2009どんきゃんきゃん祭(みやま市瀬高町の祭)千寿の楽しい歴史
どんきゃんきゃん祭
日 時 平成21年11月3日(火)
神事 午前9時から。 御神輿 午後1時30分から。
場 所 文広の廣田八幡神社から矢部川を渡り本郷の聖母 (みやま市)
碑 文
廣田八幡神社の御神幸行列「どんきゃんきゃん祭」は我郷土本郷、文広の氏子が祖先から受け継いだ元禄時代それ以前から400年にも及ぶ長い尊い民俗遺産であり、昭和54年3月6日無形民俗文化財として、福岡県指定を受く。
指定審査にあたられた県審議会専門委員会では、本神社本郷、文広の各宮座本座新座の仕来りがそのまヽ伝承され、祭事神幸の基本となり、氏子の幼児から壮、老年まで総勢それぞれの年齢層で行事を分け持ち、「どんきゃんきゃん祭」を盛立てヽいる。
各座祭に始まり、一夜を籠めし笛太鼓に前夜の御神霊遷し、例大祭の御神幸行列、数々の威儀物、浮立毛槍の隊列、金色輝く御神輿、どんきゃんきゃんのかね太鼓、威風堂々清流矢部川を渡り聖母宮に至る。
行列還幸後の神前座祭まで、民俗芸能の基本を現代に受け継ぎ、古来より封建色の強い此等習俗の中で、これ程現代民主的な風習を生み、伝えて着た郷土先人達の発意と内容を、特筆して高く評価指定されている。
往時は霜月19日の例大祭に、寒風の矢部川清流に身を潔め、天をも焦す篝火に映る的を射た流鏑馬行事は、近郷に希な一大圧巻であったが今は惜くも見られない。
こヽに氏子並に関係者の熱意による 無形文化財指定の記念碑建立にあたり、厚くその赤心と労苦を謝し、祖先の偉業を偲び後世氏子諸氏の共感と伝承を祈念します。
昭和55年10月吉日
廣田八幡宮第52代宮司 廣田 速年
注 送り仮名は碑文のとおり。 年号は漢数字を算用数字に直す。
行は碑文で詰めてあるが、読みやすいように改行しています。
碑文を書くより写真で見せたが判り易いと思います。
私は午前中だけで午後から用事があり撮っていません。
久留米から3人のセミプロ級のカメラウマンを午前中、撮影ポイントに案内しました。
きっと名場面を撮られたと思います。私も、まだブログを見ていません。
下はお礼の一部です。時間と撮影内容が判ります。お疲れ様でした。
本郷地区の舞を撮影し、昼食の後、矢部川の土手でスタンバイしました。
廣田八幡さまを中心に町内を歩いた後、2時に本郷地区の方達と合流して 2時半ごろ川渡りが行われました。
河川敷で鉦や太鼓の奉納があり、後に本郷地区への行列がありました。 3時過ぎまで撮影をいたしました。
私は「どんきゃんきゃん祭」に行ったのは初めてでした。
御神輿は大人が担ぎ、子供が奴姿で行列に参加すると聞きました。
やはり写真が良いですね。来年は私も写真を撮ります。
有明新報(平成21年11月5日記事)
碑文で流鏑馬が行われていたことが判りました。
流鏑馬は今は柳川の三柱神社だけですね。
写真も良いが、正規の風習や祭りを知りたいです。
みやま市近辺のの風習や祭りに参加していきます。
千寿