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2017年 08月 07日 ( 1 )
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2017宮ケ浦古墳群(高田町下楠田)古墳時代・千寿の楽しい歴史
宮ケ浦古墳群(みやがうらこふんぐん) 古墳時代

高田町下楠田

みやま市史資料編上巻(発行・平成29年3月)

P321~324より

みやま市教育委員会発行


宮ケ浦古墳群は、愛宕山を頂点として、南西に延びた丘陵地の先端に位置し、現状では「髙田濃施山公園」内に5基存在します。本古墳は、公園の造成に伴い平成4~6(1992~94)年に高田町教育委員会により、5基の古墳群の発掘調査が行われました(図1)。

古墳群は、標高31mに4号墳、標高28.6mに1号墳、標高28mに5号墳、標高25.4mに2号墳、標高25mに3号墳が南斜面に3段に造成された丘陵地に位置します。石室の開口方向は1号墳、2号墳、4号墳は南西、3号墳と5号墳は南東の方向を石室の入口とします。

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1号墳(図2)は、5基の中で2番目に大きな円墳と推定されますが、東に地形の制限を受けているため、円墳の規模は確定出来ませんでした。周溝は、石室の西より北に延びます。埋葬施設は、羨道部入口が西南西に開口する複室の横穴式石室です。

敷石は、玄室と前室で検出されました。石室全体の規模は全長9.75mを測ります。石室内からの遺物の出土は少なく、玄室内では須恵器の把手付甕・大甕など、羨道部より完形の須恵器の直口壺が出土しました。周溝からは、坩・坏・平瓶・高坏・胴部最大径96.6cmを測る大甕など多くの須恵器が出土しました。他に鉄鏃が石室・羨道部・周溝より、装身具は耳環が玄室より7点・勾玉1点・切子玉1点・ガラス玉数点、前室より耳環1点出土しました(図3・4)。 

 2号墳(図8)は、墳丘と前室と羨道部の一部が削平されており、天井石は失われていました。埋葬施設は、南西に開口する複室の横穴式石室です。敷石は、玄室と前室で検出されました。玄室は長さ2.25m、幅2.1mの正方形のプラン、前室は長さ1.45mを測ります。出土土器は少なく、石室より須恵器の●・坏が出土しました。鉄製品が多く、前室より馬具、羨道部と周溝より鉄鏃が出土しました。装身具は玄室より一対と推定できる耳環が2点出土しました(図3・4)。 

3号墳(図5)は、周溝を伴うやや胴張りの玄室を持ち、古墳群の中で一番大きな古墳です。墳丘は大部分が削平されており、天井石が石室内に落ち込んでいる状態で検出されました。周溝は石室の南西より北に延び、幅4m、深さ1.4mと深く、平面の規模は北西部分で21mほどを測ります。埋葬施設は、南東に開口する複室の横穴式石室です。敷石は、玄室・前室・羨道部で検出されました。石室全体の規模は全長10.73mを測ります。石室
自体の造りは粗く、羨道部のプランもかなり乱れています。出土遺物は、石室内からは土師器甕頸部破片・瓦器椀、羨道部より須恵器の坏などが出土しました。周溝からは、胴部最大径80cmを測る須恵器の大甕が出土しました。鉄製品は、玄室では鉄鏃の茎先端部のみでしたが、前室から広根(ひろね)定角式鉄鏃や、広根箭定式鉄鏃、羨道部より圭頭鏃が出土しています。馬具も多く出土し、中には鉄地金銅張剣菱形杏葉(けんびしかたぎょうよう)や杏葉の留金具、鞍金具(くらかなぐ)があります。装身具は、耳環が玄室より4点・勾玉1点・管玉2点・丸玉・ガラス玉(図6)、前室より耳環1点・・丸玉・ガラス玉が出土しました。羨道部では耳環2点・・丸玉が出土しました。耳環は、金・銀の安定が良く現在でも鮮やかな光沢を放っています(図7)。

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4号墳(図10)は、古墳群の中で三番目の大きなもので一番高所所に位置します。また、埋葬施設は、複室の横穴式石室で羨道部が立ち切られたような急斜面に面し、遠方の有明海を望む南西に開口しています。石室も他の古墳の石とは違い、面取りしたものを使用しています。また、唯一天井石が残る古墳です。墳丘は削平されて、前室と羨道部にわずかな墳丘を残すのみです。石室全体の規模は全長7.15mを測ります。主軸方位はN―41度―Wです(図10)です。石室玄室からヘラ記号を有する須恵器坏蓋が、前室と羨道部より須恵器坏蓋・身が出土しています(図12)。鉄製品は、前室より鉄鏃の圭頭鏃と広根箭定式で鏃身に山形刃部が付くものなどが出土しました。また、前室から馬具も多く出土し、その中には環鏡板付轡金具(かんかがみいたつきくつわかなぐ)・鐙(あぶみ)の絞具から吊り金具などがあります(図11)。装身具は、耳環が玄室と羨道部で各1点、玄室でわずかでありますが、ガラス玉2個が出土しました。

5号墳(図9)は、周溝を伴う単室の横穴式石室です。墳丘がかなり削平され、石室は袖石のみ確認し、現存長さ3.15mを測ります。出土遺物も須恵器高台付壺の底部破片と耳環のみです。

本古墳群では、4号墳前室より完形の須恵器坏を2枚重ねた形で出土し、他の古墳とは異なり丁寧なヘラナデを施した坏が出土したこと、面取りした石材を利用したことなどから、4号墳の被葬者は本古墳群の中で最も有力者かと想定されます。

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これらの古墳群は6世紀後半ごろに築造され、長くは11世紀初頭まで追葬されたのではないかと推測されます。また、この古墳の築造された地点が現在でも有明海を望む場所であることから、有明海と関係する被葬者像も考慮する必要があります。

続きます。






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by kusennjyu | 2017-08-07 17:11 | みやま市の歴史 | Comments(0) |Topに戻る