千寿の楽しい歴史
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砂踏み(旧正月)・千寿の楽しい歴史
砂踏み(旧正月)   1月23日   田尻農業研修所にて

午前8時30分から準備を行う。四国八十八カ所霊場の掛け軸をかけます。

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四国八十八カ所の名前が書かれその中にそこの寺院の砂が縫い付けて入れてあります。2枚並べる。

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午前11時過ぎから始める。18人参加。

先ず仏説摩珂般若波羅密多心経・光明真言などを唱え、四国八十八カ所の砂の帯の上を南無大師遍照金剛と唱えながら3回どおり歩いて参ります。お参り後に、仏説摩珂般若波羅密多心経を唱えて終わります。

その後、おせって(御接待・参詣人への茶請け)で沢山の料理が用意されてあり全員で戴きました。

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篠栗八十八カ所霊場巡りは3月12日・13日にマイクロバスでお参りします。参加者は約20人です。








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by kusennjyu | 2012-01-31 20:28 | 四国・篠栗八十八カ所めぐり | Comments(0) |Topに戻る
2012南校区「笑顔で歩こう・みなみウオーク」3・千寿の楽しい歴史
南校区「笑顔で歩こう・みなみウオーク」3    

平成24年1月22日 天気  曇り一時小雨

宇津羅姫塚(宇津地内)

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宇津羅姫塚(浮島になっている)

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宇津羅姫塚(うづらひめづか)

宇津羅姫塚は、長島宇津にあり、宇津羅姫は飯江川、緑川の合流点にあり、宇津海域を領有する大地主の神の娘です。安手橋を南に渡ってすぐ左に天満宮があり、その右側の森に塚がある。

延喜式内神として記録があり、式内社延長5(927)年成立の延喜式の「神名帳」に載っている神社です。
当時の女酋長なり。宇津羅姫神は宇津に鎮座します。

伝説によれば、景行天皇筑紫国巡行の折、黒崎より宇津に至る航路を守護し奉りしが宇津羅姫といい、よってこの浮島に墳墓を営みしという。

手前の石塔が宇津羅姫塚、地蔵尊が父神大地主神なり。

  こうやの宮(栗の内地内)

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こうやの宮(磯上物部神社)と七支刀を持つ神像

みやま市指定有形民族文化財

長島鬼木に先祖代々祭り続けられている「こうやの宮」という小さな祠がある。
 
5つの御神体が3個の御厨子に分けられて祀られている。

向かって右の御厨子には、こうやの宮の当主であろうか衣服の胸に五七の桐の紋を付けた高貴な公家様、左の御厨子には、皿を頭に置いたカッパ像と、その右に白髪の老人、中央の御厨子には、鏡を手にした女神とその右に異国風の武士「七支刀を持つ神像」が並んでいる。

※平成14年、こうやの宮再建の折、厨子も一つにまとめて造り替えられ、今は並び順が変わっている。

七支刀とは、現在奈良県天理市にある、石上(いそのかみ)神宮に国宝として保存されている鉄鉾のことである。全長75cm、刀身の左右に互い違いに3本づつ枝刃が出て、刀身の先端を加えて七支刀といわれている。その刀身の表裏には60余字の銘文が金象嵌(きんぞうがん)されている。

その銘文から泰和4(369)年に百済の太子貴須から倭軍派兵によって高句麗を討った御礼に倭国王子に献上した刀である。

「日本書記」に、神功皇后が朝鮮百済から献上されたと記す「七枝刀(ななつさやのたち)」にあたると考えられている。

邪馬台国は、学者経験者の間には畿内説、九州説という大別されているが、女王卑弥呼の墳墓が注目されている堤古墳、権現塚があり邪馬台国の中心は瀬高である。学説によれば、七支刀は邪馬台国の発祥の地である瀬高町「こうやの宮」に大和朝廷が安定後、物部一族により天理市石上(いそのかみ)神宮に奉納されたのではないかと言われている。

天理市で七支刀が発見される以前からこうやの宮に「七支刀を持つ神像」を祀っていたことから、話題になり見学者で賑わった。

言い伝えによると、因幡家は代々こうやの宮の神職で祭礼も因幡家だけで行われていたが、藩政が終わり神田(宮の費用を賄う田畑)はなくなり、祭礼が出来なくなったので、鬼木地区で行うようになった。

昔は社田相当広く、周りは堀に囲まれ龍門があり、立派な石の鳥居があったという。祭礼も盛大に行われていたが、明治の大風で社殿が倒れ、昔のように復元も出来ず、今日の姿になった。

因幡家には、刀剣・烏帽子・かみしも・他種々のものが長持いっぱい保管されてあった。その中の剣は、異様な形をしていたと聞く。
1930年、因幡家が火災に遭い、跡形もなく焼失してしまった。

長島集落の秋祭りは10月19日。その祭典にあたり神官の祭典行事の初めは必ず、「こうやの宮」の神事から行われる。これから推測しても、このこうやの宮が当地区で最上位の宮であることが判る。









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by kusennjyu | 2012-01-31 05:57 | みなみ地元学 | Comments(0) |Topに戻る
南校区「笑顔で歩こう・みなみウオーク」2・千寿の楽しい歴史
南校区「笑顔で歩こう・みなみウオーク」2    1月22日    天気   曇り一時小雨

説明は長島地区の文化財(昨年訪ねて)をクリックして見て下さい。

若宮神社(古島)

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長島地区の文化財9(若宮神宮)  (クリック)

板碑

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弘法大師堂

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長島地区の文化財8(板碑・弘法大師堂)   (クリック)

大神宮

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長島地区の文化財7(大神宮)  (クリック)

釣殿宮(休憩)  飴湯・お茶・菓子を用意してもらう。

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長島地区の文化財6(釣殿宮)  (クリック)






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by kusennjyu | 2012-01-30 17:59 | みなみ地元学 | Comments(0) |Topに戻る
南校区「笑顔で歩こう・みなみウオーク」1・千寿の楽しい歴史
南校区「笑顔で歩こう・みなみウオーク」1    1月22日午前中  天気  曇り一時小雨 

集合   南小学校集合   開会式   午前9時   コース  6.7km   

参加者   約100名

a0137997_628356.jpg下小川八幡神社

妙光寺(下小川)   

若宮神社(古島)   

潟板碑(古島)   

弘法大師堂(潟)→ 大神宮

釣殿宮(長島)  休憩地   

宇津羅姫塚(宇津)    

こうやの宮(栗ノ内)


受付

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集合・説明・準備体操

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出発(南小学校)→国道209号線歩道を北側へ→南真木信号で右折横断する→下小川八幡宮

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下小川八幡宮

ここでは毎年11月第2日曜日に下小川八満宮風流が行われます。  
 
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後一条天皇の治安3(1023)年、太神郷小河庄は宇佐の神領となる。(宇佐大鏡)

順徳天皇、承久2(1220)年、宇佐の分身を祀る。(宇佐神宮の分身を小川に遷宮する。)

この宇佐からの遷宮の行列を氏子の祭礼の行事とし、さらに徳川幕府時代の参勤交代の大名行列のやり方をを取り入れて、今日の下小川八幡宮祭礼の行事になったと推察される。

下小川八幡宮の鳥居

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妙光寺(下小川)

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妙光寺の逆修板碑

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この板碑は、明治時代に廃仏毀釈の難に遭って、堀川の底に沈められていましたが、当寺の住職によって境内に丁重に安置されたものです。永年水中に放置されていたのが幸いして、碑面の保存が良好で、字句が鮮明に読み取れます。

高さ94cm、幅60cm、厚さ8cmの安山岩の切石に、阿弥陀如来の種字と浄土縁起が刻まれています。

建立は、応仁2(1468)年9月10日とあり、大陽 之の名が記されています。
当町内では最も古い年号を持つ板碑です。

    瀬高町指定有形民俗文化財(平成14年4月16日指定)   瀬高教育委員会                    










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by kusennjyu | 2012-01-30 06:35 | みなみ地元学 | Comments(0) |Topに戻る
第4回和算講演会・千寿の楽しい歴史
第4回和算講演会   1月28日   出席者 10名   内容はポスターの通り

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そろばんの絵のある梵鐘

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その他のそろばん

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絵の中のそろばん

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矢立そろばん

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その他の矢立

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現存する墓石算題5箇所(省略します。)  上記写真で一部その他の写真を含んでいます。










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 「段ボールで鎧・兜を作ろう!」  平家の里(山川町)

「加藤淳也さんが来た!などなど筑後広域ネタ」

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by kusennjyu | 2012-01-28 23:33 | 和算学習会 | Comments(0) |Topに戻る
大江八幡神社天井絵の説明・千寿の楽しい歴史
大江八幡神社天井絵の説明    1月20日  幸若舞終了後に松尾正幸教授が説明を行う。

一列に12枚で8列が描かれています。 あげた絵は順不同です。

豊臣秀吉が幸若舞を鑑賞する絵(小田原城攻撃の時)   一列目11枚・12枚目 

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川中島合戦の攻め入り図

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打ち首した首を竹に結んで走る家来   子どもの頃はこの絵が一番恐かった。

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画家と作者名   左から2人目と3人目

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その他

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動画(松尾正幸教授の説明  2本)





昨年の天井絵の説明   クリックして見て下さい。

大宰府天満宮直属分霊社   

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大江八幡神社由来   クリックして見て下さい。

ありがとうございました。来年もお越し下さい。






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by kusennjyu | 2012-01-28 06:05 | みやま市の文化財 | Comments(0) |Topに戻る
幸若舞の上演(動画・敦盛)・千寿の楽しい歴史
幸若舞の上演(動画・敦盛)   1月20日   大江八幡神社

動画(敦盛  5本)











敦盛は1月20日に大江八幡神社でしか鑑賞できません。この動画が楽しんで下さい。

1時間位の上演の一部です。

5.幸若舞の意義と現在への影響

能楽の始祖と仰がれる観阿弥は元弘3(1333)年に生まれ、世阿弥は貞冶2(1393)年に生まれたから、幸若舞が世に出る頃は能楽の最も盛んな時で、これに対抗して一流を立て一派を開くまでには、なみなみならぬ苦心があったと見られる。


幸若舞は武士鑑賞の資材として作成された素朴な叙事文学でありながら、むしろ能曲のように平易でなくしたがって気品高く武家の舞曲にふさわしい勇壮な気分をもっている。武道全盛の室町時代及び徳川初期においてはむしろ能より一般武家では重んじ、また喜ばれたとある。

大江では他の芸道のように一子相伝などせず、門人中の優秀者が相続することになっていたため、現在大江の農村にも伝わることになった。

しかし、幸若舞の意義は、これだけではなく後世の芸能、文学への影響は大きなもので、ことに初期歌舞伎・浄瑠璃はこの舞から多分に資料がとられ、また近世文学の中には大きな影響を残している。

                   幸若舞保存会資料より









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by kusennjyu | 2012-01-27 09:08 | みやま市の文化財 | Comments(0) |Topに戻る
幸若舞上演「敦盛」(成人)・千寿の楽しい歴史
幸若舞上演「敦盛」(成人)   1月20日    大江八幡神社   

敦盛は能では有名ですが、幸若舞で初めて上演されたのは平成20年に大江八幡神社からです。

平成23年と24年は同じ内容で上演されておる。東京・京都で上演されている。

幸若舞は国指定重要無形民俗文化財に指定されているが、敦盛が上演されたのは5・6回でまだ知られていません。

鼓方~松尾正巳(30代家元)  太夫~松尾成功   シテ~松尾正春  ワキ~椛島健夫

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上演が終わりお礼申しあげます。

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4・舞曲、装束、舞振について

大頭流の無曲は全部で四十二番あって平家物語、源平盛衰記、義経記、曽我物語などから取材されている。

日本記、浜出、扇の的(那須与一)、駒揃、八島、大職冠、信田、禅賀、敦盛、築島、陽中大臣(一名百若)、笛巻、鎌田、元服曽我、十番切、文学、木曽願書、硫黄ケ島、腰越、堀川夜討、四国落、富樫(安宅)、笈捜、入鹿、和田酒盛、小袖曽我、剣讃談、夜討曽我、勝負分(和泉城)、高館、含状、清重、伊吹落、烏帽子折、伏見常盤、山中常盤、景清、竃破、切兼曽我、新曲、多田満仲、鞍馬常盤

上のは私が鑑賞した八曲です。扇の的(那須与一)が鑑賞していません。

その内容は双紙のように物語の複雑な節をねらわず、時代的物語を背景として、観るものを驚かせ、悲しませるよう、具体的描写に苦心している。

現在舞われるものは、日本記、浜出、扇の的、夜討曽我、安宅、八島、和泉城、高館、敦盛の九曲である。

舞は古例にしたがって皇室より拝領の「五七の桐」と「陰陽の菊の花の紋」に染めた幕を打廻し、その前に小鼓方が一人床几に掛けて噺し、正面に立烏帽子、素袍上下の太夫、その左右にシテ、ワキが侍帽子に素袍上下で控え、各右手に扇を持ち、両手を張り、袖口を折り体は上半身をやや前方に曲げ眼は四・五間先方をみつめ、シテとワキは地謡を勤め太夫は謡いつつ舞台を足踏鳴らして前後左右に足をはこび、頭はほとんど動かさない武士的気風の横溢するものである。


曲節は下の通りのものがある。

コトバ、イロ、イロ調、フシ、カカリ、同立、同音ソメ、サシ色、クル、ワル、フルシ、クドキ、

サシクドキ、ロンギ、シボル、アタル、イルツメ、上中下ヨミモノ、ヒロフ、ユリ、モツ、

ハル、キザミ、ウケ、カケ、クセ、イロカカリ。  

                      幸若舞保存会資料より

次回は「敦盛」を動画5本で紹介します。







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by kusennjyu | 2012-01-26 06:18 | みやま市の文化財 | Comments(0) |Topに戻る
幸若舞上演「高館(下)」(成人)・千寿の楽しい歴史
幸若舞上演「高館(下)」(成人)    1月20日   大江八幡神社

太夫・シテ・ワキ・鼓方(30代家元)の順です。

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動画(3本)







3・幸若舞の盛衰

諸芸が次第に座を組織して行く結果、幸若舞も曲舞(くせまい)の一分派として世に認められる専業団体となっていく。

今までの越前国内に活動範囲がとどまっていた幸若舞は人々の増加、交通の発展などにより地方より都市に進出し、その勢力を拡大して行く事になる。その時期は中世末期(15、6世紀)が特にいちじるしく、幸若舞が中央に進出するのが激しかった時期である。

それは丁度、猿楽が室町幕府の寵愛を受けんがために大和四座で競った様に幸若舞もそれらの良きライバルとして現われて来たことを意味する。

越前西田中村の天王川の畔りで何代にもわたる長い間、ほそぼそと演奏活動を続けて無名の芸人で終わるかと思われていたのであるが時代の流れと共にあかるみに導かれることになったのは幸せな事であった。

この舞が、一般民衆や貴族たちからさかんに人気を得た事は、西園寺公名の記録「菅見記」からもうかがい知ることができる。そのことは嘉吉2(1442)年5月の条に当家に招かれて幸若舞(曲舞、2人舞い)を舞ったことが記してある。

この資料により決定的な成功を収めている事を物語るのである。また「康富記」の宝徳3(1451)年3月7日の条に「晴。千本炎魔堂越前香(幸)若大夫舞曲舞不慮被誘引人間了」とあり、又、「宣胤卿記」にもさかんに舞っている様子が記してある。

全盛期は戦国時代から江戸初期であった。信長の幸若舞を愛好したことは有名で、秀吉や家康らもまた幸若舞を庇護した。江戸幕府は時代によって多少差があるが、越前幸若五家に合わせてほぼ一千石の扶持と旗本待遇を与えた。これは明治4年まで続いた。

人気が出ると共に民衆の芸能「幸若舞」が公家や武士たちのために舞うようになり、その保護者たる権門勢家の没落と共に幸若も今日の様な姿に変わったのである。

この幸若舞は我々の遠い祖先の文化遺産である。700年の伝統をもつ幸若舞を我々の力でいつまでも未来のために守りぬかねばならない。

                                    幸若舞保存会資料より









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by kusennjyu | 2012-01-25 17:59 | みやま市の文化財 | Comments(0) |Topに戻る
幸若舞上演「和泉ケ城(三)」(青年)・千寿の楽しい歴史
幸若舞上演「和泉ケ城(三)」(青年)    1月20日   大江八幡神社

藤原秀衡が死んだ後、秀衡の子どもの5人の兄弟に鎌倉より判官討てば関東の5ケ国を与えようという。

5ケ国を給わって、5人して知行せんんと申す。その中に三男の和泉の三郎は1人城に籠って戦う。

残る4人の兄弟は和泉の三郎を攻める。

上から順に「シテ」・「太夫」・「ワキ」です。

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上の写真は「太夫」の動きです。


動画(和泉ケ城・三   2本)





2・大頭(だいがしら)流の起こり

2代直茂の弟子に山本四郎左衛門と言う北面の武士がいて天性異相の大頭で、音声も大きかったので、世人は「大頭」と呼んでいた。(一説には家紋が大柏2枚重ねてあったことから、その一流を大柏流といっいたので大頭は大柏の誤りともいわれている。)

その弟子に百足屋善兵衛と言う京の町人があり、後柏原天皇の御召により立舞を上覧に供した。その高弟で同じ京の町人大沢幸次が天正10(1582)年、筑後山下の城主蒲池鑑運の招きに応じ藩中に教授した事が伝えられている。

山下城主が大沢幸次を招いて以来臣下にもこの舞を教えた為、達人もでた。なかでも下妻郡溝口に住んでいtsいた元蒲池家家来田中直久の子直種という人は文武に秀でて、和歌音曲などの諸芸に達し、この舞はさらに六番を加え、四十二番とした。

直種はその子、直俊に伝えその後数代に伝え天明7(1787)年正月、大江の住人松尾平三郎増墺に伝えて以来今年まで二百数拾年(225年)大江に存在し、現在30代家元松尾正巳清平に至っている。

                                 幸若舞保存会資料より
    






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by kusennjyu | 2012-01-24 17:17 | みやま市の文化財 | Comments(0) |Topに戻る