千寿の楽しい歴史
kusennjyu.exblog.jp
ブログトップ
<   2011年 05月 ( 37 )   > この月の画像一覧
|Topに戻る
古賀敏行油彩展・千寿の楽しい日々
古賀敏行油彩展   5月31日午後3時から30分・絵画展示の鑑賞。

友達と3人で瀬高町下庄のギャラリー喫茶 花の木 の2階で個展が行われていたので鑑賞に行きました。

ブログに載せる許可は本人から電話で取りました。他の作品もありますが、桜をあげます。

a0137997_19324476.jpg



桜 3点(久留米の浅井の桜と佐賀県9年庵付近の桜です。) 写真をクリックすると拡大します。

a0137997_19365913.jpg



a0137997_19392097.jpg



a0137997_19415258.jpg



じっくりと鑑賞して下さい。
by kusennjyu | 2011-05-31 19:44 | 芸術と文学・童話 | Comments(0) |Topに戻る
梅野家歴史資料館を訪問・千寿の楽しい歴史
梅野家歴史資料館を訪問 訪問者  13名  
5月26日(木)午前中     天気   雨

梅野家当主の泰生さんに梅野家の家系と功績を話してもらった後で、資料館を案内してもらう。

平成23年5月30日  有明新報(大牟田版)

a0137997_18585550.jpg



学習風景

a0137997_1903879.jpga0137997_1904784.jpg


梅野家歴史資料館内の展示品

a0137997_1931694.jpga0137997_1932687.jpg


a0137997_1941061.jpga0137997_1942165.jpg


梅野茂芳氏の功績

昭和22年~昭和30年(2期)  東山村村長

昭和30年~昭和38年(2期)  福岡県議員

昭和42年~昭和46年(1期)  瀬高町町長

昭和46年~昭和58年(3期)  福岡県議員

矢部川の堤防を1m嵩上げするために県庁へ60回交渉に行き、瀬高町広瀬字山中から高田町徳島の浦島橋までが実現した。

旧梅野家所有地および下長田所有地の泥をトロッコで矢部川まで搬送して矢部川の嵩上げ泥に使用して上記が実現する。

東山老人ホーム(楠寿園)を設立する。

まだまだ、沢山の実績を瀬高町及び旧東山村に残されています。

梅野鉄太郎氏の功績

清水寺参道階段下までの清水山へ上る自動車道路を造る。

その他の実績もありますが、判明次第、追記します。

梅野家当主の泰生氏には、電話で詳しい内容を新たに教示いただました。

誤記については訂正しましてお詫びいたします。  ありがとうございました。

by kusennjyu | 2011-05-30 19:11 | みやまいいまち会 | Comments(0) |Topに戻る
コロン朝の散歩・千寿の楽しい日々
コロン朝の散歩   5月30日午前6時~7時   天気  晴れ

台風2号が九州東側を通過したため、2日間雨が降り続いて、散歩に出られずにいらいらしていました。

2日間は朝と夕方に2回、雨の中を外に出て生理要求を済ませました。


海津道を散歩するコロンと麦畑

a0137997_8531834.jpga0137997_8533853.jpg


飯江川と河川道北側の麦畑

a0137997_91369.jpga0137997_911565.jpg


放されて河川道を行くコロン(海津橋~大根川水門橋までの間)   この時間帯は誰も通りません。

a0137997_933542.jpga0137997_935572.jpg


大根川水門橋でビスケットをもらい、繋がれます。

a0137997_96331.jpga0137997_961373.jpg


大根川水門

a0137997_975297.jpga0137997_98733.jpg


大根川(瀬高町)と飯江川(高田町)   ここで2つの川が合流します。

a0137997_9101475.jpga0137997_9103735.jpg


草を食べるコロン  薬草になる決まった草を食べます。

a0137997_9115051.jpga0137997_912639.jpg


恥ずかしいよ。

a0137997_91453.jpga0137997_914247.jpg


朝日を受けるジュウタンのような麦畑

a0137997_9155010.jpga0137997_916349.jpg


生後半年になり、散歩にも慣れ、私の歩く速さに合わせて、ゆっくり歩くようになりました。

体重が8kgになり、良く食べて、運動をしても肥えました。  よろしくね。
by kusennjyu | 2011-05-30 09:20 | コロン(犬) | Comments(0) |Topに戻る
民話 恩を忘れぬカッパ・千寿の楽しい歴史
民話 恩を忘れぬカッパ

あぜ道の花を枕に昼寝していた狐は、目を覚ましあたりを見回していましたが、「やあ!カッパ君、久しぶりだね。相撲をとろうや。」と、水の上に顔だけ出して休んでいたカッパに話しかけました。

「よかろう。久しぶりに一番取るか。」とカッパは頂水(ちょうすい)をこぼさぬように岸にあがりました。

悪がしこい狐は、南は宇津の橋(長島にある橋)から北は瀬高まで、東は広安から西は栗の内あたりまでを縄張りとして、花嫁さんに化けたり、おじいさんに化けたり、明るい月夜に雨を降らせたりしていたずらをしていました。そんなことは、頭の良い狐にとってはたやすいことでした。

カッパは、釣殿宮(つりてんぐう)付近の飯江川に住み、長島、古島(ことう)、新川すじをわがものとして恐れるものもないようなふるまいをしていました。

人の足音がすると、ドブーンと深みに飛び込んでおどし、驚いて一目散に逃げる人を、柳の根元から眺めてニヤリと笑ったりしていたずらばかりしていました。

さて、相撲が始まりました。狐のずるいやり方で、カッパにとっては命より大事な頂水がこぼれてしまい、力が尽き果て殺されそうになりました。

その時、岸に腰をおろして眺めていた白ひげのおじいさんが、杖をたたいて大声でどなりました。

「狐よ待て!そんな技は相撲の禁手だ。やめろ!」と狐とカッパは飛び上がって驚きました。
狐は森へ、カッパは水の中へ逃げ込みました。


白ひげのおじいさんは、これでよしとばかり立ち上がり杖をついて帰っていきました。

彼岸の弓張月(弓を張ったような上弦・下弦の月)は、御牧山の上の白雲の中にかくれています。

家に帰ったおじいさんは、すすけた行燈(あんどん)の芯をかきたて、しぶ茶でのどをうるおし、晩酌を楽しみ、塩づけににぎりめしに、おくもじ(高菜漬)で食事を終えると風呂に入り、弓張り月を心ゆくまで眺めて床につきました。

後は高いびきです。ぜいたくを知らないおじいさんは、自然を友として心の向くまま歩き回るのが毎日の楽しみでした。

夜中のことです。さまんこ(外からの侵入を防ぐ窓)の外から声がします。おじいさんは目をさまし

「だなたかのう。」と、言いながら火打ち箱を引き寄せ火をおこし、付け木に移して行燈に火を入れ、声の主を招き入れました。

現れたのは真面目そうな青年でした。青年は、両手をついて

「私は、今日の夕方、たわむれ相撲が本気になり、危うく狐に殺されそうになった時、おじいさんの大かつ一声で命を助けていただいたカッパです。そのお礼にあがりました。

それから、私の願いを聞いてください。その願いとは、世の中にはいろいろな不幸を持つ人がおられます。その不幸な人々をお助けてください。」と言いました。

おじいさんは「不幸な人とはどんな人のことか。また、どうすれば助かるのか。」とたずねました。

青年は、かしこまって言いました。「手や腕や足の骨を折ったり、腰を痛めて仕事ができずに苦しんでいる不幸な人々を、一日も早く元気にしてあげてください。その秘伝は”○○○”です。

この秘伝の”○○○”は、あなた様の子孫の方へ次々におゆずりください。」と言うと、ていねいにおじいさんを拝み、カッパ青年は姿を消しました。



後年、ある村に骨折の名医として知られたお医者さんが出られましたが、このお医者さんは、白ひげのおっじいさんの子孫だと言われています。


「ふるさとの昔ばなし」-瀬高の民話と伝説ー瀬高町教育委員会発行より。


by kusennjyu | 2011-05-29 04:38 | みやま市の民話と伝説 | Comments(0) |Topに戻る
民話 有富のカッパさん・千寿の楽しい歴史
民話 有富のカッパさん

大江の有富に若宮八幡宮という社(やしろ)があります。神殿に祭神(神社に祭ってある神)の豊玉媛と玉依媛の二柱の神様が祭られていますが、その周りに裸像で、腰に布か腰みのを巻き付けている像が19体祭ってあります。大江の人々は、俗に”カッパさん”と呼んでいます。

剣を持った人、御幣(神祭の道具で、紙または布を切り、細かい竹か木にはさんでたらしたもの)を持った人、斧を持った人、日月の旗を持った人、釣竿を持った人、また、怒った顔をした人などさまざまです。昔は、もっとたくさんの”カッパさん”が祭られていたそうです。

これらのカッパの祭神は、遠い昔、南の国からやって来て有明海にたどり着き、矢部川をさかのぼり、支流から有富の地にたどり着いた人々(海人族)だろうと考えられます。

その頃は、大江という地名が示すように海が入り込んだ海浜で、矢部川も遠浅の洲(す)や葦(あし)の原が広がっていたと思われます。

大江の南、太神(おおが)の栗の内にある高野(こうや)の宮には、七支刀(いちしとう)を持った神像と”カッパさん”が祭られています。

瀬高には、他にもいたる所に”カッパさん”が祭られています。全部で21ヵ所を数えることができます。

有富にたどり着いた”カッパ族(海人族)”は、土着(その土地に生まれ住みつくこと)の人々と力を合わせ、農業や漁業を営み、生活の場を求めてしだいに広がっていったと考えられます。

”カッパさん”の姿や形はそれぞれちがっています。手にしているものも鎌、稲穂、斧、剣、釣竿、御幣、日月旗などさまざまです。

日月の旗を持った”カッパさん”は、航海術や天候、潮の干満、星座や方角、月の変化によって暦を読んだりする術にすぐれ、農産物の種まきや収穫の方法などを教えました。

目を凝らし、口を大きく開き、腹のふくらんだ”カッパさん”は、病気や怪我の時の薬草を教え、彼岸花や胡瓜などを持ってきて植えました。彼岸花は干ばつの時の食糧となり薬草になりました。

このように、カッパ族(海人族)は、土着の人たちと混血しながら、生活のしかたや農漁業の方法などを教えましたので、後世の人々がその徳をしのび、”カッパ像”を作って祠(ほこら)に祭ったのでしょう。

”カッパ族(海人族)”によって、瀬高町は古くから農耕が盛んに行われていたと思われます。その中心が有富だったのでしょう。

  「ふるさとの昔ばなし」-瀬高の民話と伝説ー瀬高町教育委員会発行より。
by kusennjyu | 2011-05-28 07:49 | みやま市の民話と伝説 | Comments(0) |Topに戻る
民話 古僧都(こそず)の狸・千寿の楽しい歴史
民話 古僧都(こそず)の狸

古僧都路は、立花町山下から清水山、蒲池山を越えて三池へ出る古道をいいます。昔はその山道を古僧都越えと言っていました。

ある日、とんちのきく商人が山中で若い娘と会いました。こんな山の中に若い娘が一人でいるわけはない。これは狸が化けているなと思って、なにくわぬ顔して近づいて行きました。

「あんたはいたずら狸じゃろ。わしは狐じゃがそんな下手な化け方ではすぐに人間に見破られて、捕らえられてしまうよ。私を見なさい。あんたは私をだまそうとしたが、反対に私に見破られた。ほーうれ、、よう化けてるじゃろうが。」と言いました。

狸はびっくりして商人を見ました。なる程、人間から荷物までそっくり本物のようでした。狸は、これは俺の負けと思ったのか、両手をついて

「俺の負けじゃ、狐どん、俺にひとつその化け方を教えてもらえんかのうー。」とたのみました。

商人は、えらくたやすく引っかかったわいと思いましたが、
「いいとも、簡単なことじゃが、一つしんぼうせにゃならんことがあるのだが、狸さんはそれが出来るかのー。」
と言いました。

すると狸どんは
「狐どんのように上手に化けられるならしんぼうするから教えて。」とたのみました。

それなら教えようと言って荷物の中から袋を取り出して、
「この化け」袋に入って呪文を唱えたら、すぐに上手になれる。この袋の口を開けるから入りなさい。」

「それだけかい。」と言いながら狸は袋の中に入りました。

商人は、しめしめと独り言を言いながら、すぐに袋の口をしっかり縄でしばり、
「ちいとばかりしんぼうするんじゃぞ、すぐに呪文を唱えて出してやるからな。」と言って、三池の町まで袋の口を開けてくれませんでした。

そして、家に帰って狸汁にして、皆でふうふう言ってくうてしもうたということです。狸どんは良い格好をしようとしたばかりに、命まで取られたとさ。

  「ふるさとの昔ばなし」-瀬高の民話と伝説ー瀬高町教育委員会発行より。
by kusennjyu | 2011-05-27 09:51 | みやま市の民話と伝説 | Comments(0) |Topに戻る
雨にぬれる梅野家庭園・千寿の楽しい歴史
雨にぬれる梅野家庭園    5月26日    天気    雨

新緑の庭園をご鑑賞下さい。

a0137997_21155463.jpg




a0137997_21162034.jpg




a0137997_21164882.jpg




梅野家庭園は春夏秋冬の四季を通してすばらしいと思います。

特に秋にはドウダンツツジ・もみじなど山一面が真っ赤に染まるそうです。

梅野家には、古い歴史が残っています。これから紹介をしていきます。
by kusennjyu | 2011-05-26 20:59 | みやま市観光 | Comments(0) |Topに戻る
坂本冨美子オリジナル曲の恋しくて
坂本冨美子オリジナル曲の恋しくて  5月8日(日)   大牟田文化センター

動画(坂本冨美子のオリジナル曲の恋しくて)

作詞・作曲:益田空人   作曲:武井正信



子供の頃からの夢が   やっと叶いました。

つたない歌ですが聴いて下さい
。   

           坂本冨美子メッセージ


a0137997_20381797.jpg



a0137997_203839100.jpg

by kusennjyu | 2011-05-25 20:25 | 坂本冨美子 | Comments(0) |Topに戻る
延命地蔵に東日本大震災復興を祈り供養する。
延命地蔵に東日本大震災復興を祈り供養する。   5月24日午前10時から。  曇り

場所は瀬高町小田字唐尾で旧南筑橋(現在は取り壊してない。)下の川原。

参拝者は12人で、取材陣はNHK・西日本新聞・読売新聞から来る。

住職は筑後市北長田で、先日、福島県へ災害支援のため行かれ、帰られたばかりである。

延命地蔵尊と住職

a0137997_19455574.jpga0137997_1946896.jpg


供養祭

a0137997_19493616.jpga0137997_19494958.jpg


祈念の旗

a0137997_19505163.jpga0137997_1951738.jpg


祈念   東日本大震災復興   延命地蔵尊世話人会

住職の話

地蔵さんはこちらの岸におられる仏様で、あちらの岸へ渡る手助けをしてくれる。

また、現世に戻る手助けもして、私たちに一番身近な仏様です。

飛行機で福島に着き、新幹線の福島駅に着いた夜は驚いた。

駅構内は真っ暗でした。商店街では、夜はお客がないので、店を開けていませんと言われました。

最後にみんなで手を合わせて、一緒にお経を唱えて祈願しましょう。

a0137997_8102627.jpg


by kusennjyu | 2011-05-24 20:07 | 郷土唐尾 | Comments(0) |Topに戻る
民話 観音様と古僧都越え・千寿の楽しい歴史
民話 観音様と古僧都(こそず)越え 

昔々のお話です。

福島(現在の八女市)から三池(大牟田市三池町)へ行くには、古僧都(こそず)(清水山と女山・ぞやまの峠道)という難所を通らなければなりませんでした。
そこには、通行人を食い殺してしまうという恐ろしい化け物が住んでいました。

ある日のことです。今日中にどうしても三池の町に品物を届けなければならなくなった福島の商人(あきんど)清助は、身支度を整え、注文の品物を背負って峠の近くにさしかかりました。すると、東の方がにわかに曇り、風が強く吹き荒れ、雷が鳴り渡り、大雨が振り出しました。

商人は、木陰に雨やどりをして煙草をふかしながら雨の止むのを待ちました。しばらくすると雨もあがり、空も晴れ渡り、夏の日差しが照りつけました。やれやれと古僧都路の峠を越え、蒲池(かまち)路(山川町蒲池山の道)を越えて三池の町へと急ぎました。

三池の町に着いた清助は、注文のロウソクと紙を届け、宿に着きました。
宿には多くの旅人が泊まり、世間話が始まりました。ある年寄りのお坊さんが清助に向かって、

「お前さんはどこからおいでなさったかな。」

とたずねました。清助は

「おりゃ(私は)福島の町から来た。古僧都峠を越え、蒲池路を通り、上内(かみうち)峠を越して来た。途中で、夕立にあった。天気は良かったのに雷が鳴った。木陰で煙草をふかして休んでいたら雷が止んだので、日の高いうちに三池の町に着いた。」

と答えました。お坊さんは、

「ほほうー あんたはよほど運の良い人だ。あの古僧都峠は難所で、一人旅のの者を見ると恐ろしい化け物が出るというではないか。人を食い殺してしまうそうな。この天気の良いのに雲が出て、風が吹き、雨が降るわけがないわい。それはきっと化け物の仕業にちがいない。古僧都峠は、”越そか越すめか古僧都の路は、風がないのに風が吹く”と言われるぐらい難所だから。帰る時はこの小さな赤い蟹(かに)を持って行きなされ。」

と赤い蟹を渡すと、どこかへ消えて行きました。

清助は、翌日、古僧都峠の谷川に、お坊さんからもらった小さな赤い蟹を放して、

『蟹よ、これから後、旅人の難儀を救うてくれ。』と頼みました。

それからは、古僧都峠の化け物は出ないようになったということです。化け物の正体は、蒲池山を七巻半もするような大蛇とか、百足虫(むかで)とか、蒲池山の堤の主だとか言われましたが、小さな赤い蟹が退治してくれたのでしょう。

赤い小さな蟹を下さったお坊さんは観音様の化身(けしん)であったということです。これを聞いた蓮華寺のお坊さんが、供養の地蔵尊を古僧都峠に祀りました。今では、首が落ちた地蔵尊が古僧都峠に淋(さみ)しく残っています。

「ふるさとの昔ばなし」-瀬高の民話と伝説ー瀬高教育委員会発行より。

現在の八女から三池の道は、八女市福島ー筑後市溝口ー唐尾の渡し(瀬高町小田)-名木野(瀬高町

小田)-ここから古僧都路が始まるー大観峰峠(古僧都峠あるいは女山峠か?)-蒲池山(山川町河

原内字蒲池山)・蒲池山堤の上流)-ここから現在のオレンジ道路に入り大牟田市上内まで行く。-

山川町野町ー高田町飯江ー高田町田浦ー大牟田市上内ー三池へと繋がる。


オレンジ道路は八女市立花町から高田町を通り大牟田市上内までの農業道路の通称です。

蒲池山堤の大蛇伝説があり、上流の川にたくさんの源氏ホタルが飛ぶように環境整備がなされています。

清水山の小川に昔たくさんの沢蟹が取れた。
今日(25日)、名木野の上流へ行ったら、小さい赤い蟹が道路を歩き渡っていました。

首なし地蔵さんは古僧都峠では、どこか知らない。しかし清水寺参道の小川に五百羅漢(首なし地蔵さんで現在は大きなのちぐはぐの首がつけられています。)は有名です。

現在の古僧都道は戦後に自衛隊などが作られ、昔の古僧都路は今の西側を通り、女山峠・古僧都峠があり、首なし地蔵さんがおられるかも知れませんね。

清水山は春夏秋の観光の名所です。
by kusennjyu | 2011-05-23 19:34 | みやま市の民話と伝説 | Comments(0) |Topに戻る