千寿の楽しい歴史
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カテゴリ:豊後街道( 5 )
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豊後街道3(千寿の楽しい歴史)
豊後街道3   10月29日

三里木跡碑と杉並木

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大津宿(日吉神社古宮跡と大津山廣済寺)

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加藤公道公園

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新道横に並行して残る旧豊後街道

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二重峠(7里木を過ぎる)ここから内牧宿へ下る。

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二重峠からは車両進入禁止である。次は内牧宿から二重峠への道を探します。
by kusennjyu | 2010-10-30 21:44 | 豊後街道 | Comments(0) |Topに戻る
大津宿(日吉神社)千寿の楽しい歴史
大津宿(日吉神社)   10月29日

鳥居と神社

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神猿(左と右)

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「 神猿」と書いて「まさる」と読む。
「まさる」は「魔が去る」または「勝る」の意であり、厄除け、魔よけ、守護に利益があるとされる。

山王さんと山王神猿

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御神燈と御神木(夫婦楠)

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神の紋は神の門。
by kusennjyu | 2010-10-30 21:08 | 豊後街道 | Comments(0) |Topに戻る
大津宿(塘町筋)千寿の楽しい歴史
大津宿(塘町筋)   10月29日   晴れ

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a0137997_1956792.jpgクリックすると拡大します。

塘町筋(とうまちすじ)

寛永の頃に熊本藩主細川忠利公により堀川(瀬田上井手)の開削工事が再開された際、工事の排土により築かれた川塘の上に建てられた町並みが塘町筋です。

ここは豊後街道に面しており、宿場形成のために一部白川筋の住民を移住させるなど、当時政策的に作られた町でした。

旅籠・商家などが軒を連ねて宿駅大津の中心地となりました。
堀川の北側に並ぶ光尊寺・年禰神社・大願寺は何れも新住民の定着を願って建立されたものです。

また、堀川には上流から
    地蔵橋(大林出分)   文政11(1828)年
    光尊寺橋         文化12(1815)年
    松古閑橋         安永8(1779)年 
    大願寺橋         江戸中期
    井手上橋(塔の迫橋)  文化14(1817)年
の5基の石造眼鏡橋があり、うち4基がこの町筋にあります。

さらに、西南戦争の弾痕の残る大願寺山門や芭蕉百年忌に建立された芭蕉の句碑など、往時を偲ばせる史跡が多く、ここは歴史の香りのする町並です。

     「鳶のいる花の賎やとよあかさむ  はせを翁」
               『芭蕉句碑』より  平成18年3月1日

              大津町教育委員会

上井手川筋

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眼鏡橋 光尊寺橋(左)

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昔を偲ばせる商家

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東と西の地蔵尊

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光尊寺(左)と大願寺(西)

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by kusennjyu | 2010-10-30 20:37 | 豊後街道 | Comments(0) |Topに戻る
2010豊後街道2(千寿の楽しい歴史)
豊後街道2

イラスト3(境の松~今市)

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豊後領へ(大分県では肥後街道となる。)

慶長6(1602)年、加藤清正は、徳川家康から関ヶ原の恩賞として、小西行長の旧領をあてがわれ、肥後一国の大名になった。その時、天草郡の領土を断り、久住・野津原・鶴崎など23000石を頂戴し、豊後の国に参勤交代の道路を確保した。

瀬戸内海に向けた海の玄関口である鶴崎への通路を確保した。

(境の松)→三本松→米賀の石橋→白丹(しらに)→神馬の眼鏡橋→

十八里木

久住宿第三日目

参勤交代では、内牧から久住までの八里を一日で駆け抜けたというから、家来にとっては一番疲れる旅路であった。

久住は昔から交通の要所であった。

北へ小国街道、南へ竹田街道、そして東西へ豊後街道が走っている。

街道をつなぐ石橋  田町川橋・七里川橋・境川橋

久住宿→七里川橋→境川眼鏡橋→ロードパーク→古屋敷→四つ口→追分(竹田城への分かれ道)→

神堤(二十里)→長湯→丸山八幡宮→今市宿

イラスト4(今市~鶴崎)

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今市→堪水→矢貫石橋→伊塚の石畳→二十六里

野津原宿 第四日目

野津原→七瀬川渡し→胡麻鶴橋→大分川土手→乙津橋→

鶴崎宿 第五日目→鶴崎御茶屋跡→剣八幡宮→

三十一里→堀川公園(船付き場跡)

この港を出て、海上128里、さらに東海道を132里を経て江戸へ向かった。

 
by kusennjyu | 2010-09-02 17:36 | 豊後街道 | Comments(0) |Topに戻る
豊後街道1(千寿の楽しい歴史)
豊後街道1

豊後街道は、横切った所はあるが、通ったことはない。今回は資料に基づき簡単な説明だけにします。

豊後街道イラスト(熊本~鶴崎)  

豊後街道は、加藤清正が造った本格的な街道です。

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イラスト1(札の辻~二重峠)

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札の辻→法華坂→新堀橋→京町口(豊前街道と分かれる)→観音坂→内坪井→観音橋→

地蔵堂→小泉八雲旧宅→立田口赤鳥居→浄行寺→

子飼(商店街)→一夜塘→熊本大学→桜山人神社→

一里木→小磧橋→竜田口駅→三宮神社→(旧陣内村)→

二里木→武蔵塚→杉並木→三宮神社→(旧弓削村)→

三里木→(旧津久礼村)→杉並木→頼山陽の碑→

原水→(旧南方村)→四里木

菊陽→大津→大願寺→大津宿(1日目)

御茶屋(日吉神社)・手永会所跡→高札場跡(鶴口橋)

大津街道の杉並木

菊陽町は清正公によって植えられた杉並木が続く。並木道の幅は、30~40mにも及び、熊本市の子飼から大津町の約15Kmにわたっている。
現在は、県道と鉄道とがその中を並んで通る。

イラスト2(二重峠~久住)

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大津宿→(国道39号線)→清正公道→新小屋→六里木

→ミルクロード→七里木→二重峠の石畳

(難所)→坂の下→八里木→的石(御茶屋)→産神社→九里木→崇城大学阿蘇研修所→御前水→

十里木内牧宿(第2日目)

内牧宿→十一里木→道尻→役犬原→塩塚→

十二里木→古神→坂梨(宿場)→

十三里木→滝室坂(難所)→

十四里木→道の駅波野→笹倉→

十五里木→茶沸場跡→(産山村)→壁谷の道標→

大利の石畳・弁天坂(難所)一里山(十六里木)境の松の石畳(難所)→豊後へ。

坂梨宿場

坂梨の通りには、50軒以上の宿屋、酒造業、呉服屋、問屋、医者など屋号を持つ家が並んでおり、明治初年には

桝屋(問屋)、山城屋(旅人宿)、富永屋(造酒屋)などの屋号を持つ家があった。

江戸時代、ここには番所があり街道を行く旅人を厳しく取り締まった。

その中には明治10(1877)年、西南戦争の時、西郷隆盛率いる薩軍の本部になった造酒屋もあった。

坂梨手永会所跡は下町の天神橋の一つ手前を南に入ったところ一帯にあった。

豊後街道の最大の難所、滝室坂

平成元年から6年にかけて復元された歴史の道・滝室坂の石畳。

この坂は豊後街道最大の難所である。

江戸時代に参勤交代で利用された滝室坂は、高低差が200m、距離にすると3kmにおよぶ急な坂。

行列は坂梨御茶屋で一度休息を取り、覚悟を決めて一気に坂を登ったという。
by kusennjyu | 2010-09-02 09:28 | 豊後街道 | Comments(0) |Topに戻る