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2017年 05月 19日 ( 1 )
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2017田中道(大木町~小犬塚の一里塚)を訪ねて・千寿の楽しい歴史
田中道(大木町~小犬塚の一里塚)を訪ねて

平成29年5月8日(月)午前9時~

金子俊彦氏と久保田毅で大川市からの3人の女性を案内する。

妙行寺  大木町上牟田口

紫雲山妙行寺は、浄土真宗大谷派の寺院で、受嘱は、代々田中氏が継承して来ました。

慶長元(1596)年、下牟田口に創建され、宝永3(1706)年当地へ移転しました。

山門の奥の欄間部分には、立花家の家紋「祇園守」が彫ってあり、山門をくぐって見返りの欄間の部分には、田中家の家紋「左三ツ巴」が彫ってあります。

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兵部神社  大木町横溝

天正16(1588)年3月17日、田中吉政は「従五位下、兵部大輔」に叙任しています。

税金の一部を免除され、優遇された横溝町の住人たちは、吉政の没後、「兵部神社」を建立し、「座」をつくり、「御免地祭り」を催してきました。

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住吉神社 大木町土甲呂

現在の三潴郡大木町の「土甲呂」は、田中吉政の筑後入国後に新しく造成した「田中道」筋に、慶長8(1603)年に設けられた町です。

近くの住民から集められた住人には、税金の一部が免除されました。

往還沿いの住吉神社の境内に、小さな祠「吉政社」が祀られています。「天保五午年十月吉辰 拾七ケ所半産子中」「田中筑後守吉政」と朱書されています。

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小犬塚の一里塚 三潴町玉満

久留米市三潴町玉満の剣道23号線の小高い丘の上に、「小犬塚村一里塚跡 三潴町大字玉満字道端」と墨書された木柱が立っています。

側面には、「慶長五年(一六〇〇)、関ヶ原合戦に勝利を収めた徳川家康は、征夷大将軍となり、江戸幕府を開くと、江戸日本橋を起点に主要街道の一里毎に道の両側に小塚を築き、榎等を植えて旅人の里程の目安とした」と。

もう一つの側面には、「関ヶ原合戦で東軍として功をあげた田中吉政は、筑後一円の領主として柳河に入城すると、東海道の例に従い、柳河往還にも一里塚を設け、久留米札の辻を起点に安武目安町の次にこの地を定めた。以前は塚上に松が植っていたが、大正3年の耕地整理で用水路幹線土居の敷地になり、破壊された」とあります。

しかし、この説明文には疑問が残ります。

久留米柳川往還(田中道)に残る二つの一里塚のうち、小犬塚の一里塚は、久留米寄りにある目安町の一里塚からの距離が一里単位に乗らず、半端になります。

そのため、柳川を起点とし、立花時代に設置されたものか、有馬時代の久留米藩が設置したものか、詳しいことは分かりません。


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続きます。




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by kusennjyu | 2017-05-19 20:30 | 歴史学習会 | Comments(0) |Topに戻る