千寿の楽しい歴史
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カテゴリ:みなみ地元学( 18 )
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2010下小川八幡神社の風流(千寿の楽しい歴史)
下小川八幡神社の風流    

平成22年11月14日(第2日曜日) 

祭礼は、以前は旧暦の11月19日に行われていました。  

みやま市瀬高町太神字下小川地区

下小川公民館を午後1時に出発し、本座宅により、それから下小川八幡神社まで総勢約70名の行列が笛や鉦・太鼓にあわせて神社に向かって進みます。神社に着くのは午後5時ごろになるそうです。

路上には部落の方々が多く見物します。特に鋏箱を持った先頭の奴衆は、子供たちにおどけて墨を付けながら進みますので、小学生は逃げ回り、それを追いかけて墨を付けます。

今年は本坐宅が神社参道の途中にありますが、部落の中に本座宅があれば、本座宅まで行き、引き返すので、もっと時間がかかるそうです。

奴衆

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動画(先頭を行く奴衆の身振り手振り)



鋏箱を持つ奴は前かがみになり、足を交互に後ろへ跳ね返し「若殿様の初上り、小便たごどまかたづけろ「サトサイ、サトセイセイ、段々畠のボーブラジョ、なるこつぁ知らずにはいまわるサトサイ、サトセイセイ」等と身振り手振りで調子をとり口上を次々に発し、おどけて墨を見物人に付けながら進みます。

小便たご~小便桶。 ボーブラ~カボチャ。

奴衆

奴姿の若衆が、鋏箱を先頭に、「にんじゅめ」といわれるスッパ、台傘、番原、毛槍(花、2番~5番)を持ち、笛や鉦・太鼓にあわせて神社に向かって進みます。

奴衆

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動画(奴衆の動作)  2本






左~太鼓衆  右~鉦衆    太鼓から鉦の順番で進みます。

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飾り付けをした小学生

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鳥居~下小川八幡神社まで。

鳥居から神社まで数百メートルあり、途中に農道があり、この風流が、晩秋の野を練り歩く姿はもことに悠長で美しい田園の詩情であります。

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下小川神社は承久2(1220)年に宇佐神宮の分霊を祀る。

下小川八幡神社の風流   みやま市無形民俗文化財指定  昭和56年1月23日指定

平成22年3月  みやま市南校区まちづくり協議会より。
 
by kusennjyu | 2016-11-15 09:00 | みなみ地元学 | Comments(0) |Topに戻る
南っ祭に展示品・千寿の楽しい歴史
南っ祭に展示品   2月25日26日    南校区

写真

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活花

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園児作品

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小学生作品

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柳川鞠

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沢山の作品が展示されていました。ご苦労さまでした。









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梅野歴史資料館  みやま市瀬高町大草女山932

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by kusennjyu | 2012-03-04 17:13 | みなみ地元学 | Comments(0) |Topに戻る
南っ祭に地元学からの展示・千寿の楽しい歴史
南っ祭に地元学からの展示   2月25日・26日   みやま市瀬高町南校区

堀切・玉垂神社・鳥居・大楠

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玉垂神社は久留米市御井(みい)町の高良大社(昔は高良玉垂神社)の分社で高良玉垂命(神功皇后の家臣武内宿弥といわれている)を主神として春日大神、住吉大神を祀る。

鳥居は古代肥前型鳥居です。

堀切・八歳宮

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八歳島は大陸から渡来人の船着き場で、ここに滞留、生活を始めた地に縄を張り、榊を立てて神の降臨を願った自然崇拝の宮であったろう。

矢部川の合流点から飯江川を約200m上流の堤防傍、河野栄宅に祀られ(宅の庭の内)、氏子七戸(現在は一戸減り六戸)で毎年9月12日に行っている。

地元では八歳島を「はっせじま」、八歳宮を「はっせさん」と呼んでいます。

当時は三反五畝(約1千坪)の神田があったそうですが、飯江川改修工事があり移転され、現在の祠になっています。

浜田・六体神

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瀬高町大字浜田字浜田南の広い竹やぶの西のかたすみに、高さ30cm程の小さな人形のような姿をした石の像3つと、同じ高さの墓3つが高さ3m程の「六体神の碑」と掘られた石碑(井戸の跡)を囲んで建っています。

それを「ろくてさん」と言います。「ろくてさん」の所から3m程前方、左の小さな木の根元に同じ大きさの一体があります。これを「ろくてさん達の乳母(うば)」と言われています。

浜田南の28戸の人々は、9月15日を「墳(つか)祭り」と言って、お坊さんを呼んで塩5kg、米2kg、塩鯖2匹、ごぼう、人参、大根など根ものの野菜をふたしな供えて「ろくてさん」達の霊を慰めます。

下小川・八幡宮風流

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後一条天皇の治安3(1023)年、太神郷小河庄は宇佐の神領となる。(宇佐大鏡)

順徳天皇、承久2(1220)年、宇佐の分身を祀る。(宇佐神宮の分身を小川に遷宮する。)

この宇佐からの遷宮の行列を氏子の祭礼の行事とし、さらに徳川幕府時代の参勤交代の大名行列のやり方をを取り入れて、今日の下小川八幡宮祭礼の行事になったと推察される。

長島鬼木・こうやの宮  みやま市指定有形民族文化財

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5つの御神体が3個の御厨子に分けられて祀られている。

向かって右の御厨子には、こうやの宮の当主であろうか衣服の胸に五七の桐の紋を付けた高貴な公家様、左の御厨子には、皿を頭に置いたカッパ像と、その右に白髪の老人、中央の御厨子には、鏡を手にした女神とその右に異国風の武士「七支刀を持つ神像」が並んでいる。

七支刀とは、現在奈良県天理市にある、石上(いそのかみ)神宮に国宝として保存されている鉄鉾のことである。全長75cm、刀身の左右に互い違いに3本づつ枝刃が出て、刀身の先端を加えて七支刀といわれている。その刀身の表裏には60余字の銘文が金象嵌(きんぞうがん)されている。

その銘文から泰和4(369)年に百済の太子貴須から倭軍派兵によって高句麗を討った御礼に倭国王子に献上した刀である。

「日本書記」に、神功皇后が朝鮮百済から献上されたと記す「七枝刀(ななつさやのたち)」にあたると考えられている。

          上記文章は、会員でまとめた資料以外のものです。







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by kusennjyu | 2012-03-03 20:14 | みなみ地元学 | Comments(0) |Topに戻る
南校区「笑顔で歩こう・みなみウオーク」3・千寿の楽しい歴史
南校区「笑顔で歩こう・みなみウオーク」3    1月22日   天気  曇り一時小雨

宇津羅姫塚(宇津地内)

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宇津羅姫塚(浮島になっている)

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宇津羅姫塚(うづらひめづか)

宇津羅姫塚は、長島宇津にあり、宇津羅姫は飯江川、緑川の合流点にあり、宇津海域を領有する大地主の神の娘です。安手橋を南に渡ってすぐ左に天満宮があり、その右側の森に塚がある。

延喜式内神として記録があり、式内社延長5(927)年成立の延喜式の「神名帳」に載っている神社です。
当時の女酋長なり。宇津羅姫神は宇津に鎮座します。

伝説によれば、景行天皇筑紫国巡行の折、黒崎より宇津に至る航路を守護し奉りしが宇津羅姫といい、よってこの浮島に墳墓を営みしという。

手前の石塔が宇津羅姫塚、地蔵尊が父神大地主神なり。

  こうやの宮(栗の内地内)

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こうやの宮(磯上物部神社)と七支刀を持つ神像

みやま市指定有形民族文化財

長島鬼木に先祖代々祭り続けられている「こうやの宮」という小さな祠がある。
 
5つの御神体が3個の御厨子に分けられて祀られている。

向かって右の御厨子には、こうやの宮の当主であろうか衣服の胸に五七の桐の紋を付けた高貴な公家様、左の御厨子には、皿を頭に置いたカッパ像と、その右に白髪の老人、中央の御厨子には、鏡を手にした女神とその右に異国風の武士「七支刀を持つ神像」が並んでいる。

※平成14年、こうやの宮再建の折、厨子も一つにまとめて造り替えられ、今は並び順が変わっている。

七支刀とは、現在奈良県天理市にある、石上(いそのかみ)神宮に国宝として保存されている鉄鉾のことである。全長75cm、刀身の左右に互い違いに3本づつ枝刃が出て、刀身の先端を加えて七支刀といわれている。その刀身の表裏には60余字の銘文が金象嵌(きんぞうがん)されている。

その銘文から泰和4(369)年に百済の太子貴須から倭軍派兵によって高句麗を討った御礼に倭国王子に献上した刀である。

「日本書記」に、神功皇后が朝鮮百済から献上されたと記す「七枝刀(ななつさやのたち)」にあたると考えられている。

邪馬台国は、学者経験者の間には畿内説、九州説という大別されているが、女王卑弥呼の墳墓が注目されている堤古墳、権現塚があり邪馬台国の中心は瀬高である。学説によれば、七支刀は邪馬台国の発祥の地である瀬高町「こうやの宮」に大和朝廷が安定後、物部一族により天理市石上(いそのかみ)神宮に奉納されたのではないかと言われている。

天理市で七支刀が発見される以前からこうやの宮に「七支刀を持つ神像」を祀っていたことから、話題になり見学者で賑わった。

言い伝えによると、因幡家は代々こうやの宮の神職で祭礼も因幡家だけで行われていたが、藩政が終わり神田(宮の費用を賄う田畑)はなくなり、祭礼が出来なくなったので、鬼木地区で行うようになった。

昔は社田相当広く、周りは堀に囲まれ龍門があり、立派な石の鳥居があったという。祭礼も盛大に行われていたが、明治の大風で社殿が倒れ、昔のように復元も出来ず、今日の姿になった。

因幡家には、刀剣・烏帽子・かみしも・他種々のものが長持いっぱい保管されてあった。その中の剣は、異様な形をしていたと聞く。
1930年、因幡家が火災に遭い、跡形もなく焼失してしまった。

長島集落の秋祭りは10月19日。その祭典にあたり神官の祭典行事の初めは必ず、「こうやの宮」の神事から行われる。これから推測しても、このこうやの宮が当地区で最上位の宮であることが判る。









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by kusennjyu | 2012-01-31 05:57 | みなみ地元学 | Comments(0) |Topに戻る
南校区「笑顔で歩こう・みなみウオーク」2・千寿の楽しい歴史
南校区「笑顔で歩こう・みなみウオーク」2    1月22日    天気   曇り一時小雨

説明は長島地区の文化財(昨年訪ねて)をクリックして見て下さい。

若宮神社(古島)

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長島地区の文化財9(若宮神宮)  (クリック)

板碑

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弘法大師堂

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長島地区の文化財8(板碑・弘法大師堂)   (クリック)

大神宮

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長島地区の文化財7(大神宮)  (クリック)

釣殿宮(休憩)  飴湯・お茶・菓子を用意してもらう。

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長島地区の文化財6(釣殿宮)  (クリック)






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by kusennjyu | 2012-01-30 17:59 | みなみ地元学 | Comments(0) |Topに戻る
南校区「笑顔で歩こう・みなみウオーク」1・千寿の楽しい歴史
南校区「笑顔で歩こう・みなみウオーク」1    1月22日午前中  天気  曇り一時小雨 

集合   南小学校集合   開会式   午前9時   コース  6.7km   

参加者   約100名

a0137997_628356.jpg下小川八幡神社

妙光寺(下小川)   

若宮神社(古島)   

潟板碑(古島)   

弘法大師堂(潟)→ 大神宮

釣殿宮(長島)  休憩地   

宇津羅姫塚(宇津)    

こうやの宮(栗ノ内)


受付

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集合・説明・準備体操

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出発(南小学校)→国道209号線歩道を北側へ→南真木信号で右折横断する→下小川八幡宮

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下小川八幡宮

ここでは毎年11月第2日曜日に下小川八満宮風流が行われます。  
 
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後一条天皇の治安3(1023)年、太神郷小河庄は宇佐の神領となる。(宇佐大鏡)

順徳天皇、承久2(1220)年、宇佐の分身を祀る。(宇佐神宮の分身を小川に遷宮する。)

この宇佐からの遷宮の行列を氏子の祭礼の行事とし、さらに徳川幕府時代の参勤交代の大名行列のやり方をを取り入れて、今日の下小川八幡宮祭礼の行事になったと推察される。

下小川八幡宮の鳥居

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妙光寺(下小川)

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妙光寺の逆修板碑

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この板碑は、明治時代に廃仏毀釈の難に遭って、堀川の底に沈められていましたが、当寺の住職によって境内に丁重に安置されたものです。永年水中に放置されていたのが幸いして、碑面の保存が良好で、字句が鮮明に読み取れます。

高さ94cm、幅60cm、厚さ8cmの安山岩の切石に、阿弥陀如来の種字と浄土縁起が刻まれています。

建立は、応仁2(1468)年9月10日とあり、大陽 之の名が記されています。
当町内では最も古い年号を持つ板碑です。

    瀬高町指定有形民俗文化財(平成14年4月16日指定)   瀬高教育委員会                    










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by kusennjyu | 2012-01-30 06:35 | みなみ地元学 | Comments(0) |Topに戻る
2011長島地区の文化財を訪ねて9・千寿の楽しい歴史
長島地区の文化財を訪ねて9   

平成23年8月3日   

参加者 7名


潟の北側の古島を回りました。

天満宮(古島の北東側)   

現在は管理されていなくて、今にも倒れそうです。

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若宮さん

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河童まつり(若宮さん)

もともと旧暦の5月が「水の神」を祭る月で、一般に「かっぱ祭り」「川祭り」といっている。
川や池などに住むという河童の姿は、地方によって異なるが、総じて子供の形をし、頭部に水をたたえた皿があり、髪はいわゆるオカッパをなしている。背には甲らがあるのもある。当地方の河童は甲らがないのが特徴である。

大根川下流の古島(こと)地区の林の中に若宮神社の小堂がある。

若宮さん、よど姫さん、カッパさんの三体を祀ってある。(写真参照・左下の赤い像がカッパさんです。)

春の彼岸には藁で作った大だこ、大いか、ひさご(徳利)、盃を笹に吊るして河童に供える河童まつりが300年以上も続いている。

秋彼岸過ぎになると山に入って山童(やまわっぱ・やまわろ=童子姿の妖怪)となり、春になると川へ帰って河童になるという。

子供がカッパさんから引かれないようにとの願いをこめ、酒肴を供えてお祭りをするのである。
また古島という所は遠い昔は島であったらしく、飯江川、大根川合流地点で「蛙が小便まっても大水が入る」といわれる長島集落にあって、床下浸水もない所で「浮島」といわれた。近くに海津浮等の名の地区がある。

南校区まちづくり協議会の資料の河村子路作記より。

天満宮  古島の北西にあります。

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古老の話ですが、上の楠の木は3代目だそうです。初代の楠の木は清水山から見えたそうです。
大きくなったら切てから、その後に小さい楠の木を植えたものが上の写真のものです。

春の彼岸には藁で作った大だこ、大いか、ひさご(徳利)、盃を笹に吊るして河童に供える河童まつりが300年以上も続いている。

上の写真参照(大だこ・大いかは河童まつりが終った後で、世話された家の周囲に立てられています。)

藁で作る大だこと大いかを作れる古老の方が少なくなっています。

地蔵堂   天満宮の北側にあります。

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長島地区の文化財を訪ねてはこれで終ります。どうも、ありがとうございました。
長島地区の秋祭が10月19日に行なわれますので取材する予定です。

by kusennjyu | 2011-08-17 05:26 | みなみ地元学 | Comments(0) |Topに戻る
2011長島地区の文化財を訪ねて8・千寿の楽しい歴史
長島地区の文化財を訪ねて8     

平成23年8月3日 参加者7名

弘法大師堂(長島潟地区)

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弘法大師堂落成(長島潟地区)

長島の潟地区に、古来から“おこぼさん”と親しまれ、地域で守り続けてきた弘法大師堂があります。

数百年は経っていると思われる古いお御堂を建替えようと、15年程前から地域11戸で費用を積立て、去る7月18日、めでたく落成式を迎えました。

御神体や大師像が鮮やかな色に復元されました。
弘法大師とは高野山で日本最大級といわれる宗教家「空海(774~835年)のこと。本地区では文献が見つからず由来など不明ですが、お彼岸などの巡礼札所の1つで、遠方から来る人も多いそうです。

お御堂内には90体程の石像が安置されています。これは大きな石の台座を含めて、すべて潟地区の人達の人力で並べられました。ここ弘法大師堂は、潟地区の人々の心と汗と絆の象徴を観る思いがします。

(みなみ通信「田園」第60号より)

※明治時代の寄付者に高田町田尻の武藤徳蔵氏の名前があります。

板碑(古島農業研修所敷地内)

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建立 天文4(1535)年    

移築で板碑が基礎台に埋設

刻銘  阿弥陀如来三尊の線刻ほか不明

a0137997_1681520.jpg珍樹(お猿の木)

お猿の木は潟地区の畑の中にあります。私には2匹が樹にしがみ付いているようにみえますが、皆さんにはどのように見えますか。

今までに長島の珍樹が紹介しましたが覚えていますか。

魚の木・ロバさんの木・人馬一体木・お猿の木  

珍しい樹を発見しては名前をつけて標示しています。

長島地区はすべての神様が鎮座まします所で、ここに住んでいる人々の感性ではないでしょうか。

次回は長島古島(こと)地区の河童まつりなどを紹介します。

by kusennjyu | 2011-08-16 16:23 | みなみ地元学 | Comments(0) |Topに戻る
2011長島地区の文化財を訪ねて7・千寿の楽しい歴史
長島地区の文化財を訪ねて7    

平成23年8月3日 参加者7名

大神宮 長島潟地区

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左~某家先祖切腹の場(大神宮境内) 右~釣殿宮・大神宮参道舗装の碑

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荒人さん(大神宮境内)

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大神宮

釣殿宮の北東にあり。天智天皇、小佐嶋(長島)に行幸の時、仮の御室(おむろ)として神籠木(ひもろぎ)を建て、朝夕お祈りを捧げられた所が大神宮といわれている。三宅連得許(むらじ)が奉納し、のちに宮元長者が崇拝してきた。

祭神は天照大神で、社紋は八つ日足(やつひあし)である。

祭礼は10月19日、釣殿宮の祭礼と同時に行われる。
他に夏越祭(なごしさい)がある。以前は7月4日に行なわれていたが、現在は田植え後の日地曜日。拝殿に茅の輪を飾り、神殿にて神官による弓矢を使って、「蟇目祈祷(ひきめきとう)」が行われる。

某家先祖切腹の場と荒人さんが境内にある。

南校区まちづくり協議会資料の田中広次記より。

次回も潟から紹介します。










by kusennjyu | 2011-08-15 20:11 | みなみ地元学 | Comments(0) |Topに戻る
2011長島地区の文化財を訪ねて6・千寿の楽しい歴史
長島地区の文化財を訪ねて6    

平成23年8月3日   参加者   7名


釣殿宮

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拝殿

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本殿

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長島の釣殿宮

大根川が飯江川に合流する地点に、釣殿宮(つってんさん)という、神社がある。
この地点を釣り殿二又といい、大正初期までは船が通っていた。

釣殿宮は往年、腹赤宮(はらあかぐう)と称し祭神は天智天皇とも景行天皇とも言われている。

釣殿宮財産目録書(江良神官所属)の冒頭には、祭神は事代主命と美穂津姫命と記載してある。事代主命とは「えびす神」である。

社記には「景行天皇西遊してこの地に至る。土人腹赤の魚を献ず。後年祠を建て天皇を祀る。腹赤社と称す」と書かれており、南筑明覧には「天智天皇の心霊を祀る」とあり、源平盛衰記には「天皇未だ位に即きた給はざる時、卜者の曰く『君は乞食の相(そう)おわします』と奏しければ『我は位に即きて食すべきに非ず。そなえる相は又のがれがたきか』と申されて、即位以前にその相を果さんと西国修行に出で給ふ。

筑後の国、江の崎より小佐島(長島)という所を通らせた給ひけるに、労れにのぞみ給いけれども供御(くご・御食事)まいらするものなし。

網を引く海人に魚を召され、御労を休め給う。我位に即きなば必ず供御にし、供えてくれよと思し召され、その名を御尋ねありければ、里人は『はらか』と申したり、帝位に即き給ひて天智天皇と申し奉る。思し召し出づ。里人、『はらか』を奉り帝の供御に備えたり。それより此の魚は祝いのためしに供える事となれり。」とある。

また「御西遊の折、江の崎より舟を浮かべて此処に至り御舟を着け給ふ此の所を『釣殿』と唱へ、また社の西に御旗を立て給ふ所を『御旗の森(杜)』と称し、御鉾を納め給ひし所を『鉾納森(杜)』(現在のひろたけさん)と云ふ。

往古は天皇の御親翰一軸が神殿に納めしありしも中古盗賊之を盗り、今は薩州鹿児島家の家宝となる。」と記されている。

同社には、豊魚を祈願し、これを象徴化したと見られる「日月と釣り針」をえがき「次、宮元土佐の守文明十九年(一四八七)之とし、八月吉日」と書かれた旗が存在している。

10月19日の祭礼には、2梳の大旗の他に前記の小旗を押し立てて宇津、古島を除く長島全域でのお祭である。

南校区まちづくり協議会資料の河村子路作記より

民話 釣殿宮と腹赤の魚   クリックしてみて下さい。

西の宮

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にしの宮

にしの宮は、釣殿宮境内にあり、御神体は石で社殿は田中の神と同じく最も素朴な竹の柱に藁の片屋根で、毎年田中の神と共にこうやの宮氏子によって葺き替えられ、祭礼は旧暦9月19日大神宮、釣殿宮と同時に行われる。現在は瓦葺にして以前のような素朴な社殿はなくなった。

にしの宮の祭神は物部阿志賀野神であろう。一説には大国主命(おおくにぬしのみこと)を祀ったとも言われ、こうやの宮の氏子の因幡姓の多いことを考えると、出雲地方に関係があると思われるが定かではない。

他にも、野田の天神さん(金鉈の神と思われる)、出店、日出(ひいで)にも関係した社があり、物部一族発祥の地に深くかかわっているのではなかろうか。

南校区まちづくり協議会資料の田中広次記より

a0137997_2514498.jpg飯江川右岸で安手橋と釣殿宮の中間の土手の下に地蔵さんを祀っています。

その敷地内の東側に住宅があり、この地は日出(ひいで)の南東端にあたります。

住宅と土手の間がやぶになっていますが、やぶの中に日出天神が祀ってあるようだと、養福寺跡の説明をされた方が年寄りから聞いたことがあるようですと言われました。

珍樹(魚の木)  どのように見えますか。

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「餌を求めて大口を開け」ていたり、「四方八方を動き回り、やっと餌を口に入れた」ように見えます。(説明板より

次回は潟と古島に入り紹介します。

by kusennjyu | 2011-08-15 02:39 | みなみ地元学 | Comments(0) |Topに戻る