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2017西海道跡(久留米市・筑後市)・千寿の楽しい歴史
西海道跡(久留米市・筑後市)

みやま市史資料編上巻(発行・平成29年3月)

P441~445より

みやま市教育委員会発行


太宰府から南下した西海道は、『延喜式』によると筑後国府(久留米市)から御井駅・葛野駅・狩道駅を通過後、肥後国大水駅(熊本県南関町)に向かいます。現在の行政区域によると久留米市・筑後市、みやま市を縦断します。みやま市内では旧瀬高町と旧山川町の地域に推定されていますが、これまでの発掘調査で西海道に関する道路跡は発見されていません。

筑後国の古代道路研究は、明治時代の吉田東伍『大日本地名辞書』、大槻如電『駅路通』から始まりますが、その後途絶えて1970年代後半には歴史地理学の面から詳細な古代道路研究が進みます。日野尚志(文献1)、木下了(文献2)、高橋誠一(文献3)の歴史地理学者が、条理の復元、地名(車路・車地など)、空中写真、古地図、現在も残る道路痕跡などから西海道を推定しています。

1980年代以降、久留米市教育委員会、筑後市教育委員会が発掘調査を行い、西海道に関する道路遺構が次々と発見されており、松村一良(文献4・5)、水原道範(文献6)、小林勇作(文献7)、神保公久(文献8)らによって筑後国の西海道についての研究が行われています。ただし、筑後川を渡河する地点により、西海道の筑後国府へのアクセスは、木下良・松村一良の二説にわかれます。しかし、筑後国府から南下する西海道については発掘調査で道路跡が発見され、詳細に復元されています。

久留米市

a0137997_1015168.jpg筑後国府を通過した西海道は、南西方向へ下り、久留米市内では北から西海道跡一次・古賀前遺跡・車地遺跡・西海道跡二次の四遺跡で検出されています。

①西海道跡一次 久留米市(文献9)
道路状遺構は、南北に長さ68m、路面幅7m前後あり、両側溝も検出されています。路面は削平されていますが、一部に径3~5m程度の小礫によるバラス敷きが見られます。また、側溝には、何度も掘り直した痕跡を確認しています。また、この遺構の南東500m付近には「車地」の地名があります。

②古賀前遺跡 久留米市(文献10~13)
③車地遺跡 久留米市(文献13)

②・③では、両側溝の芯々間で幅約10mの道路跡を幅約350m間の一直線上に検出
しています。路面は、削平されていますが、両側溝は少なくとも一度掘り直された痕跡があります。

④西海道跡二次 久留米市(文献14)
久留米市と筑後市との市境近くで、路面は検出されていませんが、両側溝をもつ道路跡
を検出しています。道路の築造方法としては、側溝を含む幅15mを約1m近く掘削し、路面に砂利を敷き、版築状に突き固め、溝部分をさらに掘り下げています。道路幅は、側溝が3回ほど掘り直され、時期が新しくなるにつれて幅12.5m→11m→9mと狭まる状況を確認しています。

久留米市内①~④を通過した後の西海道は、筑後市北部で検出されています。そこから南に向かう道路跡は、国道209号線と一部重なりながら、筑後市中部の八女丘陵にある羽犬塚山ノ前遺跡で検出されています。

筑後市

羽犬塚山ノ前遺跡より南では、山ノ井川口遺跡・山ノ井南野遺跡・鶴田木屋ノ角遺跡・鶴田牛ケ池遺跡で西海道に関連する遺跡を確認しています。さらに、南の鶴田中市ノ塚遺跡では、帯状の硬化面や両側溝などの道路跡が確認され、側溝からは8~9世紀前半ごろの遺物も出土しています。筑後市内では、これら8遺跡が検出されています。
 
⑤西海道跡 筑後市(文献15)
西側側溝のみを検出しています。路面は、検出されていませんが、現在用水路になっている東側側溝との間で、幅約6~8mの道路跡が復元できます。またここでも、側溝は一度掘り直した痕跡を確認しています。

⑥羽犬塚山ノ前遺跡 筑後市(文献16)
道路跡としては両側溝以外に、硬化面・波板状の連続土杭・帯状硬化面・帯状硬化面を
覆う小礫や土器微小片・突き固め痕跡を確認しています。この遺跡は、葛野駅との関連があり、時期が下るにつれて道路幅が拡張していく状況を確認しています。付近では、葛野駅と推定された■14羽犬塚中道遺跡があります。この遺跡では、奈良~平安時代の掘立柱建物群を検出し、土杭から「□郡符葛野」と書かれた墨書土器が出土しています。

⑦徳久アサミノ遺跡 筑後市(文献17)
東西両側溝および溝の芯々間で幅9~10.5mの路面を検出しています。路面は削平
されていますが、路盤形成時の突き固め痕跡を検出しています。

⑧山ノ井川口遺跡 筑後市(文献18・19)
道路状遺構に伴う両側溝・路盤・路床を確認しています。道路幅は溝の切り合いから、12.1m→8m→6.3mと縮小傾向を示しています。

⑨山ノ井南野遺跡 筑後市(文献20)
⑦の100m南側に位置し、ここでも両側溝を持ち、溝の芯々間で11m、路面幅9m
を検出しています。側溝は2回以上の掘り直しや路面部分には帯状硬化面や波板状の連続土杭などを検出しています。

⑩鶴田木屋ノ角遺跡 筑後市(文献21)
⑪鶴田牛ノ池遺跡 筑後市(文献22)
⑩では、両側溝を検出し、溝の芯々間で12.5mを測れます。⑪の二次調査では明確な西海道跡は確認されませんでしたが、道路側溝の可能性がある溝を確認しています。なお、五次調査では、路面は削平されていましたが、東側側溝を検出しています。

⑫鶴田中市ノ塚遺跡 筑後市(文献18)
一次調査では、道路状遺構に伴う両側溝と帯状硬化面が検出され、四度にわたる道路の
変遷が想定されています。また側溝内からは8世紀代の遺物が出土しています。道路幅は、溝の芯々間で10m→8・5m→7.65mと縮小傾向を示しています。13世紀後半~16世紀代の遺構に切られていることから、13世紀前半には廃絶したと考えられています。三次・四次調査では、道路幅について若干差がありますが、同様の状況を確認しています。

これら発掘調査の結果より、筑後国の西海道は、平地部分に道路幅9m前後で両側溝を備え付けられていたと考えられています。側溝は、数回の掘り直しを行い、道路幅の縮小などの変遷を見ることができます。また、葛野駅周辺では道路幅の拡張を行うなどの特徴があります。

なお、⑬羽犬塚射場ノ本遺跡(文献23・24)は、西海道ではありませんが、西海道に繋がる伝路の可能性が指摘されています。

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続きます。





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by kusennjyu | 2017-08-09 10:15 | みやま市の歴史 | Comments(0) |Topに戻る