千寿の楽しい歴史
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カテゴリ:長崎街道( 3 )
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2013・長崎街道 原田宿を訪ねて・千寿の楽しい歴史
原田宿を訪ねて   

平成25年4月8日


JR鹿児島本線 原田駅前(伊能忠敬像と原田駅家之真景)

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原田宿は、長崎街道の宿の一つで筑前六宿の南端にあり、肥前国と筑後国に接した国境の宿場でした。

そのため「関番所」が置かれ、往来手形を調べる関番(番所役人)がいました。

原田宿は九州で最も通行量が最も多い長崎街道の宿が置かれ、参勤交代を初め、長崎から江戸に向かうオランダ人などの外国人など多くの人々が往来していました。

日本全国の測量をした伊能忠敬の『測量日記』には、宿場に入ってすぐ右に関番所(通行手形を調べる所)があり、横に町茶屋(宿泊所)、右側に問屋(といや・旅行者に馬やこごの世話をする所)、左側に制札所(せいさいしょ・幕府や藩の法令を掲示する所)があったこと、さらに進んで博多道と長崎街道の追分に出ると、正面に筑紫大明神の鎮守の森があることなどが記されている。

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上の「長崎街道とその周辺の街道図」です。

九州の街道で最も交通量が多かったのは、筑前を通る長崎街道・日田街道・薩摩街道です。

長崎街道は、唯一の外国貿易港がおかれた長崎と江戸を結ぶ幹線で、小倉~長崎間の五十七里一町二十間半(約228Km)をいいました。

原田宿の旅人

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江戸時代、多くの旅人たちが長崎街道を旅し、この原田宿に宿泊しました。旅の目的は公用、商い、遊学、物見遊山などでしたが、それぞれの思いが旅日記などに残されています。

尾張の商人菱屋平七は、享和2(1802)年の原田宿のようすを「人家百軒あまり宿屋多く茶屋もあり。」と『筑紫紀行』に書いています。

また、十返舎一九の『金草鞋(かねのわらじ)』では、
奥州の旅人が原田宿の京二屋善右衛門の宿に泊まり、「豊年は出来あき人も諸共に肥ふくれたるは田宿かな」という狂歌を詠んでいます。

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原田宿の初代代官 小河内蔵允 

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原田宿を通った人々

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原田宿は長崎街道の宿場で、多くの先覚者たちが行き交いました。

日本最初の銅版画を制作した司馬江漢(しば・こうかん)、狂歌作者として著名な大田南畝(おおた・なんぼ蜀山人)、森鴎外(もり・おうがい)の小説で知られる伊沢蘭軒(いざわ・らんかん)、松下村塾を開いた吉田松陰、はじめて日本を正確に測量した伊能忠敬、ケンペル、ツンベルグ、フィッセル、シーボルトなどのオランダ使節が代表です。

これらの人々の往来は宿場や街道沿いの人々に大きな文化的影響を与えました。

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はらふと餅屋  

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筑紫宮と追分石(左 天満宮参道)

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旧梵鐘  a0137997_2171417.jpga0137997_2172379.jpg


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ありがとうございました。






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by kusennjyu | 2013-04-09 21:10 | 長崎街道 | Comments(0) |Topに戻る
内野宿を歩く・千寿の楽しい歴史
内野宿を歩く    12月4日午前中     三池史談会メンバー20人と訪ねる。

長崎街道(筑前六宿)

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筑前六宿とは、福岡藩領をとおる長崎街道にある黒崎宿(北九州市八幡西区)木屋瀬宿(北九州市八幡西区)、飯塚宿(飯塚市)、内野宿(嘉穂郡穂波町)、山家宿(筑紫野市)、原田宿(筑紫野市)をさしている。

宿には御茶屋(本陣)・町茶屋(脇本陣)がおかれ、庶民は旅籠屋・木賃宿に宿泊した。筑前六宿は、長崎奉行・オランダ人・九州の諸大名などが通行し、九州内の宿駅では最も繁盛した。宿には代官とその下に下代がおかれ、宿駅・村方(地方)関係の業務を支配した。

長崎街道は江戸時代、小倉-長崎間57里(約228km)を25ヶ所の宿場で結んでいました。
そのうち、現在の福岡県内を通る6ヶ所の宿場町を筑前六宿(ちくぜんむしゅく)と呼んでいました。

1612年に内野宿(飯塚市内野)が建設されたと言われていることから、筑前六宿の住民団体の話し合いにより、2012年(平成24年)を「長崎街道筑前六宿開通400年」の記念の年として位置付けております。

内野宿図

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江戸時代の旅人の姿をたどる

当時の宿の生活をのぞいてみよう。宿場には御茶屋や町茶屋意外にも、庶民的な旅籠や木賃宿が軒を連ねていた。人々は「暮六ツ」と呼ばれる日没前に宿屋に入り、旅の草履を脱いで、荷を降ろした。木賃宿などは相部屋が常識。旅の者同士で話が弾んだことだろう。

旅の持ち物は道中記(旅行案内帳)に火打ち石、手ぬぐい、鼻紙、針や糸、短刀、日時計と磁石、筆記用具の矢立、髪結い道具、折りたたみ式の道中枕や薬など。

旅行中の食事は宿で取るほか、携帯した干飯や宿で作ってもらう弁当を持ち歩いた。人々は夜明けの「明六ツ」とともに出発し、次の宿を目指したという。宿場町は、そんな旅人を迎え、送り出す場所であった。

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T字路角地に

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宗賢寺

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観光ボランティアの説明

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庄屋跡

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柿の木(樹齢約400年)

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内野古道

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大イチョウ(樹齢約400年)

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左~大櫨(樹齢約400年)   右~大桜(樹齢約400年)

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左~猿田彦太神   右~福部神社

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内野の習俗/麹断ち

火難除けを祈願した後も、安永8(1799)年、140戸全焼等大火災が続いた。秋葉大権現のご加護により火難から逃れようと祭りを催すことになった。

そうした祭日に万年願として、麹で作ったしょうゆ、みそ、酒、酢などの食物を一切食べないという伝承「麹断ち」(毎年12月24日)が現在も170年余にわたって続いている。

麹断ちの話を11月に聞き、内野宿でもやっていると教えたばかりだった。今回の三池史談会の研修で内野宿を訪ねることは知らなかった。

今回は自分で希望したことが叶えられたと思っています。ありがとうございました。








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by kusennjyu | 2012-12-05 09:59 | 長崎街道 | Comments(0) |Topに戻る
2012長崎街道「筑前六宿」の旅へ・千寿の楽しい歴史
長崎街道「筑前六宿」の旅へ

グラフ ふくおか 2011冬より

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黒崎宿~筑前六宿の玄関口となる宿場

宿場町の構造をみる

長崎街道には、諸大名や長崎奉行などが泊まる「御茶屋(本陣)」や、その家臣などが泊まる「町茶屋(脇本陣)」が設けられた。

これらの茶屋は庶民が泊まる「旅籠」とは一線を画していた。宿場町には、この御茶屋や町茶屋を中心に、宿を統括する役人を置く「代官所」、駕籠や馬を乗り換えたり、物資を扱う「人馬継所(問屋場)」、さらに、旅人を検査する「構口」が置かれた。

また、宿場町は旅人をもてなす他にも「鉤(かぎ)の手」と呼ばれる直角に折れ曲がった道を造るなど、外敵の侵入を防ぐ役割も担っていた。

城下町から宿場町へ

黒崎宿は小倉から長崎へ向かう最初の宿である。慶長9(1604)年、城下町として建設されたものの、元和元(1615)年の「一国一城令」で城は取り壊され、城下町は宿場町へ移り変わった。それは、藩の通貨を造っていた鋳銭場跡に、速やかに御茶屋が建てられたことでもわかる。

黒崎湊で繁栄した宿

黒崎宿には、福岡藩では唯一、大坂への渡海船が発着する「黒崎湊」があった。
交通の便がいいことから商売の盛んな地となり、その繁栄ぶりは六宿の中でも抜きん出ていたという。また、黒崎湊に着船し、長崎街道を抜けるルートも大いに活用された。

幕末、京都から逃れてきた三条実美(さねとみ)ら五卿や、坂本龍馬なども船で上陸したといわれる。龍馬の黒崎での宿泊は定かでないが、五卿は湊から輿に乗り、送迎の藩兵に守られながら、黒崎の御茶屋に入ったという記録が残されている。

写真説明

1右上~黒崎宿東構口跡=元和元(1615)年、廃城となった黒崎城の堀を埋めて造られた。

2左上~御茶屋跡から出土した茶碗片=出土した茶碗は須恵で焼かれた御用器で、「黒崎」の銘が残った珍しいもの。

3中~『筑前名所図会』=黒崎駅の図。駅とは宿のこと(福岡市博物館 所蔵)

4右下~曲里(まがり)の松並木に残る江戸時代からの松。

5左下~常夜灯=1849年、灯台として黒崎湊の入口に建てられたもの。地元の船庄屋などの名前が刻まれている。

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木屋瀬宿~古代より交通の要衝であった宿場

遠賀川水運の川港であった木屋瀬

黒崎宿から、ほぼ3里(約12km)先が木屋瀬宿である。木屋瀬は遠賀川のほとりにあり、本格的な宿場町に発展したのは17世紀半ばから。木屋瀬の繁栄には遠賀川の対岸である植木の存在が欠かせない。植木は中世以降、遠賀川水域を代表する川港であった。

その渡し場として木屋瀬は水陸の拠点となり、肥前名護屋城に向かう豊臣秀吉が通ったり、徳川家康が仮陣したと伝えられている。

そのことから、文禄・慶長期(16世紀末~17世紀初頭)には、すでに大名の休泊所が設けられ、商家は立ち並んでいたとされる。

明治40年の大火で町の約半分が焼失してしまったが、近年、整備・公開された江戸後期の豪商屋敷「旧高崎家住宅」などは残り当時の豪商の暮らしぶりがうかがえる。

高崎家はその財力を背景に、高山彦九郎、頼山陽、シーボルトなど、多くの文化人と交流があったといわれる。

江戸時代の旅人の姿をたどる

さて、当時の宿の生活をのぞいてみよう。宿場には御茶屋や町茶屋意外にも、庶民的な旅籠や木賃宿が軒を連ねていた。人々は「暮六ツ」と呼ばれる日没前に宿屋に入り、旅の草履を脱いで、荷を降ろした。木賃宿などは相部屋が常識。旅の者同士で話が弾んだことだろう。

旅の持ち物は道中記(旅行案内帳)に火打ち石、手ぬぐい、鼻紙、針や糸、短刀、日時計と磁石、筆記用具の矢立、髪結い道具、折りたたみ式の道中枕や薬など。

旅行中の食事は宿で取るほか、携帯した干飯や宿で作ってもらう弁当を持ち歩いた。人々は夜明けの「明六ツ」とともに出発し、次の宿を目指したという。宿場町は、そんな旅人を迎え、送り出す場所であった。

飯塚宿・内野宿・山家宿・原田宿

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地元では2012年、長崎街道筑前六宿400周年の記念事業を計画しています。








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by kusennjyu | 2012-05-27 04:23 | 長崎街道 | Comments(0) |Topに戻る