千寿の楽しい歴史
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薩摩街道を行く(みやま市山川~南関)千寿の楽しい歴史
薩摩街道を行く(山川~南関)   平成22年2月25日

大津山公園(南関町)

a0137997_2063721.gif麻扱場(おこんば)橋
おこんば橋は、南関町大字下坂下、北辺田の内田川に架かっていたアーチ式の石橋で、平成5年に圃(ほ)場整備にともない解体撤去して、ここ大津山公園内の太閤水の地に移転復元されました。

橋名は、昔内田川で「麻(お)扱(こ)き場」と呼んだことによるものです。

南関御茶屋跡(南関町)
上をクイックするとリンクします。

 国指定史跡
a0137997_2015483.jpga0137997_20213028.jpg南関御茶屋は、嘉永3(1850)年8月に起工して、嘉永5(1852)年正月頃に完成したもので、藩主が参勤交代する時や領内巡視の際に休憩、宿泊していたものです。

御茶屋跡の今月の催しの雛飾りをで楽しんで下さい。



北原白秋生家  横をクイックすると白秋関係にリンクします。

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白秋は母の実家である石井家で生れて、1ヶ月後に母と柳川に帰り出生届けがされています。
昭和3年の大坂新聞社からの招待による「芸術飛行」に関する九州日日新聞の記事には、

「・・大牟田駅着列車にて來牟、同駅には伯父に当たる熊本県玉名郡南関町長石井氏をはじめ・・」と報じられている。

記者の間違いで「しけ・隆承」の姉弟関係で、白秋の叔父である

南関町は文化協会は平成19年度30周年の節目を経過し、次ぎの歩みを進めています。
機関紙「玉蘭(はくれん)」発行も、充実した編集が続けられ、立派な足跡を残しています。



a0137997_20463631.jpga0137997_20595774.jpg8号
特別寄稿  手記「白秋をめぐる五つの謎」  
第一回文化講演会 「出会いに感謝」 

9号  郷土歴史講演会 「篤姫、南関を通って江戸へ」  半田 隆夫 先生
 

薩摩街道(山川~南関)4  横をクイックするとリンクします。
by kusennjyu | 2010-02-26 21:03 | 薩摩街道 | Comments(1) |Topに戻る
御座敷梅(みやま市の名所)
御座敷梅観賞   みやま市山川町   平成22年2月25日

SNKブログ10名と御座敷梅を観賞しました。

梅花園

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梅花園の梅で雰囲気を楽しんで下さい。



青輝園

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1階の御座敷梅と2階の雛飾りなどを楽しんで下さい。





2階には明治時代からの貴重な買い付け帳簿や古い写真が展示してあります。

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by kusennjyu | 2010-02-26 19:49 | みやま市観光 | Comments(1) |Topに戻る
2010臥龍梅(大牟田市)千寿の楽しい日々
臥龍梅        大牟田市・普光寺(ふこうじ)の臥龍梅(天然記念物)

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境内の臥龍梅(がりゅうばい)は樹齢450年余、24Mも地を這う八重の紅梅で、県指定天然記念物です。
今年から通行料金1人200円(但 志納金として)を払うと入場できます。
  

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三池山(標高388M)中腹に、宇今山普光寺(天台宗)がある。
弘化14(823)年、三毛中納言源師親が千手観音菩薩の霊示により創建する。
慈覚(じかく)大師円仁(えんにん)上人を開山として招き、益々寺門は興隆した。

だが、建久3(1192)年の三池山大地震による土石流や、戦国時代の戦火で多くの建物、寺宝が失われた。
以後、三池・田中・立花と領主が変わったが、それぞれに保護を受けることになった。総本山比叡山延暦寺の直末寺である。

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左  本堂 右  納経帖(九州西国霊場第15番寺)


普光寺の梅をムービーにしました。

by kusennjyu | 2010-02-21 19:58 | | Comments(1) |Topに戻る
菊美人酒造(蔵開き)みやま市瀬高町の名所
菊美人酒造(蔵開き)
a0137997_14274437.jpg住所   みやま市瀬高町上庄
      183番地
電話   0944-62-3001
FAX   0944-62-2168
ホームページ   http://www.kikubijin.co.jp
創業   1735年(江戸期)
現社長  8代目
屋号   薩摩屋
銘柄   菊美人

先々代社長、江崎喜三郎の妻、加代は柳川の詩人「北原白秋」の実姉にあたる(北原酒造場・北原長太郎の長女)。

昭和3年夏、郷土訪問飛行の折、20年ぶりに北原白秋は郷土柳川を訪れました。
 その時、菊美人酒造を訪れ、逗留しています。そして、菊美人酒造に嫁いだ姉、加代との再会を喜び、いくつもの詩歌を詠んでいます。

昭和16年、白秋は妻子、門下の詩人等とともに西下、故郷の柳川及び瀬高町の清水山山頂にて盛大な歌会を催し、「菊美人」の菰(こも)かぶりを飲み干した。

白秋は「菊美人」を墨書し、三幅の扁額を遺した。
「菊美人」は白秋の命名と世人は伝える。

北原白秋に関する展示品
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北原白秋と実姉(加代)の顔写真              「菊美人」の扁額と短冊
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北原白秋文学全集                       扇面(北原白秋の歌詞)

蔵開きをムービであげます。



登録すると抽選会があり私は2等にあたり「純金入り1升酒」をもらって帰りました。
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菊美人酒造ホームページへ
菊美人ブログへ
by kusennjyu | 2010-02-21 14:58 | 酒蔵探訪 | Comments(1) |Topに戻る
2010薩摩街道を歩こう 4(みやま市山川~南関)千寿の楽しい歴史
薩摩街道を歩こう(山川宿~南関宿) 豊前街道(肥後領)

白秋のふるさと南関

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南関町関外目(北原白秋の母の実家)

北原白秋の生まれ故郷は、南関の関外目でした。白秋のお母さんは、関外目の石井家から柳川市(当時は山門郡沖端町)の商家北原家に嫁ぎ、夫北原長太郎との間に隆吉を生んだのですが、お産したのは南関の実家でした。生後1ヶ月して柳川の方に帰りました。


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豊前街道十一里木

肥後国では、薩摩街道を豊前街道と呼び、熊本城札の辻から11里のところに木の杭を立て道中の目印としました。豊前街道の十一里木です。
 
筑後領は石柱ですが、肥後熊本領は木柱が使われました。


大津山公園

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大津山は標高256Mで、容姿が富士山に似ているところから「南関富士」と呼ばれ、大津山を囲んだ広大な森林公園です。
 
公園には、秀吉が島津征伐の折、お茶を献上するため汲まれたとされる湧き水が、今も「太閤水」として公園の一角に残っています。


大津山阿蘇神社

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元治元(1199)年、椋の木という所に一宮阿蘇神社より二柱の神を勧請しました。
 
その後、南北朝時代大津山氏が入国し、大津山(つつらが岳)に社殿を移したといわれ、大津山大明神とか阿蘇神社と呼ばれるようになりました。


南関御茶屋跡

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御茶屋跡の部屋から大津山(南関富士)」を眺める。御茶屋にお姫様を乗せた駕籠が到着しました。


この御茶屋は、嘉永5(1852)年に移転され、新築されたもので、参勤交代時に藩主及び諸大名の休憩所、宿泊所として用いられた建物です。嘉永6(1853)年8月には薩摩の篤姫が江戸参府の折り立寄られ、ご昼食と休息を取っておられます。

平成15(2003)年、国の史跡に指定され、保存修理の上、平成17年5月にオープンしました。
 
建物は、南北に長い造りで、北から御居間、御次の間、三の間と配されており、屋根には細川家の家紋、九曜紋をあしらった鬼瓦や軒瓦が葺かれています。
 
通常御茶屋と御客屋は別々に存在しておりますが、南関の場合はひとつの建物を、御茶屋とも御客屋とも呼んでいたようです。

by kusennjyu | 2010-02-19 21:27 | 薩摩街道 | Comments(0) |Topに戻る
2010薩摩街道を歩こう 3(みやま市山川~南関)千寿の楽しい歴史
薩摩街道を歩こう(山川宿~南関宿) 

大牟田市湯谷


四箇の移りかわり

大津山氏が城主となる。

足利尊氏は大納言  日野資名(すけな)の子、日野資基(すけもと)に領地として肥後国玉名郡大津山一帯を与える。大永2(1395)年、直ちに大津山に城を築き、日野姓を大津山に改める。領地は大津山一帯で300町余、石高は約1万石でした。四箇村もその中に入っていました。

四箇村は筑後領となる。

元亀1(1570)6代目資秋(すけあき)の娘恵牟(えん)と、隣の筑後国三池今山城の城主三池鎮照(しげてる)(鎮実しげざねとも言う)との間に結婚がすすめられ、化粧田として持たせました。

 立花宗茂の領地となる。

天正15(1587)年、三池鎮実は、豊臣秀吉が九州を平定した時に、三瀦郡の領地と立花宗茂の領地と領地替えになり、両家の話し合いで四箇村変換の約束が出来ていました。
 
しかし、その年大津山家稜は隈本城主(現熊本)として赴任してきた佐々成政に忙殺され、200年続いた大津山家は滅亡し、四箇村は立花宗茂の領地となりました。

慶長5(1600)年、田中吉政の領地となる。
元和6(1620)年、立花宗茂が領地を復し、もとの宗茂領となる。

明行寺

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大牟田市四箇字湯谷 写真は楼門(文政4年・1821年建立)。

本尊は阿弥陀如来で真宗本派本願寺派です。この寺の創立は、元肥後国大津山8代城主家稜(いえかど)の重臣であった福山出雲が、大津山氏が滅亡した後、断髪して号を了雲と改め、元和6(1620)年に筑後国北関(山川町)に寺を創建して、明行寺と号しました。 その後寛永年間(1630年頃)現在地に移転しました。

湯谷の国境石

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大牟田市湯谷に筑後柳河領と肥後熊本領の国境を示すために建てられた境界石があります。
「従是西北筑後の国柳河領 従柳河札辻 四里二十町余」と刻まれて道路の両側に立っています。

古い方は江戸時代初期にたてられましたが三つに折れ、中段と下段が残っており、新しい方は、古い方が折れたため江戸時代末期に取替えられたものと思われる。

by kusennjyu | 2010-02-19 19:43 | 薩摩街道 | Comments(0) |Topに戻る
2010薩摩街道を歩こう 2(みやま市山川~南関)千寿の楽しい歴史
薩摩街道を歩こう(山川宿~南関宿) 

四里石

a0137997_1573649.jpg四里石は高速道路の北関のボックスの南側、旧道の傍らに立っていましたが、高速道路建設中になくなっていたため、新たに復元し、元の場所に設置しました。

説明文
筑後藩主田中忠政は父の意志をついで、全国にならって慶長17(1612)年柳河城下札の辻を基点に一里塚を設けました。山川町には追分石(道標野町・赤坂)三里石(野町上町)四里石(北関)が設けられました。
 
追分石は、野町赤坂の四つ角、柳川に向かって右側の角に立てられ、右側面に「清水寺道」左側面に「柳河通」と刻まれているのが今でも読めます。
 この三里石は「三里}とのみ刻まれたものです。

南関街道(薩摩街道)にはこの外、一里石(柳川市三橋町)・二里石(復元・瀬高町下庄大竹・JR鹿児島本線大竹踏切東から約20M南の地点)・国境石(大牟田市湯谷)があります。

南関街道は肥後国とを結ぶ重要な道路で、柳河札の辻から「松風の関」を経て湯谷国境石まで全長四里二十丁余(約18.2Km)ありました。

旅人の便宜をはかるために{宿駅」と「お茶屋」が置かれました。山川には、宿駅(馬継所・馬16頭が置かれた。)「原町」。お茶屋「野町・原町・三峰・北関」に置かれました。

松風の関

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説明文は国道443号線の横の入り口にある。
松風の関は約500M入った山道(高速道路の東側)にある。


古代から筑後国と肥後国を結ぶ唯一の街道で、北関山麓にあり、この街道で最も険しい天然の要害地でした。そのようなところから関所が設けられたものと思われます。
 
その険しいところに吹く風は松の梢を撫で、心地よい美しい音を奏でた、「松風の関」の名が生れた所以(ゆえん)だそうです。

今は、高速道路の建設によって消滅し、その近くを通る旧道に残る「首切り地蔵」によって僅かに当時を偲ぶことが出来ます。

この「首切り地蔵」とは、通行手形を持たず、関所抜けをして処刑された人の霊を慰めるため里人が祀ったものと思われます。

戦国時代は、合戦のたびに、筑後領になったり、肥後領になったりしましたが、田中吉政時代にここ「松風の関」から北を筑後領としたので、それ以後筑後領となり、現在に至っています。
 
平成21年10月の飯江川3北関を見て下さい。「松風の関」から「国境石」までをアップしています。

民話「はなたれ小僧さま」発祥の地   
 山川町北関大谷  ここは薩摩街道から外れています。

真弓に正直者の老夫婦がいて、山で刈った柴を南関の町へ売りに行ったのですが、全然売れなかったので水神様にお詫びして柴を川に流したところ、川から水神様が出てきて「柴のお礼にこの小僧様をあげよう。

この小僧様はエビナマスしか召し上がらぬ。願い事は何でも聞いて下さる。」というと消えてしまいました。

気がつくと目の前に、かわいい小僧さんがいましたが鼻の下に汚いふたすじの鼻汁を垂らしていました。
 その小僧様に祈ると、ほしい物が何でも出てきて老夫婦は大金持ちになりましたがエビナマスをとることと鼻汁がいやになって、この小僧様を水神様に戻すことにしました。
 
今まで建っていた屋敷も蔵もいっぱいの米も消えてしまって、もとのような貧乏な暮らしになったといいます。

この話に登場します底なし淵はこの看板の後ろ、水神様の像は真弓の釈迦院内にあります。
 
おじいさんが建てた屋敷が地名(屋敷谷)として残っています。小僧様の石像が作られたのを契機として「民話の里まつり」が大谷地区で開催されています。

大谷の民話「はなたれ小僧さま」 横をクイックするとリンクします。
  
 
by kusennjyu | 2010-02-19 17:35 | 薩摩街道 | Comments(0) |Topに戻る
2010薩摩街道を歩こう1(みやま市山川~南関)千寿の楽しい歴史
薩摩街道を歩こう(福岡県山川宿~熊本県南関宿)

平成20年11月2日に「薩摩街道歩く会」主催

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みやま市山川町は、国道443号線(薩摩街道)が南北に縦断し、数多くの遺跡が残っています。自然が豊かで多くの農産物の生産地です。特にミカン、たけのこは特産品として有名です。

山川宿(原町宿)

江戸時代、物資の輸送、通信、休泊の機能を果たすため交通の要綱に馬や人足、宿泊施設などを備えた街道添いの集落を宿場(宿駅)といいます。

ここ原町には、馬継所として馬16疋が置かれ、また各村々伝達のための御茶屋が置かれ、街道を往来する大名の休息所にも利用されたと言われています。


西楽寺 

寛永16(1637)年に僧菊池教心により開祖創建されました。

 薩摩街道・山川宿(原町宿)を偲ばせる唯一の寺で、江戸時代後期の文化9(1812)年2月に街道の測量の
ために伊能忠敬一行が宿泊した寺と伝えられています。


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要川古戦場

要川は源平最後の激戦地として知られています。文治元(1185)年、壇ノ浦の戦いに敗れ、生き残って九州に落のびて来た平家一門は、源氏の追討にあい南へ、南へと遁れました。そして、ここ山川の地を最後の決戦場と決め、要川周辺に陣を敷き、源氏の追撃を待ったのです。

しかし、押し寄せる源氏の大軍に勝つ術もなく、決定的な敗北を期しました。生き残ったわずか、ある者は山や谷に逃げ、ある者は南に向かって逃げ、散々に落ちて行きました。

 飯江川6(要川公公園)平成21年11月を見て下さい。

物見塚

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物見塚上から要川公園方向(北側)の風景です。
 源氏と平氏の最後の決戦の時、要川を眼下に遠く野町から竹井原を望める小高い丘に監視所を設け、源氏の進撃状況を要川の平家軍に通報したと云われ「物を見る塚」と呼ばれるようになりました。

この塚の上にある天満宮は、山川町内では一番古く、長久3(1042)年の創建と云われています。

かさ地蔵

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江戸時代後期の建立。板碑状の石に線刻のお地蔵さん。

この近くでは珍しいものです。田尻種貞と並んで立てられていることは田尻氏の供養のために立てられたものと考えられます。
 
田尻因幡守種貞供養塔

供養塔には、田尻因幡守種貞/圓寂鎮了安大居士/文禄二癸巳年春二月二一日/明暦二年忌日造立焉末孫田尻種元/と四行に刻まれています。

癸巳年は「みずのとみ」年です。焉は「エン・いずくんぞ」と読み「ここに」という意味です。

田尻氏は飛塚(みやま市高田町田尻)に本城を構え、代々ここを居城とするこの地方の豪族でしたが、永禄年間(1558~1569)に城主田尻親種が鷹尾城に移り、ここは城番に守られました。これより数百年この城は続いたと言われています。

種貞の事蹟については明らかではありませんが、おそらく文禄2(1593)年・文禄の役(秀吉の朝鮮出兵)で戦死したものと考えられます。

ここに供養塔があるのは、種貞が親種以下の鷹尾城に移った後も飛塚城を居城として活躍。
飛塚城の見えるこの地に居城を構えていた為ではないかと考えられます。

下をクイックすると田尻氏関係にリンクします。
「田尻城跡 豪族 田尻氏の郷」  
田尻氏ゆかりの地見学会1
田尻氏ゆかりの地見学会2 
「ふるさと探訪 鷹尾城」

 
 
by kusennjyu | 2010-02-19 12:49 | 薩摩街道 | Comments(0) |Topに戻る
梅林寺公園の観梅(千寿の楽しい日々)
梅林寺公園の観梅

2月17日午前11時に久留米市の梅林寺公園の梅を見に行ってきました。

駐車場は筑後川の河川敷にあります。長門石橋が下から見えます。

ムービでアップしましたので見てください。


by kusennjyu | 2010-02-18 12:56 | 風景 | Comments(0) |Topに戻る
阿含の星まつり(千寿の楽しい日々)
阿含の星まつり

a0137997_13271817.jpg日時 平成22年2月11日(祝)
場所 京都市山科区北花山大峰

私はパピリオンの中で、午前6時から午後3時30分まで本の販売を行う。

午前10時から雨になり外の交通整理・会場整理など殆どの修業者は合羽を着ているが体が冷えきっている。

参拝者は雨の中でも熱心に日本全国から来ている。


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私の修行が終わってからの大黒天特別加持会場と護摩供養会場(午後3時50分頃)をムービであげました。
どうぞ、雰囲気だけでも見て聞いて下さい。

大黒天特別加持会場


護摩供養会場


阿含宗ホームページ  「星まつり」を見て下さい。
by kusennjyu | 2010-02-12 13:51 | 九州のまつり | Comments(0) |Topに戻る