千寿の楽しい歴史
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カテゴリ:昔の話・昔の写真( 6 )
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2014昭和30年代の「みやま市」・千寿の楽しい歴史
昭和30年代の「みやま市」   

大牟田・みやま・荒尾・南関の今昔より

開局した瀬高電報電話局が見える恵比須町交差点(昭和31年)

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国道208号線と国道443号線が交差する交差点。瀬高電報電話局は昭和31年9月1日に開局されたが、現在は営業はしていない。

高田村役場(昭和33年)

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昭和6年10月1日に岩田・二川・江浦の3ケ村が合併して新村名の高田村が誕生した。

その後、昭和17年4月1日に飯江・開の2ケ村がこれに合併して全国まれに見る1群1村の村として発足した。

昭和33年8月1日に町制が施行され、さらに翌年、竹飯・海津地区が編入され調整が整った。

この庁舎は今の積分館が建っている国道の東側にあった建物です。

江浦郵便局(昭和30年頃)

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明治6年9月15日に官営として開局した。江浦町の三池街道沿いにあり、第二次大戦後はの混迷期には、地域住民とともに復興をささえてきた。昭和54年に国道208号線横に移転した。

薫蘭酒造合名会社(永江氏の操業)の南側にあり、その前には江浦村役場があり両側に代書屋と消防団小屋があった中心地でした。

その跡地は現在、住宅が建ち、当時の様子とは一変している。

瀬高電報電話局前を力走する選手(九州一周駅伝・昭和31年)

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船小屋~大牟田間は第3区区間で福岡県を走る大事な区間で実力がある選手を投入して、毎年一位で通過することが多かった。そして区鑑賞を取る選手が多かった。

私たちも小学校から連れられて高田町の飯江川交差点付近で応援しました。

九州一周駅伝も、形を変え続けられましたが、昨年が最後で廃止になりました。

瀬高町商工会宣伝パレード(昭和30年頃)

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昭和26年、地域内における中小企業の総合的な改善発達を図る目的で商工会が設立された。

「清水の次郎長」一行に扮した会員が町内を練り歩いてアピールした。

撮影場所は瀬高町の中心街・下庄栄町の旧役場付近です。

左~井戸掘り(西清水地区・昭和39年)  右~みかん園に向うオート三輪(山川村・昭和30年代)

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井戸掘りは家でもこのような櫓を立ててやってもらったようです。

その以前は前の川から風呂の水汲みするのが子供の仕事でしたが、井戸掘りの後、手押しポンプを据えて、風呂水は10mくらいの竹をつけて手押しポンプで入れられるようになりました。

オート三輪は昭和10年頃から国産実用化がなされ、第二次大戦後の復興期には大いに産業に貢献しました。

私の家にもあり商売で使っていました。この頃は田尻では隣と2軒だったようです。

隣は石炭屋でオート三輪で田川まで行き買いつけに行っていたようです。

木造だった頃の瀬高駅

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明治24年4月、九州鉄道会社により、門司~高瀬(現在の熊本県玉名市)間が開通したことを受けて「矢部川」駅の名称で開業した。

昭和17年に「瀬高駅」と改称し、昭和31年には「瀬高」駅と、またも改称しました。

昭和10年、当駅を分岐点とした旧国鉄佐賀線(昭和62年廃止)が開通し、熊本方面から長崎を結ぶ最短線路として注目されました。

ほんげんぎょう

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ほんげんぎょうは子供の頃は1月7日早朝に、各家の庭先で炊きました。竹が弾ける音で目が覚めました。

田んぼの中に大きな櫓を立てて作った人もいました。

上庄祇園祭大人形(瀬高町)

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元和8(1622)年、柳川藩主・立花宗茂公が、再封され祇園宮を再建するとともに始められたという。

地元では「うう人形さん」として親しまれている。

右は八幡太郎義家、左は安部貞任・宗任(1年ごとに交替)。

中央に祇園の社殿を安置し、大人形の股下をくぐり抜け、無病息災を祈願しました。

今では廃止になり中止にになり、見られないものばかりです。





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梅野家庭園    4月  5月  新緑  6月  11月 梅野家の紅葉   季節を楽しんで下さい。

西日本新聞フォートサービスで梅野家庭園の写真(4月28日撮影分)を販売しています。

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私の目標   今一番大事なことは絆 を育てること。

by kusennjyu | 2014-02-04 08:34 | 昔の話・昔の写真 | Comments(0) |Topに戻る
2012大牟田市の黒崎物語(昔懐かしい風景写真)・千寿の楽しい歴史
黒崎物語(昔懐かしい風景写真)

大牟田市黒崎公民館発行(平成9年6月25日)より。

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上の岩松は黒崎海岸を象徴する岩松を昭和初期に撮ったものです。
岩松はその後、昭和17年8月27日の台風で倒れました。

左~昭和初期の黒崎海岸  右~断崖の西海岸

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左~黒崎の浜辺   右~大正末期の黒崎肥前崎海岸

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左~三十丁水門の舟溜り風景   右~ハネ板で海に出る漁師

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左~黒崎玉垂神社大鳥居    右~昭和20年頃の黒崎海岸

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左~郷土芸能  潟いね踊り   右~神社祭り  しめ縄はり行事

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左~青年団の演芸会 海岸に設けられた舞台  右~黒崎公園から多良岳を望む

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左~岩場と漁舟   右~干潟の海で遊ぶ子どもたち

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左~明治開堤防から見た黒崎海岸   右~神の子を繋留されたといわれる神宮岩

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この風景が見られなくなったのは残念です。







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by kusennjyu | 2012-07-04 18:09 | 昔の話・昔の写真 | Comments(0) |Topに戻る
2011江戸に子育に学ぶ(1/4)・千寿の楽しい歴史
江戸に子育に学ぶ(1/4)

つい最近、1歳の子供が父親の『虐待』で死亡しました。父親は「しつけのつもりだった」と言っています。

おそらく、『しつけ』と『虐待』の区別がわからないのでしょう。

日曜日の人気アニメ『サザエさん』では波平がカツオを叱る場面がほとんど毎回登場します。

しかし、雷を落とすことはあっても、『武力行使』はありません。『武力』に訴えては、もはや終わりでしょう。

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江戸の子育てに学ぶ
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1.「子どもの天国」と「最も教育の進んだ国民」

「世界中で日本ほど、子供が親切に取り扱われ、そして子供のために深い注意が払われる国はない」

明治10(1877)年に来日して、大森貝塚を発見したアメリカの動物学者エドワード・モースの言葉である。

その一例としてモースは祭りの光景を次のように記している。

   祭りには、大人はいつも子どもと一緒に遊ぶ。

提灯や紙人形で飾った山車(だし)を、子どもたちが太鼓を叩きながら引っ張って歩くと、大人もその列につき従う。

それを真似て、小さな子も小さな車を引いてまわる。日本は確かに子どもの天国である。

遊びだけではない。子供の教育についても、欧米人は目を見張った。

ロシアの海軍少佐ゴロブニンは千島列島測量中に捕らえられ、文化8(1811)年から10 (1813)年まで、松前藩で捕虜生活を送ったが、その手記の中でこう記している。

日本人は自分の子弟を立派に薫育する能力を持ってゐる。

   ごく幼い頃から読み書き、法制、国史、地理などを教へ、大きくなると武術を教へる。

しかし一等大切な点は、日本人が幼年時代から子弟に忍耐、質素、礼儀を極めて巧に教え込むこと・・・

として、「日本人は天下を通じて最も教育の進んだ国民である」とまで述べている。

子供たちを楽しく遊ばせながらも、きちんとした学力や礼儀、忍耐などを教え込む。

教育問題に悩む現代日本人から見れば、魔法のような子育てを、我々の御先祖様たちは実現していたのである。


2.「おぢいさ、寝なんか」

当時の日本人がどのように子育てをしていたのか、貴重な記録がある。

桑名藩の下級武士・渡邊勝之助が天保10 (1839)年に藩の飛び地である越後・柏崎に赴任した際、満2歳2ヶ月の長男・鐐之助(りょうのすけ)を祖父母の渡邊平太夫・夫婦に預けていった。

その平太夫が孫の成育状況を9年間、柏崎の勝之助のもとに書き送り続けたのが『桑名日記』である。

鐐之助は、いつも祖母か祖父と添い寝をしていた。現代のように無理に一人で寝かせようとはしていない。

天保12年9月7日の日記には、およそ満3歳9ヶ月の鐐之助が「おぢいさ、寝なんか」と誘って、「おじいさ、むかし語ろうか」と言って自分から作り話をした後、「サアこんどは、おじいさの番だ」と話をせがんでいる様子が描かれている。

同年12月19日には、「抱いてねると、おじいさ百人一首よみなへといふ。天智天皇秋の田のと読んでやると、その通り鐐も読む」とある。

こうして祖父や祖母に抱かれて寝るのが、鐐之助にとって、満ち足りた幸せな時間だったのだろう。

このようにして肉親の愛情を直接肌身で感じることが、子供の成長にとって大事な基盤だったのだろう。

(次回に続く)

by kusennjyu | 2011-07-06 03:36 | 昔の話・昔の写真 | Comments(0) |Topに戻る
樋口八幡神社と瀬高信用組合(千寿の楽しい歴史)
樋口八幡神社と瀬高信用組合   昔の写真

6月29日 合資会社 武田事務所 代表者 武田弘道氏提供  柳川市自宅にて

樋口八幡神社御遷座記念  昭和32年9月13日
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瀬高信用組合 10周年記念式典・祝賀会
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by kusennjyu | 2010-07-02 09:16 | 昔の話・昔の写真 | Comments(0) |Topに戻る
2010飯江村(戦時中)みやま市高田町・千寿の楽しい歴史
飯江村から大牟田町までの戦時中の話です。  

堺孝幸著書より。

堺孝幸氏は飯江村湯摺出身で現在は大牟田市在住。

故堺勝(私の妹が子供に嫁ぐ)さんの後輩で、戦時中の学生の生活が分かります。

私が電話したら「昭和ひと走り書き」を贈呈していただきました。平成21年4月発行。

著者略歴
平成元年 大牟田市勝立中学校校長退職。
昭和36年度 「童話部門」で年度賞受賞。
平成7年 「健康づくり体験記録」で「毎日新聞社賞」受賞。

a0137997_222377.jpgばちかぶるばん


平成7年8月9日から平成7年12月29日まで有明新報に小説として102回投稿されたものです。

P1 第1章 大牟田の黒スズメ 昭和19年7月、榊原源一は県立三池中学の3年生であった。(現在の三池高等学校)。

P5 「さなぼり」 田植えが無事終了したお祝い。

P9 第2章 学徒勤労と動員令   P15 2人が飯江川にかかっている
(255,0,0);">竹飯橋の前の茶店
の前にさしかかった時、母の実家が高田町の海津という集落で、水天宮の祭神が水難に遭われた際になまずが助けたという伝説がある。

山川町の原町から国鉄の渡瀬駅まで、6人乗りの小さなおんぼろの幌をかぶせただけの自動車が走っていた。原町から竹飯橋まで乗って料金は大人20銭、子どもは10銭。
                       
P16 海津には人力車の営業所があり、叔母の家から・・・・1円払って来ていた。

P18 第3章 極楽ぜんざいで地獄へ

P28 第4章 地蔵盆 P30  源一は早速、お堂の前で逆立ちをした。

P38 第5章 男と女の三様相 P47 旭町から県境の三川町まで路面電車が走っていたのである。

P50 第6章 恥かき源一 俳句の盗作

P59 第7章 この世の名残に  昭和20年

P68 第8章 近藤も前川も P80 6月18日、大牟田市は本格的な空襲をうけた。

P87 第9章 虫祈とう

P94 第10章 悲しいお守り

a0137997_2261347.jpg小林真一物語


第1章古希の祝い P1
P9  昭和16年12月 城道の芝居小屋で芝居がある。
 
P10  木戸賃は大人が40銭、子どもは20銭だそうだ。

P13  山川町にある、造り酒屋「薗の寿」の杜氏・・・

第2章こんにゃくの裏表 P20
P21 昭和12年7月 飯江尋常高等小学校

P42  この橋(城道橋)を中心に300M位の両方の土手に、大きな桜の木が何10本もあり、4月の花見頃は見事なものであった。

第3章現の証拠 P45 小学5年生

P48  逆立ちの練習(先生の特技で先生時代に生徒に教えて柔道で優勝や健康つくりに役にたてる。)

P51 山川村で唯一の造り酒屋「薗の寿」は、飯江小学校前の「富士の夢」と共にとても評判がよかった。隣の岩田村には、田尻という集落に2つの造り酒屋があった。(歴史の記載は見られないが、私の先祖は酒つくりをしていたと聞いています。)

P53 三池郡北部5校(江浦、開、二川、岩田、飯江)
P60 現の証拠 下痢止めの薬

P62 隣の山川村の原町から飯江小学校前、そして地蔵渡しを通り、省線(現JR)渡瀬駅まで乗り合い自動車が走っていた。
     
その経営者は真一の集落の東田という方で、車庫には2台の自動車があった。

第4章名人真一 昭和16年

P71 山川村にある御牧山の馬頭観音にお参りに出かけた。

P73 真一は5個の鳥かごにメジロを2羽ずつ入れ、全部で10羽飼っている。

P74 メジロ捕りのことを「メジロ落とし」と呼んでいた。

P77 「ほんげんぎょう」=「本源行」=物事のみなもと。1年の最初の集落の行事。

P84 メジロは鳥かごの中に入った。 名人になる。P86   国民学校という名称に変わってしまった。

4月から三池郡の倉永、手鎌、銀水、上内、玉川の5村そして三池とはや馬の2町が大牟
田市と合併したので、三池郡は北部5村だけで小さく・・・・

第5章人生無常 P98

P99 「ABCD包囲陣(A米B英C中国Dオランダ)」

P104 剣道5段の植田善一先生。 三池中学校の剣道の先生。(海津出身)。

3月5日に高田町郷土史会で島原に行った時、バスの横の席で会った女性が、この話に出てくる「乗り合い自動車」の経営者の娘さんで、本当の実話であるが、小説の中では名前が変わっています。

by kusennjyu | 2010-03-12 22:25 | 昔の話・昔の写真 | Comments(0) |Topに戻る
2010渡瀬祇園(みやま市高田町)郷土史会・千寿の楽しい歴史
渡瀬祇園  みやま市高田町下楠田

谷村畳店の提供で約50年前と約70年前の写真2枚が手に入りました。

祇園は大牟田から渡瀬・江浦・中島(柳川市大和町)・柳川市までの三池街道筋にある。

祇園の大蛇の「目玉取り」など勇壮でけが人も多かったらしい。渡瀬祇園は大名行列も国道であっていました。

現在は八剣神社の境内だけでやっています。

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写真は約70年前の写真。大蛇の頭が南向きで南から廻ります。

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写真は約50年前の写真。大蛇の頭が北向きで北から廻ります。

詳しいことを知りたい方は次ぎを見て下さい。

ふくおか民俗芸能ライブラリー

みやま市(観光情報) 祇園祭

by kusennjyu | 2010-03-12 20:40 | 昔の話・昔の写真 | Comments(0) |Topに戻る