千寿の楽しい歴史
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梅野家を訪ねる庭・水門・神籠石・桜)・千寿の楽しい歴史
梅野家を訪ねる庭・水門・神籠石・桜)   3月29日午前中

梅野家の庭

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長谷(ながたに)水門    水門は敷地内のある。

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女山(ぞやま)神籠石列石中に北から数えて横尾谷・長谷・源吾谷・産女(うぶめ)谷の四ケ所に水門があったが、ほぼ原形を留めているのは横尾谷水門とこの水門だけである。

これは、国指定史跡女山神籠石の列石の一部であるが古代九州北部で権勢を揮った権力者が外敵の侵略に備えた山城であろうと云うのが定説となっている。

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神籠石と山桜と猪   全部、敷地内を行く。

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水門の横の道を当主に案内されて登りました。途中の道の中央に穴が沢山、掘られていました。

ご主人は猪が掘った穴ですと言われました。ちょっと先まで登ったらガサガサと音がしました。

猪が来ているとのこと。ウリ坊に何回もあったそうです。しかし、1人では山に登りたくないと言われました。

神籠石と山桜

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山桜(根元と先の枝)  根元から二つに別れ、幹周りは合計すると1.5m以上ありそうです。

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山桜(何種類か植えられているので順々に咲き始めるそうです。)今日は全部が蕾でした。

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横尾谷水門  梅野家から北へ約200m行き、山へ約100m入ります。

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四つの水門中で最大のものです。

大部分を当地産の筑後古成岩と一部に神籠石と同じ水成岩の切石を使用し、母岩の上に四段に積み上げ下部に水口を設けられている。

4月10日すぎて再訪します。また違う花が咲き誇ります。楽しみに。

梅野家歴史資料館の庭(秋)  クリックして楽しんで下さい。

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by kusennjyu | 2012-03-31 17:36 | みやま市観光 | Comments(0) |Topに戻る
田尻の桜と家の花・千寿の楽しい歴史
森山宮の桜    3月30日    曇り

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運動広場の桜と田尻農業研修所(北側)

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隣の桜と火の見櫓

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スモモの花

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家の前の水仙

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今年は寒い日が長く続きましたが、この2・3日天気が良くて、急に春になり花々が咲き始めました。








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by kusennjyu | 2012-03-31 07:26 | | Comments(0) |Topに戻る
2012和算講演会(伊能忠敬測量)・千寿の楽しい歴史
和算講演会(伊能忠敬測量)   

平成24年3月24日(土)えーるピア久留米

伊能忠敬豆知識

1.伊能忠敬は、どこで生まれましたか。

忠敬は今から約255年前の1745年、今の千葉県九十九里町に生まれました。数学にあたる算学などを学んだといいます。 17歳になってから、同じ千葉県佐原市の伊能家に婿養子に入りました。

2.伊能忠敬の職業は。

伊能の家は、代々名主であり、酒造りの他、米や、燃料にする薪などの取引をしていました。伊能忠敬の職業は商人であると同時に、今の町会長か村長のような仕事をしていました。

忠敬が伊能家に来たときには、商売はあまりうまくいっていなかったのですが、忠敬の努力でもり返し、飢饉の時などには、困った人々を助けるまでになり、佐原村(現在の佐原市)でも評判の、よい名主になっていました。忠敬は、49歳になるとその仕事を長男にゆずり、江戸へ出て天文学の勉強を始めました。

3.伊能忠敬は、どこで測量などの勉強をしたのですか 。

49歳になって、江戸へ出た忠敬は、子供の頃からの夢だった、天文・暦学を学びます。
江戸では一番の天文・暦学の先生であった高橋至時(よしとき)先生の門人になりました。  そのとき、至時先生は30歳でした。19歳も年上でした。
 
4.伊能忠敬はどのような目的で、全国測量を始めたのですか。

忠敬は、至時(よしとき)先生のもとで天文学や暦学を学ぶうちに、その時の暦学の問題であった、「子午線(しごせん)1度の長さを正確に知り、その結果から地球の大きさを求めてみたい」という気持ちになりました。

南北方向の距離を正確に計り、それぞれの地点で北極星などの恒星(こうせい;おたがいの位置を変えない星)の位置を観測し、各地点の緯度を知ることでもとめられます。

忠敬の測量の最初は、江戸を出て、北へ北へと距離を計り、緯度の観測を続けることから始まりました。
地球の大きさをもとめるという目的では、幕府から測量を行うための許可がもらえません。
表むきの目的は、日本の正確地図を作るためとして始められました。

以下は伊能忠敬の全国測量より。

第七次測量(九州のみを記す)

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文化6 (1809)年 8月27日に江戸出発。豊前・小倉で越年。小倉に14日滞在してから1月12日に九州測量開始。中津、杵築、大分、臼杵、鳩浦 (津久見市) と進む。ここで3月1日の日食の観察準備をしたが、天候不良で失敗。3日に測量を再開する。海岸線が複雑で日向の延岡に着いたのは文化7 (1810)年4月6目だった。

佐土原、日商、都城、都井岬、内之浦から、大隅半島を鹿屋経由で横断し、西岸に出る。南下し、半島を一周して6月23日、鹿児島に着く。薩摩半島を南下、山川湊から屋久島、種子島に渡る予定だったが、風が悪いので枕崎方面に向かう。

薩摩半島を測量ののち串木野で手分けし、海岸線と街道筋を測って肥後に入る。ここで屋久島、種子島測量を断念し、天草を測ったのち大分に12月28日に到着、越年。翌1月4日大分発、中国、近畿、中部地方の主要街道を手分けして測量し文化8年(1811)年 5月9日、江戸帰着。

第八次測量(九州のみを記す)

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文化8(1811)年 11月25日江戸出立。文化9(1812)年 1月25日、小倉に着く。小倉からは手分け測量で北九州の内陸部を南下、忠敬組は大口から、坂部組は串木野方面から鹿児島に入る。

山川湊から3月27日屋久島に渡る。続いて4月26日に種子島に移って測量し、5月23日に鹿児島に帰る。北上して九州内陸部を縦横に測り、小倉に出る。北海岸沿いに博多、唐津、伊万里から佐賀、久留米と回る。続いて有明海岸を西に進み鹿島、諌早から島原半島を一周して大村へ。大村湾を手分けして測り、佐世保で越年。

周辺の島々を測量して平戸へ。平戸島と松浦地方、近隣の福島、大島、鷹島、生月島などを測って、3月13日壱岐に渡る。15日間測量したのち対馬へ渡り、53日間対馬全域を測る。平戸に戻り、5月23日、五島列島に渡り北端の宇久島から測りはじめる。

五島列島の測量には7月30日まで66日かかった。信頼していた副隊長の坂部貞兵衛が福江島で病死。忠敬は悲嘆に暮れる。8月15日長崎着。長崎半島を一周したのち別路を測って10月11日小倉に着く。

距離を測る作業

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測量風景

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伊能忠敬日記(瀬高附近)  

第八次測量の北九州内部を測量の時に来ています。

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起点中心図(下庄)

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伊能忠敬日記(瀬高町と高田町の現代文読み)

瀬高町での伊能日記

瀬高町での伊能忠敬の測量隊の日誌には文化9(1812)年2月8日九ツ前(12時前)瀬高町柳川領に至る。

同所にて中食。下庄町村(下庄新町)三池街道追分、高印(瀬高基点)より始め、土居(八幡町一)~一里木(中絶)~真木村~井出ノ上村~長嶋村~下小河村~鬼木~長嶋本村。山門郡長嶋村・三池郡古賀村界まで測る。

高印より一里三町五十七間とある。長嶋本村の三池郡古賀村境界まで測量して瀬高に引換している。

一里三町五十七間=約4.4km弱。

高田町での伊能日記

高田町地域の伊能忠敬の測量日記には文化9(1812)年2月9日朝曇晴六ツ頃、瀬高町を出発、三池郡古賀村より初め、宇津川(飯江川)川幅12間枝下古賀、岩津村枝高木の宗平方で休む。

今福村字城下 西濃瀬村、北新開村、柳川街道、追分三軒屋、西濃瀬村字三軒屋、東濃瀬村枝迎田(右南新開、左楠田村)両村枝渡瀬左右楠田村枝渡瀬左右楠田村枝渡瀬にて、小休しは東派一向宗福正寺とある。

文化9(1812)年2月12日、柳瀬(八女市)~北田村(柳川領)~山下町~山中村~小田村~大塚村~草場村~本吉村、吉印まで一里三十一町九間。そこから清水寺本堂までの参道を測量してもどり、また古印よりはじめ、朝日村~藤尾村~上小川を通り大竹村に入ります。

瀬高町郷土史部会設立の伊能忠敬測量基点之地石柱

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by kusennjyu | 2012-03-30 05:47 | 和算学習会 | Comments(0) |Topに戻る
2012第5回和算講演会(米光丁)・千寿の楽しい歴史
第5回和算講演会(米光丁)   

3月24日(土) えーるピア久留米

福岡県の算学者と算額(本の表紙) 昭和33年発行(現在廃刊)

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藤田雄山パンフレット紹介  

藤田 貞資(ふじた・さだすけ) 享保19(1734)年から文化4(187)年まで。 

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江戸時代中期の和算家。武蔵野国男衾郡本田村(現埼玉県深谷市)に生まれる。

大和国新庄藩士藤田定之の養子となり江戸に出る。幕府天文方の山路主住に師事し暦作観測を手伝う。

天明元年『精要算法』(三巻)を出版し広く江都の算学者に受け入れられた。続いて出版した『神壁算法』、『続神壁算法』でさらに名を高めた。

学術会発表資料表紙(米光丁)

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会報測量(表紙)と魔方陣

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伊能忠敬像(JR原田駅前と佐原公園)

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測量器具と象限儀原理

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伊能忠敬の経歴と測量法

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魔方陣の説明と簡単な作り方の説明

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米光丁先生、ありがとうございました。5回にわたり和算について教えていただき、初歩の学習は出来ました。

大村から毎回来ていただき、ありがとうございました。






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by kusennjyu | 2012-03-29 09:29 | 和算学習会 | Comments(0) |Topに戻る
2012秘境”平家谷”山桜探訪(山川町)・千寿の楽しい歴史
秘境”平家谷”山桜探訪・平成23年

みやま市山川町

チラシはみやま市観光協会の高木さんが作成しました。みやま市の大桜の案内をします。  

みやまいいまち会みやま市観光協会ブログ(みやま日和)で桜の名所を案内しています。

気楽にみやま市へ来ていただけるようにお待ちしています。

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桜の写真は平成23年3月30日と4月7日に撮りました。一部はは平成22年3月26日に撮りました。

平家一本桜(天保古山)

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樹齢250年といわれる。幹回り2.5mのヤマザクラです。

天保古大桜 平家一本桜の下側道路横

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平家名残桜 谷軒

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上伍位軒大桜

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青々谷大桜   青々谷(新発見)

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赤山の桜と山頂公園の桜   

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ふれあい公園の桜 高田町舞鶴(飯江川の横)

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飯江川と待居川が合流する要川合戦があり、山川町上伍位軒・谷軒地区及び高田町平地区は平家の落人伝説の里で、待居川上流で7人の女官が身投げしたという「七霊の滝(しちろうのたき)」があります。






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by kusennjyu | 2012-03-28 10:48 | みやま市観光 | Comments(0) |Topに戻る
久留米つばき園(草野町)・千寿の楽しい歴史
久留米つばき園(草野町)  3月25日午後    天気   快晴

椿と名札を並べています。

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まだまだ沢山あります。外国産もあります。楽しく散策できました。








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by kusennjyu | 2012-03-27 13:48 | 筑後地方の観光と魅力 | Comments(0) |Topに戻る
2012久留米市津福本町周辺の歴史・千寿の楽しい歴史
久留米市津福本町周辺の歴史     

宮原典子さんへ贈る。


久留米市津福本町周辺の歴史  

3月24日に宮原典子さんに聞いた話に基づいて編集しました。

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津福地像菩薩由来沿革

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三瀦の御家人横溝氏は、文永の役・文永11(1274)年と弘安の役・弘安4(1282)年、蒙古合戦の勲功により恩賞地として九州談議所より正応元(1288)年、安武荘を拝領し、安武に「有久山・長谷寺」を開基いたしました。

「その本尊が地蔵菩薩像です」お姿は僧形求法の像で檜木寄、木造り高さ82cmの延命地蔵であります。胎内に慈覚円仁大師の筆法があり平安初期、承和5(838)年、慈覚円仁大師渡唐に際し2年間大宰府に滞在されましたが、筑後巡錫の砌造像されたものと思われます。

降って戦国の世となり、天正5(1577)年、安武海津城を肥前竜造寺武将「横岳種次」の攻撃するところとなり安武海津城落成する。

城主・安武安房守戦死、」その邑も長谷寺も戦火により焼き亡び、その本尊は兵火を逃れ当地の津福に難をさけたのであります。

その後、数々の霊験あらたかな事が口伝えとして残り田中兵部大輔公初め代々の久留米城主も手厚く祀ってこられました。

今般、堂宇の損傷甚だしく町民一同畏敬の念、禁じ得ず有本志の方々の浄財等壱千数十萬を以って本堂を改築致しました。ついては本堂の由来を得度し願わくば地蔵菩薩の永遠のご加護を記念して止みません。

 平成7年3月吉日     津福町管理委員会
     
大川鉄道

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大川鉄道の手により、久留米市と城島町(現在の久留米市の一部)、大川市を結ぶ軽便鉄道として建設された。旅客のほか、城島町で生産される酒や大川市で生産される家具、畳表などの貨物輸送が目的であった。久留米市内の起点は国鉄久留米駅に近い場所にある上久留米駅であった。

•明治40(1907)年、大川町から鳥飼村までの18.5kmが大川軌道に下付
•明治42(1909)年、大川軌道設立
•明治44(1911)年、社名を大川軽便鉄道に改称
•大正元(1912)年、 縄手(後の上久留米) ―若津間が開通
•大正2(1913)年、 大川鉄道に改称
•大正10(1921)年、津福駅開業
•昭和26(1951)年、 上久留米線廃止
•昭和41(1966)年、 大川線廃止
上久留米-榎津間19.8km (上久留米-津福間2.4km)

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下久留米駅」は鳥飼小学校の東付近に、「終点上久留米駅」は縄手ガード下過ぎて豆津橋方面への道の交差点付近にあったようです。

久留米市縄手町から城島を経て大川へ走っていた大川鉄道は、小さな蒸気機関車が客車と無蓋の貨車を4,5両連ねてポッ・ポッ・ヒューと汽笛を鳴らして通るので、愛称ポッポ汽車とよばれてしたしまれました。

久留米津福本町周辺の歴史  3月24日に宮原典子さんに聞いた話に基づいて編集しました。

田中道  上の地図を参照

県道の23号沿いの津福本町の小林歯科の前の追分から北西に進路をとり、湯ノ尻川に架かる「女橋(おんなばし)」と金丸川に架かる「男橋(おとこばし)」を渡って津福本町の集落を抜けると、「田中道」は梅満町の集落に入ります。

そして、この道は、鳥飼小学校の前通りを経て、ふたたび県道23号線に合流します。

女橋・男橋

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これだけを見ると何だかロマンチックな橋のように思えるが、実はとっても悲しい橋なのだそうな。

このあたりは昔処刑場で、男橋女橋とあるのは刑に処される男はここまで、女はここまでと決められていた。橋のたもとで家族と引き離され、そして刑場に向かい刑に処される。

そこは一本の川が二本に分かれる場所で川が分かれる三角形の頂点近くの所は草がぼうぼうと生えていた。分かれたところは工事現場のようになっている。近くに池青寺というお寺があり、お地蔵さんがお祭りしてあった。その昔刑の執行が終わり、罪人の遺体を安置してお経をあげたのだろう。刑場跡は今も荒地である。

池青寺弘法大師堂

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「田中道」をゆく(久留米市編)    クリッックして見て下さい。

宮原オート商会  来店をお待ちしています。

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良い品物を他の店より安くしています。奥さんの笑顔が素敵です。気楽にお立ち寄り下さい。









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 「みやまの今週の出来事など」

「ハゼの木を植えました」

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 「柳寿司のランチ」

「写団ひみこの写真展」  福岡銀行にて

梅野歴史資料館  みやま市瀬高町大草女山932

私の目標   今一番大事なことは絆 を育てること。

by kusennjyu | 2012-03-26 05:39 | 筑後地方の観光と魅力 | Comments(0) |Topに戻る
続・柳河国盗り物語(くもで座)・千寿の楽しい歴史
続・柳河国盗り物語(くもで座)    3月25日(日)  午後1時30分から。   柳川市水の郷

昨日のブログでは博多の歴女(白駒妃登美さん)が 語る立花宗茂をあげています。

今日は柳川市民劇団「くもで座」の「続・柳河国盗り物語」を見て来ましたので、それを編集します。

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作・演出にあたって   日本演出者協会会員  田中はくどう

前回では、宗茂公の幼少期から成人するまでを軸に、豊臣秀吉により柳川を拝領するところまでした。

今回は、その柳川は拝領から、朝鮮出兵を経て関ヶ原の合戦により柳河城を去らざるを得なくなるまでの青春期を作品にしました。

若き宗茂と正室・誾千代との青春のラブストーリドラマとしてお楽しみ頂けるように趣向をこらしました。

年譜

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人物紹介   立花宗茂   誾千代(ぎんちよ)

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下の写真は劇が終わって家族交流のときにお願いして撮ったもので、劇のお役とは関係ありません。

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市民劇団「くもで座」のあゆみ

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午後5時から御花でくもで座10周年記念祝賀会が行われます。

無双の花   武将立花宗茂の生涯   葉室 麟   直木賞作家

書籍の紹介から

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5月27日  トークショ   立花宗茂を語る&サイン会   










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by kusennjyu | 2012-03-25 18:07 | 柳川・大牟田・大川の歴史散策 | Comments(0) |Topに戻る
2012博多の歴女が語る立花宗茂・豪姫・千寿の楽しい歴史
博多の歴女が語る立花宗茂・豪姫     

平成24年3月22日 白駒妃登美講演

立花宗茂

a0137997_6591596.jpg立花宗茂は関が原の戦いでは恩ある太閤殿下に報いるため西軍につき、琵琶湖の京極高次を攻めていたので、関が原には行っていない。

関ヶ原の戦いは「豊臣系大名同士の合戦」ということができます。

西軍総勢一万五千に対して京極高次が守る大津城は三千の軍勢である。
京極高次は9月15日の夜明けに降伏する。関が原の合戦は15日朝から始まる。


京極高次が一番の手柄であったといわれる。それは鎮西一の立花宗茂と戦い、結果的に関が原の戦いに行けなくしたからです。

立花の三千の兵は一万以上の兵に相当するといわれ敵からは恐れられていた。
立花宗茂が関が原の戦いに加わっていたら勝敗はどちらになっていたか分からなかったといえます。

立花宗茂は武勇だけでなく、忠義にあつく人を裏切らない人であった。
いくつかのエピソードがあります。

大津から撤退して大阪城に向かう朱鷺、瀬田の唐橋の焼き打ちを止めさせている。
一般の住民もつかっており、庶民が嘆き苦しむことので、止めたのです。

敗れて故国へ帰る途中、瀬戸内海で島津義弘の船団に会った時に、わずかな兵の島津軍を襲って島津義弘の首を取って恨みを晴らしましょうという部下を叱りつけます。
島津軍は筑前岩屋城での父親の高橋紹運(じょううん)の仇なのです。
宗茂は、いま島津殿の首を取るのは武士の恥である。礼節を重んじることだと部下に言います。
立花船団は島津船団と一緒に豊後府内(大分市)に上陸します。

宗茂が加藤清正の居候になることで柳川城を出る時に、城下町から城外の田畑にかけて、沿道にたくさんの町民や農民が土の上に座って見送ります。

宗茂は加藤清正や前田利長からの誘いを断っている。宗茂が申し込めば、どの藩でも受け付けます。
のち家康から五千石で召抱えるのに立花の義をたてるのみで、武勇など関わりないと言い切り立花の義を貫きます。

豪姫

豪姫は豊臣秀吉が大切に育てた養女です。豊臣秀吉は、子どもがなく、親友の前田利家から、生後間もない彼の四女を養女に迎えます。

a0137997_723375.jpg豊臣秀吉にかわいがられた武将がいます。それが宇喜多秀家です。
秀家の父・直家は岡山城主で、病気で亡くなる際に、毛利攻めのため岡山城に滞在していた豊臣秀吉を枕元に呼び、幼い秀家を託したのです。

秀家に帝王学を授け、立派な大名として育て、豪姫と結婚させたのです。

秀家は側室を置かず豪姫だけを愛し続けています。
秀吉の寵愛のもと、20代の若さで、豊臣政権の中枢である五大老に選ばれ、大大名に成長します。

秀吉の死から2年後の関ヶ原の戦いが起こります。

秀家は「今こそ秀吉公へのご恩返しの時、秀頼様をお守りする」という立場を純粋に貫きます。

宇喜多秀家は、西軍の主力として激しい戦いを繰り広げましたが、西軍は敗戦し、戦場から落ち延びます。

a0137997_7375229.jpg秀家は島津家に身を寄せていましたが、慶長7(1602)年、島津氏が徳川家康に降ったため、秀家は助命を条件に引き渡され、息子2人と共に慶長11(1606)年に八丈島に流罪とされる。

その間に豪姫は備前岡山城より娘らと、兄の前田利長のもとへ戻され化粧料1500石を与えられる。

その後、他家へ嫁ぐことなく金沢西町に移り住み、賂を秀家に送り続け余生を送った。 寛永11(1634)年、豪姫は金沢城鶴の丸でその数奇な運命を閉じました。享年61で亡くなります。

a0137997_710518.jpg八丈島では苗字を浮田、号を久福と改め、妻の実家である加賀前田氏・宇喜多旧臣であった花房正成らの援助を受けて、初期には秘密裏に、晩年は公に隔年70俵の援助を得ることが幕府より許された。



50年を過ごし、高貴な身分も相まって他の流人よりも厚遇されていたという説がある。83歳で亡くなりました。

徳川の世が終わり、明治2年、宇喜多家の流罪は260年ぶりに解かれました。

1997年、岡山城の開城400年を記念し、岡山市がイベントを催しました。その一環として、八丈島は、島内に秀家と豪姫の石像を設置しました。石像となった2人の視線の先には岡山があります。









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by kusennjyu | 2012-03-24 07:26 | 歴史学習会 | Comments(0) |Topに戻る
博多の歴女が語る「絆の紡ぎ方」・千寿の楽しい歴史
博多の歴女が語る「絆の紡ぎ方」(2回目)   3月31日 瀬高公民館

講師  白駒妃登美さん

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写真は著書「人生に悩んだら日本史に聞こう」の本を持って。

幸せは条件が決めるものではない

高校生の頃から、カネーギやナポレオン・ヒル、マーフィーといった欧米流の成功哲学を信じていました。
「誰にも負けたくない」との思いでそれを実践し、叶えたい夢は次々と叶っていきました。
これらの成功哲学の特徴の一つは、「善・悪」、「損・得」、「勝ち組・負け組」といった二元論に基づきいかにしたら人生や仕事の勝者になるかを説いています。

長くこの思考に漬かってしまうと、欲望が際限なく広がり、達成感は得られても安心感や幸福感、心の底からの自尊感情は生まれることはありません。

図らずもそれを思い知らされる出来事が一昨年に起きました。
体に変調を来し検査を受けたところ、子宮頸がんと診断されました。
私はそれまで、病気とは消極的な人、クヨクヨする人が罹るもので、明るく行動的な自分とは無縁だと本気で考えていました。

がんは初期状態でしたし、2カ月間の入院生活で手術と放射線治療を受け、完治したと思っていました。ところが、2年後の経過視察の時、肺に移転した可能性があると主治医から知らされました。

2人の子どももまだ幼く、倒れるわけにはいきません。しかし、「がんに打ち勝たなきゃ」ともがく私の気持ちを逆撫でするかのように、がんは次々と移転していったのです。

主治医の話では、体がうごかなる日がやがて間違いなく来ると言うのです。
笑顔が取り得だった私が、その日以来塞ぎこむようになり、自分は生きている価値がないとさえ思え出しました。

その時友人が、「笑顔でなくても、不機嫌でも、生きていてくれるだけで嬉しい」と励ましてくれました。
お金や健康など、幸せに「条件」を求めていた私の目を覚まさせ、幸せは条件が決めるものではないと気づかせてくれたのです。

天命追求型の行き方

主治医の言葉に衝撃を受け塞ぎこんだ日から3週間後、いよいよ抗がん剤治療と言う直前、驚くようなことがありました。事前の検査でがん細胞が消えていたのです。

天命追求型とは、将来の目標に縛られることなく、自分の周囲の人の笑顔を何よりも優先しながら、いま、自分の置かれた環境でベストを尽くすということです。

自分の夢だけを叶えるFou Meより、周囲に喜びや笑顔を与えるFou Youの精神、志が優先される生き方です。

私は主治医から最後通告を言われてから、ベッドにパソコンを持ち込み、今までブログで書いていた歴史を本にしようと決意して、今までの分を見直していきました。

いつも「いま、ここ」に全力投球をする生き方をしなければならないと思って精一杯やったことが良かったのでしょう。その結果、潜在意識がONに変わったのではないでしょうか

      以上は講話内容を「致知 2012-3」を参考にまとめました。

次回は立花宗茂・豪姫・酒井忠篤などを紹介します。

  





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私の目標   今一番大事なことは絆 を育てること。
by kusennjyu | 2012-03-23 07:27 | 歴史学習会 | Comments(0) |Topに戻る