千寿の楽しい歴史
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カテゴリ:矢部往還( 11 )
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2013矢部往還後半(黒木町・矢部村)・千寿の楽しい歴史
矢部往還後半(黒木町・矢部村)    

平成25年3月9日(土) 天気 晴れ

昨年(平成24年3月10日)は柳川の札の辻から七里石(八女市黒木町土窪串毛)までを回りました。今回も柳川市から出発して七里石入口から矢部の方向へ進みました。

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栗林の道標  

七里石から約2km行ったところにある。この石柱には西面に「左大淵」、「右田代」と刻まれています。

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「八里石」は木屋町原の土中に埋まって分かりません。「猫尾城跡公園」で休憩する。

九里石  黒木町大字木屋字原に建っています。

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十里石(左)と十一里石(右)  バスの中から。

黒木町久保の十里石と黒木町大字大淵字上月足に建っています。

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蚪道(伊良道・いらど)十二里石  今回は見学していません。

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十三里石  矢部村大字矢部字所野に建っています。 

矢部公民館で30分間の昼食休憩をしました。 

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十四里石  矢部村大字矢部字虎伏木に建っています。

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この川沿いに上り三国山麓に十五里石や境木は、今は見当たりません。

私たちは中津江村の鯛生金山まで行き、引き返して帰りました。











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by kusennjyu | 2013-03-09 22:18 | 矢部往還 | Comments(0) |Topに戻る
矢部往還の下調査(黒木町・矢部村)・千寿の楽しい歴史
矢部往還の下調査(黒木町・矢部村)   1月27日午前10時から午後3時

講師の半田先生と柳川教育委員会の担当者2人と私の計4人が、車にて調査に向かう。

昨年の3月に七里石まではバスで案内しているが、今回は七里から十四里までを3月に案内する。

今回も三橋町史所前を出発し、柳川の札の辻から七里石までを再度通るので、時間と郷里を測定する。

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八里石(黒木町大字木屋字向町・矢部川の左岸に並木がある付近だが現存しない。)

栗林の道標(向野を過ぎて追分がある。右は田代、左は木屋)から北へ細い道が分かれているが、この方向が矢部川の方へ下っており、矢部往還である。

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写真左は栗林の道標から右へ行き、写真の家と杉木の向こうを通る矢部往還である。
写真右は現在の標識で左田代・右四条野です。

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黒木中学校の裏山にあう猫尾城公園へ行き、引き返して黒木大藤の西側の食堂で昼食にする。
当日は猫尾城跡を視察す予定です。

九里石(黒木大字木屋字原 樋口春好庭先にある)

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九里石の横に水路と狭い道があるが、矢部往還の跡と思われる。

十里石(黒木町大字大淵字久保) 駐車場がなく、通行料が多いため、バスの中からの説明の予定。

十一里石(黒木町大字大淵字上月足) 駐車場がなく、通行料が多いため、バスの中からの説明の予定。

十二里石(矢部村大字矢部蚪道) 入口が分からず行かない。山道で危険のため、行かない予定。

十三里石(矢部村大字矢部所野)  荘厳寺前道路(森林組合と所から左へ入り約200m進んだ地点)

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十四里石(矢部村矢部虎伏木)  虎伏木川の合流点で川向こうの畑の中にある。川に石橋が架かり、ここを渡って約100m下流へ進み、杉木が立つ横にある。

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帰りは、ここから折り返し、途中は寄らずに帰って来る。







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by kusennjyu | 2013-01-28 09:08 | 矢部往還 | Comments(0) |Topに戻る
2012矢部往還(上庄宿~広瀬)を行く・千寿の楽しい歴史
矢部往還( 瀬高町上庄宿~瀬高町広瀬)を行く  

中山の「二里石」

中山村は、柳川藩領本郷組に属し、村高は、「元禄国絵図」333石余、「天保郷帳」397石余、「旧高旧領」1080石余。
明治5(1872)年の反別は77町余。中山村には矢部往還が通り、東部に「二里石」の道標がありました。

稲荷神社の境内に移転し、整備された「二里石」の説明板には「田中吉政は、筑後全域の道路に柳川辻町の札の辻の標石(現在の柳川市辻町交差点)を基点とする一里ごとの標識を置きました。標識として瀬高道、三池道などの筑後南部の道路には標石(一里石)が建てられ、田中道(久留米往還)など筑後北部には塚(一里塚)が建てられました」とあります。しかし、これは間違っているようです。

ところで、筑後藩(柳川藩)では、慶長17(1612)年に、2代目田中忠政が領内の主な道路に、柳川城下の札の辻(現、柳川市辻町)を基点に一里塚を設置したとも伝えられています。

しかし、寛永9(1632)年の「有馬内記他三名宛有馬豊氏書状写」(『福岡県史』近世資料編久留米藩初期上所収)ななかに「一里に付きて駄賃いか程、夫賃何程と兼て定め置かれるべく候。俄一里塚築き候儀成すべからず候間、一里・・・隠れなく知れ候様に何にても木を植え候か、しからずばいか様にもしるし仕り置くべく候」と散見されます。

慶長17(1612)年の田中忠政による一里塚設置の可否はともかく、忠政改易後、元和6(1620)12月8日に有馬豊氏が久留米に入封(にゅうほう)しますが、寛永9(1632)年時点では、まだ一里塚も一里ごとの人馬駄賃も整えられていないようです。一里塚の整備は「武家諸法度」で参勤交代制が定められる寛永12(1635)年から完成する同19(1642)年頃かもしれません。

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左~移転前の「二里石」が建っていた場所と右~本郷の地蔵堂

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本郷

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上の地図は縮尺が違うものを貼っているので、北の沖端川などがずれています。

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本郷の渡しを渡った松原と堰(矢部川と沖端川に分流)

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「本郷風景図」は柳川藩の御用絵師、梅沢晴峩が描いた矢部川の風景。(図説・南筑後の歴史より)   

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長田

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長田の「三里石」

史跡「長田の三里石」の説明板に「江戸時代初期の慶長9(1604)頃に筑後領主田中吉政は柳川城下前の札の辻(現在、柳川市辻町)を基点として、黒木・矢部に至る矢部往還に一里(4km)ごとに石柱を設置させました。」とあります。しかし、これは封以後、寛永10年代(1624~44)に、柳川藩領内に「一里石」が設置されたものと思われます。

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唐尾・広瀬を行く

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地図は明治6年の地図を張り合わせて矢部街道の群境までを作る。すぐに上妻郡の山下宿に着く。










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「山川町に巨大みかんオブジェ登場」

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by kusennjyu | 2012-04-11 21:57 | 矢部往還 | Comments(0) |Topに戻る
矢部往還(瀬高宿)を行く・千寿の楽しい歴史
矢部往還(瀬高宿)を行く   瀬高上庄と「御茶屋」

大冶6(1131)年、瀬高荘が矢部川を境に上庄と下庄に分けられ「瀬高上庄」が成立しました。中世以来、矢部川舟運の拠点でもあった「倉ノ前浜」(御倉浜)には、近世に立花柳川藩の在の三蔵の一つ、瀬高御蔵が配置されました。

3代藩主立花鑑虎(あきとら)の隠居後、元禄11(1698)年に、柳川城下から瀬高上庄・下庄を経て山川町野町へ向かう道が新設され、上庄町・下庄町は宿場町、矢部川の物資集積地として発展しました。上庄町には別当が置かれ、馬継所には札馬29疋(ひき)が常置されていました。

また柳川瀬高往還と薩摩街道の追分に藩営の「御茶屋」がありました。嘉永6(1853)年8月30日には、篤姫が江戸参府の途次、この「瀬高御茶屋」に止宿しています。

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薩摩から江戸へ・篤姫の辿った道  半田隆夫著より

瀬高御茶屋にて

8月30日の篤姫の宿泊先は、おそらく瀬高御茶屋(みやま市瀬高町上庄)だと思われます。

山鹿宿ー南関宿は17.3km、南関宿ー瀬高上庄宿は15.1kmです。8月30日朝、山鹿を出立した篤姫一行が正午前に南関御茶屋に立ち寄り、昼食と休憩をとっています。

そして午後1時に出発しています。そうしますと、午後5時前には瀬高御茶屋に到着、止宿ということになります。

みやま市の瀬高町域には、瀬高上庄宿と瀬高下庄宿の2つの人馬継所(宿駅)がありました。矢部川を挟んで、わずか1kmの至近距離の地点に、なぜ2つの宿駅が設けられたのでしょうか。

下庄宿は「登り」の旅人が休泊する宿駅であり、上庄宿は「くだりのもの」のための宿駅でした。
両宿は、「上り」「下り」を相互に補完し合う「端宿(はししゅく)」として機能しました。

篤姫一行は江戸への「上り」ですので、本来ならば下庄宿に休泊すべきですが、大名などの身分の高い者が泊まる御茶屋が下庄宿にはなかったため、上庄宿の瀬高御茶屋に投宿したものと思われます。

瀬高から府中へ

9月1日、瀬高上庄宿を出立。篤姫一行は、有馬久留米藩の3宿(羽犬塚・府中・松崎)の1つ羽犬塚宿(筑後市)の御茶屋(跡地は現在、羽犬塚小学校)で休息したものと思われます。

府中から松崎へ

府中宿で休憩後、篤姫一行は、九州一の大河筑後川を神代(くましろ)の渡し(久留米市山川神代)で渡河しました。

9月1日、篤姫一行が府中宿を通行した資料はありますが、宿泊地を示す資料を発見できていません。

瀬高宿から古賀茶屋(小郡市)を経由して松崎宿まで歩き、松崎宿に泊まったものと思われます。










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by kusennjyu | 2012-04-04 21:40 | 矢部往還 | Comments(0) |Topに戻る
矢部往還(瀬高御門~上庄宿)を行く・千寿の楽しい歴史
矢部往還(瀬高御門~上庄宿)を行く     矢部往還はこの区間では柳川瀬高道と同じです。

現在の地図と明治時代の地図(何枚も並べて矢部街道筋を作りました。)を対応させて行きます。

瀬高御門~三柱神社の御橋~(下百町村)~蒲船津村    橙色の線が矢部往還です。

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蒲船津村~正行村(市役所三橋支所)

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正行村(市役所三橋支所)~久末村(一里石)

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久末村~白鳥村

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白鳥村~五拾町村~上庄宿

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矢部往還は上庄宿で直角に北方向へ進みます。

東側から薩摩街道が来てここの上庄宿で同じに北側に矢部往還と同じ道を本郷まで行きます。








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by kusennjyu | 2012-04-04 10:51 | 矢部往還 | Comments(0) |Topに戻る
2012矢部往還(柳川城下)を行く・千寿の楽しい歴史
矢部往還(柳川城下)を行く    

平成24年3月10日・28日         

文責 半田隆夫より。

柳川城下の札の辻(現、柳川市辻町)を基点に瀬高・立花・黒木・矢部に至る道を「矢部往還」と呼びます。矢部川にほぼ沿って整備された「矢部往還」には、元和6(1620)年以降、寛永10年代(1624-44)に川の右岸の久留米領に一里塚(榎・樫などを植樹)、左岸の柳川領に一里石が設けられたようです。

「矢部往還」に現存する標石は、一里石(柳川市三橋町久末)・二里石(柳川市三橋町中山・復元)・二里石(みやま市瀬高町長田)・四里石(八女市立花町北山)・七里石(同市黒木町土窪)・九里石(同市同町木屋)・十里石(同市同町大渕)・十一里石(同市同町上月足)・十二里石(同市矢部村蚪道<伊良道・いらど>)・十三里石(同市同村所野)・十四里石(同市同村虎伏木)の11です。

旧柳川領の一里石

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「矢部往還」には、立花柳川藩の13の「在町」(農村に町立された集落)のうち、瀬高上庄町・本郷町・山下町・兼松町の4つの在町がありました。

「矢部往還」は、矢部川の舟運とともに「海の民」と「山の民」を取り結ぶ重要な<生活の道>でした。

街道を行く—ー矢部往還ーー    路傍の史跡案内

柳川城~瀬高上庄宿までの地図  

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柳川城下    青線が矢部往還です。

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①柳川城下「札の辻」の道標(柳川市辻町)

a0137997_4325399.jpg柳川城の北東に「辻御門」があり、その外に藩領内の交通網の起点となる「札の辻」(柳川市辻町)がありました。
この「札の辻」を基点に、各街道に一里石・二里石・・・・と、一里塚が置かれました。里程標は石柱でした。
 現在、柳川市辻町の四つ角(交差点)のところに石の道標があります。「左 出橋通り  右 瀬高門通り」と刻まれています。


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②細工町の道標と「瀬高御門」

「札の辻」を東に経町、そして南に細工町、さらに東に左折すると、「左 出橋通り  右 瀬高門通り」と刻まれた石柱があります。そして新町をさらに進むと「瀬高御門」です。

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「瀬高御門」は、柳川城の東面の大手門で、門を出ると三池街道(肥後道)・柳川瀬高往還・矢部往還へと進みます。

瀬高御門外の道標は、文政11(1828)年に建てられたもので、中央に「猿田彦太神」右横に「すぐ北 せたか道  左西 やな河まち」、左横に「右西 やな河まち  すぐ南  ミけ道」と刻まれています。

「瀬高御門跡」と道標と説明板

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瀬高門水門と旧瀬高門(引接寺に移されたが今は台風で壊れて取り除いている。)  柳川明証図会より

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柳川城堀水門

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4月1日午後2時30分から三柱神社で流鏑馬が行われます。矢部往還の横にあります。

路傍の史跡案内としてあげます。楽しみにして待って下さい。 乞うご期待。








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by kusennjyu | 2012-04-01 05:01 | 矢部往還 | Comments(0) |Topに戻る
矢部街道を九里石まで行く・千寿の楽しい歴史
矢部街道を九里石まで行く  12月22日  天気  晴れ時々曇り

一里石(柳川市三橋町久末)  国道443号線横

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二里石(柳川市三橋町中山)  以前の場所から西側へ約50m移動する。

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三里石(みやま市瀬高町長田) 水上小学校西300m

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八女市に入り矢部川の南側を遡って行きます。

四里石(八女市立花町北山字山下)  山下宿の東

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五里石 なし  (八女市立花町)  山崎~丸野間 ・六里石 なし  (八女市立花町)  南田形附近

写真説明(左~五里石付近の恵比寿さん・右~六里石付近の釜屋神社) 

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七里石(八女市黒木町土窪) 毛条野

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八里石  なし ((八女市黒木町土窪) 町向  桜並木付近に八里石があったらしい。

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九里石 (八女市黒木町木屋) 樋口宅の庭内

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拾里石~拾四里石までは現存している。拾四里石は久留米領にある。写真も撮っています。

専勝寺(五里石と六里石間)

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境原薬師堂(五里石と六里石間)

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木造の南仙橋  (八里石と九里石間)

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南仙橋から上流を見て猫尾山(猫尾城跡)

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私の目標   今一番大事なことは絆 を育てること。
by kusennjyu | 2011-12-22 20:01 | 矢部往還 | Comments(1) |Topに戻る
2011八女の城跡を訪ねて・千寿の楽しい歴史
八女の城跡を訪ねて    

8月29日(MS・TS・TKの3人)

左~唐尾(瀬高町) 山下(立花町)

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山下城跡(人見城)(八女市立花町北山)  標高140m     

山下の中村氏に白木川左岸を西方向に登り案内をしてもらう。

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左~山下城跡の一番高いところ(竹を切れば矢部川から北側方面の見通しできる。
右~山下城跡からの東側風景


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蒲池鑑廣墓(山下の後藤家所有地内)と後藤家

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本丸・二の丸の周囲は、いずれも35度を越す急傾斜面となり、なかなかの要害の地相である。

永正年間(1504-21年)、豊後の大友親政治(ちかはる)は、蒲池親広(ちかひろ)に命じ、山下に館を構えさせ、親広の嫡男志摩守鑑広(あきひろ)の時、当城を築き居城とした。

慶長6(1601)年、田中吉政が筑後国主として久留米に入国すると、この城は取り壊され廃城となった。

猫尾城跡(黒木城)(八女市黒木町北木屋)  黒木中学校の背後にある。

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左~城跡の地図   右~本丸跡(算木積み)写真

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猫尾城跡からの風景(左~南側 右~西側)

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猫尾城跡 県指定史跡 昭和58年3月19日

猫尾城跡は、福岡県八女郡黒木町の矢部川本流と笠原川が合流する付近にあり、戦略上、奥八女の要衝を占める中世の山城です。

通称「城山」と呼ばれ、「調山、「猫山」の別称もあり、文政8(1825)年に久留米藩士・村上量敏が著した『山土産』には、「この山、尾短くて、鉢を伏せたるがごとし」の記述がみえます。

資料によると、仁安2(1167)年、徳大寺家の請いにより、大蔵大輔源助能が瀬高荘を管理するため、大隈国禰寝(ねじめ)から筑後国上妻郡黒木郷に移り築城したという説が有力です。

これより黒木氏代々の居城として栄え、天正12(1584)年、豊後・大友氏の攻略により落城するまで、417年の長きにわたり、その役割を果たしてきました。



みやまいいまち会 下の詳しい内容が判ります。

今、日本の未来を強くするために必要なものを表す言葉で「絆」が一番でした。

私の目標   今一番大事なことは絆を育てること。

by kusennjyu | 2011-08-29 17:57 | 矢部往還 | Comments(0) |Topに戻る
2011矢部街道(八女市矢部村)を行く・千寿の楽しい歴史
矢部街道(八女市矢部村)を行く   

平成23年4月13日 快晴

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旧柳川藩志の寛保年間旧柳川藩領地図の一部切り取ったものである。

江戸時代、矢部村は矢部川を境に、右岸の北矢部は久留米藩領、左岸の矢部は柳川藩に属したが、同じ一里塚の道程にしても、柳川藩には一里石が建てられ、久留米藩には一里塚が築かれ、榎(えのき)や欅(けやき)などの一里木が植えられていたが、久留米藩の一里塚は現在、八女地方には残っていない。

矢部街道はほとんど尾根を越え、谷を渡って細々とつづく杣道(そまみち)であった。

大淵の上月足から通称朝開き(おそらくここに朝日が一番早く当たったであろう。)から九十九折(つづらおり)の急坂を越え、日向神の黒岩トンネルの上おうむ岩を巡って椎葉に抜け、谷野から伊良(いらどう)・蚪道(いらど)を通って西園、飯干、笹又、所野へと続いていたようである。

現在の日向神ダムの南側の山道を越えて行っている。当時は、川沿いは険しい崖であったと思われる。私たちは、谷野から伊良道へ上る。

のちに、椎葉から分岐して谷野に下り矢部川沿いに上って飯干、笹又へ通じる新道が出来たという。

現在、西園橋の三叉路に「右大ぶち左ひご道」と刻まれた石の道標が建っているが年代が判らない。

笹又の三叉路に建っていたのをダム水没のため、現在地に移したものである。

嘉永6(1853)年に、大淵村寄谷の篤志家良作という人が、黒木町大淵の牟田峠に「右肥後道・左矢部」という道しるべを建てて、肥後方面や矢部・豊後に旅する人の利便を図っているが、笹又の道しるべも、あるいはその良作という人が建てたかも知れない。

黒木町から矢部村柴庵まで七ケ所の瀬を渡っていたが、そこには小さな板橋か丸太橋が架かっていたであろう。


また、久留米領から柳川領へ、柳川藩から久留米領へ交互に入っているのがおもしろい。

険しい谷間がつづくこの地では、両藩の了解で、通行手形なしで行き来した生活優先の事情が良く判る。

矢部村では、鬼塚と三瀬、柴庵の三ケ所の渡りがある。

貞享元(1684)年、北矢部柴庵から竹原峠を越えて日田郡梅野村(中津江村)に通じる「川添新道、別名、、豊後別道」が開かれ、豊後への往来も便利になった。
柴庵から八知山鉱口あたりを通って竹原へ上る近道がそれに当たるのではないかと思われる。

私たちは谷野から上り伊良道(蚪道)へ行った。拾二里石の写真。

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大淵から山道を通り、伊良道(蚪道)の拾二石を過ぎ、所野へ行く道筋であった。

拾三里石(所野) 荘厳寺入口。

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拾四里(虎伏木・こぶしき)

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矢部川の左岸に旧道が残り、拾四里石があるが、当時の交通、道路の様子を知る上で貴重な資料であり、子孫に継承すべき史跡として大切に保存しなければならない。

肥後境三国山の麓ににあったという一里石や境木は今は見当たらない。















 
by kusennjyu | 2011-04-18 22:52 | 矢部往還 | Comments(0) |Topに戻る
2011矢部街道(八女市立花町・黒木町)を行く・千寿の楽しい歴史
矢部街道(八女市立花町・黒木町)を行く   

平成23年4月13日 快晴

みやま市瀬高町小田字唐尾の延命地蔵さん前を出発する。

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今回の案内は延命地蔵さんの周辺環境を整え、花壇を作りチュリップを植えられたり世話をしている坂田光広さんに案内してもらう。彼は八女管内の地理に詳しく適任者でありお願いする。

元禄14年頃の主要道路 

(旧柳川藩志上巻 付録図より一部切り取りしたものです。)

a0137997_11554327.jpg江戸時代は矢部川を境に右岸(北側)が久留米藩で左岸(南側)が柳川藩に属していました。

柳川藩の一里石は柳川城の辻門から矢部と肥後境の三国峠(みくにとうげ)までの15里の柳川街道筋に一里毎に一里石が建っていました。

今回は一里石の写真を撮ることを主に、矢部街道の一部を現在の八女市立花町・黒木町・矢部村を通り取材しました。


a0137997_121762.jpg四里石 

所在地 立花町北山字山下

山下の集落を抜けて三叉路を北へ曲ってすぐの道路横に立っています。


山下→井手口→野広尾→丸野(国道3号線を横切る)角に恵比寿さんが建っている。→光友小学校の北側。

五里石は現存しません。  山崎の丸野付近から原島(光友小学校北側)付近までの間と言われています。

左~専勝寺(せんしょうじ) 右~毘沙門橋南側の七福神

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専勝寺→毘沙門橋(柳川用水に架かる)→四方堂→境原(薬師堂)→南田形

境原薬師堂

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金屋橋(赤い橋)の手前から右折します。柳川用水の分水点でと矢部川と柳川用水の間の道を行きます。

柳川用水と南田形の道路

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金屋(かまや)神社と矢部川

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金屋神社→柳川用水の横を通る→大谷口2号橋→(黒木町に入る。)石原→大字土窪字毛条野(七里石)

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大谷口2号橋を渡り、十字路から右折して山道を通り毛条野集落に入る口に七里石が建っている。

説明板が立っているが、」古くなり所在地の字名が分らない。七里石(串毛土窪)と他の説明板に書かれている。

a0137997_13262265.jpg上名(かみみょう) 芳澤寺(写真)→町向(まちむかい) 八里石は現存しない。→木屋(こや)・矢部川に架かる木屋橋(赤い橋)の南側を通る。→原(光源寺)・左の写真→九里石(原の樋口春好さん方の庭にある。)・下の2枚の写真→平→大淵


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拾里石(大淵字久保・茶園の横、熊野神社より下って来た旧道。)

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大淵字月足の拾一里石日向神社(写真)
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上月足の国道南上の、畦に建つ。

次回は矢部村に入ります。













  
by kusennjyu | 2011-04-18 13:51 | 矢部往還 | Comments(0) |Topに戻る