千寿の楽しい歴史
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2010柳川の日吉神社(千寿の楽しい歴史)
柳川の日吉神社   

平成22年9月25日   

明証図会より(3枚)

日吉神社社殿

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山王権現社

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山王宮

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左~鳥居  右~本殿前参道

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左~本殿  右~皇太子御成婚記念(参道の右側)

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本殿の中  神猿像(猿は山王の使者)

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本殿の中  狛犬

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左~「山王大権現」の額縁  右~神紋(丸に一引く)

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宮司さんから本殿の中を説明してもらう。

ここの祭神は内々陣に祀られ、奥行きが広く感じられる。
内陣は畳の間であり、他の神社の内陣は板の間である。


神猿」と書いて「まさる」と読む。
「まさる」は「魔が去る」または「勝る」の意であり、厄除け、魔よけ、守護に利益があるとされる。

神紋が丸に横一であることから、比叡山一の宮日枝神社の分身を祀った神社という。

神紋の「丸に一ひく(丸に一の字)」の「一」は「一白水星」で水の象意であり、農耕に関係がある。
農耕の神は代掻きの頃、山から下りてきて田の成長を見守り、収穫したら山に戻られる。



御由緒

柳川総鎮守日吉神社は、四十二代伏見天皇の御代正応3(1290)年、山門郡、社村の農長(森山和左ェ門)先祖が近江国滋賀郡坂本、(山王大権現)を奉護し社村に帰り清浄の地に鎮護の産土神として崇奉してより数百年を経て後、柏原天皇の御代文亀永正の頃、蒲池筑後守治久が社村の地内に出城(後の柳河城)を築き山王宮を柳河惣廟として崇敬した。

その後、柳河藩主立花宗茂公、田中吉政公等の厚い崇敬を受け祭り盛んとなる。
現在の建物は、元禄8(1695)年、立花鑑虎公心願の成就に礼し改築した。

藩初以来、柳河山神護寺最勝院(東叡山末寺)は神仏混合の時代山王宮の東南東に位置し、(現在の柳城公園付近)厚い崇敬を受けていたが、明治維新後、廃仏毀釈により廃寺となる。

明治2年藩社と定められ、明治4年7月に県社となる。
同山王宮はを日吉神社と改める。

明治6年郷社に列せられるその後、時代を経て
昭和51年、御鎮座700年祭を斎行。
昭和61年、境内社の諸神社、神殿、御神庫、神饌所等修理修繕。
昭和63年、境内社の金刀比羅宮を修復、並びに鳥居の建築。

近年境内の整備等が実施され、崇敬者の皆様で賑わいを見せ、御神威益々輝く日吉神社です。

御祭神   大山咋神(おおやまくいのかみ)

大山咋神(おおやまくいのかみ)について

大山咋神は、「古事記」に「大山咋神(おおやまくひのかみ)。またの名は山末大主神(やますえのおおぬしのかみ)。
この神は、近淡海(ちかつおおみ)国の日枝山に座す。また葛野(かずの)の松尾に座す。鳴鏑(なりかぶら)になりませる神なり」
とあるように、近江国(滋賀県)の日枝山(比叡山)に鎮まったのが最初で、後に松尾に鎮座した。
治山、治水、農耕の守護神とされた。
大山の主であり、比叡山(天台宗・延暦寺)をはじめ、広く地主神として祀られ崇められる。



御神徳

大山咋神の「咋」は「主」という意味で、大山の主であると共に広く地主神として崇められ山、水を司り大地をお守りいただいている神です。

万物の成長、発展、方災解除、厄除隆昌、無病息災、初宮詣、交通、海上、家内安全、商売繁盛、良縁、事業、進学成就等々御神徳は広大無辺です。

by kusennjyu | 2010-09-30 17:09 | 柳川・大牟田・大川の歴史散策 | Comments(0) |Topに戻る
田舎の散歩風景(千寿の楽しい日々)
田舎の散歩風景 9月30日午前11時~午前11時30分   曇り

左~コスモス  右~彼岸花

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コスモス

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彼岸花  草刈するも彼岸花だけは残っている。

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名を知らない花

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左~米  右~大豆

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九州新幹線の作業車(3台通過する)。

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by kusennjyu | 2010-09-30 16:16 | 風景 | Comments(0) |Topに戻る
大牟田のヒマワリ畑(千寿の楽しい日々)
大牟田健老町のヒマワリ畑   9月27日(火)  快晴  

広い敷地に100万本以上のヒマワリが咲く誇り、家族連れやグリープで見学にきて、楽しんでいました。

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動画(ヒマワリ畑)


by kusennjyu | 2010-09-28 17:13 | | Comments(0) |Topに戻る
2010県を跨いで歩く4(荒尾市大谷)千寿の楽しい歴史
県を跨いで歩く4(荒尾市大谷) 

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グリンランドのゴルフ場と跨道橋

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グリーンランド(南西から撮る。)と大谷ブス停付近の銀杏並木。

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荒尾総合文化センター外のタイル絵画

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荒尾の文学  9月26日午後2時から講演  荒尾総合文化センター(大ホール)にて。 
       
一般 1000円  高校生以下 500円 

プロフィール

坂村真民(さかむら・しんみん) 詩人

明治42(1909)年1月6日、現在の荒尾市府本に生まれる。
満8歳の時、父急逝。大きな転機となる。
初めは短歌を志し、後に詩に転じ、詩誌「詩国」を刊行、97歳で没する年(平成18年12月11日)まで執筆を続けた。

主なる著作

歌集 『石笛』

詩集 『自選坂村真民詩集』、『朴』、『詩国第一集』、『詩国第二集』

随筆集 『念ずれば花ひらく』、『生きていく力がなくなる時』 、『すべては光る』、『仏像写真とその詩』

、『み仏は風の如く花の如く』等がある。
       
海達公子(かいたつ・きみこ) 少女詩人

大正5(1916)年8月23日、母マツエの行商先長野県飯田市で生まれる。

その後、一家は石炭景気で賑わう荒尾市で生活を始める。
大正12年荒尾北尋常小学校(現在の第二小学校)入学。
入学するや父・松一は公子に詩作の指導を始める。

尋常小学校2年生のときに、児童雑誌「赤い鳥」7月号に児童自由詩「ひし」がはじめて推奨作に推され、選者北原白秋の好評を得る。

続く9月号には「夕日」が推奨作となるなど、一躍全国的に知られる存在となっていく。

昭和8年、高等女学校(現・玉名高校)の卒業式後に虫垂炎で倒れ、腹膜炎を併発、16歳で死去。
生涯で5000編の詩と300首の短歌を遺した。

島本新太郎(しまもと・しんたろう) 放送作家・脚本家

明治43(1910)年5月5日生まれ。
早稲田大学文学部中退後、読売新聞社記者。

戦後、三池炭鉱に勤務。
坑内での仕事から炭鉱の組合の機関紙編集部へ。
その間、文学誌「みいけ」を創刊し、劇団表現座のライター兼演出を手がける。

その後、放送作家となり、NHKの懸賞放送劇1位作品「炭鉱」をはじめ「冬の星」、「命なりけり」、「酩酊の街」など、数多くのテレビ・ラジオの脚本を執筆。熊本のシナリオライターの草分け的存在であった。

昭和53(1978)年、荒尾劇団「かたつむり」を立ち上げた。翌年、67歳で死去。

今回発表する「炭鉱」は、劇団「かたつもり」立ち上げ当時のメンバーを主体としている。

ふるさと詩集(うたあつめ)Vol.12のパンフレットより。

by kusennjyu | 2010-09-26 11:59 | 柳川・大牟田・大川の歴史散策 | Comments(0) |Topに戻る
県を跨いで歩く3(荒尾市万田)千寿の楽しい日々
県を跨いで歩く3(荒尾市万田)  万田抗跡

いま万田坑に世界が注目しています。

世界遺産を目指して 「九州・山口の近代化産業遺産群」

「九州・山口の近代化産業遺産群」は、世界遺産の候補として、2009年1月にユネスコの世界遺産暫定一覧表に記載されました。

万田坑を含むこの遺産群は、日本が幕末に西洋技術を導入して以降、非西洋地域で初めてかつ極めて短期間のうちに飛躍的な発展を遂げた大きな原動力となったことを示しており、古来、日本と海外の窓口として外国の文化や技術を受容する最前線の役割を担っていました。

万田坑(今年4月から入館できるようになりました。)

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a0137997_1022624.jpg明治期
建設中の万田坑(明治31年頃)

荒尾市と大牟田市に跨る万田坑は、当初官営であった三池炭鉱は明治22(1889)年に民営として操業を開始し、その後、宮原坑に次いで開発されたのが荒尾市・大牟田市に跨る万田坑です。

明治30(1897)年に第一竪坑の開削着手後、明治35(1902)年に採炭を開始しています。
明治31(1898)年に第二竪坑の開削着手後、明治41(1908)年に採炭を開始しています。
万田坑は、三井三池炭鉱における総鋼鉄製櫓の構造物として始めてのものでした。

明治41(1908)年に三池港(大牟田市)が完成し、炭鉱とそれを結ぶ専用鉄道が開通するなど、三池炭鉱全体のインフラの整備も急速に行われました。

a0137997_10293150.jpg大正期
第一竪坑巻揚機
大正期は、万田坑での石炭の生産が非常に活発化した時期であったため、多くの施設が増設されました。

大正期になると、三井三池製作所などで優秀な国産の機械が製作されるようになりました。

排気を利用した万田発電所を新設するなど、蒸気機関がだんだんと電気動力に変更されはじめたのもこの時期です。

「四山坑」が開削と操業を開始したのもこの時期です。
第一竪坑と第二竪坑がありコンクリート製で、初めて電力を動力とした、当時の国内最大級の巻揚機が備えられていました。
特に第一竪坑櫓の46mを越える高さは東洋一を誇り、昭和初期の出炭量は年間40万トンを超える三池坑の主力坑の一つでした。

a0137997_1045364.jpg昭和期以降
万田坑全体 採炭終了以降(昭和26年頃)

昭和期に入ると、万田坑の最盛期を迎え、昭和2年~昭和20年までの19年間でに約1600万トン(年平均86万トン)を出炭していました。

昭和29(1954)年に第一竪坑が解体されるなど、諸施設の解体が進みましたが、第二竪坑は、揚水や坑内管理のため、機能が維持されました。

昭和30(1955)年頃から、日本は高度成長を迎え、国内のエネルギー政策の転換が行われ、石油がエネルギーの主力となり、徐々に出炭量を減少していきました。

三池争議という労働争議が繰り広げられたのもこの時期です。

平成9(1997)年、三井三池炭鉱は閉山し、明治の官営期から124年間続いた鎮台炭鉱の歴史に幕を下ろしました。

左~万田坑建物の展示された絵。  右~万田坑全体の模型図。

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万田坑の入館料は400です。信号を曲り、すぐの万田坑ステーションで券を購入して下さい。

a0137997_1183640.jpg三池炭鉱の主要施設と三池炭鉱専用鉄道(緑色)
妻の実家は荒尾市の西岱洋区にあり、平井駅から乗り、原万田駅で降り、大牟田市四山で買物をしていました。その頃は県境の町として商店街は一番賑わっていました。

昭和40年頃の三井グリンランドは遊戯施設は少なく、ぶどう園が殆どという状態でした。

万田炭鉱館(無料)と機関車の展示写真。

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    荒尾市の観光パンフレット「万田坑」より。

世界遺産に登録されるように応援します。

皆さんの応援をお願いします。
by kusennjyu | 2010-09-26 10:49 | 柳川・大牟田・大川の歴史散策 | Comments(0) |Topに戻る
2010県を跨いで歩く2(大牟田市神田町~荒尾市万田)千寿の楽しい歴史
県を跨いで歩く2(大牟田市神田町~荒尾市万田)

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沖田町(県道788号横) 左~宮地嶽神社 右~沖田町公民館

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炭鉱鉄道跡(右は道路から内側のレンガ積みを撮る。)

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荒尾市の飛び地(神田町)

左~住宅の裏(写真は北から入る水路で水路の交差点の東側からが飛び地) 
 
右~表通りの住宅(東側道路から1軒置いて西側で南北のタテ長の場所)


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万田及び原万田の現在の住宅と当時の社宅。

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by kusennjyu | 2010-09-26 09:35 | 柳川・大牟田・大川の歴史散策 | Comments(0) |Topに戻る
2010県を跨いで歩く1(大牟田市宮原町)千寿の楽しい歴史
県を跨いで歩く1(大牟田市宮原町)

平成22年9月24日   午後3時~5時(荒尾着)

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駛馬天満宮

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駛馬天満宮秋季うそ替大祭
鷽には1年間のうそを祓うという意味がある。

9月24日(金)  午後5時50分~       

25日(土)  午後6時30分~
 ・吉野太鼓「夢限」                
 ・月都(ビクター) 艶歌
 ・西かおり(コロンビア) 艶歌         
 ・種行(花泉会) 踊り
 ・種行(花泉会) 踊り              
 ・有志によるカラオケ
 ・有志によるカラオケ               
 ・午後7時50分~「パタチェ・フラメンコ」

24日・25日 揮毫会展示   

25日午後5時~  揮毫会表彰式

25日午前10時~ 俳句コンクール

a0137997_1019769.jpg宮司さんには23日午後に森山宮のおこもりの神事に来てたお礼を申し上げる。
宮司さんから聞いた話ですが、先祖は田尻家の分家で神職をし、そのままみやま市の高田町田尻に残っていた。
今から5代前の神職以前は田尻から大牟田へ来て神事をしていたが、5代前の神職が大牟田に住み着いて反対に高田町へ出かけて神事をするようになった。

宮司さんから木鷽(200円)を買い運を試して下さいと言われた。
木鷽を買い、ガラガラと廻るくじがあり、廻したら緑色が出て醤油(2合位)が当たる。

大宰府天満宮のうそ替え行事  1月7日

うそ替え神事は、鬼すべ神事に先立ち、境内広場にて木うそ(7日のみ授与)を手にした人々が注連縄で囲った斎場で「替えましょう 替えましょう」と呼び合いながら、木うそを互いに取り替えることで、一年間に知らずについた嘘やどうしてもつかなければばらなかった嘘を清算し、御神前で天神さまの誠心に変えて幸運を戴き、新しい気持ちで本年を過ごす為の迎春の神事です。

特に『金うそ』を戴かれた方は、さらなる幸運を得るといわれています。
うそ替え神事では、6体の『金うそ』(純金)を授与致します。木うそは、天神さまのお使いの鳥といわれている実在の鷽(うそ)を朴(ほう)の木で彫った神縁品で、開運を授かるといわれています。
戴かれた木うそは、神棚や床の間等にお祀りして本年の幸運を戴いてください。

a0137997_904238.jpg鷽(うそ)~鳥。

ウソ(鷽)は、スズメ目アトリ科に分類される鳥の一種である。
名の由来は口笛を意味する古語「うそ」から来ており、ヒーホーと口笛のような鳴き声を発することから名付けられた。
亜種ベニバラウソ♂


駛馬橋(諏訪川)の上流(左)と下流(右)の風景

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                                             続きます。

by kusennjyu | 2010-09-25 10:46 | 柳川・大牟田・大川の歴史散策 | Comments(0) |Topに戻る
2010大牟田市に荒尾市の飛び地があること知っている?・千寿の楽しい歴史
大牟田市に荒尾市の飛び地があること知っている?

飛び地  有る県市町村の土地で有りながら、よその市町村に有る土地の事。

全国で、奈良県に有る、和歌山県の飛び地(北山村と熊野川町)や青森県弘前市の岩木川沿い(岩木町、相馬村)に有る、約16.9平方kmの飛び地等に比べると大牟田市 に有る荒尾市の飛び地(3ヶ所)の面積は非常に小さい。

筑後に有る肥後の飛び地  大牟田市に有る、荒尾市の飛び地。

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地図内をクリックすると3枚とも拡大します。
大牟田市神田町に有る荒尾市の飛び地
飛び地の場所、荒尾市本井手字西田1774~1775番地(住宅地)

荒尾市倉掛郵便局より西に有る。

学校は荒尾の小中学校に通学していたが、現在(平成14年3月)は両市の教育委員会の協定で大牟田の小中学校に通学している。

火事と救急は福岡、熊本両県の協定により大牟田市側が出動。


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大牟田市藤田町に有る荒尾市の飛び地
場所は、208号線有明病院先信号を左に入り、トリームパーク先の左。
荒尾市本井字西田1776~1783番地(田畑と住宅地)

水道は大牟田市の水を利用している。(大牟田の水源は荒尾市水野にも有る)下水道、ゴミ収集は大牟田市側で行っている。


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大牟田市南船津町に有る荒尾市の飛び地
場所は208号線有明病院先信号を右に入り、小さい川の手前左側。
荒尾市上井手字西田1336ノ1~30(住宅地)電話局は大牟田局。


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飛び地が出来た理由

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大牟田市の諏訪川(肥後の域内を通るときは関川)下流域の筑後(船津、藤田村)では水不足に悩まされていたので、肥後、下井手深瀬川(関川)に井堰を設け、船津、藤田村に水を分流した、

その井堰と溝の代償として、飛び地三箇所が出来た。井堰分(一町)溝分(五反)他に船津村よりは井手(堰)茶二つが有った。

いつ頃から飛び地は出来たか。

(石川保著、条理の地名と荒尾の飛び地より)

小代氏 は蒙古襲来(文永の役、1274年)に参戦後、肥後野原荘(荒尾市)には入り、以後加藤清正が肥後入国までの約300年荒尾地方を支配した豪族

by kusennjyu | 2010-09-24 13:23 | 柳川・大牟田・大川の歴史散策 | Comments(0) |Topに戻る
2010千寿のある一日の出来事(千寿の楽しい歴史)
千寿のある一日の出来事   

平成22年9月23日  雨のち曇り

午前3時30分から50分まで稲光がして、雷の落ちた後の音が一番大きい時に、動画を撮りました。
最初は画面が真っ暗ですが、稲光で見える風景を楽しんで下さい。

動画(稲光で見える風景)



動画(ナスの定植)  

午前7時から9時まで。 手伝い人8人と2人の計10人でしました。

手植えとお茶休憩
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動画(ナスの定植作業)


午後1時から森山神宮の本座(10月17日)が行われる「おこもり」で宮司さんに来てもらう。

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森山神宮の祭壇と神事がが終わり、お神酒をいただき手料理を持ち込み、車座になって、おこもりしているところです。

by kusennjyu | 2010-09-23 18:39 | 田尻の歴史 | Comments(0) |Topに戻る
2010東京スカイツリー461M(634m中)千寿の楽しい歴史
東京スカイツリー 461m(634m中)

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東京スカイツリー 461m 平成22年9月18日現在の高さです。

9月23日は仲秋の名月です。この写真は9月21日撮影分です。

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今日の月見を楽しんで下さい。

by kusennjyu | 2010-09-23 11:18 | 東京スカイツリー | Comments(0) |Topに戻る