千寿の楽しい歴史
kusennjyu.exblog.jp
ブログトップ
カテゴリ:肥後街道( 17 )
|Topに戻る
2011藩境のまち・肥後街道宿場を歩く(榎津1)・千寿の楽しい歴史
藩境のまち・肥後街道宿場を歩く(榎津1)    

説明を入れて再度投稿しています。

画像がでないのがあったと思います。お詫びします。   前の分は削除します。

高橋家住宅

a0137997_4112424.jpga0137997_412215.jpg


上の写真はクリックすると拡大します。

店の玄関と中に掲示された製造工程の説明板

a0137997_4132068.jpga0137997_4133750.jpg


劇風人形の展示品など

a0137997_414888.jpga0137997_4143192.jpg


a0137997_415098.jpga0137997_4151772.jpg


a0137997_4154186.jpga0137997_4155848.jpg


a0137997_416306.jpga0137997_4164520.jpg


a0137997_417111.jpga0137997_4172391.jpg


a0137997_4175518.jpga0137997_418871.jpg


貴重な書類の展示(画像が拡大します。)

a0137997_4193416.jpga0137997_4201458.jpg


a0137997_4243796.jpga0137997_4251760.jpg


a0137997_4261562.jpga0137997_4265034.jpg


試飲会場に張られていた幕

a0137997_4312481.jpga0137997_4313627.jpg


庄分の雫と甕での貯蔵

a0137997_4282253.jpga0137997_4285299.jpg


庄分の雫(しずく)とは、今から9年前に庄分酢の有機玄米黒酢を甕仕込みにより仕込んだことに始まります。

当時、有機認証を立ちあげたばかりで、様々な困難の中、仕込が行われたのです。

今回、その酢もろみ(9年という永い年月に渉り熟成させたもの)を特別に雫という形でお客様に紹介することが出来ました。

いわば、9年物の雫ということです。



現在はホーロで貯蔵されています。左はホーロの中の麹で2・3ケ月で酢になります。

a0137997_43439.jpga0137997_4341792.jpg


酢が出来るまでの説明です。

a0137997_4352593.jpga0137997_4354193.jpg


製造工場の中に掲示されていた説明板(RKB放送記念のもののようです。)

a0137997_4362527.jpga0137997_4364242.jpg


麹と圧縮機  麹はみやま市瀬高町上庄の椛島麹店へ注文しています。

a0137997_437279.jpga0137997_4374180.jpg


説明は 榎津町1 平成22年9月4日分の高橋家住宅へ  リンクして読んで下さい。

















by kusennjyu | 2011-05-04 04:40 | 肥後街道 | Comments(0) |Topに戻る
藩境のまち・肥後街道宿場を歩く(榎津2)・千寿の楽しい歴史
藩境のまち・肥後街道宿場を歩く(榎津2)    4月23日   快晴

光福寺(地獄図)

a0137997_19581283.jpga0137997_2004645.jpg


a0137997_201877.jpga0137997_2012310.jpg


a0137997_2033762.jpga0137997_2035752.jpg


正覚院(閻魔大王)

a0137997_2045350.jpga0137997_2051393.jpg


a0137997_2055644.jpga0137997_2061021.jpg


a0137997_2063840.jpga0137997_2065129.jpg


a0137997_2071892.jpga0137997_2073278.jpg


a0137997_2075856.jpga0137997_2081041.jpg


左~八坂神社   右~料亭 宮國(古賀政男の結婚披露宴が行われた)

a0137997_20144140.jpga0137997_2014541.jpg


藩境のまつづくり考える会(活動内容の紹介)

a0137997_20182056.jpga0137997_20183216.jpg


a0137997_2019151.jpga0137997_20192840.jpg


a0137997_202005.jpga0137997_20203914.jpg


上のかわら版の5号と6号はクリックすると拡大します。

左~工房えのした(手づくり桐下駄)   右~森田うるし屋(小保町分の写真)

a0137997_20231634.jpga0137997_2024333.jpg


願蓮寺

a0137997_20255128.jpga0137997_20263039.jpg


左上の写真をクリックすると拡大します。

a0137997_20283744.jpga0137997_20285056.jpg


左上の写真は田ノ上嘉作の墓です。

a0137997_20292414.jpga0137997_20293816.jpg


a0137997_20301135.jpga0137997_2030395.jpg


上は大川木工の祖 榎津久米之助像と説明板です。左上の写真をクリックすると拡大します。

説明は  榎津町1  平成22年9月4日分   田ノ上嘉作の説明へリンクします。   

説明は  榎津町2  平成22年9月4日分   木下陶器と中村紙店の説明へリンクします。



 



by kusennjyu | 2011-05-03 20:31 | 肥後街道 | Comments(0) |Topに戻る
藩境のまち・肥後街道宿場を歩く(小保5)・千寿の楽しい歴史
藩境のまち・肥後街道宿場を歩く(小保5)   4月23日   快晴

旧吉原家住宅資料館

普段は閉まっていて見れません。行事があっているから見れる貴重な写真です。

a0137997_365768.jpga0137997_373995.jpg


a0137997_395868.jpga0137997_3103878.jpg


a0137997_3111542.jpga0137997_3114828.jpg


a0137997_3123064.jpg



上の6枚の写真はクリックすると拡大します。 榎津・小保地区の住宅の地図などです。

衣装(旧吉原家のもの)

a0137997_3164098.jpga0137997_3165243.jpg


a0137997_3171783.jpga0137997_318370.jpg


左~木の馬(乗馬の練習をしたもの)   右~資料館内の構造

a0137997_3183485.jpga0137997_319041.jpg


大川市文化財マップ

a0137997_320274.jpga0137997_320347.jpg


上の写真はクリックすると拡大します。

旧吉原家住宅資料館

旧吉原家住宅資料館及び収蔵庫はもともと吉原家の土蔵(2棟)であったもので、棟札によると、明治21(1888)年に吉原家24代当主吉原正左衛門氏が土蔵A(収蔵庫)を建築し、ついで14年後、明治35(1902)年吉原家25代当主吉原正三氏が土蔵B(資料館)を建築したものです。

これらの土蔵はいずれも小保町棟梁、黒田多吉によるものです。

                 大川市指定文化財   旧吉原家土蔵2棟
                 指定年月日   平成9年9月19日指定

土蔵A  構造形式  土蔵造:本瓦葺  桁行:9.850m  梁間:5.000m

土蔵B  構造形式  土蔵造:本瓦葺  桁行:10.835m  梁間:5.910m

当資料館及び収蔵庫の建設にあたっては、自治省の地域文化財保全事業として、平成10年度に工事を行い、平成11年5月1日に開館しました。

当館では、小保・榎津地区に広がる伝統的な町並みについて展示しています。

町並みの起源から成立、町並み及び建造物の特色等をわかりやすく学べるようにしてあり、文化財愛護意識の高揚及び生涯学習の場として、活用していあただきたいと存じます。

また、ご来館の後は郷土の貴重な文化遺産である小保・榎津地区の町並みを散策していただきたいと思います。

              大川市教育委員会

吉原睦家  藩境石があります。

a0137997_3221033.jpga0137997_3223229.jpg


右上の写真はクリックすると拡大します。

a0137997_324420.jpga0137997_3242449.jpg


藩境石

文化13(1816)年4月に榎津・小保の「藩境争い」が勃発した。

血で血を洗う藩境争いのその後、現在の榎津本町 中村商店前に建立した藩境石の原型となった藩境石だといわれている。

明治維新後、廃藩置県の際に現場に倒置されていたものを吉原家で保存・修復した石碑である。

何故、当家の敷地内にあるかは、小保の七不思議に数えられている。(普段は見られません。)

是より南、柳川領(左側)

是より東七間二尺五寸柳川領(正面)


と記されたものです。

屋敷内のシャクナゲ

a0137997_3252728.jpga0137997_3254676.jpg


絵手紙展と庭のボタン

a0137997_3275718.jpga0137997_3281048.jpg


a0137997_3285117.jpga0137997_329455.jpg


次回は久留米領の榎津を紹介します。   ご期待下さい。
by kusennjyu | 2011-05-02 03:33 | 肥後街道 | Comments(0) |Topに戻る
藩境のまち・肥後街道宿場を歩く(小保4)・千寿の楽しい歴史
藩境のまち・肥後街道宿場を歩く(小保4)   4月23日   快晴

旧吉原家住宅   国指定重要文化財

a0137997_518472.jpga0137997_5182487.jpg


右上の写真はクリックすると拡大します。

外からの風景

a0137997_5201053.jpga0137997_5202225.jpg


a0137997_5204854.jpga0137997_521383.jpg


a0137997_5212887.jpga0137997_52235.jpg


a0137997_5231067.jpga0137997_5232578.jpg


住宅内の風景

a0137997_5253121.jpga0137997_5261224.jpg


上の写真はクリックすると拡大します。

a0137997_5281195.jpga0137997_5283057.jpg


調度品展示  大川職人の技です。

a0137997_5291484.jpga0137997_5292931.jpg


a0137997_5301924.jpga0137997_5303434.jpg


a0137997_531394.jpga0137997_5311566.jpg


家族部屋の調度品など

a0137997_5334349.jpga0137997_53359100.jpg


a0137997_5343674.jpga0137997_5345051.jpg


a0137997_535219.jpga0137997_5353420.jpg


a0137997_536695.jpga0137997_5361983.jpg


大川職人の技の作品展示

a0137997_5371971.jpga0137997_5373379.jpg


a0137997_5382129.jpga0137997_5383582.jpg


a0137997_5391018.jpga0137997_5392526.jpg


a0137997_5395753.jpga0137997_5401492.jpg


肥後街道 平成23年3月12日分の 旧吉原家住宅(お雛さん展示など)へ  リンクします。

旧吉原家の説明は次の2つをクリックしてリンクして読んで下さい。

肥後街道(旧吉原家住宅1) 平成22年9月4日分  主に客間の説明です。

肥後街道(旧吉原家住宅2) 平成22年9月4日分  主に家族間の説明です。

次回は旧吉原家住宅資料館・吉原睦けなどの紹介をします。  ご期待下さい。
by kusennjyu | 2011-04-30 05:40 | 肥後街道 | Comments(0) |Topに戻る
藩境のまち・肥後街道宿場を歩く(小保3)・千寿の楽しい歴史
藩境のまち・肥後街道宿場を歩く(小保3)   4月23日   快晴

緒方家住宅  大川樟風高校生の書道展示

a0137997_8402958.jpg



a0137997_8414536.jpga0137997_841564.jpg


a0137997_8421785.jpga0137997_8422745.jpg


a0137997_8431846.jpga0137997_843526.jpg


上の写真はクリックすると拡大します。

肥後街道図

a0137997_9431840.jpga0137997_9455357.jpg


上の写真はクリックすると拡大します。


小保宿の屋根十景

a0137997_84888.jpg



森田道雄家  うるし家

a0137997_9491827.jpga0137997_9494534.jpg


左上の写真はクリックすると拡大します。

a0137997_9503369.jpga0137997_9504484.jpg


光楽寺

a0137997_953459.jpga0137997_9533178.jpg


右上の写真は光楽寺境内で出店があったものです。

光楽寺本堂と高僧伝

a0137997_1025714.jpga0137997_103990.jpg



左上写真はクリックすると拡大します。

光楽寺本堂の天井絵(北島勝永作)

a0137997_9575238.jpga0137997_9582571.jpg


a0137997_9591080.jpga0137997_9594052.jpg


a0137997_1001272.jpga0137997_1004282.jpg


上の6枚の写真は拡大して楽しんで下さい。


緒方家住宅と光楽寺の説明は  小保町4 平成22年9月4日分へ リンクして見て下さい。

次回は国指定重要文化財の旧吉原家住宅などを紹介します。   ご期待下さい。
by kusennjyu | 2011-04-29 08:48 | 肥後街道 | Comments(0) |Topに戻る
藩境のまち・肥後街道宿場を歩く(小保2)・千寿の楽しい歴史
藩境のまち・肥後街道宿場を歩く(小保2)    4月23日   快晴

東正行宅 吉原義朗宅の向かい側建物です。 

船道具を製造していた。 説明は下をリンクして読んで下さい。

吉原義朗宅の玄関・東側(普段は門が閉まっています。)

a0137997_3161945.jpg



下~吉原義朗宅・築250年、酒・傘屋を営んでいた。

a0137997_3181918.jpga0137997_3183139.jpg


a0137997_3241636.jpga0137997_3242986.jpg


吉原義朗宅の版画

a0137997_3263018.jpga0137997_3264237.jpg


a0137997_3272382.jpga0137997_3273280.jpg


左~大川の昔と今   右~かわら版 (何れも吉原義朗宅保存分)

a0137997_3294589.jpga0137997_3355212.jpg


上の写真をクリックすると拡大します。

吉原義朗宅前の宿場町案内

a0137997_3324425.jpga0137997_3325423.jpg


説明文は  小保町3 平成22年9月4日分へ  リンクして読んで下さい。

次回は緒方家住宅と光楽寺本道の北島勝永策の天井板絵を紹介します。

見ごたえがありますよ。ご期待下さい。
by kusennjyu | 2011-04-28 03:33 | 肥後街道 | Comments(0) |Topに戻る
藩境のまち・肥後街道宿場を歩く(小保1)・千寿の楽しい歴史
藩境のまち・肥後街道宿場を歩く(小保1)     イベント  4月23日  快晴

浄福寺楼門前

a0137997_17284449.jpga0137997_20444851.jpg


上の右の写真はクリックすると拡大します。

浄福寺前の花

a0137997_20485340.jpga0137997_2049424.jpg


a0137997_20494916.jpga0137997_2050029.jpg


御境石

a0137997_17305764.jpga0137997_1731858.jpg


小保天満宮

a0137997_20462784.jpga0137997_17324333.jpg


上の左の写真はクリックすると拡大します。

宮崎建具

a0137997_20474592.jpga0137997_1734405.jpg


上の左の写真はクリックすると拡大します。

浄福寺・御境石・小保八幡宮の説明文は次をリンクして読んで下さい。

肥後街道  平成23年3月12日分

小保町1  平成22年9月4日分

法泉寺

a0137997_17454711.jpga0137997_17455964.jpg


説明文は 小保町2 平成22年9月4日分へ  リンクして読んで下さい。

          次回は吉原義朗宅から紹介します。
by kusennjyu | 2011-04-27 17:34 | 肥後街道 | Comments(0) |Topに戻る
藩境のまち・肥後街道宿場を歩く・千寿の楽しい歴史
藩境のまち・肥後街道宿場を歩く   4月23日(土)   快晴

a0137997_1263697.jpg



御境江湖は、かっては川幅二間あった。

今も息づく江戸肥後街道の  小保・榎津の町並み

榎津・小保は、筑後川河口の左岸に位置し、対岸佐賀県の諸富と結ぶ渡船場や港町として発達して町である。

また、小保町は、柳川城下と結ぶ肥後街道沿いの宿場町であり、馬10匹が常備されていた。

江戸時代、榎津が久留米領、小保が柳川領と町並みが二分し、御境石(おさかいいし)と御境江湖(おさかいえご)(堀割)を藩境とし、これに沿い、歴史的な町並みが形成されている。

御境石は、29本の石柱が東西に並び、文化9(1812)年、この地を測量した伊能忠敬の日記にも記述されている。

この一角は、久留米領と柳川領の街路が交差し、”榎津町札の辻”または”出口”とも称し高札場(こうさつば)でもあった。

これより榎津本町から庄分(しょうぶん)の通りに、中村屋、木下屋、願連寺、市指定文化財の高橋家がある。

一方、小保の通りには、東家、浄福寺(じょうふくじ)、八幡宮、法和寺(ほうせんじ)、東正行寺、吉原義朗家、光楽寺(こうらくじ)、緒方家、国指定重要文化財の旧吉原家住宅がある。


これ等の伝統的建造物の前には、それぞれの説明文が掲示されている。

福岡県下でも江戸期の町並みが面々として遺っているのは、榎津と小保だけであり、その形成過程や、建造物の構造・特色などは、旧吉原家資料館に展示された資料やビデオで具体的に知ることが出来る。

大川市文化財専門委員  石橋泰助(パンフレットより。)

肥後街道かわら版  文化9年10月12日

伊能忠敬測量隊、大川に来る!

a0137997_11544556.jpg



次回から、小保と榎津について写真と説明文で紹介します。
by kusennjyu | 2011-04-27 11:57 | 肥後街道 | Comments(0) |Topに戻る
肥後街道(榎津・小保~柳川)・千寿の楽しい歴史
肥後街道(榎津・小保~柳川)    3月12日

榎津の札の辻(大川市榎津)   久留米藩領

慶長6(1601)年、筑後国主田中吉政は、重臣(寄合衆)の榎津加賀右衛門(3250石)を榎津城の城代としました。元和元(1615)年の「一国一城令」で榎津城は廃城。

元和6(1620)年、有馬豊氏が久留米藩に入封すると、筑後国水運の拠点および肥前と筑後の国境、久留米と柳川との藩境の要所として久留米藩領の榎津町には榎津番所・遠見所、さらに札の辻・高札場が置かれました。

榎津町は、筑後川河畔にあり、若津港とともに久留米藩や天領日田の米を長崎や大坂へ回送する港として町場を形成し、早くから造船が盛んでした。

宝永3(1706)年には町数16町36間(1.8km)、竈数462、人数2141人、馬25匹、船数220艘。

嘉永7(1854)年は船大工10人、大工41人、桶師9人で、榎津町の特に庄分で木造船が盛んに造られました。

庄分の船倉には二見屋・五島屋・肥後屋・薩摩屋・岩田屋など約10軒の造船家がいました。

船大工の技術は、大川の指物に生かされて行きました。当町には別当が置かれ、浦役・船役も課せられていました。

藩境の石列(大川市小保)

a0137997_422167.jpga0137997_4221461.jpg


この石列は、藩境石と言い伝えられています。江戸時代の小保地区は、久留米藩と柳川藩の藩境に位置し、宿場や港町として栄えていました。現在も当時を偲ばせる建物が残っています。

平成2年11月にこの石列の発掘調査を実施しました。
現在、石列は28本残っていますが、調査の結果、本来は29本であったことがわかりました。

石柱は、石質や大きさが異なっていますが、同じ間隔で、2箇所に穴があけられています。
この穴には横木が通されていたと思われます。

石列が作られた年代は、はっきりとしませんが文化8(1812)年測量のため、この地に立ち寄った伊能忠敬の測量日記に「右八幡宮・左側久留米柳川境石」と書いてあります。

この他、宝暦9(1759)年の「小保町絵図」の中に描かれており、18世紀中頃には石列があったことがわかります。

      大川市教育委員会

小保宿(大川市小保)

立花柳川藩領の小保町では、柳川城下札の辻から1里23間(約6km)で、人馬継所(馬10匹)がありました。

小保町には、海へ出入する船を改める小保番所が設けられ、大潮の時は300石船が出入できました。

また肥前国への渡場として筑後川河口域に小保津口番所がありました。肥前寺井村(現佐賀市諸富町大字寺井津)まで15町20間(約1.7km)、大潮の時には100石船が出来ましたが、干潮時には干潟に船を置きました。また、遠見番所も置かれました。

江戸時代後期の家数は150軒、人数1012人でした。

吉原家住宅(大川市小保)

玄関

a0137997_456684.jpga0137997_4561958.jpg


廊下

a0137997_4571539.jpga0137997_4572995.jpg


御成門と家紋入り鬼瓦

a0137997_4585424.jpga0137997_459622.jpg


吉原家雛飾り

a0137997_50771.jpga0137997_501968.jpg


a0137997_5106.jpga0137997_511469.jpg


浄福寺と山門の石柱

a0137997_592179.jpga0137997_51024100.jpg


浄福寺の山門

寺の正門を山門という。ここ浄福寺の山号を地名をとって小保山といい、境内に略縁起を刻んだ石碑が建っている。

それによれば、天正年間(1573~)の頃までは、津村城主津村秀門の祈願寺・天台宗小保山受信寺と称していたが、二世了世のとき本願寺に帰属して小保山浄福寺と改称された。

浄福寺はお城の北の寺といわれ、この寺の山門は明治5年柳川城の天守閣が消失した後、城の辻御門を移したものと伝えられている。

30年程前に修理され、この時、棟を7寸(約20cm)高くし天保の鯱もその時に造り替えられた。

山門には、すべて仏寺特有の彫刻が飾りつけてあるが、ここ浄福寺の山門には飾りはいっさい施されてなく、城門の風格を残している。

           大川市教育委員会

浄福寺山門の石柱

浄福寺山門入口に2基の石柱が立っています。

1基は「第八次伊能忠敬測量隊御宿跡 文化9(1812)年10月12日」です。

この日、測量隊のうち、伊能忠敬は、小保町別当吉原正右衛門宅(旧吉原家住宅)に止宿し、別手組坂部貞兵衛らが浄福寺に宿泊しています。

もう1基は、「浄福寺 諸国巡検使御目付御本陣跡 天保9(1838)年6月20日」です。

天保9年、柳川藩は、幕府巡検使の領内巡検にあたり、正使の本陣を吉原亀三郎宅(旧吉原家住宅)、副使の脇本陣を吉原茂蔵宅(吉原義朗宅)、御目付本陣を浄福寺に当てるように準備しました。

しかし、巡検使一行は6月18日に佐賀の蓮池町に止宿し、6月19日は寺井村に止宿(副使大久保勘三郎は、寺井村小林屋市兵衛宅に宿泊)しました。

そのため、6月20日10時に出立した一行は、筑後川を船で渡り、小保町波止場に上陸し、小保町で小休後、肥後街道筋の津村・幡保村・兼木村・田口村・枝光村などを巡検し、この日は柳川城下に止宿しています。
副使大久保勘三郎の宿所は大濱屋半兵衛宅でした。(「巡検使西國紀行」「西海道日記」)。

井手橋(出橋)御門と駅所(人馬継所)  柳川市

井手橋(出橋)は、柳川城下から沖端川を渡り、外町(ほかまち)に出るために架けられた橋です。

城の防衛のため見通しが効かないように、また、直線的に攻められないように、現在の橋よりもやや西寄りの、通りからずれた位置に架けられていました。

井手橋の町側には、「出橋御門」が設けられ、人や者の出入りを管理する番所が置かれました。「出橋御門」があったところに、現在、「井手の橋御門址」(昭和37年8月 柳川郷土史会)と刻まれた石柱が立っています。

御門の近くには、「勢溜まり(せいだまり)という、かなり広い空地がありました。軍勢が集まり控えている広場で、「武者溜(むしゃだまり)」ともいわれてました。

伊能忠敬の『測量日記』文化9(1812)年10月12日の条に、「此所(井手橋)駅所問屋場」とあります。

井手橋のところに「駅所」(人馬継所・馬問屋・会所)があったのです。

寛政3(1791)年2月改「町小路絵図」(柳川古文書館収蔵)には、沖端川に架かる出橋を出橋御門の方(町方)から渡り、右折した右側に「馬立(うまたて)」が描かれています。

柳川城下札の辻

柳川城の北東に「辻御門」があり、その外に藩領内の交通網の基点となる「札の辻」(柳川市辻町)がありました。

「柳川瀬高往還」をバスで通り、上庄宿・追分の道標などを半田隆夫先生が説明しました。
三橋公民館に到着後に解散しました。

この中の文章は今回の研修資料から抜粋してます。
by kusennjyu | 2011-03-24 05:01 | 肥後街道 | Comments(0) |Topに戻る
2011肥後街道(久留米~城島~小保~柳川)・千寿の楽しい歴史
肥後街道(久留米~城島~小保~柳川)1    

平成23年3月12日午後1時30分~5時30分

半田隆夫先生の「やながわ歴史文化講座」で三橋公民館前を50人(バス2台)で出発する。

バスの中から「細工町の道標」→「辻の札の道標」→「出橋・外(ほか)町橋」から田中道(久留米柳川往還)を行く。

小犬塚の一里石」→「城島城跡(城島小学校・城島天満宮)」を見る。

バスの中で半田先生が説明を行う。

肥後街道(肥後道)は、久留米城と柳川城(と三池陣屋)、そして熊本城を結ぶ街道です。

久留米城と柳川城を結ぶ道筋は、次のようなコースになっています。

久留米城下(札の辻)--原古賀宿ーー津福町ーー安武町ーー上野宿ーー高三瀦村ーー城島町ーー六丁原村ーー江上本村ーー北酒見村ーー榎津町ーー小保宿ーー幡保村ーー枝光村ーー柳川(出橋)--柳川城下(札の辻)

この「肥後道」のうち緑色のところが宿駅(人馬継所)です。

そして、上野宿(久留米市大善寺)に札馬3疋、小保宿に札馬10疋、柳川城下に札馬53疋が常置されていました。

a0137997_1042090.jpg



このように、久留米城下と柳川城下間のコースは、そのルート(路程)が一定していましたが、柳川城下と熊本城下間のルートは、時代と要件によって3つのコースがありました。

1.江戸初期~元禄11(1698)年

柳川城下(札の辻)--柳川(瀬高御門)--徳益出店ーー四十丁出店ーー塩塚出店ーー鷹尾茶屋ーー中島町ーー江浦町ーー渡瀬宿ーー三池新町ーー三池縮ーー檪野村ーー南関宿ーー<薩摩街道>ーー熊本城下(札の辻)

2.元禄11(1698)年以降

柳川藩の3代藩主立花鑑虎(あきとら)の隠居後、元禄11(1698)年、本郷に離宮が造営されると、柳川城下と瀬高上庄を結ぶ「柳川瀬高往還」が新設されました。

柳川(瀬高御門)--下百町ーー蒲船津ーー正行ーー三橋ーー御仁橋ーー五拾町ーー瀬高上庄宿ーー<薩摩街道>ーー熊本城下(札の辻)

3.元禄初期、味取(みとり)新町(植木町)に御茶屋(本陣)が設置され、宿駅として発展していくと、肥後街道は、三池往還をそのコースに採り入れるようになっています。

柳川(瀬高御門)--<三池街道>ーー三池宿ーー檪野村ーー岩本口番所ーー府本村ーー野原村ーー築地村ーー高瀬宿ーー稲佐村ーー木葉村ーー植木宿ーー<薩摩街道>--熊本城下(札の辻)

城島城跡

a0137997_11513412.jpga0137997_11514766.jpg


この城は筑後川左岸の自然堤防上に、西牟田家周(いえちか)が天正11(1583)年に初めて築いた平城です。

城島天満宮の鳥居と本殿

a0137997_11582035.jpga0137997_12173374.jpg


半田隆夫先生の説明

a0137997_1159349.jpga0137997_11594719.jpg


六町原村一里塚跡(久留米市城島町六町原)

a0137997_1215647.jpg久留米城下を発し、上野宿(現久留米市大善寺町)付近で、柳川往還(田中道)と分岐し、柳川城下を経て熊本城下へと至る「肥後往還」沿いに設置された一里塚の跡です。

高三瀦から六町原までの距離が40町8間(約4.4km)、六町原から江本本村が4052間(約7.3km)ありました。


続きは大川市の小保宿です。

by kusennjyu | 2011-03-21 12:12 | 肥後街道 | Comments(0) |Topに戻る