千寿の楽しい歴史
kusennjyu.exblog.jp
ブログトップ
カテゴリ:みやま市の文化財( 104 )
|Topに戻る
2017幸若舞 和泉が城(三)・千寿の楽しい歴史
幸若舞 和泉が城(三)

鼓方:松尾正巳 太夫:椛島健夫 シテ:松尾正春 ワキ:松尾成功


a0137997_20434389.jpg



a0137997_20464722.jpg



a0137997_2047578.jpg



a0137997_20472044.jpg



a0137997_20474413.jpg



a0137997_2048187.jpg



a0137997_20481721.jpg



a0137997_20483997.jpg



a0137997_20485782.jpg



「コトバ」兄錦木戸が申しけるは。仰の如く此の君、世にも御座なき義経を、主と頼み申さば、おるまじき所にて、馬よりおるるも無念成也。いざ此君を討ち申、上野下野甲斐信濃武蔵、五ケ国を給って、五人して知行せんと申す。各々此儀に同じけり。某中に三男和泉の三郎、烏帽子の先を地に付、涙をながし申よう、扨も父秀衡我に記書を書かせ、世にも嬉しげにすぎさせ給ひ候に、今行程もなき間に左様にむほんの起し、父を地獄に落し申さば、天命いかでのがるべし、此事に於ては。

「カカリ」思し召し届るまるべし。

「フ シ」それに承印なきならば、忠衡は御免なり、恐惶対面申すまじと、座敷を立てかえりしを、ほめぬ人こそなかりけり。

「コトバ」忠衡我が宿所にかえり、女房を呼出し、なんぼ面ぼくもなき事の候。それをいかにと申すに、兄弟の人々が、我君を討申さんずるたくみを、めぐらされて候っぞや。

「カカリ」なんぼあさましき事にては候はずや。

「イ ロ」女房聞いて、あら御いたはしやさむろ、秀衡殿に遅くれさせ給ひ、今行程もなき間に、兄弟の人々のてきとならせ給はば、扨て君は何にとかならせ給ふらん。たとえ自ら女にてさむろとも、高館殿に参り、君の御供申べきが、扨て忠衡は何にとか思召さるらん。

「コトバ」忠衡此由聞よりも、更々別のしさいにて候らはっず、兄弟の人々のけしきには、今よいの内に、高館殿に夜討に寄する事もあり、いそぎ身つぎ勢を参らせんと、屈強の兵者を、二十七騎すぐって。

「カカリ」高館殿に参らせ。

「クドキ」ふん我身は只うちとけて、最後を知らぬぞあわれなり。

「コトバ」扨ても錦木戸が館へは、残る四人の兄弟の人々、さもあれ和泉の三郎が、我々をせいしかね、座敷をけ立てたつる物かな。先忠衡につめ腹を切らせ。九万八千の軍神の血まつりにせさせぬ。尤も然るべしとて、照井金沢鳥の海に、三千予余騎を相そへ、和泉が城えぞ寄にける。かの忠衡が城と申すは、三方は衣川一方に堀をほり、さかもぎを引かせ、用心きびしかりけれど、げには寄手は案内者、又はにわかの事なるに、一二の木戸に押よせ、時をどつとあぐる。城の内のつはもの共、思ひよらざる事なれど、我も我もと切手出る。ここをせんどとふせぎ戦ふ。扨ても高館殿と和泉が城、そのあひ十八丁の処なれば、時の声矢さけびの音が、手に取る様にぞ聞えける。判官武蔵を召され、和泉が城にあたって、ときの声の聞こをふるは、いかさま兄弟の者共に、討れぬると覚えたり、急ぎ見つげとの御諚也。承ると申して、御所侍、三十五騎和泉が郎党二十七騎。

「カカリ」ほそなわでに懸て、駒を早めて。

「ツ メ」打たりける。道にて武蔵言ようは、まてしばし方々、此合戦と申すは、和泉にやしんがあらばこそ、只我君えの心がはりの合戦なり。高館の御所へも、やがて打て向ふべし、押しへだてられ叶うまじ。いざや御所へかえつて、君を守護し申さんと、道よりも引かへす。これと申も忠衡が、「オー」うんのつきたる処なり。和泉が郎党申す様、主のせんどで候らへば、いとま申してさらばとて、駒にむちをもみそへ、「ホー」もみにもうでぞ急ぎける。照井の太郎が是を見て、すはや高館殿よりも、みつぎ勢いのあるぞとて、左右へぱっとぞのいたりける。陣の二つへかけ割て、内へ一所にくははつたり。照井の太郎が申す様、これほどの城かくに、時こく移て落ぬは、むげに不かくと覚へてあり、いでいで鷹野先がけせん。我と思はん人々は、つづけやと云うまゝに、長刀をよこたえて、まつさきにこそすすみける。つづく軍兵たれたれぞ。庭の六郎、宇田の藤次、間の兵衡を先として、七拾五騎にて切て入る。城の内のつは者共、過ぎ指高野先として、弐拾七騎切て出で、ここをせんどと戦たり。此者共と申は、かたきみ方と云ひながら、あるいは叔男甥兄弟なれば、他人よりもはづかしく、壱足もしりぞかず、凌をけづりつばをわり、切先よりも火えんの出し、ここをせんどと切結ぶ。寄ては間中村、古堀兄弟討るれば、城の内のつは者共、堀の端にて十七騎、枕をならべ討れたり。あるいは手をいくたびれ、城の内にぞ引たりける。寄手はさすが猛勢なれば、荒手を入れかえせめければ、壱弐の城戸も打破られ
て、つめの城にぞこもりける。

「コトバ」去る間忠衡、兄弟の人々に向て、合戦すべきにあらずと、物の具もせでいたりしが、味方ことごとく討死す。早城中へ乱れ入と聞きければ、小具足計りをかため、広えんさして踊り出る。女房此由見るよりも。

「カカリ」ゆむけのたもとをひつ届め。

「イ ロ」それ弓取りのなきあとに、思ひを残しぬれば、ふかくの死にをする由を、承てさむろぞや、兄弟の若共を、なにとなれと捨ては行かじかなばし、とも角もよき様に、はからひ給へ忠衡殿。


「コトバ」忠衡此由聞よりも、実に実にこれは云れたりとて、ありし処に立帰り、七ツ五ツになりける。兄弟の若共を、右手左手の膝におき、おくれのかみをかきなでて。

「イ ロ」あらはむざん若共よ、今行程そわぬ物ゆえに、親子のちぎりと生れきて、あまつさえ父が手にかかるを、恨らみとばし思なよ。

「フ シ」たゞ叔父たちを恨むべし、たすけたくは思えども、とんよく不道の叔父共が、たすくる事はよもあらじ、忠衡が手にかゝり、死出さんづをなげきこし、閻魔の庁にまえるべし、ねん仏申せ若共と涙と共にすゝむれば、なにの心は知らね共、いたいげしたるてを合せ、阿弥陀仏弥陀佛と四五へん申す時こそ、目ぐれ心はきゆれども、心よわしくかなわじと、腰の刀をするりとぬぎ、兄花一を引よせて、右手の肘のかかりを、ふた刀がいしておしふする。弟の花若が此由を見るよりも、あゝおそろしの父御前や、我をばゆるさせ給ひとて、いたる処をづんと立ち、母が処へにげ行くを、おくれのかみをむづととり、なんぢ壱人ゆかばこそ、父母も兄も行くそとて、心もとをひと刀、わつとばかりを最期にて、おなじ枕に押ふせて、兄弟の若共を、三刀にがいしつゝ、我身をだいてなきいたる心の内ぞ哀れなり。


終ります。有難うございました。




みやまいいまち会  クリックして見て下さい。

みやま市観光協会公式WEB

梅野家歴史資料館  みやま市瀬高町大草女山932

梅野家庭園    4月  5月  新緑  6月  11月 梅野家の紅葉   季節を楽しんで下さい。

梅野家歴史2(傘寿を迎えて・梅野茂芳著者)・千寿の楽しい歴史   白蓮さんの写真が載っています。

青輝園   御座敷梅ユリ展

私の目標   皆さんに感謝します。

by kusennjyu | 2017-01-27 20:53 | みやま市の文化財 | Comments(0) |Topに戻る
2017幸若舞 夜討曽我(上)・千寿の楽しい歴史
幸若舞 夜討曽我(上)

鼓方:松尾正巳 太夫:堤日出夫 シテ:松尾義文 ワキ:松尾裕二

a0137997_21274774.jpg



a0137997_2128690.jpg



a0137997_21282186.jpg



a0137997_21283641.jpg



a0137997_21285047.jpg



a0137997_21291372.jpg



a0137997_21293071.jpg



a0137997_21295432.jpg



a0137997_2130813.jpg



a0137997_21302215.jpg



a0137997_21304666.jpg



a0137997_2131367.jpg



「コトバ」去程に頼朝、信濃の国御原野の御かりすぎ、それよりもして、合沢の原の猪とりがり三日すぎ、駿河のふじの裾のに、御出でとこそ聞へける。御諚の其日の御装束、青かりきぬに立烏帽子召し、尾花足毛の一物に、白鞍をかせ召れる。御馬ぞへには五郎丸、赤池のにしきの直垂を、下し給はりてこれをきる。八十五人が力なり、もえぎの腹まきをきごみにき、君を守護し奉る。秩父殿の居装束、鷹すへて御供也、千葉小山宇津の宮、いづれもかり場の出立にて、鷹すへて御供也、惣じて鷹は五十本、犬は八十四匹、犬のすず鷹のすず。

「イ ロ」くつはの音がざざめひて、上下六万六千余騎が、さしもに広き富士の裾野に、駒の立どはなし、抑々の富士山と申は、人皇七代の帝、孝霊天皇の御代の時、三月十五日の、一夜が内に、こんりん山より、ゆうしゅつしたる山ん也、あゝらをもしろの名山や、南は田子の浦浪也、焼ぬしうやのけむり立、西は海上、万々として、きはもなし。

「フ シ」されば四方山を、下に駿河の、富士なれば、雲より上の、八よはみな、きんぎんの、いさごにて、なまぐにつもる白ゆきの、所々は村ぎえて、みねには、けむりたへまなし、麓にかすみ棚引て、山のん帯かとうたがわる。山は八ようを九ぞんにて、りやうがいをひょうせり、峰にはくじやく明王の、すみ給へる池あり、麓にせんげん大菩薩の、いらかをならべてたち給うを、生々けんごの礼いちとして、りやうがいをきんだんし、猟師の入らぬ、山なれば、かせぎのかずは、おうかりけり。

「ツ メ」三千余人のせこの者、三日かけていぜんより、峰へわけのぼり、ぜん領をまっくだりに、岩を起し古木をたたき、おめきさけんで狩下す、おゝくのかせぎけだ物、すそ野
をさしてぞおちにける。猪が射手に打まぜて、かけみだしてぞ入くんだる、すは早射てこそ取たりける、弓ですがい馬手ぎれ、すごうゆみおくりや、手さきまかせぬむかい猪、表五寸の木上を、中にてかえしはせもどり、ががたる山のそわづたへ、此処を千どゝ見えたりける。今日三日のまきがりに、かせぎの数をとどむる事は、三千七百四頭なり、天竺しだんなそわしらず、秋津嶋が其内にも、か程の見世物にあらじと、諸人教をもよしけるは、ことわりとこそ聞けれ。

「コトバ」此度富士の牧がりに、東八ケ国の大名小名、あるいは鹿の四頭五頭とどめ、御所領たまはり、皆地所入と聞うる。

「イ ロ」あゝらいたわしや、曽我兄弟の人々は、猪に心のいらざれば、かの子の一つもとどめずに。

「コトバ」いかにもして敵祐経に、めぐり合でと、たくみけるに、此処に弓手のそは、かしわ木ばらの中を中を見るに、射てのあまたある中に、四十斗りなる男の、兵文の直垂に、夏毛のむかばきふんごうだるが、三つ有獅子に目をかけ、かりまたつがつて追かくる。時宗たそと見るに、あわ祐経とおもい、気もそぞろぎ身ぶるいて、うどんげも、懐中へひらけけるかとうれしくて、獅子矢をばそろりと捨て、たのみし中ざしぬき出し、弓をふせて打つがい、矢壺おうしと申せ共、我らが父の河津殿は、奥野の狩場のかえりあしにて、鞍の前わのhづれ、むかばきの引合を、射られ給うと聞ものを、むくいの矢なれば祐経をも、おなじ矢壺にいて落す、河津が矢目にたがはじと、諸人に見せ、十八年のちそくは、おなじからざれ共、

「カカリ」狩ばと矢目はたがわずや。

「コトバ」打ばひびく、たたけばなる。

「ウチカケ」おもいはよそになかりけり。身のせしとがのむくいぞと、しらせばやとおもいて、早あらわれていでけるが、

「フ シ」まてしばし我心、五郎一人無ねんのはれ、十郎殿をむなしくせば、今生のうらみ、のみならず、こうせんまでもはれがたし。ぶもきょうようのん矢なれば、兄弟して一と矢づつ、弔うにぞと思いて、あたりを見ければ幸に、いいを一つへ立て、十郎殿よそめしてこそおわします。

「ツ メ」五郎あまりの嬉しさに、鹿こそとうれ十郎殿は、御らんじられてそうか、鹿ぞと云に心え、東西をきっと見るに、おゝへ立たる敵なれば、見づけんも一つどうり、五郎あまりにたえかねて、夏山や、しげんみの鹿は射にくそう。そのおにあがけて、せこに合てゆきがたを、とはせ給うと申時、扨はそのうおのあなたへ、敵のあると心へ、そわをのぼりに駒かけあげて、向の原をきつと見るに、げにも祐経此処にありねしかもあたりに人はなし、天のおしえ仏じんの、あたへ給うとうれしくて、十郎は兄なれば、一の矢おばなに者か、さまたぐべきと思いて、うつぼのそこの、ひぞうのとめ矢を取て、からと打つがい、矢先をさざへはづかえし、定の矢をと心得敵の、矢壺ばかりに目をかけ、馬の足は見ざりに、心ははやれども、人に色をさとられじと、こがけにすすみあゆませ行に、乗たる馬は国元よりも、こわまれなり乗しげし、よわき馬に、つよくたづなを乗程に、ヒヤとあるふしぎに胸をつき、屏風をかへす如くにはや、まつ坂さまにどうどう落、五郎あまりのかなしさに、いそぎ駒より飛んでおり、祐成をとつて引ったて申し、馬起こあんとひしめくまに、祐経名馬に乗たれば、谷峰へだてゝ落のびぬ、行方知らねばいづこをさしぞ、たづねて行べきかたもなし。

「フ シ」兄弟の人々、宝の山に入りながら、無なしくかえるふぜいに、討たでやみぬる兄弟、心ざしこそ、むねんなり。


続きます。





みやまいいまち会  クリックして見て下さい。

みやま市観光協会公式WEB

梅野家歴史資料館  みやま市瀬高町大草女山932

梅野家庭園    4月  5月  新緑  6月  11月 梅野家の紅葉   季節を楽しんで下さい。

梅野家歴史2(傘寿を迎えて・梅野茂芳著者)・千寿の楽しい歴史   白蓮さんの写真が載っています。

青輝園   御座敷梅ユリ展

私の目標   皆さんに感謝します。

by kusennjyu | 2017-01-26 20:46 | みやま市の文化財 | Comments(0) |Topに戻る
2017幸若舞 高館(上)・千寿の楽しい歴史
幸若舞 高館(上)

鼓方:松尾正光  太夫:松尾素直 シテ:松尾健志 ワキ:松尾拓尚

a0137997_22144371.jpg



a0137997_22151271.jpg



a0137997_22162333.jpg



a0137997_2217881.jpg



a0137997_22172711.jpg



a0137997_22174915.jpg



a0137997_22181611.jpg



a0137997_22183913.jpg



a0137997_22185850.jpg



a0137997_22191486.jpg



去る程に鎌倉殿、梶原をめしての御定には、いかに梶原承れ、誠にぎけい(義経)がむほんにおいて、うたがう処なし。いそぎ義経をたいぢし、世をおさめんとの御定にて、長崎の四郎に参百騎を下したぶ、長崎参百騎を給はり、いそぎおくにも付しかば、さいそく廻しせいぞろへ、安衡がたちによりきし、照井の太郎を筆とりにて早着到を付くる、先惣領ならば安衡、次に錦木戸、四郎元吉、ひづめの五郎玉づくり、野馬くら殿御兄弟、其外の人々に、きつその弥七木原の源吾、雲居の小太郎、阿津瀬の刑部、中島の与藤次、松島玉つくり、小島の兵藤を先として、名字のさむらい七百余騎、其外都合つはものども七千三百余騎と早着到を付る。仰々頃はいつなるらん、文治五年うる四月お二十七日、今日た日がらよからず、明日の辰の刻にむかうべしとさだめ、大田、山口、中村に、すでに陣取てひかへたり。扨(さて)も高館の御所へは、敵向ふよしを聞召し、侍たちを召さるるに、宵ひ迄は、侍八人、大将共に九人と聞くへしが、つぐる日の御合戦に、侍九人、大将共に拾人の、
「カカリ」由来をくわしくたづぬるに、
「イ ロ」紀州熊野の住人鈴木の三郎重家有(ある)夜鈴木女房に、かたりけるは、何某思ふ事ありて、此あかつきに奥州へ罷り下り候べし、心のままに罷り下り、君も目でとふましまさば、
「フ シ」明年の夏の頃、たよりの文をまへらせん、夏の頃しもすぎゆかば、浮世は不定のならい、道の草葉のつゆしもと、きへぬる世と思し召しあとをば、頼み奉る。いとま申してさらばとて、ぢたいが鈴木殿、熊野そだちの人なれば、山伏の姿に、様をかへ、笈とつて、かたにかけ、物うき竹のつへをつき、そのふしぶしに、よをこめて、藤城を立いでて、はやここのへに、つきにけり。人目しのぶのたびなれば、いつしか、はなの、みやこをば、かすみとともに、立いでて、大津の浦よりふねにのり、海津の浦にあがりつゝ、北国道の浮きなん所を下らせ給ひける程に、人にやどをからざれば、あるいは野にふし山に臥し、七十五日と申には、奥州衣川高館の御所に付にけり。
「コトバ」鈴木なんとか思ひけん、笈すずかけを、かたわらにとりかくし、笈の中よりも打かけを、とりいだし着るままに、十二ふるいたるあみ笠を、ふかぶかとひ(引)つか(込)うで、高館殿のていを、見奉るにふしぎや、紀州藤城にて、承り及し時は、ひばん当ばんそしょう人、さながらみうちにみちみちて、門外へは、駒の立てどもなきように、承り及びしが、是はなにとて、さびしく御座あるらん、ふしぎさよと思ひ、もんのからいしきに腰をかけ、みうちのていを、心しづかに聞いたる。扨ても高館の御所へは、敵向ふ由を聞し召し、侍たちをめさるゝに、いつもかわらぬ武蔵坊をさきとして、以上八人君の御前にかしこまる。判官御攪じて、いかにかたがたが、手にかけ、首をとつて、関東へ参せよ、くんかうけじょうにあづからば、奉公の忠には、後世をばとうてたべ、
いかに、いかにとおふせけれども、御べんじ申す者もなし、片岡亀井の六郎が、目と目をきつと見合て、こは口おしき御定かな、たれあつて、此内にも、我君の御首を給り、鎌倉え、こうさんの申すべきぞ、今迄落ぬ人々は、皆御供とこそおぼすらん、さわいながら、此内にも、おちんと思ふ人のあらば、ひらにいとまを申して落ちよ、たれもうらみはのこるまじいと、座敷をきつと見渡せば、
「フ シ」すずしく、申されたるものや、たれもかように申したき、御ぺんじにて候ぞや、おもうにかたきあかつきよすべし、大手からめてと、ふたてにわけぬ事あらじ、みかたはたとへ、むぜいなれど、両陳にむらがつて、いくさは花を散らすべし、まだほのぐらき、そう朝に、あれは大手是はからめて、なんどゝて、声をば聞くともすがたはみじ、我も人も心しづかに有時に、かみえ申して御酒給はり、さいごのなごりを、おしむべし、尤然るべしとて、種々の大平い大づつを、でんへ申しいだしつつ君も御出ましまして、
 女房達のお酌にて、かみえさかづきすはりけれど、下は以上八人、三ごんの酒すぐれば、のちにはたがいに入れみだれて、思ひざし、思ひどり、自酌自もりの楽あそび、舞つうとふつのむほどに、亀井が呑だるさづきを、武蔵殿に思ひざし、立つてん舞にける。
「サ シ」靏菜山には千年ふる。
松の枝には靏すく、岩おがかたに亀あそぶ。
「コトバ」しほり三つ鴨の入れ首をひともみもうで、鴨の羽がへしをさつささいて、立廻る所に、門外を見てやれば、
「カカリ」太刀はきばさんだ男子の
「フ シ」あみがさまぶかに、引かうだるが、からいしきに腰をかけ、亀井が舞を聞いたる。
「コトバ」亀井の六郎もたれなるらむと思ひしに、げにと思ひ世になれば、舞をば、すでに舞ひをさめ、酌に手かけていたりしが、かどなるおのこの声として、だいのこわねをさしあげ、のうのうみうちへ案内申し候らはんと、たからかによばわる。
「フ シ」なりをしづめて座敷には、
「コトバ」たれなるらんと聞所に、西塔の武蔵此声をききつけ、あれはかたきのやつばらが、案内けんみの其為に、
「カカリ」いつわりまなんできたりてそう。
「フ シ」なにさま朝のつかいをば。
「ツ メ」あますまじひというまゝに、袴のそばを高くとつて、長刀おつとり出むとす。亀井の六郎もつづいて座敷をづんど立、武蔵が袖をひつとどめのしづまり給へ武蔵殿。ふしぎや此声を、聞たる様に思ふとて、
「フ シ」武蔵をとどめて亀井、はしりいでて見てあれば、
舎兄鈴木の三郎殿、たびやつれにおもやせて、一人ここに立たまう。亀井夢ともわきまへず、するすると走りより、鈴木がたもとにとりつけば、兄も弟もつり付て、扨ていかにいかにとばかり也。はるかにありて鈴木殿、やなに事かある亀井、亀井此よし承り、その事にて候ぞや、君の御うんも我れらがうんも、いま此時につきはてて、明日をかぎりと早なりぬ、夫をいかにと申すに、秀衡浮世に有りし程は、君をもたつとみ申せしが、ういむ常の習とて、秀衡こぞの冬、はかなくなりて候ぞや、其子供我君に、心替りを仕り鎌倉よりの見みには、長崎の四郎殿を申し下したまはりて、扨国の大将に照井だてが向ひつゝ、太田山口中村に陣取て、あると聞てそ、などやかほどに御身の、思召し立ならば、弐年も三年もさきにおくだりましまして、一たんらくを、したまいて、思ひいでと思召あるべきに、なんぞつめたる御運かは、今日下り、給ふこそ、よろこびの中のなげきなれ、今生にて、見みえ申こそ、なによりもつて、うれしう候へ、浮世のもうしうはれてあり、かみにもしろしめさるまじ、とがめあやしむ者あらじ、おちこち人の風情にて、おかへりあらや、鈴木殿。
「ツ メ」鈴木此由打聞いて、ふかくなり亀井じょうもんじょうの、どにほねはうづむとも、なをばうづむか、ふかくさよ、師弟主従父子、夫婦,三世のきへんのなくしては、なんしに今日参るべき、鈴木が参へりて候と、かみへ申せ、亀井」とて、わらんづぬぎ捨、上にきたる打かけぬいで、ふはあと捨、おとといつれて判官の御前をっしてぞ参りける。


続きます。





みやまいいまち会  クリックして見て下さい。

みやま市観光協会公式WEB

梅野家歴史資料館  みやま市瀬高町大草女山932

梅野家庭園    4月  5月  新緑  6月  11月 梅野家の紅葉   季節を楽しんで下さい。

梅野家歴史2(傘寿を迎えて・梅野茂芳著者)・千寿の楽しい歴史   白蓮さんの写真が載っています。

青輝園   御座敷梅ユリ展

私の目標   皆さんに感謝します。

by kusennjyu | 2017-01-22 22:19 | みやま市の文化財 | Comments(0) |Topに戻る
2017幸若舞(安宅・下)・千寿の楽しい歴史
幸若舞 安宅(下)

鼓方:松尾正春  太夫:永江哲也 シテ:松尾哲郎 ワキ:松尾拓尚

a0137997_2039884.jpga0137997_20394798.jpg


a0137997_20402751.jpga0137997_20404858.jpg


a0137997_2041912.jpga0137997_2041245.jpg


a0137997_20431150.jpg



a0137997_204330100.jpg



a0137997_2044826.jpg



a0137997_20443084.jpg



a0137997_20445867.jpg



a0137997_20453022.jpg



a0137997_2046156.jpg



a0137997_2047064.jpg



a0137997_20471950.jpg



a0137997_20474635.jpg



a0137997_2048875.jpg



a0137997_2048315.jpg



a0137997_20485569.jpg



a0137997_20492511.jpg



a0137997_20501855.jpg



a0137997_20504071.jpg



a0137997_20505630.jpg



a0137997_20511378.jpg



a0137997_20513239.jpg



「コトバ」西答の武蔵、たんだ一すぢに思きり、藤塚手取打こえ、さしも、待かくる、富樫の城に入たるは、人にかわって、覚て有り、山伏の方にて、有間、れんじゅ千方をこそ、ゆむべきに、武蔵なにとか思ひけん。千方をもよまずし、高念仏と申して、あげつつ門よりつっと入て、城のていを見るに、まつぽぞにこそこしらえたれ。表のやぐら拾三所、脇のやぐら九ところ、二重三重に高矢ぐらをあげさせ、東門を見渡せば、鞍置馬四五拾疋引立てこそおいたりけれ、西の塔侍には、富樫が若と百人計りなみいて、ひき目くったり、矢は

いだり、碁将棋双六に、心をいれたる所も有、又ちゃく座を、見てやれば、四拾斗りなるおのこの、兵紋のひたたれに、烏帽子のさじきを、たんぶたぶとあげさせ、ふんどうにさしかかり、わか侍に双六打せ。

「カカリ」じょごんしていたりけるは是ぞ此国の。

「ツ メ」おゝ富樫の助とおぼへてあり、ああら口おしや、時こそあれひこそあれ、富樫の御出たる所に、なにがし来たるは、つめたる業とおぼへてあり、しのばばやと思ひしが、見えたる事のなきさきに、かたきにけごをみえられては、あしかりなんと存ずれば、大のこはねをさし上、熊野山の山伏が、仏法仕行の其ために、出羽の羽黒へとうり候、時料たべとぞかうたりけれ。

「カタキリ」富樫御覧じて、持たる扇にて、たゝみの表を丁と打て、ヤー、あれを見よ人々、愚人夏の虫とんで火に入るとは、よくこそこれはつたゑたれ。心をつくして侍かくる所に、西塔の弁慶こそ、たんだ今きたったれ、打てはれからめよ、ヒャー、さし縄なんどとひしめいたり、もとより武蔵、我身の上とはしつたれ共、聞ぬていにもうてなして、大木小木の、花ながめ、そらうそふひて立たりけり。

「コトバ」時刻もうつさず富樫が若党百人ばかり、真黒によろい、弁慶を真中に、おっとりこむる。「武蔵是を見て、」はやりりゅうの若者共に、ひしびしと打とられては、あしかりなんと存ずるれば、笈かけながら富樫の居たりける縁のはなに、するすると立寄り、如何にのう、富樫殿、以前よりは、如何なる野心な、張行のものを召しをかれ、只今参つたる法師までも、浮目を見んずるやらんと、よくよく承りて候へば、此の法師が身の上と聞なしたるは、空事ぞうか富樫殿。「富樫聞いて」わ御坊は判官殿の御内なる、膝元去らずの西塔の弁慶にてはなきか。「武蔵聞いて」ヘエーどこえぞ、それ山伏の名の世の常多しと申せども、膝元去らずなどと言ふ山伏の名の、今こそ聞いて候え。
「富樫聞いて」左様に才覚の廻って弁舌の明らかなるが、弁慶にてはなきか。弁慶にてはなきか。
「武蔵聞いて」左様に才覚の廻って弁舌の明らかなるが、弁慶ならば、さのたもう、富樫殿も、左様に才覚の廻って弁舌の明らかなるが、さって、御身も弁慶か。
「富樫聞いて」なんとも陳ぜば陳ぜ、只弁慶と言ふ。
「武蔵聞いて」こう申す法師がひたいに、もし弁慶と言ふ、字ばし据って候か。
「富樫聞いて」ホーホー字据ったると同じ事よ、鎌倉殿よりたんじょうのある上は、疑いよもあらじと言ふ。
「武蔵聞いて」ヘエーよもたんじょうはあらじ、たばかり事に言ふよと思い、ししょうのあらば見んと乞うた。
「富樫聞いて」あゝらむざんや弁慶が、いつまで命ながらえんと、たんじょう、こうつるやさしさよ、それそれ見せよと仰せければ。
承ると申して、富樫が若党四・五人座敷をはらりと立って、八尺屏風をとり出し、武蔵の前に颯と立て「カカリ」絵図をざらりと投げかけ、弁慶に見する、写しもうついたり、書きも書きたる絵師かな武蔵の丈は、六尺二分、「フ シ」絵図も六尺二分なり、色黒く、丈高く、まなこのにくぢを写いてあり、あまつさえは、武蔵めが、左の目先に、あざのあるまで写ついたはのがれつびようは更になし。
「コトバ」武蔵心に思うよう。今は又言葉をかえ、陳ぜばやと思い、如何にのう富樫殿以前にこの法師、熊野山伏とは、御身の心そっと引見申さんがためなり、是こそ南都東大寺の、勧進ひぢりぞうよ。
「富樫聞いて」ホーホーたつとうっぞおひじり、南都の勧進にてござあらば、定めて勧進帳がござあるべし。こなたえ、たべ拝まんとこわる。
「武蔵聞いて」南都の勧めとは伸べたれども、勧進帳があらばこそ、持たぬと言わば、棒打に打ちふせらりようず、又持ったと言わばあらばこそ、是非をわきまえかね立つたりしが、いやいや持ったと言はばと思い、おろかなり富樫殿、それ三国一の大がらんの、すゝめをなそうぞず勧進ひぢりがなど勧進帳を持たいであるべきか、是非見参に入れんとて笈をひつたとおろしおき、からげ縄、ふるふるとひっといて、上段に手を入れ、からりからりとさがせども、都にて入れたる事の候はねば、
「カカリ」笈には更になかりけり。武蔵あまりの口惜しさに、目をふさぎ。
「フ シ」南無や八幡大菩薩、源氏の氏子をば、百王百代守らんとの御誓いと承りて候zっぞや、一ッの瑞相を、見せしめ給えやととからり、からりと、探さるる、げにや八幡大菩薩の、あたえたびけるが、都にて此度、入れたりとも、覚えぬ、しぜんの、往来の、巻物一巻候いけるを、おっ取てさし上て勧進帳はこれにあり拝み給えと見せにけり。
「コトバ」「富樫御覧じて、こなたえたべおがまんとこはる、」
「武蔵此勧進帳が誠の勧進帳にて御座あらば如何に富樫がおがむまじいと言とも押へて拝までと、大俗の身にて、手にとり拝むものならば、五体すくんで立どころにて、危しとをどす。」「富樫武蔵におどされ、さあらば夫にて遊ばされ候へ、是より聴もん申さんと言ふ。」
武蔵此勧進帳を読み応ぜんな不定、読み損ぜんな治定なり、読み損ずる物ならば人手にはかゝるまじい、あれについて立たる白柄の長刀、ひんぼうに、飛んでかゝらん若者共を、思ふさまにおっぱらい、あれに引いて立たる、あしげの駒の爪かたそうの、いかにかけあしのはやかるらんに、ひんぼうで打乗り、みまんどへ参り一の刀にて、御前がいし奉り、武蔵め腹を切らうず。」
「君御腹を召れなば十一人の人々も、皆々腹を切らうず、生きては功をなさずとも。」
「カカリ」死んでは功をなすべきなり。
日頃我君七生までと、契りをおかせ給たる、あたごの山の太郎坊、平野山の次郎坊。
「ツ メ」ン山々の、小宮、天宮、天皇、八神、八生神、ごづめんづ、あぼらせつ、い行いるいの鬼どもを引ぐし候て、ほんもうならば関東へ、せつなが間に乱入って、箱根山の峠より黒雲の棚引き、電光を飛せ、玉を磨く鎌倉に、志やぢくの雨を降らせ、八ツ七郷を洗い流し、にくかりし梶原を、そうなくも殺さずして、百鬼人に仰せ付け、熱鉄の湯を沸し、口の中に流し入れ、六プ五臓を、焼払い、七代子孫の取殺して、ほんもを遂るならば、かん志よう状にて、あらずとも、あゝら人神と武蔵目が、あをがれんずる事どもを、あんの内と思ひければ、ちっともさはぐけしきはなし。


続きます。





みやまいいまち会  クリックして見て下さい。

みやま市観光協会公式WEB

梅野家歴史資料館  みやま市瀬高町大草女山932

梅野家庭園    4月  5月  新緑  6月  11月 梅野家の紅葉   季節を楽しんで下さい。

梅野家歴史2(傘寿を迎えて・梅野茂芳著者)・千寿の楽しい歴史   白蓮さんの写真が載っています。

青輝園   御座敷梅ユリ展

私の目標   皆さんに感謝します。

by kusennjyu | 2017-01-21 20:52 | みやま市の文化財 | Comments(0) |Topに戻る
2017幸若舞 日本記(にほんき)・千寿の楽しい歴史
幸若舞 日本記(にほんき)

a0137997_210227.jpg



a0137997_2111829.jpg



a0137997_2113857.jpg



a0137997_2115563.jpg



a0137997_2121089.jpg



a0137997_2122793.jpg



日本記

鼓方:松尾成功  太夫:松尾直哉 シテ:田中晴己 ワキ:中村拓夢

大江小学校の六年生3人で、昨年出場して上達しています。

大江小学校の友達が一番前で鑑賞して応援しています。

a0137997_2143568.jpga0137997_2145286.jpg


a0137997_2161357.jpg



a0137997_217968.jpg



a0137997_2173680.jpg



a0137997_217561.jpg



a0137997_2181587.jpg



a0137997_2184552.jpg



a0137997_219435.jpga0137997_2191934.jpg


a0137997_21104420.jpg



a0137997_21111314.jpg



抑々(そもそも)日本開闢(かいびゃく)のみぎん、いざなぎ、いざなみ二人(ににん)のみこと語らいをなし、ともにわかちて宣(のたま)わく、すでに天ひらく上、定めて、下に国ある可し、やそしまを、もとめんと、雲の上より、御ほこを、さしおろし、一大海のおもてを、かきさぐり給へど、ほこにあたれる島もなし、さればにや、すなはち、その、くうごうの以前に、天つちひらけはじめず、今じょうこうの時をへ、みこ、出現の身をわけ、かしらを、しゅみとなし、眼を日月とす、出入るいきを風とし、四ツの枝をししゅうとす、骨は金、涙は水、しゝむらを土となし、かみ、ひげを草木とするなり、青きを東、赤きを南、白気を西、黒きを北と名付け、黄なる色を中央とするなり、中を土に司どって、甘き味、出てくるなり、北に黒き水ありて、志は、はゆき味をなせり、西に白き金有って、からき味をなす、南に赤き火を生じて、にがき味をなせり、東に青き気を生じて、すゆる味をなす。
「カカリ」すき味を薬師とす。
「フシ」(付け)双調の声を説法す、にがきを以ておほしきの、ほうしょう如来これなり、からき味をば阿弥陀とし、ひょう調の声を出だすなり、しははゆきは、ばんじき調、釈迦のおんぜいこれなり、あまき味をば大日の、いちごう、つじやうの、ひびきあり、きゅうしよう、かくちう、ごいん、すにがあまから、志ははゆき、にうみ、らくみ、じょうぞみ、じゅくぞみ、だいごみ、五ツの声を、あつめつゝ、けごん、あごん、ほうどうはんにゃ、ほっけとこれを申すなり、仏も経も、しんごんの此の中よりも作り出す、地獄、極楽をしなめて、仏も法も、そうぼうも、一体必らず、三方、三方やがて三巻、三巻りきに一心、一心即ち空にして、へだては更になきものを、如何なる迷不思議にや、これ程広き大海に一ツ嶋のなきあらん。
「コトバ」いざなぎ、御ほこをあげんとしたまう、
いざなみ御らんなって、何とて其の御ほこを、いたづらに上げさせ給ふぞ、天の陽をかたどって、地のいんぜいのあがってこそ、いんようともひらくべけれ、たゞねんごろに、さがし給へと、おゝせれば、
いざなぎ、げにもと思し召し、重ねて御ほこをさしおろさんとし給ふ、其のほこのしたたりが、遥の海に止って、一ツの嶋なりぬ、
いざなみ、ごらんなって、あわぢよと、おゝせられし、其の御言葉をかたどって、今のあわぢ嶋これなり、
なにとしたるが故にかたまりけるぞと尋るに一大海の表に
「カカリ」大日の梵字すわり
「ツ メ」(付け)浪にゆられて、漂へり、遥のほこのつよきに、ぼしかたまって土となる、大日の梵字の上に、出来はじめし国なれば、大日本国とは申すなり、
「打切り」かほどめでたき、あわぢ嶋、けしのせいに出きて、天竺も開けり、扨(さ)て大唐もはじまれり、さしもに広き天竺国。月をかたどる国なれば、月し国とは申すなり、唐土も広しと申せども、しんだん国と名付けて星をかたどる国なり。日本我朝は、小国なりとは申せども、じぢひきと名付けて、日をかたどれる国なれば、三国一とは」申すなり。心のまゝの寿命にて、永く栄ふるめでたさよ。

続きます。







みやまいいまち会  クリックして見て下さい。

みやま市観光協会公式WEB

梅野家歴史資料館  みやま市瀬高町大草女山932

梅野家庭園    4月  5月  新緑  6月  11月 梅野家の紅葉   季節を楽しんで下さい。

梅野家歴史2(傘寿を迎えて・梅野茂芳著者)・千寿の楽しい歴史   白蓮さんの写真が載っています。

青輝園   御座敷梅ユリ展

私の目標   皆さんに感謝します。

by kusennjyu | 2017-01-20 21:15 | みやま市の文化財 | Comments(1) |Topに戻る
2016御田植祭(みやま市瀬高町下長田の日子神社)・千寿の楽しい歴史
御田植祭  

みやま市瀬高町下長田の日子神社境内

平成28年3月15日午前10時から。

日子神社前の広場において、長(おさ)1人、子12名、計13名の子(年齢12歳~6歳)が女装して、五穀豊穣を祈り田植えの儀式が行われる。


a0137997_19142820.jpg



a0137997_19153923.jpga0137997_19155947.jpg


a0137997_1917214.jpg



a0137997_19173442.jpg



a0137997_19175639.jpg



動画

下の御田植祭動画をクリックすると動画が見られます。

御田植祭動画

下長田の御田植歌
   
長 神まつる滝の白糸打ち映えて御田植急そがん 御田植急そがん 抑抑(そもそも)今日は如月十五日当社の御神事にて候程に早乙女を呼び出し御神田を植え初めばやと存じ候 如何に早乙女達之(これ)に来り候へ
子 彌高き日子の山波ゆたかにて元代(もとしろ)御田植の為早乙女の袖を連ね笠の端を並べつついざ御田植急がん御田植急がん
長 如何に早乙女達御神田を植え初(そ)めばやと存じ候
子 苗代取ろうと勢(なら)しつつ水も豊にて水口(みなくち)御祭肇(はじ)むる神の御田みとるぞ程なかりけり
長 植え植え早乙女笠買うてやるに
子 笠買(こ)う賜(たも)るなら尚田を植えに
子 襷買(こ)う賜(たも)るなら尚田を植えに
長 植え植え早乙女化粧文(ぶみ)をやろうに
子 化粧文もるなら尚田を植えに
長 化粧文持(も)たるとも何しょうと目(め)みやろ
子 いや面憎(にく)いや男の言うた事腹が立つ
長 誠に腹がたち苗代の角(すみ)ずみの水鏡を見よぞかし
子 早乙女の影をうつして苗代の角々水鏡を見よか
長 如何に早乙女あの山に花が咲いたよ見さいな
子 実(げ)にきっと見てやれば黄金の花が咲いたり
長 あら目出度いな目出度いな
子 かかる目出度き御田植
長 千町
子 万町
合唱 御田植て民も豊かに国土安穏治ルる御代こそ目出度かりけり


御田植祭神事

a0137997_1925763.jpg



a0137997_1926111.jpga0137997_19261836.jpg


a0137997_19271461.jpg



a0137997_19273262.jpg



a0137997_19275538.jpg



a0137997_1928164.jpg



a0137997_19283449.jpg



a0137997_1928537.jpg



a0137997_19291144.jpg



a0137997_19293118.jpg



a0137997_19295299.jpg



a0137997_19301377.jpg



a0137997_1930327.jpg



a0137997_19305457.jpg



a0137997_19311726.jpg



a0137997_19315557.jpg



a0137997_193220100.jpg



a0137997_19463534.jpg



終わります。







みやまいいまち会  クリックして見て下さい。

 「みやまのモノづくり展(平成28年3月3月)」

「⑤みやまの直近のニュースと出来事(平成27年3月上旬)」 「みやま市議会定例会について(平成28年3月)」  

   
みやま市観光協会公式WEB

梅野家歴史資料館  みやま市瀬高町大草女山932

梅野家庭園    4月  5月  新緑  6月  11月 梅野家の紅葉   季節を楽しんで下さい。

梅野家歴史2(傘寿を迎えて・梅野茂芳著者)・千寿の楽しい歴史   白蓮さんの写真が載っています。


梅野家歴史資料館(有明新報・平成27年1月16日号掲載)

女山史跡森林公園は史跡と紅葉の穴場。

梅野家の庭園(有明新報掲載・平成27年1月15日号)

青輝園   御座敷梅ユリ展

青輝園の御座敷ユリ展・平成27年7月5日撮影分

青輝園のユリをTNCが取材する・千寿の楽しい歴史

by kusennjyu | 2016-03-22 19:33 | みやま市の文化財 | Comments(0) |Topに戻る
2016幸若舞 安宅(あたく)下・千寿の楽しい歴史
幸若舞 安宅(あたく)下

平成28年1月20日  大江八幡神社奉納

鼓方:松尾正春  太夫:松尾哲郎  シテ:永江哲也  ワキ:松尾勇輝

安宅(下)

a0137997_964845.jpg



a0137997_972093.jpg



a0137997_973745.jpg



a0137997_975651.jpg



a0137997_981271.jpg



a0137997_983340.jpg



「コトバ」西塔の武蔵、たんだ一すぢに思きり、藤塚手取打こえ、さしも、侍かくる、富樫の城に入たるは、人にかわって、覚て有り、山伏の方にて、有間、れんじゅ千方をこそ、よむべきに、武蔵なにとか思ひけん。千方をもよまずし、高念仏と申して、あげつつ門よりつっと入て、城のていを見るに、まつぽぞにこそこしらえたれ。表のやぐら拾三所、脇のやぐら九ところ、二重三重に高矢ぐらをあげさせ、東表を見渡せば、鞍置馬四五拾疋引立てこそおいたりけれ、西の塔侍には、富樫が若と百人計りなみいて、ひき目くったり、矢はいだり、碁将棋双六に、心をいれたる所も有、又ちやく座を、見てやれば、四拾斗りなるおのこの、兵紋のひきたれに、烏帽子のさじきを、たんぶたぶとあげさせ、ふんどうにさしかかかり、わか侍に双六打せ。

「カカリ」じょごんしていたりけるは是ぞ此国の。

「ツ メ」おゝ富樫の助とおぼへてあり、ああら口おしや、時こそあれひこそあれ、富樫の御出たる所に、なにがし来たるは、つめたる業とおぼへてあり、しのばばやと思ひしが、見えたる事のなきさきに、かたきにけごをみえられては、あしかりなんと存ずれば、大のこはねをさし上、熊野山の山伏が、仏法仕行の其ために、出羽の羽黒へとうり候、時料たべとぞかうたりけれ。

「カタキリ」富樫御覧じて、持たる扇にて、たゝみの表を丁と打て、ヤー、あれを見よ人々、愚人夏の虫とんで火に入るとは、よくこそこれはつたゑたれ。心をつくして侍かくる所に、西塔の弁慶こそ、たんだ今きたったれ、打てはれからめよ、ヒャー、さし縄なんどとひしめいたり、もとより武蔵、我身の上とはしつたれ共、聞ぬていにもうてなして、大木小木の、花ながめ、そらうそふひて立たりけり。

「コトバ」時刻もうさず富樫が若党百人ばかり、真黒によろい、弁慶を真中に、おっとりこむる。「武蔵是を見て、」はやりゅうの若者共に、ひしびしと打とられては、あしかりなんと存ずれば、笈かけながら富樫の居たりける縁のはなに、するすると立寄り、如何にのう、富樫殿、以前よりは、如何なる野心な、張行のものを召しをかれ、只今参つたる法師までも、浮目を見んずるやらんと、よくよく承りて候へば、此の法師が見の上と聞なしたるは、空事ぞうか富樫殿。「富聞いて」わ御坊は判官殿の御内なる、膝元去らずの西塔の弁慶にてはなきか。

「武蔵聞いて」ヘェーどこえぞ、それ山伏の名の世の常多しと申せども、膝元去らずなどと言ふ山伏の名の、今こそ聞いて候え。

「富樫聞いて」左様に才覚の廻って弁舌の明らかなるが、弁慶にてはなきか。

「武蔵聞いて」左様に才覚の廻って弁舌の明らかなるが弁慶ならば、さのたもう、富樫殿も、左様に才覚の廻って、弁舌の明らかなるが、さって、御身も弁慶か。

「富樫聞いて」なんとも陳ぜば陳ぜ、只弁慶と言ふ。

「武蔵聞いて」こう申す法師がひたいに、もし弁慶と言ふ、字ばし据って候か。

「富樫聞いて」ホーホー字据ったると同じ事よ、鎌倉殿よりたんじょうのある上は、疑いよもあらじと言ふ。

「武蔵聞いて」ヘェーよもたんじょうはあらじ、たばかり事に言うよと思い、ししょうのあらば見んと乞うた。

「富樫聞いて」あゝらむざんや弁慶が、いつまで命ながあえんと、たんじょう、こうつるやさしさよ、それそれ見せよ仰せければ。

承ると申して、富樫が若党四・五人座敷をはらりと立って、八尺屏風をとり出し、武蔵が前に颯と立て「カカリ」絵図をざらりと投げかけ、弁慶に見する、写しもうついたり、書きも書たる絵師かな武蔵が丈は、六尺二分、「フ シ」絵図も六尺二分なり、色黒く、丈高く、まなこのにくぢを写いてあり。あまつさえは、武蔵めが、左の目先に、あざのあるまで写づいたはのがれつびようは更になし。

「コトバ」武蔵心に思うよう。今は又言葉をかえ、陳ぜばやと思い、如何にのう富樫殿以前にこの法師、熊野山伏とは、御身の心そっと引見申さんがためなり、是こそ歓進帳がござあるべし、こなたえ、たべ拝まんとこわる。

「武蔵聞いて」南都の勧めとは伸べたれども、歓進帳があらばこそ、持たぬと言わば棒打ちふせらりようず、又持ったと言わばあらばこそ、是非をわきまえかね立つたりしが、いやいや持ったと言はばやと思い、おろかなり富樫殿、それ三国一の大がらんの、すゝめをなそうず歓進ひぢりがなど歓進帳を持たいであるべきか、是非見参に入れんとて笈をひつたとおろしおき、からげ縄、ふるふるとひっといて、上段に手を入れ、からりからりとさがせども、都にて入れたる事の候はねば、

「カカリ」笈には更になかりけり。武蔵あまりの口惜しさに、目をふさぎ。

「フ シ」南無や八幡大菩薩、源氏の氏子をば、百王百代守るらんとの御誓いと承りて候ぞや、一ッの瑞相を、見せしめ給えやとうからり、からりと、探さるる、げにや八幡大菩薩の、あたえたびけるが、都にて此度、入れたりとも、覚えぬ、しぜんの、往来の、巻物一巻候いけるを、おっ取てさし上て歓進帳はこれにあり拝み給えと見せにけり。

「コトバ」「富樫御覧じて、こなたえたべおがまんとこはる、」

「武蔵此歓進帳が誠の歓進帳にて御座あらば如何に富樫がおがむまじいと言とも押へて拝ますべけれども、是はしぜんの往来なり、あやしめられ、あしかりなんと存ずれば、愚かなり富樫殿、夫、十善帝王だにも冠のこしをかたむけ拝ませ給ふ歓進帳を、いはんや御身大俗の身にて、手にとり拝むものならば、五体すくんで立どころにて、危しとをどす。」「富樫武蔵におどされ、さあらば夫にて遊ばされ候へ、是より聴もん申さんと言ふ。」

「武蔵此歓進帳を読み応ぜんな不定、読み損ぜんな治定なり、読み損ずる物ならば人手にはかゝるまじい、あれについて立たる白柄の長刀、ひんぼうで、飛んでかゝらん若者共を、思ふさまにおっぱらい、あれに引いて立たる、あしげの駒の瓜かたそうの、いかにかけあしのはやかるらんに、ひんぼうで打乗り、みまんどへ参り一の刀にて、御前がいし奉り、武蔵の腹を切らうず。」

「君御腹を召れなば十一人の人々も、皆々腹を切らうず、生きては功をなさずとも。」

「カカリ」死んでは功をなすべきなり。
日頃我君七生までと、契りをおかせ給たる、あたごの山の太郎坊、平野山の次郎坊。


「ツ メ」山々の、小宮、天宮、天皇、八神、八生神、ごづめんづ、あぼらせつ、い行いるいの鬼どもを引ぐし候て、ほんもうならば関東へ、せつなが間に乱入って、箱根山の峠より黒雲の棚引き、電光を飛せ、玉を磨く鎌倉に、志やぢくの雨を降らせ、八ツ七郷を洗い流し、にくかりし梶原を、そうなくも殺さずして、百鬼人に仰せ付け、熱鉄の湯を沸し、口の中に流し入れ、六プ五臓を、焼払い、七代子孫の取殺して、ほんもを遂るならば、かん志よう状にて、あらずとも。あゝら人神と武蔵目が、あをがれんずる事どもを、あんの内と思ひければ、ちっともさはぐけしきはなし。


安宅(下)割ります。





みやまいいまち会  クリックして見て下さい。

 「③みやま市の直近ニュースと出来事など(平成28年2月上旬)」

「ぶらぶら♪みやま(みやま市観光情報誌平成28年2~4月号)」 「②みやまの直近ニュースと出来事(平成28年1月下旬)」 

   
みやま市観光協会公式WEB

梅野家歴史資料館  みやま市瀬高町大草女山932

梅野家庭園    4月  5月  新緑  6月  11月 梅野家の紅葉   季節を楽しんで下さい。

梅野家歴史2(傘寿を迎えて・梅野茂芳著者)・千寿の楽しい歴史   白蓮さんの写真が載っています。


梅野家歴史資料館(有明新報・平成27年1月16日号掲載)

女山史跡森林公園は史跡と紅葉の穴場。

梅野家の庭園(有明新報掲載・平成27年1月15日号)

青輝園   御座敷梅ユリ展

青輝園の御座敷ユリ展・平成27年7月5日撮影分

青輝園のユリをTNCが取材する・千寿の楽しい歴史

by kusennjyu | 2016-02-19 09:08 | みやま市の文化財 | Comments(0) |Topに戻る
2016幸若舞 夜討曽我(ようちそが)上・千寿の楽しい歴史
幸若舞 夜討曽我(ようちそが)上

平成28年1月20日  大江八幡神社奉納

鼓方:松尾正巳  太夫:椛島健夫  シテ:松尾正春  ワキ:松尾成功

夜討曽我(上)

a0137997_1691850.jpg



a0137997_1695236.jpg



a0137997_16101438.jpg



a0137997_16103220.jpga0137997_16104722.jpg


a0137997_1611682.jpg



a0137997_16112215.jpg



a0137997_1611393.jpg



a0137997_16115760.jpg



a0137997_16121537.jpg



a0137997_16123370.jpg



a0137997_16124940.jpg



「コトバ」去程に頼朝、信濃の国御原野の御かりすぎ、それよりもして、合沢の原の猪とりがり三日すぎ、駿 河のふじの裾のに、御出でとこそ聞へける。御諚の其日の御装束、青かりきぬに立烏帽子召し、尾花足毛の一物に、白鞍をかせ召れる。御馬ぞへには五郎丸、赤地のにしきの直垂を、下し給はりてこれをきる。八十五人が力なり、もえぎの腹まきをきごみにき、君を守護し奉る。秩父殿の居装束、鷹すへて御供也。和田の義盛かり装束、鷹すへて御供也、千葉小山宇津の宮、いづれもかり場の出立にて、鷹すへて御供也、惣じて鷹は五十本、犬は八十四匹、犬のすず鷹のすず。

「イ ロ」くつはの音がざざめひて、上下六万六千余騎が、さしもに広き富士の裾野に、駒の音どはなし、抑々かの富士山と申は、人皇七代の帝、孝霊天皇の御代の時、三月十五日の、一夜が内に、こんりん山より、ゆうしゅつしたる山ん也、あゝらをもしろの名山や、南は田子の浦浪也、焼ぬしうやのけむり立、西は海上、万々として、きはもなし。

「フ シ」されば四方山を、下に駿河の、富士なれば、雲より上の、八よはみな、きんぎんの、いさごにて、まなぐにつもる白ゆきの、所々は村ぎえて、みねには、けむりたへまなし、麓にかすみ棚引て、山のん帯かとうたがわる、山は八ようを九ぞんにて、りやうがいをひようせり、峰にはくじやく明王の、すみ給へる池あり、麓にせんげん大菩薩の、いらかをならべてたち給うを、生々けんごの礼いちとして、りやうがいをきんだんし、猟師の入らぬ、山なれば、かせぎのかずは、おうかりけり。

「ツ メ」三千余人のせこの者、三日かけていぜんより、峰へわけのぼり、ぜん領をまぅくだりに、岩を起し古木をたたき、おめきさけんで狩下す、おゝくのかせぎけだ物、すそ野をさしてぞおちにける。猪が射手に打まぜて、かけみだしてぞ入くんだる、すは早射てこそ取たりける、弓ですがい馬手ぎれ、すごうゆみおくりや、手さきまかせぬむかい猪、表五寸の木上を、中にてかえしはせもどり、ががたる山のそわづたへ、此処を千どゝ見えたるける。今日三日のまきがりに、かせぎの数をとどむる事は、三千七百四頭なり、天竺しだんなそわしらず、秋津嶋が其内にも、か程の見世物にあらじと、諸人数をもよしけるは、ことわりとこそ聞けれ。

「コトバ」此度富士の牧がりに、東八ケ国の大名小名、あるいは鹿の四頭五頭にとどめ、御所領たまはり、皆所地入と聞うる。

「イ ロ」あゝらいたわしや、曽我兄弟の人々は、猪に心のいらざれば、かの子の一つもとどめずに。

「コトバ」いかにして敵祐経に、めぐり合でと、たくみけるに、此処に弓手のそは、かしわ木ばらの中に見るに、射てのあまたある中に、四十斗りなる男の、兵文の直垂に、夏毛のむかばきうんごうだるが、三つ有獅子に目をっかえ、かりまたつがつて追かくる。時宗たそと見るに、あわ祐経とおもい、気もそぞろぎ身ぶるいて、うどんげも、懐中へひらけけるかとうれしくて、獅子矢をばそろりと捨て、たのみし中ざしぬき出し、弓をふせて打つがい、矢壺おうしと申せ共、我らが父の河津殿は、奥野の狩場のかえりあしにて、鞍の前わのはずれ、むかばきの引合を、射られ給うと聞ものを、むくいの矢なれば祐経をも、おなじ矢壺にいて落す、河津が矢目にたがはじと、諸人に見せ、十八年のちそくは、おなじからざれ共、

「カカリ」狩ばと矢目はたがわずや。

「コトバ」打ばひびく、たたけばなる。

「ウチカケ」おもいはよそになかりけり。身のせしとがのむくいぞと、しらせばやとおもいて、早あらわれていでけるが、

「フ シ」まてしばし我心、五郎一人無ねんのはれ、十郎殿をむなしくせば、今生のうらみ、のみならず、こうせんまでもはれがたし、ぶもきょうようのん矢なれば、兄弟して、一と矢づつ、弔うにぞと思いて、あたりを見ければ幸に、いいを一つへ立て、十郎殿よそめしてこそおわします。

「ツ メ」五郎あまりの嬉しさに、鹿こそとうれ十郎殿は、御らんじられてそうか、鹿ぞと云に心え、東西をきっと見るに、おゝへ立たる敵なれば、見づけんも一つどうり、五郎あまりにたえかねて、夏山や、しげみの鹿は射にくそう、そのおにあがけて、せこに会てゆきがたを、とはせ給うと申時、仭はそのうおのあなたへ、敵のあると心へ、そわをのぼりに駒かけあげて、向の原をきつと見るに、げにも祐経此処にありねしかもあたりに人はなし、天のおしえ仏じんの、あたへ給うとうれしくて、十郎は兄なれば、一の矢おばなに者か、さまたぐべきと思いて、うつぼのそこの、ひぞうのとめ矢を取て、からと打つがい、矢先をさざへはづかえし、定の矢をと心得敵の、矢壺ばかりに目をかけ、馬の足は見ざりに、心ははやれども、人に色をさとられじと、こがけにすすみあゆませ行に、乗たる馬は国元よりも、こわまれなり乗しげし、よわき馬に、つよくたづなを乗程に、ヒヤとあるうしぎに胸をつき、屏風をかへす如くにはや、まつ坂さまにどうどう落、五郎あまりのかなしさに、いそぎ駒より飛んでおり、祐経をとつて引ったて申し、馬起こさんとひしめくまに、祐経名馬に乗たれば、谷峰へだてゝ落のびぬ、行方知らねばいづこをさしぞ、たづねて行べきかたもなし。

「フ シ」兄弟の人々、宝の山に入りながら、無なしくかえるふぜいし、討たでやみぬる兄弟、心ざしこそ、むねんなり。


夜討曽我(上)を終わります。






みやまいいまち会  クリックして見て下さい。

 「③みやま市の直近ニュースと出来事など(平成28年2月上旬)」

「ぶらぶら♪みやま(みやま市観光情報誌平成28年2~4月号)」 「②みやまの直近ニュースと出来事(平成28年1月下旬)」 

   
みやま市観光協会公式WEB

梅野家歴史資料館  みやま市瀬高町大草女山932

梅野家庭園    4月  5月  新緑  6月  11月 梅野家の紅葉   季節を楽しんで下さい。

梅野家歴史2(傘寿を迎えて・梅野茂芳著者)・千寿の楽しい歴史   白蓮さんの写真が載っています。


梅野家歴史資料館(有明新報・平成27年1月16日号掲載)

女山史跡森林公園は史跡と紅葉の穴場。

梅野家の庭園(有明新報掲載・平成27年1月15日号)

青輝園   御座敷梅ユリ展

青輝園の御座敷ユリ展・平成27年7月5日撮影分

青輝園のユリをTNCが取材する・千寿の楽しい歴史

by kusennjyu | 2016-02-17 16:14 | みやま市の文化財 | Comments(0) |Topに戻る
2016幸若舞 高館(たかだち)上・千寿の楽しい歴史
幸若舞 高館(たかだち)上

平成28年1月20日  大江八幡神社奉納

鼓方:松尾正光  太夫:松尾義文  シテ:松尾裕二  ワキ:堤日出夫

高館(上)

a0137997_2163593.jpg



a0137997_217316.jpg



a0137997_2172148.jpg



a0137997_2174072.jpg



a0137997_218040.jpga0137997_218143.jpg


a0137997_218382.jpga0137997_2185495.jpg


a0137997_2191935.jpg



a0137997_2194146.jpg



a0137997_2110224.jpg



a0137997_21101965.jpg



去る程に鎌倉殿、梶原をめしての御定には、いかに梶原承れ、誠にぎけい(義経)がむほんにおいて、うたがう処なし。いそぎ義経をたいぢし、世をおさめんとの御定にて、長崎の四郎に三百余騎を給はり、いそぎおくにも付しかば、さいそく廻しせいぞろへ、安衡がたちによりきし、照井の太郎を筆とりにて早着到を付くる、先惣領ならば安衡、次に錦木戸、四郎元吉、ひづめの五郎玉づくり、野馬くら殿御兄弟、其外の人々に、きつその弥七木原の源吾、雲居の小太郎、阿津瀬の刑部、中島の与藤次、松島玉つくり、小島の兵藤を先として、名字のさむらい七百余騎、其外都合つはものども、七千三百余騎と早着到を付る。仰々頃はいつなるらん、文治五年うる四月の二十七日、今日た日がらよからず、明日の辰の刻にむかうべしとさだめ、大田、山口、中村に、すでに陣取てひかへたり。仭も高館の御所へは、敵向ふよしを聞召し、侍たちを召さるるに、宵ひ迄は、侍八人、大将共に九人と聞へしが、つぐる日の御合戦に、侍九人、大将共に拾人の、

「カカリ」由来をくわしくたづぬるに、

「イ ロ」紀州熊野の住人鈴木の三郎重家有(ある)夜鈴木の女房に、かたりけるは、何某思ふ事ありて、此あかつきに奥州へ罷り下り候べし、心のままに罷り下り、君も目でとふましまさば、

「フ シ」明年の夏の頃、たよりの文をまへらせん、夏の頃しもすぎゆかば、浮世は不定のならい、道の草葉のつゆしもと、きへぬる世と思し召しあとをば、頼み奉る。いとも申してさらばとて、ぢたいが鈴木殿、熊野そだちの人なれば、山伏の姿に、様をかへ、笈とつて、かたにかけ、物うき竹のつへをつき、そのふしぶしに、よをこめて、藤城を立いでて、はやここのへに、つきにけり。人目しのぶのたびなれば、いつしか、はなの、みやこをば、かすみとともに、立いでて、大津の浦よりふねにのり、海津の浦にあがりつゝ、北国道の浮きなん所を下らせ給ひける程に、人にやどをからざれば、あるいは野にふし山に臥し、七十五日と申には、奥州衣川高館の御所に付にけり。

「コトバ」鈴木なんとか思ひけん、笈すずかけを、かたわらにとりかくし、笈の中よりも打かけを、とりいだし着るままに、十二ふかいたるあみ笠を、ふかぶかとひ(引)つか(込)うで、高館殿のていを、見奉るにふしぎや、紀州藤城にて、承り及し時は、ひばん当ばんそしょう人、さながらみうちにみちみちて、門外へは、駒の立てどもなきように、承り及びしが、是はなにとて、さびしく御座あるらん、ふしぎさよと思ひ、もんのからいしきに腰をかけ、みうちのていを、心しづかに聞いたる、仭ても高館の御所へは、敵向ふ由を聞し召し、侍たちをめさるゝに、いつもかわらぬ武蔵坊をさきとして、以上八人君の御前にかしこまる。判官御攪じて、いかにかたがたが、手にかけ、首をとつて、関東へ参せよ、くんかうけじょうにあづからば、奉公の忠には、後世をばとうてたべ、
いかに、いかにとおふせけれども、御べんじ申す者もなし、片岡亀井の六郎が、目と目をきつと見合て、こは口」おしき御定かな、てれあつて、此内にも、我君の御首を給り鎌倉え、こうさんの申すべきぞ、今迄落ぬ人々は、皆御供とこそぼすらん、さわいながら、此内にも、おちんと思ふ人のあらば、ひらいにいとまを申して落ちよ、たれもうらみはのこるまじと、座敷をきつと見渡せば、

「カカリ」吉武広縄一同に、

「フ シ」すずしく、申されたるものや、たれもかように申したき、御ぺんじにて候ぞや、おもうにかたきあかつきよすべし、大手からめてと、ふたてにわけぬ事あらじ、みかたはたとへ、むぜいなれど、両陳にむらがつて、いくさは花を散らすべし、まだほのぐらき、そう朝に、あれは大手是はからめて、なんどゝて、声をば聞くともすがたはみじ、我も人も心しづかに有事に、かみえ申して御酒給はり、さいごのなごりを、おしむべし、尤然るべしとて、種々の大平い大づつを、でんへ申しいだしつつ君も御出ましまして、
 女房達のお酌にて、かみえさかづきすはりければ、下は以上八人、三ごんの酒すぐれば、のちにはたがいに入れみだれて、思ひざし、思ひどり自酌自もりの楽あそび、舞つうとふつのむほどに、亀井が呑だるさかづきを、武蔵殿に思ひざし、立つてん舞をぞ舞にける。

「サ シ」靏菜山には千年ふる。
松の枝には靏すく、岩おがあたに亀あそぶ。

「コトバ」しほり三つがしら鴨の入れ首をひともみもうで、鴨の羽がへしをさつささいて、立廻る所に、門外を見てやれば、

「カカリ」太刀はきばさんだ男子の、

「フ シ」あみがさまぶかに、引かうだるが、からいしきに腰をかけ、亀井が舞を聞いたる。

「コトバ」亀井の六郎もたれなるらむと思ひしに、げにと思ひ世になれば、舞をば、すでに舞ひをさめ、酎に手かけていたりしが、かどなるおのこの声として、だいのこわねをさしあげ、のうのうみうちへ案内申し候らはんと、たからかによばわる。

「フ シ」なりをしづめて座敷には、

「コトバ」たれなるらんと関所に、西塔の武蔵此の声をききつけ、あれはかたきのやつばらが、案内けんみの其為に、

「カカリ」いつわりまなんできたりてそう。

「フ シ」なにさま朝のつかいをば。

「ツ メ」あますまじひというままゝに、袴のそばを高くとつて、長刀おつとり出むとす。亀井の六郎もつづいて座敷をづんど立、武蔵が袖をひつとどめのしづまり給へ武蔵殿。ふしぎや此声を、聞たる様に思ふとて、

「フ シ」武蔵をとどめて亀井、はしりいでて見てあれば、
舎兄鈴木の、三郎殿たびやつれにおもやせて、一人ここに立たまう。亀井夢ともわきまへず、するすると走りより、鈴木がたもとにとりつけば、兄も弟にとり付て、仭ていかにいかにとばかり也。はるかにありて鈴木殿、やなに事かある亀井、亀井此よし承り、その事にて候ぞや、君の御うんも我れらがうんも、いま此時につきはてて、明日をみぎりと早なりぬ、夫をいかにと申すに、秀衡浮世に有りし程は、君をもたつとみ申せしが、ういむ常の習とて、秀衡こぞの冬、はかなくなりて候ぞや、其子供我君に、心潜りを仕り鎌倉よりの見みには、長崎の四郎殿を申し下したまはりて、仭国の大将に照井だてが向ひつゝ、太田山口中村に陣取て、あると聞てそ、などやかほどに御身の、思召し立ならば、弐年も三年もさきにおくだりましまして、一たんらくを、したまいて、思ひいでと思召あるべきに、なんぞつめたる御運かは、今日下り、給ふこそ、よろこびの中のなげきなれ、今生にて、見みえ申こそ、なによりもつて、うれしう候へ、浮世のもうしうはれあり、かみにもしろしめさるまじ、とがめあやしむ者あらじ、おちこち人の風情にて、おかへりあれや、鈴木殿。

「ツ メ」鈴木此由打聞いて、ふかくなり亀井じょうもんげんじょうの、どにほねはうづむとも、なをばうづむか、ふかくさよ、師弟主従父子、夫婦、三世のきへんのなくしては、なんしに今日㏕べき、鈴木が参へりて候と、かみへ申せ、亀井とて、わらんづぬぎ捨、上にきたる打かけぬいで、ふはあと捨、おとといつれて判官の御前をさしてぞ参りける。

高館(上)を終わります。

高館について







みやまいいまち会  クリックして見て下さい。

 「③みやま市の直近ニュースと出来事など(平成28年2月上旬)」

「ぶらぶら♪みやま(みやま市観光情報誌平成28年2~4月号)」 「②みやまの直近ニュースと出来事(平成28年1月下旬)」 

   
みやま市観光協会公式WEB

梅野家歴史資料館  みやま市瀬高町大草女山932

梅野家庭園    4月  5月  新緑  6月  11月 梅野家の紅葉   季節を楽しんで下さい。

梅野家歴史2(傘寿を迎えて・梅野茂芳著者)・千寿の楽しい歴史   白蓮さんの写真が載っています。


梅野家歴史資料館(有明新報・平成27年1月16日号掲載)

女山史跡森林公園は史跡と紅葉の穴場。

梅野家の庭園(有明新報掲載・平成27年1月15日号)

青輝園   御座敷梅ユリ展

青輝園の御座敷ユリ展・平成27年7月5日撮影分

青輝園のユリをTNCが取材する・千寿の楽しい歴史

by kusennjyu | 2016-02-16 21:10 | みやま市の文化財 | Comments(0) |Topに戻る
2016幸若舞 敦盛奉納・千寿の楽しい歴史
幸若舞 敦盛(あつもり)

平成28年1月20日   大江八幡宮奉納

鼓方:松尾正巳  太夫:松尾拓尚  シテ:松尾素直  ワキ:松尾健志

a0137997_2094100.jpg



a0137997_2093382.jpg



a0137997_2095293.jpg



a0137997_20101233.jpg



a0137997_20103040.jpg



a0137997_2010494.jpg



a0137997_2011851.jpg



a0137997_20112684.jpg



a0137997_2011507.jpg



敦盛

「コトバ」送りの者申す。是は御使いの身にて候、急ぎ御死骸を御座船にお移しあれと申す。基国開いて、げにげに思いに応じて候とて、敦盛の御死骸を我が船にお移し申し、大船に漕ぎ寄せ、この由かくと申し上る。
門脇殿も恒盛も、なに敦盛が討たれたると申すか、さん候と申す。

「カカリ」ああら不思議や敦盛は、

「イロ」一門の船に乗り、阿波の鳴戸にあるよしを、風の便りに聞きし程は、いかばかりうれしかりつるに、熊谷が手にかかり

「フシ」さては討たれてありけるかと、涙ながらに出で給う。女房達にとりては、女院のはじめ奉り、むねとの女官百六十人 裳袴のそばを取り、皆船端に立ち出でて 是は夢かやうつつかと、一度にわっと叫ばれしを、物によくよくたとうれば、これやこの釈尊の御入滅の二月や、十代御弟子 十六羅漢、五十二類に到るまで、別れの道のお嘆き、かくやと思いしられたり。

「イロ」 ああらいたわしや父恒盛は、落る涙のひまよりも、ああらむざんや敦盛、一の谷を出し時 故郷の方を見送り 心細げに立ったりしが いさめばやと思いああら不覚なりとよ敦盛よ

「フシ」 三代槐門の家を離れ 骸を野山に埋み 名を万天の雲居に上るべき身が

「イロ」 郎党の見る目をも恥よかしと言うてあれば さらぬ体にて渚まで下りしが笛を忘れて候とて、取りに帰りし其の時 ともに帰らんと思いつれども 敵味方におしへだてられ、又二日とも見ざりしなり、情けある熊谷にて

「フシ」 形見にこれまで送りたり、むなしき死骸この形見 今日は見つつ 明日より後の恋しさを誰に語りてなぐさまん のう人々と の給いつつ もだへこがれ給いけり、平家方の 人々は今 一入の涙なり

「コトバ」 其の後熊谷がおくりたる状を召し出され 大将なればこの状を もし義経ばし送られけるか。使いは是非をわきまえず、ただ門脇殿へとばかり申す。とても伊賀の平内左衛門へと書いたる状にてあるあいだ 家長文をつかまつれ

「カカリ」 承り候とて

「サシ」 船のせがいにひざまづき 状をたまわりさしあげ 高らかにこそ読うだりけれ

「コトバ」直実謹んで申す 不慮にこの君と参会し奉し間 直に勝負を決せんと浴する刻、俄に怨敵の思いを応じ かえって武芸の勇消へ あまつさえは守護を加え奉る処に 多勢一同競い来たって 東西にこれは居る かれは多勢 これは無勢はむかいかえって張良が芸を慎む、たまたま真実は 生を弓馬の家に生まれ 巧みを洛城にめぐらし 命を同す 陣頭が夕べ 瀬々万々に及んで 自他かくの面目を施せり、さても此のたび、悲しきかなや此の君と直実、深く逆縁を結び奉るところ、嘆かなしきかな つたなきかな、この悪縁を翻すものならば、永く生死の絆を離れ 一つ蓮の縁とならんや 閑居の地所をしめつつ 御菩提を懇に弔い申すべき事 誠偽り後聞隠れなく候 この趣をもって 御一門の御中へ 御披露あるべく候、よって恐惶 慎しゅんで申す、元暦元年二月七日 武蔵の国の住人、熊谷次郎直実進上、門脇殿の御内なる 伊賀の

「カカリ」平内左衛門尉殿へと読うだりけり、

「イロ」御一門雲客郷相同音に

「フ シ」「あっ」と感じ 給いげにや、熊谷は 遠国にては、阿傍羅紗、夷なんどと伝えしが、情けは深かりけるぞや

「コトバ」文章の達者さよ、筆勢のいつくしさよ、かほどやさしき兵に返状なくしてはかのうまじと、大臣殿の返状を経盛の自筆にてあそばしたぶ、使は文を給り、急ぎ一の谷に漕ぎもどり、熊谷殿に見せ奉る、熊谷いかにして、弓矢の冥加なくしては、経盛の御自筆を拝み申さんと、三度いたゞき、ひらいて拝見つかまつる

「カカリ」その御書にいわく、

「イ ロ」敦盛が死骸ならびに遺物給りをわんぬ、この度花洛を打ち立ちしよりこの方、なんぞ再び思いかえす事のあらんや、盛んなる者の衰ろうるは無常のならい、会える者に別るゝ事えどのならい、釈尊羅□羅、天の一子の別にあらずや、いわんや凡夫をや、去んぬ七日に打ったちしよりこの方、つばめ来って語らえどその姿を見ず、帰雁つばさを連ね空におとずれ通るといえどその声は聞かず

「コトバ」されば彼の遺跡の聞かまぼしきによって

「詞 状」天に仰ぎ地に伏しこれを祈る、神明の納受佛陀の感応をまつ所によって、七日が中にこれを見る内には信心をいたし外には感涙袖をひたすによって生れ来たれるに会えり、喜楽の芳意なくしてはいかゞその姿を再び見ん、すみすこぶる須弥のいたゞきひきうつして、滄海かえって浅し、すゝんで是を報ぜんとすれば、過去遠々たり、退きこたえんとすれば未来ようようたる物か、万端多しといえど筆紙につくしがたし、これは武蔵の熊谷に返し状とぞ読うだりける、去る程に熊谷よくよく見てあれば

「カカリ」菩提の心ぞおこりける

「イ ロ」今月十六日に讃岐の八嶋を攻めらるべしと聞いてあり、我れも人も憂き世にながらえて、かゝる物憂き目にも又直実や会わんずらめ

「フ シ」思えばこの世は常のすみかにあらず、草葉のおく白露、水に宿る月よりなおあやし、金谷に花を詠じ、栄花は先立って無常の風に誘はるゝ、南楼の月をもてあそぶ輩も、月に先だって有為の雲にかくれり

「ツ メ」人間五十年、けてんの中をくらぶれば、夢まぼろしの如くない、一度生を受け滅っせぬ者の有るべきか、これを菩提のたねと思い定めざらんは口惜しかりし次第ぞと思いさだめ、急ぎ都に上りつゝ、敦盛の御首を見ればものうさに、獄門よりも盗みとり、わが宿に帰り、御僧を供養し、無常の煙となし申し、御骨をおっとり首に掛け昨日までも今日までも、人に弱げを見せじと、力を添えし白真弓、今は何かせんとて三つに切り折り三本の卒塔婆と定め、浄土の橋に渡し、宿を出でて東山、黒谷に住み給う、法然上人を師匠に奉り、もっとい切り西へなげ、その名をひき変えて、蓮生坊と申す、花の袂の墨染めの十市の里の墨衣、今きてみるぞよしなき、かくなる事も誰故、風にはもろき露の身と

「フ シ」消にし人のためならば、うらみは更に思はれず


この幕終わり。





みやまいいまち会  クリックして見て下さい。

 「ぶらぶら♪みやま(みやま市観光情報誌平成28年2~4月号)」

「②みやまの直近ニュースと出来事(平成28年1月下旬)」 「①みやまいいまち会の活動報告(平成28年1月)」

   
みやま市観光協会公式WEB

梅野家歴史資料館  みやま市瀬高町大草女山932

梅野家庭園    4月  5月  新緑  6月  11月 梅野家の紅葉   季節を楽しんで下さい。

梅野家歴史2(傘寿を迎えて・梅野茂芳著者)・千寿の楽しい歴史   白蓮さんの写真が載っています。


梅野家歴史資料館(有明新報・平成27年1月16日号掲載)

女山史跡森林公園は史跡と紅葉の穴場。

梅野家の庭園(有明新報掲載・平成27年1月15日号)

青輝園   御座敷梅ユリ展

青輝園の御座敷ユリ展・平成27年7月5日撮影分

青輝園のユリをTNCが取材する・千寿の楽しい歴史

by kusennjyu | 2016-02-14 20:13 | みやま市の文化財 | Comments(0) |Topに戻る