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カテゴリ:田尻の歴史( 22 )
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2011田尻の歴史(小字地図)・千寿の楽しい歴史
田尻の歴史

矢部川支流飯江川の中流左岸の平地から、田尻山北麓の丘陵地に位置する。地名の由来は、水田地帯の後背部の意か。戦国期の有力国人大蔵姓田尻一族の苗字地でもある。

田尻山を中心とする丘陵地帯には古墳が多く存在した。田尻山の頂上には田尻氏の居城があった。(三池群史より)

中世」田尻村

戦国期に見える村名。筑後国三池郡のうち。年未詳10月17日の田尻氏知行坪付および明応8年(1499年)12月13日の大友政親判物によると文明(1469年)~明応年間頃筑後の守護大友氏が田尻氏に与えた判形地306町(約306Ha=3.06㎢)のうちに田尻45町がある。

しかし、永正5年(1508年)11月3日に大友義長が田尻治種に与えた知行坪付には田尻12町となつており、天文2年(1533年)4月28日の大友義鑑袖判知行坪付にも見えるように、以後代々12町が踏襲されている(以上、田尻文書/佐賀県史料集成7)。

田尻の飛塚は戦国期田尻氏の居城跡といわれ(南筑明覧)、天文17年(1548年)に田尻親種が山門郡鷹尾に新城を築いてこれに移るまでは、この飛塚城にいたものと思われる。また田尻の陣内には田尻氏の起請文にみえる同氏の氏神森山八幡宮がある。おそらくかっては城内の一角に祀られていたものと思われる。

天正7年(1579年)に田尻鑑種が竜造寺隆信に帰順してからの田尻の知行については明確ではないが、田尻鑑種本領村数等覚書(田尻文書/佐賀県史料集成7)には「田志り」とある。

天正11年(1583年)に田尻鑑種は竜造寺隆信に反逆して知行地を没収され、同年と思われる9月5日の竜造寺政家知行宛行状によれば、田尻12町のうち原村は一時竜造寺氏の家臣横岳氏に預け置かれた(横岳文書/同前6)。

天正13年(1585年)に鑑種は竜造寺政家の筑後防衛に功績を挙げ、再び筑後の旧領を回復したが、天正15年(1587年)豊臣秀吉の大名配置により、当地は立花宗茂領となった。なお、文禄4年(1595年)12月1日の筑後国知行方目録(立花文書/県史資料4)には村高854石2斗7升とある。

近世」田尻村

江戸期~明治22(1889年)の村名。三池郡のうち、柳川蕃領。楠田組に属す。村高は、「元禄(1688年~1703年)国絵図」963石余、「天保(1830年~1843年)郷帳、1,081石余、旧高旧領」913石余。

明治5年(1872年)の反別は64町余。(郡郷/立花家文書)。また楠田組毛付は本知786石余・52町余、開方35石余・4町余(高田町誌)。

寺院は、現在廃寺の流氷寺(流泉寺)のほかに二尊寺派聖徳寺があり、神社は明治6年(1873年)村社の森山神社のほかに大神宮がある。十五人塚は、元禄6年(1693年)村民が庄屋の苛政を訴え、その首謀者15人が斬罪に処せられ葬られた墓という(三池郡誌)。

明治17年(1884年)の戸数77・人口409。明治15年(1882年)の字小名調べによれば、小名は仁王目・法尺など22を数える。(県史資料8)。明治22年(1889年)岩田村の大字となる。

近代」田尻

明治22年(1889年)~現在の大字名。はじめ岩田村、昭和6年(1931年)高田村、昭和33年(1958年)からは高田町の大字。もとは竹飯村のうち字干渡・大手畑・小柳・山本と田尻村。

明治22年の戸数80・人口455、地積は田42町・畑16町など計76町。ほかに旧竹飯村のうち字大手畑・小柳・山本の戸数3・人口15、地積は田9町と見得る(合併調書)。 

田尻山を中心とする丘陵地帯では果実栽培が盛んで特に梨は田尻梨として知られる。昭和30年(1955年)の世帯数108・人口712。

昭和30年代から柑橘栽培に切り替え、昭和48年(1973年)ごろ生産はピ-クに達する。昭和55年(1980年)田尻~海津間の道路拡張完了。

田尻と周辺(東と北は竹飯・中央部の北は海津・北と西は岩津・南と西は原)の地図

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田尻小字図

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辺良田・唐木・大間・山口川・唐川・陣内・井田・野林・法尺・山本・寺田・底町・高縄手・仁王目・干渡・小柳

田尻井田堰水利図

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改修後の田尻井田堰(田尻橋の西北横)

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庄尻橋から庄尻川を撮る(①は東側の上流・②は西側の下流)

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高縄手川を撮る(③から井田堰側・以前はここに北から南へ坂をつけ馬入れ場があった。④から田尻交差点横を通りカーブしている。)

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仁王目橋と高縄手川の表示

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完成年月と⑤から仁王目橋上流の東側を撮る。

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⑥の仁王目橋下流を通り北へ流れる。 ⑦から西側へ流れる。

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井田堰問題の意見交換会   平成17年5月11日

場所 田尻農業研修所   

出席者 

田尻 22名(四役・総代・関係者)  
     
岩津  12名(区長・堰責任者・田代及び宇津住民等)

経過

①井田堰改修は、農業用ではなく、用水としての考えに変わる。

②前回の話し合いで田代住民に出席をお願いして、意見交換を行う。

③建設課(当時は高田町役場)は改修に向かって進める。
      
④平成4年に初めて議会に提出したが、その時は意見がまとまらず否決している。
      
⑤排水対策は、古賀水門(飯江川)にポンプ場が完成している。

推理問題は昔からの慣習があり、関係地区との話し合いをします。

 











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by kusennjyu | 2017-05-02 07:12 | 田尻の歴史 | Comments(0) |Topに戻る
2013田尻の桜(みやま市高田町)・千寿の楽しい歴史
田尻の桜(みやま市高田町)

平成25年3月20日撮影
   

森山宮

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3月23日は中組の社日さんがあり、森山宮に上り宮司によるお払いが行われました。

干渡公園と九州新幹線の橋

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田尻の運動場 3月22日早朝に撮影 天気 曇り

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清水山の桜は満開です。下の「みやま日和」からリンクして見て下さい。

今日は清水山へ行き撮影します。今夜のブログを楽しみにして下さい。









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 「みやまの今週の出来事など(3月18日~22日)」

「平成25年2月 みやま市の足跡 早版」  

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 「清水山の桜、ただいま満開」

「忙殺の日々。。」    「2013.3.11」  

梅野家歴史資料館  みやま市瀬高町大草女山932

梅野家庭園    4月  5月  新緑  6月  11月 梅野家の紅葉   季節を楽しんで下さい。

西日本新聞フォートサービスで梅野家庭園の写真(4月28日撮影分)を販売しています。

青輝園    御座敷梅   ユリ展    季節を楽しんで下さい。

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by kusennjyu | 2013-03-24 08:50 | 田尻の歴史 | Comments(0) |Topに戻る
西谷共同納骨堂供養祭・千寿の楽しい歴史
西谷共同納骨堂供養祭   4月8日(日)天気:快晴

西谷共同納骨堂は昭和33年に建設されました。    加入者75名

東谷共同納骨堂は昭和38年に建設されました。    加入者50名

黒田家共同墓地は昭和40年に建設されました。    加入者15名

毎年、4月第2日曜日午前11時にお寺の住職に来ていただき供養を行います。

その後、各組みに分かれて桜の花の下で弁当持ち出しで親睦をはかります。

西谷共同納骨堂の花見風景

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午後2時ごろに終わりました。








桜特集

秘法”平家谷”山桜探訪(山川町)  千寿の楽しい歴史

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by kusennjyu | 2012-04-09 11:32 | 田尻の歴史 | Comments(0) |Topに戻る
2012森山宮の桜とツワ採り・千寿の楽しい歴史
森山宮の桜とツワ採り  

平成24年4月5日 天気  

4月3日が森山宮での花見でしたが、雨のため世話人の家であり上がりませんでした。

今日から森山宮の桜は散り始めました。ツワの葉にも桜の花が散っていました。

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今日は、これから山川町の山桜を見てきます。夕方、写真で紹介します。







桜特集

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by kusennjyu | 2012-04-05 09:55 | 田尻の歴史 | Comments(0) |Topに戻る
日露出征記念碑(岩田村大字田尻)・千寿の楽しい歴史
日露出征記念碑(岩田村大字田尻)   森山宮境内(広場)の東側に建立してある。

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出征軍人

岩橋直、立石清市、野田初太郎、大城利四郎、久保田利次郎(戦死)、山下多作、
松尾市蔵、松尾藤蔵、松尾利市、松尾亀太郎、松尾多市、松尾伊太郎、
宮本仁三郎、杉本源太郎

建設委員

黒田多七、立石嘉作、宮本弥三郎、松尾卯太郎、田中岩蔵、宮本駒次、黒田伊之吉、
松藤久太郎

石工  玉名郡上長田  猿渡辰次

岩田村大字田尻設立    明治40(1907)年10月

昨年12月にテレビで「坂の上の雲」があり、旅順「二〇三高地」のすさまじい戦いは露国の最新連発機関銃に苦しめられながら沢山の犠牲者を出しましたが、「二〇三高地」を占領して露国に勝ちました。

私たち郷土からも14名出征して1名が戦死しています。森山宮にその記念碑が建立されています。









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 「みやまのトップの新年あいさつ」

「迎春」

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 「新年の挨拶」 (筑後地方の1月・2月の主なイベントが入っています。)

「さよなら2011年」 (清水山大観峰からの夕日がきれいです。)

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by kusennjyu | 2012-01-05 06:02 | 田尻の歴史 | Comments(0) |Topに戻る
2011森山宮の再建改修の記録・千寿の楽しい歴史
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森山宮(田尻陣内)

社記によれば、天慶2(939)年播磨国の大蔵春実は、大将軍藤原中文に従って藤原純友討伐に功あり、田尻郷を賜って城を田尻山に築いた。尚出征途中近江国守山宿に於いて霊夢に感じたという。

尚同行者は小野好古で、幾度か錦旗と御剣を下賜せられた。筑前3700町を領し、氏の神として祭り姓を田尻と称した。

後年、田尻の一族は、郷土の豪族となり数箇所に城を構え、大友に従っては竜造寺と戦い、竜造寺に従っては肥後の豪族と戦った。

祭神は、春日大神、住吉大神、健連魂神である。
                
堺勝資料より

森山宮再建改修記録

明治5(1872)年11月 森山宮神殿再建
  
神官 田尻春繁 長百姓 松尾市三郎

里正 石橋民治 辰石 (立石)辰三郎
   
大工 奥園市平・杉本弥七
   
明治13(1880)年 森山宮拝殿再建
  
郡長 杉本憲正 神官 田尻春繁   
   
棟梁 杉本武吉 彫物 佐田惣吉・松尾正作

明治22(1889)年9月 森山宮楼門再建  
   
郡長 杉本憲正 宮司 田尻正誼   
   
岩田村長 古賀次三郎(今福)
   
区長 黒田重作・久保田利八郎
   
大工棟梁 佐田惣吉 副 松尾庄作・杉本武吉
   
石工 松田吉五郎・末吉伊三次

明治36(1903)年 森山宮拝殿瓦修理

明治43(1910)年 森山宮神殿修理

昭和28(1953)年9月 森山宮拝殿改築

大工 松尾慶三 左官 野田半造

昭和52(1977)年12月 森山宮石段再建
  
施行 松田組松田計助

昭和53(1978)年10月 森山宮神殿屋根銅葺改修

工事施工者 小宮英作

区長 黒田集治 副 松田美智二

昭和59(1984)年10月 森山宮拝殿、楼門屋根銅葺改修

神主 田尻安正
  
工事施工者 松尾慶助・小宮英作・松田計助
  
区長 奥園二 副 松藤守哉

森山神社の神殿と楼門(写真)

森山神社拝殿の天井絵と額絵   クリックして見て下さい。

田尻の地図   森山宮は地図の下の青色です。集落の南側の山にあり、その南側には田尻城がありました。

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 「先進都市のまちづくり イルミネーション」


「近隣都市のまちづくり&長谷水門の紅葉」

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by kusennjyu | 2011-12-13 21:45 | 田尻の歴史 | Comments(0) |Topに戻る
田尻の祭り・千寿の楽しい歴史
田尻の祭り   

田尻には森山宮・天満宮・お伊勢さん・社日さん(春と秋)の5つがあり、10組に分かれているので、各組には10年に5回の祭りが周ってきます。私は父が早く亡くなり、祭りを4周りつとめたことになります。

田尻城に居城していた田尻氏は、鷹尾城に移り、後年は竜造寺に従い伊万里へ移る。一族の神官をしていた田尻氏はこの田尻に残りました。

宮司さんは大牟田市の駛馬天満宮の宮司で、田尻から明治時代に大牟田へ移転されたのです。

祭礼一覧表

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お伊勢さん(平成5年10月1日)

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天満宮(平成8年10月21日)  8月25日は千灯明に出ます。

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社日さん(平成14年3月)  5年毎に春の社日さんが周ってきます。   

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天満宮(平成18年10月21日)  8月25日は千灯明に出ます。

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森山宮(平成22年10月17日)

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中組は14・5戸ですが、各家から2名づつが出て祭りを行います。森山宮は1週間前の旗立てと16日・17日の2日間出ます。

男が揃わないと、露払い・道具持ち及び鐘・太鼓等交替要員など、行列の人数が10人以上いります。










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by kusennjyu | 2011-12-09 20:39 | 田尻の歴史 | Comments(0) |Topに戻る
田尻の歴史(干渡堰・渡内堰)・千寿の楽しい歴史
田尻の歴史(干渡堰・渡内堰)   

干渡堰附近図   田尻の東端

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旧道及び飯江川改修工事前の地図

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干渡堰  田尻の東端

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樋門と庄尻川への通水

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庄尻川

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干渡堰復旧記念碑

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干渡公園内の旧左岸堤防(写真中の白い道附近)

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九州新幹線

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九州新幹線トンネル工事中にトンネル内から田尻・竹飯方面の景色

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昭和12年  干渡堰交渉日誌

干渡堰に集合して鍬巾の全部を堰止める事に決定する。関係部落に通知することに決する。

昭和26年3月  干渡堰復旧記念碑建立

干渡堰延長につき契約を締結する。

渡内附近図  田尻の西端

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渡内堰(道路側と川側)   田尻の西端

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庄尻川(渡内堰の上流と下流)

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岩津橋と庄尻川の表示板

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岩津橋完成年月と岩津信号方面

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庄尻川(岩津橋の上流と下流)

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平成2年にはバイパス道路(新県道94号線)が岩津から田尻信号までは完成したが、田尻から東側は平成3年以後に工事が行われた。








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by kusennjyu | 2011-12-08 21:08 | 田尻の歴史 | Comments(0) |Topに戻る
千燈明前夜祭(田尻運動広場)・千寿の楽しい歴史
千燈明前夜祭(田尻運動広場)   8月20日(土) 夜

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a0137997_21175556.jpg毎年25日が天満宮で燈明明が行われます。写真の蝋燭を立てる燈明が飾られます。

私が子供から青年の頃は、天満宮の前で、青年団員に舞踊があり、観客が多く、花代も多くあがっていました。

段々と青年団員が少なくなり、中止していましたが、前夜祭として復興しました。

a0137997_2052173.jpg今は広場にトラックを入れて、仮舞台としてゲームや舞踊などのことをしています。

他の部落では、このような活動がなくなっていますが、田尻では今度が14回目になります。

子ども会、婦人会、隣組などの世話で夜店も出ます。

私も出かけて、ビールを飲み、焼き鳥を食べながら、おしゃべりをしてきました。

隣の人と絆をつくることが大事なこの頃です。親子の絆、近所の絆、隣組の絆、友だちの絆など、

あなたは、どのような絆を作りますか。

消火訓練

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消火訓練の前に消防職員から熱中症予防についての説明がありました。

その後で、消火訓練ですが、大人が出なく、子供が出て楽しくやりました。

消防職員から、実際の火災では子供は消火をしないで大人を呼ぶことですよと説明がありました。

しかし、訓練では子供たちが楽しくやり、笑顔が素敵でした。経験は、将来にきっと役にたちます。

夜店(金魚すくい)

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みやまいいまち会   下の詳しい内容が判ります。

今、日本の未来を強くするために必要なものを表す言葉で「絆」が一番でした。

私の目標   今一番大事なことは絆を育てること。
by kusennjyu | 2011-08-20 21:08 | 田尻の歴史 | Comments(0) |Topに戻る
2011武藤徳蔵家を訪ねる・千寿の楽しい歴史
武藤徳蔵   

みやま市高田町田尻の人

天保14(1842)年山川村原町(実家は郵便局)に生れ、武藤孫一氏(高田村田尻)の養子となる。

農業にありと信じ、土壌の改良、品種の選択、肥料の研究に志す。

明治32年、斎戒沐浴して丹精になる精撰米を献納した。

滅多に臣民の献納を許されぬ当時として、立花伯を通じ宮中に請い異例の御聴許を得たという。

明治39年に緑綬褒章を賜い、その篤行を表彰された。

明治44年、特別大演習の砌(みぎり)、大元帥陛下の御召米献納の光栄に浴する。

高田町誌より。(昭和33年10月発行)

現在の武藤家の土蔵

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私の家の真南300mの家です。

武藤徳蔵の顕彰碑 武藤家の手前20mの道路西側に建立されています。 

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明治三十六年八月   三池郡長正七位勲六等 十時参吉郎  撰文

               貴族院議員従三位伯爵   立花寛治  篆額

               三池郡岩田高等小学校長  安東慧   謹書

内容はかすかに判るほどで、上が最後に書かれているのが判読できます。右上の写真はクリックすると拡大します。

屋敷内に建つ弁財天(明治14年に武藤孫一が建立)

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後ろ姿は当家のご主人です。

下は弁財天堂の中に飾られている武藤徳蔵写真です。

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明治32年、斎戒沐浴して丹精になる精撰米を献納した時の写真だとご主人から聞く。

皇后陛下へ  壱俵  神力    

皇太子殿下へ  壱俵  国富

また、明治32年に皇太神宮へ大粒白玉撰米「3升5合」を献納した。

御観音堂

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左上の写真はクリックすると拡大します。

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明治19年3月15日、氏神社内において親睦会及び酒宴を行う。

下の十五人墓の処刑された人たちの追善供養のため、明治19年4月30日から5月2日まで御観音堂にて説教を行なっています。

この費用を賄うために武藤徳蔵氏が土地を田尻区に寄贈する。 左上の額に寄進したことが書かれていて、御観音堂に飾られています。クリックすると拡大します。
 
この行事が現在まで田尻区の世話で毎年4月第2日曜日(4月3日が日曜日の時は第3日曜日)に田尻研修所にて行われています。

4月3日は田尻区の森山神社にての皇太神社祭りで各組ごとに集まり花見が行われます。

現在は各家を世話人が廻り、米とお金を寄進してもらい、寺の住職から説教を聞き、終った後は、全員で、お接待を受け、楽しく会話がはずんでいます。

武藤徳蔵氏は高田町北新開に田三反を新開能を行う費用として寄進しています。

北新開の人世話する年は、10月17日の新開能がある前に、お礼参りとして酒と大鯛を持参して武藤家を訪れています。

新開能は北新開と南新開が交互に世話をしています。

有形民族文化財
十五人墓 所在 高田町大字田尻1298

 
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田尻の字山本にあり、安山岩の自然石に南無阿弥陀仏の名号と、元禄3年12月6日の年紀銘が認められる。

地元では昔から「十五人墓」と称し、村吏(そんり)某の貧虐(ひんぎゃく)を藩庁に訴えようとした百姓衆が、村吏の謀略により処刑されたその供養塔であるとか、島原一揆を落ち延びてきた切支丹宗徒の墓であるとも伝えられているが、いずれもそれを裏付ける確証はない。 

処刑者供養塔説の起こりは、明治20年に田尻の武藤徳蔵氏が建てた顕彰碑(けんしょうひ)に由来すると思われるが、徳蔵氏の子武彦氏が生前「其の冤枉(えんおう)を憐れみ、常に之を慰めんと欲し」ていたという処刑の一件については、何を根拠としたものか全く不明である。

碑面の交名は現在では判読困難であるが、顕彰碑にある名前から判断すると、彼らは在郷の柳川藩士と見られることから、真宗報恩講(ほうおんこう)の講中(こうちゅう)の人たちが、阿弥陀仏の名を賛美するため、共同で建立した信仰の記念碑だとする見方もある。

by kusennjyu | 2011-05-05 04:48 | 田尻の歴史 | Comments(0) |Topに戻る