千寿の楽しい歴史
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2017年 05月 05日 ( 3 )
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2017こどもの日コロンちゃんの荒尾散歩・千寿の楽しい歴史
こどもの日コロンちゃんの荒尾散歩

緑ケ丘小学校を散歩


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楽しい散歩でした。




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by kusennjyu | 2017-05-05 20:04 | コロン(犬) | Comments(0) |Topに戻る
2017『黒門前の決闘(放し討ち)について』の紹介2・千寿の楽しい歴史
『黒門前の決闘(放し討ち)について』の紹介2

本村精二著

1.黒門前の決闘の概要

③黒門前広場の決闘

この様な事態の経過の後、柳川城内の黒門前広場で、世にも珍しい「放し討ち」による決闘が行われたのである。

天正16年5月26日、秀吉の使者により、柳川に蟄居中の隈部親永ら12名に対する処刑命令が伝えられた。検現役の上使として浅野長政が来柳した。命令を受けた立花宗茂は辛い立場に立たされた。

本領安堵を信用して講話開城した隈部一党である。これを処刑にするのは騙し討ちに等しい。宗茂には実父高橋紹運(じょううん)から引き継がれ、養父立花(戸次・べっき)道雪に養われた信義を第一とする武門の血が流れている。恥ずべき騙し討ちの汚名を後世に残すことは断じて許されない。しかしながらもとより忠誠を誓った恩ある秀吉の命令に背くことはできない。誉れ高い肥後武士である隈部一党の面目を立て、かつ立花家の名誉を守る方策は一つしかない。討手にも甚大な犠牲を強いる手段である。

その夜、宗茂は検使役の浅野長政翌日の「放し討ち」を願い出た。討手側にも大きな犠牲を出すかも知れない前代未聞のこの申し出に長政は驚いたが、武士の信義を貫こうとする宗茂の決意に心動かされ「放し討ち」を許可した。来柳した上使が秀吉の正室(ねね殿)の妹婿、長政であった事も立花家に幸いした。

開けた天正16(1588)年5月27日の朝、黒門前の広場で史上まれな「放し討ち」の決闘が行われた。立花家からも隈部一党と同じ数の12人の討手が選ばれた。十時(ととき)摂津、十時伝右衛門、池邊龍右衛門、安東善右衛門、十時勘解由、池邊彦左衛門、安東五郎右衛門、石松安兵衛ら、家老分や母袋(ほろ)分として宗茂の直下に仕える名だたる歴戦の勇者達であった。

隈部親永以下12名は柳川へ送られた正月以来、三の丸から中堀を隔た所に特別の屋敷を与えられ蟄居していた。罪人とはいえ肥後52人の国人衆の旗頭と注目された隈部親永である。宗茂は彼らを武人として手厚く処遇していた。

八女の山々の峰の端が白みはじめた払暁(ふつぎょう)、蟄居中の隈部親永の下へ使者が派遣されて、隈部一党への登城要請が告げられた。身志度を整えた一同は、帯刀を許されて威儀を正して屋敷を出た。

使者に案内された隈部一党が黒門橋を渡ると門が開けられた。そこに彼らを待っていたのは、抜刀した12人の立花武士だった。にわかに辺りは殺気に包まれた。

十時摂津が進み出て「関白秀吉様から隈部一党処刑の命令を受けたが、宗茂公の情けにより決闘により討ち果たす」の旨を口上したある肥後の隈部・有働一族も名の勇者達だったので騒ぐこと無く静香に太刀を抜いて身構えた。時は巳の刻(午前10時)、初夏の空を太陽が照らし始めている。上使の浅野長政と城主立花宗茂は二の丸の辰巳櫓から、今まさに始まる決闘を凝視していた。堀を隔てた隅櫓(すみやぐら)に立つ宗茂の姿を見た隈部親永は、この処遇に対して深く感謝の念を持ったのではないだろうか。

間をおかず凄惨な戦いが始まった。立花家中きっての剛勇十時伝右衛門が隈部親永の前に出て姓名を名乗り太刀を構えた、親永も刀を構えた。陽に照らされた双方の額に汗が光る。すかさず伝右衛門の太刀が上段から勢いよく振り下ろされた。肥後国人として戦国の世を豪胆に強く生き抜いた親永だったが、いまや囚われの身でまして高齢で、この度の戦いで足に傷を持つ身だった。伝右衛門の一撃をかわす力はなく、振り下ろされた刀は身体を切り裂き親永は絶命した(親永は抵抗しないで悠然と討たれたとの説もある)。

それに呼応するように各所で決闘が始まった。南北朝の騒乱以来、菊池家に仕え、戦国の世にその名を馳せた隈部一党である。肥後武士の豪腕さは立花勢に劣るものではなかった。しかし戦いに敗れて囚われ困憊(こんぱい)し、刑場に引き据えられたも同然の身である。今はただ無念と絶望の中での死に様を考える術しか無かった。

他方討手側は前夜からぬれ刃を合わせ、目釘を整えて入念に戦いの準備をしている。それにもまして選抜された者は立花(戸次)道雪の時代から仕え、家中でも指折りの戦歴錬磨の気鋭の武士達である。決闘とはいえ戦いの結果は明白だった。それでも肥後勢の中には、武士の意地と本能で最後まで奮闘する者もいた。激しい息遣いと摺り足の砂音に混じり、耳を裂くような 刃と刃のぶつかる音が響き渡る。高く上がった初夏の太陽はじりじりと容赦なく、戦う勇者達の顔を照りつける。刀身が空に光り、各所で力の限りの刃合わせが行われる。そして隈部側の侍が一人、また一人と倒されていった。

半時も要せず決闘は終わった。広場には隈部一党12名の遺体が横たわっていた。立花家にも戦死者が一人出た。家臣の森又右衛門である。残った者も大小の手傷を負い、息づかい荒く茫然と立ち尽くしていた。

このすさましい決闘の一部始終を目の当たりにした検視役の浅野長政は大阪へ帰った後、事の顛末を詳しく秀吉に報告した。世にも稀なこの「放し討ち」の話を聞いた秀吉は宗茂の罪を問うどころか、さすが西国一の弓取りよと誉め讃えたという。

この決闘で死亡した隈部側の遺体は黒門橋近くに立花家の名目で丁寧に埋葬された。その後も線香の煙が絶えることがなかったという。

それから四百年余りが過ぎた・・・・。柳川城の広い内堀が埋められ、決闘が行われた三の丸広場付近は城南まち交差点になっていて当時の面影を探すのは難しい。しかし
中堀は今も残る。そしてその水面(みなも)の上には車道となった黒門橋が架かっている。

橋の側の小さな路地を南に入った民家の庭の隅に、いつも花を供えられた古い六面地蔵尊と一つの石塔がある。その横に「黒門前の戦場」と刻まれた石碑がひっそりと建ち、往事の出来事を物語っている。


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続きます。





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by kusennjyu | 2017-05-05 10:07 | 歴史学習会 | Comments(0) |Topに戻る
2017山鹿市研修(鞠智城3)・千寿の楽しい歴史
山鹿市研修(鞠智城3)

柳川郷土研究会主催  参加者32名(4名は新大牟田駅乗車)

平成29年4月25日午前9時柳川出発

鞠智城(出土遺物)


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by kusennjyu | 2017-05-05 07:18 | 歴史学習会 | Comments(0) |Topに戻る