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2017年 08月 05日 ( 1 )
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2017東濃施古墳(高田町下楠田)古墳時代・千寿の楽しい歴史
東濃施古墳(ひがしのせこふん)古墳時代

高田町下楠田(市指定史跡)  

みやま市史資料編上巻(発行・平成29年3月)

P318~320より

みやま市教育委員会発行


東濃施古墳は、三池郡高田町が国の地域づくり推進事業の指定を受けて、JR渡瀬駅東側の濃施山一帯に『髙田濃施山公園』を建設することに伴い、平成4~7(1992~1995)年に公園予定地内に所存する遺跡の発掘調査を高田町教育委員会が行いました。東濃施古墳は平成5(1993)年に発掘調査を実施しています(文献1)。

東濃施古墳は、公園予定地の中央部、東側に舌状に緩やかに延びる丘陵上の標高32.6~35.2mに位置します。この古墳は踏査では10m程度の円墳と推定されていましたが、調査を開始すると当初推定していた墳丘は石室の部分のみ残存し、かつ墳丘は南側と北側が旧斜面で、大部分が削られていました。周溝は確認できなかったので、墳形を円墳と判断する根拠は乏しいですが、両袖の複室の横穴式石室を有し、石室の規模から22m程度の円墳と推定されます。調査開始時点では、奥壁と前門の天井石を確認し、玄室の天井石は石室内に落ちている状況であったため、石を取りのぞき、掘り下げて調査を行っています。

石室(図1)は現存する全中長は11.7mを測ります。石室の主軸はN―6度―Wで、南に開口する複室の横穴式石室です。

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玄室は両側壁の長さともほぼ4m、幅奥壁3.1m、玄門側2.6mを測り、やや奥壁側に開く長方形のプランです。天井石はほぼ失われていました。

玄門には、高さ37cm、横87cmの框石(かまちいし)を敷き、玄門の幅90cm、框石から楣石(まぐさいし)まで1.35m、天井石が残っている部分で高さ2.65mを測ります。また前室側に最大幅1m、高さ82cm、厚さ16cmの駒形に閉塞石を立てていました。前室は、右側壁0.95m、左壁側1.24m、幅2.64mを測り、長さに対して幅の非常に横長の長方形のプランです。前門は、高さ60cm、横38cmの框石を敷き、玄門の幅60cm、框石から楣石まで1.2m、天井石まで2mを測ります。羨道(せんどう)は、框石から長さ5.53m残り、幅1.5mを測ります。

出土遺物は、玄室内では右奥隅より、完形の須恵器提瓶(1)が、また口縁部が一部欠損していますが、ほぼ完形の外器面にヘラ記号を有する須恵器坏蓋(2)が出土しています(図2)。

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前室では右袖部より、須恵器の台付長頸壺・短頸壺・鉄鉢・埦・埦蓋、土師器では須恵器の模倣形態の高坏と丹塗りの壺・丹塗り皿が出土し、そのほかに須恵器つまみ付坏蓋・坏身が出土しました。羨道部では、須恵器の小壺・坏・高坏・甕の破片・把手など、土師器では高坏・小皿が出土しました(図3・4)。

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鉄器は、玄室より鉄地金銅張無脚雲珠(てつじこんどうばりむきゃくうず)をはじめ、前室、羨道部より馬具・鉄鏃ほか多くの鉄製品が出土しました(図5)。

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また、羨道部より青銅製の三累環が柄尻被せ金具を二分の一欠損した状態で出土しました。(図6・口絵)。環の全幅4.8cm、全長2.8cm、環径は中央2.3cm×2.7cm、厚さ5.2cm、左2.1cm×2.1cm、厚さ4.6mm、右2.2cm×1.9cm、厚さ4.1mmの半球形環3個を三つ葉状に連接させています。柄尻被せ金具は左右幅4.8cm×4cmを測ります。幅3.5cm×3cm、厚さ1.8mmの楕円形青銅板柄尻金具を装着しています。この金具の両縁には二条の隆状帯が巡ります。この三累環は柄尻被せ金具に三累環を接着し、環が割合薄手で、柄縁金具とともに鋳造し、茎をもたないものです。

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そのほかに痩身具では、銅釧・耳環は玄室より銀環7点・金環1点、前室より銀環1点・金環1点、羨道部より金環3点、計13点が出土しました。玉類は、羨道部よりガラス製の小玉・羨道部より碧玉の管玉・水晶製の切小玉が出土しました。

三累環は小田富士雄「九州発見の三累環頭柄頭」によると、長崎県北松浦郡生月島生月町山田(現、平戸市生月町山田免)987番地の古墳から出土した三累環頭柄頭と酷似しています(文献2)。また、福岡市の三苫古墳群1号墳出土の三累環も同様の形態です。
 
三累環の型式は、新谷武夫の「環状柄頭研究序説」内の型式分類では三型式にわけられており、その中で、「外環の断面が薄造りで扁平なもの。柄縁金具とともに鋳造し、茎をもたない。柄の先端に被せる方式のもの。」に本例も属します。新谷によるとこの型式は日本化した作りのもので、6世紀後半ごろから作られ、広く用いられたものであろうと指摘されています(文献4)。

東濃施古墳の築造年代は、特に九州では出土例が少ない三累環や馬具などの出土品が多様で、有明海を望む丘陵上の古墳という立地から政治的・経済的な有明海交流面の
一端を担った在地首長墓であると想定されます。

横穴式の名称

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古墳の構造

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続きます。






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by kusennjyu | 2017-08-05 21:38 | みやま市の歴史 | Comments(0) |Topに戻る