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2017年 08月 02日 ( 1 )
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2017今福貝塚(弥生時代)・千寿の楽しい歴史
今福貝塚(いまふくかいづか)弥生時代

高田町今福 

みやま市史資料編上巻(発行・平成29年3月)

P233~P234より

みやま市教育委員会発行


今福貝塚は、平成5(1993)年、個人宅の浄化槽設置工事中に表土40cm下方より、中に人骨がある甕が出土したと、高田町教育委員会へ連絡があり、弥生時代の甕棺墓であることを確認しました。この土地は、以前より敷地内を耕す際、人骨や土器の破片が出土した場所でもあり緊急に図面を作成し、甕棺から人骨を取り上げました(文献1)。

発見時の甕棺墓(図1)は上甕のみしかなく、棺内に人骨がある状態でした。掘り方は砂地の層に掘り込んでいたため非常に確認が困難な状況でした。棺内の人骨の残りは良く、これは貝殻層の存在によるものであろうと考えられます。下甕は発見時には掘り起こされており、周辺に置かれていました。墓壙は長軸221cm、短軸125cm、深さ112cmを測る長方形のプランで合せ口式棺の大形棺が埋葬されていました。主軸はN
―24度―Eです。

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なお、貝塚は土層によると貝殻層と砂混じりの貝殻層が交互に堆積し、その下には1cm程の貝殻層が堆積していました。貝殻層にはカキ・ハマグリ・アオヤギ・マキガイが含まれていました。砂と貝殻により堆積した層に甕棺を埋置したと考えられます。

甕棺は上甕がほぼ完形で、底部のみ欠損しています(図2・3)。形態は、口縁部はわずかに外側に傾斜した三角口縁を呈します。胴部中位よりやや上部に、見かけは二条の三角突帯にみえますが、実際の造りは一条のヨコナデによるM字突帯を貼付しています。胴部の器壁は0.9~1cm程と薄く、調整は外側に横から斜めのヘラミガキ、口縁部上面にもヘラミガキ、内面はナデを施しています。口径(外径)63.8cm、(内径)55.4cm、復元器高84.4cm、胴部最大径64.8cmを測ります。

下甕(図2・3)は発見時にはすでに、掘り上げられていましたが復元すると底部のみ欠損していました。口縁部はわずかに外側に傾斜した三角口縁を呈します。胴部中ほどよりやや上位に見かけは二条の三角突帯にみえますが、実際の造りは一条のM字突帯にミガキを有したものを貼付し、最後にヨコナデを施しています。胴部の器壁は1~1。2cmを測り、
調整は外側には突帯下部は縦と横から斜めのヘラミガキ、突帯下部は横から斜めヘラミガキ、口縁部上面にもヘラミガキ、内面はナデを施しています。口径(外径)66cm、(内径)56cm、残存高86cm、胴部最大径69.2cmを測ります。全体的に丸みを帯び重量感があります。

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上下甕棺の色調は茶褐色を呈します。焼成は良好、胎土も精良です。

甕棺内出土の人骨について分析を行ったところ、形質的特徴として鼻は幅広であり、眉弓の強い発達とともに、高顔・高眼窩(こうがんか)でありながら広鼻という形質であり、弥生人と比べて顔面の印象は異なるという結果が報告されています(文献2)。

上下甕棺は橋口達也(文献3)による型式分類ではKⅡaの式に属し、三角口縁からKⅡaの式でも古相のものです。筑後から肥後にかけて特徴的に分布する地方色のある甕棺に比定され、弥生時代中期初頭と推定できます。甕棺墓制が南筑後に伝播した当初の甕棺として重要です。

続きます。






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by kusennjyu | 2017-08-02 20:04 | みやま市の歴史 | Comments(0) |Topに戻る