段築成の円墳であって、周囲には、幅11m、深さ1.2mの周溝がある県内でも屈指の円墳であることが、昭和56(1981)年度の、圃場整備事業に関連する測量調査および事前トレンチ調査でわかりました(図2・文献1)。

 平成3(1991)年度には、科学的探査によりこれまでわからなかった権現塚古墳の主体部や古墳の形状、周溝の解明にむけて、電気探査や地中レーダーを利用した電磁波探査を行っています。その結果、周溝の存在は認められたものの、主体部らしき石室の反応は見られず、木棺などの比較的に土質に近い埋葬施設と推定されます。

 『瀬高町誌』によれば、付近からは、「堀の南の畑から弥生の合せ甕・高坏んまどが出土し、また堀の北東隅に組み石棺があるところを見ると、弥生式遺跡(墓地)の上につくられた古墳であろう。塚の西部の水田からは縄文後期の土器や石斧なども出土している。」としています(文献2)。


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続きます。





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by kusennjyu | 2017-06-20 11:39 | みやま市の歴史 |Topに戻る