千寿の楽しい歴史
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2017長谷古墳群(瀬高町大草)・千寿の楽しい歴史
長谷古墳群(ながたにこふんぐん)

瀬高町大草 

みやま市史資料編上巻(発行・平成29年3月)

P328~P339より

みやま市教育委員会発行


長谷古墳群は、古僧都山から西に延びた2つの尾根上および斜面に築造された石室墳と横穴墓からなる古墳群、縄文時代早期とされる大型礫器などが出土した散布地からなる遺跡です。古墳群は、国指定史跡女山神籠石の列石内、長谷水門付近の標高50~100mの尾根上および斜面に位置します。かつては、古墳時代後期を中心とする古墳が100基以上存在したとされますが(文献1)、戦後の蜜柑園造成により横穴墓を中心とする多くの古墳が失われてしまったと考えられます。そのうち、横穴墓から出土したとされるイモガイ製飾金具(指定名称は「貝製雲珠」)3点は昭和34(1959)年に福岡県指定有形文化財(参考資料)として指定されています。

古墳群の調査は、昭和33(1958)年の蜜柑園造成の際に3~11号墳が発見され、その後郷土史家の村山健治らによる発掘調査を継起として昭和34(1959)年に東京大学理学部人類学教室の鈴木尚・近藤四郎によって人骨収集を主目的とした発掘調査が行われています。なお、昭和33・34年調査の成果は、東京大学の調査にも協力した村山健治によって概要報告が行われています(文献1)。また、その後、調査結果の一部は『瀬高町誌』(文献2)や『誰にも書けなかった邪馬台国』(文献3)などの村山の著作に掲載されています。さらに、村山からの資料提供によると思われる、岩崎光による学会誌への本古墳群概要報告があります(文献4)。

村山が先の概要報告や著作に掲載した本古墳群の一覧表をもとに、内容を精査し、作成したものが、表1の一覧表です。表の調査主体が「○」のものは東京大学が調査主体、空欄は村山らが調査したものになります。今回、東京大学が調査以外の石室墳・横穴墓については存在した略測図を再トレースし、図5に掲載しています。

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本古墳群では、これまで石室墳および横穴墓が計54基以上確認されており(図4・表1)、墳墓は古墳時代中期と考えられる石棺系石室2基と小竪穴式石室ないしは石棺系石室と考えられる古墳4基を契機として、古墳時代後期後半~7世紀後半まで築造・追葬された横穴墓の主体となります。

石棺系石室と考えられる14・16号墳は、尾根上でも立地の良い平坦地に築造されています。表1で村山が「石積石槨」とした4・7・9・10号墳も小形の竪穴系石室ないしは石棺系石室の可能性があり、古墳時代中期に属する可能性が高いと考えられます。これらが全て中期に属するとなると、小形の竪穴系石室ないしは石棺系石室がまとまって展開する状況が推測されます。なお、石室規模が2.3m×1m程度の小形の竪穴系石室と思われる8号墳は、石室形態では古墳時代中期に位置づけられますが(図5)、村山の報告によると、出物が環頭大刀(かんとうたち)の可能性がある刀装具を含む大刀1振(図10・11・12)、馬(轡・くつわ)、耳環8点、水晶製管玉1点という古墳時代後期でも後半の副葬品構成であることから、石室形態と出土遺物の時期が一致しません。このため、8号墳出土遺物は、ほかの古墳のものが何らかの理由で混入した可能性があります。

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続く古墳時代後期前半には、古墳群が継続していたかどうかは不明です。後期後半には古墳群の主体となる横穴墓と、横穴式石室を主体とする円墳(54・56・57号墳そのうち56・57号墳は後に瀬高町教育委員会により発掘調査が実施された山内1・2号墳(文献5))が、隣接した位置に築造されています。また、盗掘は受けていましたが、正式な発掘調査が行われた56・57号墳(山内1・2号墳)と現在伝わる本古墳群の横穴墓の副葬品を比較すると、輻輳された馬具・武器類・土器累の構成・質・量などほぼ同様で、複室横穴式石室と横穴墓という築造に係る労働力という面からは大きな違いがあるものの、副葬品では大きな違いが認められないという特徴があります。

横穴墓は、東京大学調査のものも含めて、天井部がドーム状を呈し、平面形が方形を基調とする単室構造のもののみ認められます。杉本岳史によると、これまで正式な発掘調査が実施された八女市(旧立花町)を中心とする矢部川流域の横穴墓は、奥壁側の一方ないしは奥壁・両側壁を「コ」の字状に一段高くする屍床施設、天井形態は家形複室構造という地域性がみられることが指摘されていますが(文献6)、本古墳群の横穴墓の構造とは大きく異なるため、本地域の横穴墓は八女地域とは系譜が異なる可能性があります。

37号墳は、玄室の平面形が若干縦長を呈した方形で、羨道先端部には筑後地域の小郡市の花立山古墳群1号横穴墓に見られるテラス状の高まり(灯明の掘り込みは後世の改変の可能性が考えられます)が見られます(図2・5)。さらに、東京大学調査の30号墳では、遠賀川流域の横穴墓で特徴的に見られる羨門部石組み構造がみられることから、杉本が指摘するように、遠賀川流域の横穴墓の影響が認められます(文献6)。

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石室墳と横穴墓が隣接して築造され、この両者の副葬品の質・量の差がないこと、また遠賀川流域の影響が見られる横穴墓を有する本遺跡群は、遠賀川流域と菊池川流域という横穴墓分布地域とを結ぶ地域間交流の存在を推測できる遺跡として重要です。

続きます。






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by kusennjyu | 2017-07-06 20:16 | みやま市の歴史 | Comments(2) |Topに戻る
Commented by emiko0708 at 2017-07-09 06:22
おはようございます。

昨日は水の郷で金子先生と会いました。
千寿さんもみえてあったと聞きました。
お会いしたかったです。

昨日はとても勉強になりました。
わたしにとって初めての言葉(縄張り図の中より)を
いくつもおしえて頂きました。
最初に歴史の話もあったので、復習になりました。

来月も勉強に行きます。よろしくお願いいたします。
Commented by kusennjyu at 2017-07-09 20:35
昨日は荒尾の方と前から2番目のスライド横に座っていました。田中吉政の支城は行きました。
よろしくお願いします。