鷹尾城跡(柳川市大和町鷹ノ尾) 柳川市大和町
今日から「有明新報」でふるさと歴史探訪が再開されます。
今回は文章を半田隆夫先生が担当されます。はじめてでしょうか。
第1回を「鷹尾城跡」で感激しています。
田尻親種に関する記事が出ています。
小さいので読めないと思います。記事(文章・半田隆夫)を代入します。
鷹尾城は、近世初頭の典型的な平城(ひらじょう)で、南筑後の国人領主田尻氏の本状でした。
田尻氏の居城は、平安・鎌倉時代より三池郡田尻山の飛塚城(ひづかじょう)でしたが、
風水害で要害が悪くなったため、天文17(1548)年、田尻親種(ちかたね)が大友宗麟の
許可を得て鷹尾に築城しました。
本丸の規模は、東西26間(47M)、南北10間半(19M)でした。
親種は、永禄3(1560)年に築いた江浦城や津留・堀切・浜田の城を支城としました。これを鷹尾5カ城といいます。
戦国期の筑後は、大友、龍造寺、島津の3氏を中心に激しく動きました。元亀元(157)年、
田尻親種は、大友宗麟の龍造寺討伐に出陣し、5月半ばの佐嘉城東口の戦闘で深手を負い、鷹尾に帰り、6月23日に城中で死去しました。城跡に墓碑が立っています。(福岡女学院大学講師)
鷹尾城跡は、鷹尾八幡神社の東、矢部川にかかる泰仙寺橋の北側(堤防左岸下側)付近にある。
その城跡の一角に「鷹尾城主伯耆(ほうき)守親種墓」・「鷹尾城戦没戦死の墓」の碑がある。
半田隆夫先生の紹介
「薩摩から江戸へ」副題「篤姫の辿った道」を平成20年12月1日、海鳥社から出版されています。平成18年から「薩摩街道を歩く会」の提唱され講師として指導されています。
平成18年 第1回 「瀬高宿」(みやま市)から「羽犬塚宿」(筑後市)まで。
平成19年 第2回 「松崎宿」(小郡市)から「山家宿」(筑紫野市)まで。
平成20年 第3回 「山川町」(みやま市)から「南関町」(熊本県南関町)まで。
平成21年 第4回 「府中宿」(久留米市)から「松崎宿」(小郡市)まで。(予定)
平成22年 第5回 「瀬高宿」(みやま市)から「山川町」(みやま市)まで。(予定)
平成23年 第6回 「羽犬塚宿」(筑後市)から「府中宿」(久留米市)まで。(予定)
いろいろ著書はありますが、大和町史・山川町史・南関町史・親子で学ぶ大和町史なでです。
近隣市町で講師として歴史講座を担当され尽力されています。
柳川市在住。
11月に第4回の薩摩街道を歩く会が「府中宿」(久留米市)から
「松崎宿」(小郡市)までを歩きます。
昨年は南関御茶屋で南関町郷土史会の皆さんの歓迎を受け、
3人が大名行列に参加できました。私たちは見学しました。
また、NHKの撮影があり、私も1回、テレビにでていました。
その後、セキアヒルズホテルで交流会が催され食事・酒を一緒にしました。
千寿