千寿の楽しい歴史
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2017みやま市制施行10周年記念式典(記念講演)・千寿の楽しい歴史
みやま市制施行10周年記念式典(記念講演)

平成29年1月29日(日)午前10時~

まいピア高田(多目的ホール)

「健康なまちづくり」

講師 横倉義武氏

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横倉義武氏は世界医師会総会において会長に推される予定です。(日本人では3人目です)

1・健康寿命の延伸

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課題

乳幼児・学校・事業所・後期高齢者の健診データが一本化されていない。

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男性~退職前から職場以外の団体・グループでの活動の有無が大きく関与する。

女性~自分で判断してできる人が高齢期に直面する変化に対し、上手に適応できる。

高齢者の自主度の変化パターン

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健康寿命を短くする原因

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これからは「ロコモ(運動疾患)対策」が必要である。

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2・かかりつけ医とまちづくり

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医療的機能~なんでも相談できる医師として全人的視点から対応する。

社会的機能~地域の高齢者が少なくても、長く地域で生活できるよう在宅医療
に理解を示す。

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元気な楽しい人生を過ごしましょう。






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梅野家歴史資料館  みやま市瀬高町大草女山932

梅野家庭園    4月  5月  新緑  6月  11月 梅野家の紅葉   季節を楽しんで下さい。

梅野家歴史2(傘寿を迎えて・梅野茂芳著者)・千寿の楽しい歴史   白蓮さんの写真が載っています。

青輝園   御座敷梅ユリ展

私の目標   皆さんに感謝します。

by kusennjyu | 2017-01-30 15:47 | みやま市の今 | Comments(0) |Topに戻る
2017みやま市制施行10周年記念式典・千寿の楽しい歴史
みやま市制施行10周年記念式典

平成29年1月29日(日)午前10時~

まいピア高田(多目的ホール)

執行部・来賓

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みやま市ふるさと観光大使

亀崎英敏氏と稲葉緑子氏

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感謝状贈呈

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10年間のあゆみ

平成19年1月29日 私が勤務していた消防組合は市部局の市職員(消防吏員)となる。

平成29年3月29日 有明沿岸道路 大牟田IC~高田IC開通

平成20年3月31日 消防職員を定年退職する。

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平成22年3月29日 市消防署「南部出張所」開設  私の家の裏側に。

平成23年3月27日 「道の駅みやま」オープン

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平成26年11月17日 市消防庁舎運用開始

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平成27年2月2日 みやま市史を刊行

平成27年10月3日 囲碁サミット開催

平成28年4月5日 桜舞館小学校開校

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平成29年2月19日  九州オルレ

みやま・清水山コース オープン

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みやま市


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次回は横倉義武氏の「健康なまちつくり」講演に続きます。




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by kusennjyu | 2017-01-30 08:55 | みやま市の今 | Comments(0) |Topに戻る
2017北原白秋生家・記念館だより②・千寿の楽しい歴史
北原白秋生家・記念館だより②

金子みすゞと北原白秋


a0137997_775425.png手元に金子みすゞ編「琅玕集」と題された炭坑本サイズの本が上下2冊あります。帯には「残された最後の手帳ついに出版」と書いてありました。

この本には、大正13年11月から15年11月の間に発行された雑誌や詩集などから、みすゞ自身が選んだ童謡・小曲をまとめた詞華集で、西條八十、北原白秋といった有名な詩人の作品から、みすゞと同じ若い詩人たちの投稿作品、また、幼い子供たちの自由詩など、有名無名を問わず、106人の著者による全199編が収められています。

題名の「琅玕(ろうかん)」とは、暗緑色、青碧色の半透明な美しい石。転じて美しい書や文章という意味。現在では、高い透明度と美しい色合いを持った最上質の翡翠(ひすい)のことを特にさして「琅玕」と呼ぶそうです。

では、なずみすゞは琅玕集をつくり始めたのでしょうか。矢崎節夫氏によると、「・・・大正13年4月から約1年間、師と仰いでいた西條八十が留学のため仏(フランス)へ行ってしまった」からだ。続けて「八十のいない間、みすゞは、『童話』への投稿は
控え、かわりに他の雑誌から、自分のこころにふれた作品を集めて一冊の選集をつくることで、自らの詩精神を高めようとしたのだろう。」といわれています。

本書の中で、一番多く選ばれた作品は、当然師と仰ぐ西條八十の作品だと、誰しも思うでしょう。ところが、さにあらず。当時、八十と並ぶ童謡界の中心的存在であった北原白秋の作ます。

その中には名曲である「この道」や「酸模(すかんぽ)の咲くころ」なども含まれています。みすゞの作品に明らかに影響を与えていると思われる作品もあるので、別紙に順次紹介します。

「琅玕集」に納められた白秋作品から① 

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有難うございました。







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by kusennjyu | 2017-01-29 07:09 | 芸術と文学・童話 | Comments(0) |Topに戻る
2017北原白秋生家・記念館だより①・千寿の楽しい歴史
北原白秋生家・記念館だより①

朱欒号

白秋生家・庭のザボンの木に朱欒(ざぼん)の実がたわわになりました。

白秋は、明治44(1911)年11月から大正12年5月まで、文芸雑誌に「ザンボア(朱欒)」と命名、19冊発刊しました。

創刊号に白秋は、生家の思い出多い朱欒について、下記のように書きつづっています。

朱欒が熟(みの)るころから酒作りがはじまる。私は廃れた南方の町の、あの匂い高い、さうして何となく新しい味ひのあるこの朱欒の樹のかげで生れて、酒の薫と暖かい日光の中で、自分の心を温めながら穏やかに生い立つて行った。

さうして冬が来て朱欒の実がぽつりと落つる夕暮になるとよく実を抱いては、水路のほとりに座った。・・・黄色い、キメの細かな、手触りの冷たい、懐かしい、ZANBOAよ。

わたしはそなたがなつかしい、而してその実に頬ずりしてはちやうど、パライソオの空のこころでもさしのぞくやうに長崎の街をゆめ見てゐた幼年時代がなつかしい。

ああ。ZANBOA.ZANBOA.・・・・・・・・

水路・・・隠居部屋脇の水汲場
パライソオ・・・PARAISO、ポルトガル語。天国、楽園の意味。

庭のザボンの木

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酒造り

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隠居部屋

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水路と水汲場

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続きます。








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by kusennjyu | 2017-01-28 22:16 | 芸術と文学・童話 | Comments(0) |Topに戻る
2017白秋生誕祭(132年目誕生を祝う)パレード・千寿の楽しい歴史
白秋生誕祭<132年目誕生を祝う)パレード

平成29年1月25日午前10時30分~

生誕祭は、白秋の偉業を顕彰しようと柳川白秋会が主催し、今年で63回目である。

パレードは打ち上げ花火を合図に北原白秋生家・記念館を出発する。白秋の写真と赤い酒だるを載せた大八車を引き、矢留小5年生児童らのマーチングバンド、白秋会会員などが沖端地区の掘割沿いを巡った。沿道では住民らが小旗を振って見守った。


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白秋は明治18年に母親の実家の熊本県玉名郡南関町で生まれた。

すぐに現在の柳川市沖端町の造り酒屋を営む家に帰り、ここで育った。本名は隆吉で、白秋は中学伝習館の生徒だった時につけたペンネームです。

詩集「邪宗門」や「思ひ出」をはじめ、詩や童謡、短歌など多くの作品を発表しています。明治から昭和にかけての日本の近代文学史に大きな足跡を残し、昭和17年11月2日に死亡しました。

白秋の青春時代を描いた「からたちの花」が映画化され、国民的な詩人として知られ、観光柳川にも貢献しています。


続きます。






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by kusennjyu | 2017-01-28 13:53 | 柳川・大牟田・大川の歴史散策 | Comments(0) |Topに戻る
2017幸若舞 和泉が城(三)・千寿の楽しい歴史
幸若舞 和泉が城(三)

鼓方:松尾正巳 太夫:椛島健夫 シテ:松尾正春 ワキ:松尾成功


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「コトバ」兄錦木戸が申しけるは。仰の如く此の君、世にも御座なき義経を、主と頼み申さば、おるまじき所にて、馬よりおるるも無念成也。いざ此君を討ち申、上野下野甲斐信濃武蔵、五ケ国を給って、五人して知行せんと申す。各々此儀に同じけり。某中に三男和泉の三郎、烏帽子の先を地に付、涙をながし申よう、扨も父秀衡我に記書を書かせ、世にも嬉しげにすぎさせ給ひ候に、今行程もなき間に左様にむほんの起し、父を地獄に落し申さば、天命いかでのがるべし、此事に於ては。

「カカリ」思し召し届るまるべし。

「フ シ」それに承印なきならば、忠衡は御免なり、恐惶対面申すまじと、座敷を立てかえりしを、ほめぬ人こそなかりけり。

「コトバ」忠衡我が宿所にかえり、女房を呼出し、なんぼ面ぼくもなき事の候。それをいかにと申すに、兄弟の人々が、我君を討申さんずるたくみを、めぐらされて候っぞや。

「カカリ」なんぼあさましき事にては候はずや。

「イ ロ」女房聞いて、あら御いたはしやさむろ、秀衡殿に遅くれさせ給ひ、今行程もなき間に、兄弟の人々のてきとならせ給はば、扨て君は何にとかならせ給ふらん。たとえ自ら女にてさむろとも、高館殿に参り、君の御供申べきが、扨て忠衡は何にとか思召さるらん。

「コトバ」忠衡此由聞よりも、更々別のしさいにて候らはっず、兄弟の人々のけしきには、今よいの内に、高館殿に夜討に寄する事もあり、いそぎ身つぎ勢を参らせんと、屈強の兵者を、二十七騎すぐって。

「カカリ」高館殿に参らせ。

「クドキ」ふん我身は只うちとけて、最後を知らぬぞあわれなり。

「コトバ」扨ても錦木戸が館へは、残る四人の兄弟の人々、さもあれ和泉の三郎が、我々をせいしかね、座敷をけ立てたつる物かな。先忠衡につめ腹を切らせ。九万八千の軍神の血まつりにせさせぬ。尤も然るべしとて、照井金沢鳥の海に、三千予余騎を相そへ、和泉が城えぞ寄にける。かの忠衡が城と申すは、三方は衣川一方に堀をほり、さかもぎを引かせ、用心きびしかりけれど、げには寄手は案内者、又はにわかの事なるに、一二の木戸に押よせ、時をどつとあぐる。城の内のつはもの共、思ひよらざる事なれど、我も我もと切手出る。ここをせんどとふせぎ戦ふ。扨ても高館殿と和泉が城、そのあひ十八丁の処なれば、時の声矢さけびの音が、手に取る様にぞ聞えける。判官武蔵を召され、和泉が城にあたって、ときの声の聞こをふるは、いかさま兄弟の者共に、討れぬると覚えたり、急ぎ見つげとの御諚也。承ると申して、御所侍、三十五騎和泉が郎党二十七騎。

「カカリ」ほそなわでに懸て、駒を早めて。

「ツ メ」打たりける。道にて武蔵言ようは、まてしばし方々、此合戦と申すは、和泉にやしんがあらばこそ、只我君えの心がはりの合戦なり。高館の御所へも、やがて打て向ふべし、押しへだてられ叶うまじ。いざや御所へかえつて、君を守護し申さんと、道よりも引かへす。これと申も忠衡が、「オー」うんのつきたる処なり。和泉が郎党申す様、主のせんどで候らへば、いとま申してさらばとて、駒にむちをもみそへ、「ホー」もみにもうでぞ急ぎける。照井の太郎が是を見て、すはや高館殿よりも、みつぎ勢いのあるぞとて、左右へぱっとぞのいたりける。陣の二つへかけ割て、内へ一所にくははつたり。照井の太郎が申す様、これほどの城かくに、時こく移て落ぬは、むげに不かくと覚へてあり、いでいで鷹野先がけせん。我と思はん人々は、つづけやと云うまゝに、長刀をよこたえて、まつさきにこそすすみける。つづく軍兵たれたれぞ。庭の六郎、宇田の藤次、間の兵衡を先として、七拾五騎にて切て入る。城の内のつは者共、過ぎ指高野先として、弐拾七騎切て出で、ここをせんどと戦たり。此者共と申は、かたきみ方と云ひながら、あるいは叔男甥兄弟なれば、他人よりもはづかしく、壱足もしりぞかず、凌をけづりつばをわり、切先よりも火えんの出し、ここをせんどと切結ぶ。寄ては間中村、古堀兄弟討るれば、城の内のつは者共、堀の端にて十七騎、枕をならべ討れたり。あるいは手をいくたびれ、城の内にぞ引たりける。寄手はさすが猛勢なれば、荒手を入れかえせめければ、壱弐の城戸も打破られ
て、つめの城にぞこもりける。

「コトバ」去る間忠衡、兄弟の人々に向て、合戦すべきにあらずと、物の具もせでいたりしが、味方ことごとく討死す。早城中へ乱れ入と聞きければ、小具足計りをかため、広えんさして踊り出る。女房此由見るよりも。

「カカリ」ゆむけのたもとをひつ届め。

「イ ロ」それ弓取りのなきあとに、思ひを残しぬれば、ふかくの死にをする由を、承てさむろぞや、兄弟の若共を、なにとなれと捨ては行かじかなばし、とも角もよき様に、はからひ給へ忠衡殿。


「コトバ」忠衡此由聞よりも、実に実にこれは云れたりとて、ありし処に立帰り、七ツ五ツになりける。兄弟の若共を、右手左手の膝におき、おくれのかみをかきなでて。

「イ ロ」あらはむざん若共よ、今行程そわぬ物ゆえに、親子のちぎりと生れきて、あまつさえ父が手にかかるを、恨らみとばし思なよ。

「フ シ」たゞ叔父たちを恨むべし、たすけたくは思えども、とんよく不道の叔父共が、たすくる事はよもあらじ、忠衡が手にかゝり、死出さんづをなげきこし、閻魔の庁にまえるべし、ねん仏申せ若共と涙と共にすゝむれば、なにの心は知らね共、いたいげしたるてを合せ、阿弥陀仏弥陀佛と四五へん申す時こそ、目ぐれ心はきゆれども、心よわしくかなわじと、腰の刀をするりとぬぎ、兄花一を引よせて、右手の肘のかかりを、ふた刀がいしておしふする。弟の花若が此由を見るよりも、あゝおそろしの父御前や、我をばゆるさせ給ひとて、いたる処をづんと立ち、母が処へにげ行くを、おくれのかみをむづととり、なんぢ壱人ゆかばこそ、父母も兄も行くそとて、心もとをひと刀、わつとばかりを最期にて、おなじ枕に押ふせて、兄弟の若共を、三刀にがいしつゝ、我身をだいてなきいたる心の内ぞ哀れなり。


終ります。有難うございました。




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by kusennjyu | 2017-01-27 20:53 | みやま市の文化財 | Comments(0) |Topに戻る
2017幸若舞 夜討曽我(上)・千寿の楽しい歴史
幸若舞 夜討曽我(上)

鼓方:松尾正巳 太夫:堤日出夫 シテ:松尾義文 ワキ:松尾裕二

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「コトバ」去程に頼朝、信濃の国御原野の御かりすぎ、それよりもして、合沢の原の猪とりがり三日すぎ、駿河のふじの裾のに、御出でとこそ聞へける。御諚の其日の御装束、青かりきぬに立烏帽子召し、尾花足毛の一物に、白鞍をかせ召れる。御馬ぞへには五郎丸、赤池のにしきの直垂を、下し給はりてこれをきる。八十五人が力なり、もえぎの腹まきをきごみにき、君を守護し奉る。秩父殿の居装束、鷹すへて御供也、千葉小山宇津の宮、いづれもかり場の出立にて、鷹すへて御供也、惣じて鷹は五十本、犬は八十四匹、犬のすず鷹のすず。

「イ ロ」くつはの音がざざめひて、上下六万六千余騎が、さしもに広き富士の裾野に、駒の立どはなし、抑々の富士山と申は、人皇七代の帝、孝霊天皇の御代の時、三月十五日の、一夜が内に、こんりん山より、ゆうしゅつしたる山ん也、あゝらをもしろの名山や、南は田子の浦浪也、焼ぬしうやのけむり立、西は海上、万々として、きはもなし。

「フ シ」されば四方山を、下に駿河の、富士なれば、雲より上の、八よはみな、きんぎんの、いさごにて、なまぐにつもる白ゆきの、所々は村ぎえて、みねには、けむりたへまなし、麓にかすみ棚引て、山のん帯かとうたがわる。山は八ようを九ぞんにて、りやうがいをひょうせり、峰にはくじやく明王の、すみ給へる池あり、麓にせんげん大菩薩の、いらかをならべてたち給うを、生々けんごの礼いちとして、りやうがいをきんだんし、猟師の入らぬ、山なれば、かせぎのかずは、おうかりけり。

「ツ メ」三千余人のせこの者、三日かけていぜんより、峰へわけのぼり、ぜん領をまっくだりに、岩を起し古木をたたき、おめきさけんで狩下す、おゝくのかせぎけだ物、すそ野
をさしてぞおちにける。猪が射手に打まぜて、かけみだしてぞ入くんだる、すは早射てこそ取たりける、弓ですがい馬手ぎれ、すごうゆみおくりや、手さきまかせぬむかい猪、表五寸の木上を、中にてかえしはせもどり、ががたる山のそわづたへ、此処を千どゝ見えたりける。今日三日のまきがりに、かせぎの数をとどむる事は、三千七百四頭なり、天竺しだんなそわしらず、秋津嶋が其内にも、か程の見世物にあらじと、諸人教をもよしけるは、ことわりとこそ聞けれ。

「コトバ」此度富士の牧がりに、東八ケ国の大名小名、あるいは鹿の四頭五頭とどめ、御所領たまはり、皆地所入と聞うる。

「イ ロ」あゝらいたわしや、曽我兄弟の人々は、猪に心のいらざれば、かの子の一つもとどめずに。

「コトバ」いかにもして敵祐経に、めぐり合でと、たくみけるに、此処に弓手のそは、かしわ木ばらの中を中を見るに、射てのあまたある中に、四十斗りなる男の、兵文の直垂に、夏毛のむかばきふんごうだるが、三つ有獅子に目をかけ、かりまたつがつて追かくる。時宗たそと見るに、あわ祐経とおもい、気もそぞろぎ身ぶるいて、うどんげも、懐中へひらけけるかとうれしくて、獅子矢をばそろりと捨て、たのみし中ざしぬき出し、弓をふせて打つがい、矢壺おうしと申せ共、我らが父の河津殿は、奥野の狩場のかえりあしにて、鞍の前わのhづれ、むかばきの引合を、射られ給うと聞ものを、むくいの矢なれば祐経をも、おなじ矢壺にいて落す、河津が矢目にたがはじと、諸人に見せ、十八年のちそくは、おなじからざれ共、

「カカリ」狩ばと矢目はたがわずや。

「コトバ」打ばひびく、たたけばなる。

「ウチカケ」おもいはよそになかりけり。身のせしとがのむくいぞと、しらせばやとおもいて、早あらわれていでけるが、

「フ シ」まてしばし我心、五郎一人無ねんのはれ、十郎殿をむなしくせば、今生のうらみ、のみならず、こうせんまでもはれがたし。ぶもきょうようのん矢なれば、兄弟して一と矢づつ、弔うにぞと思いて、あたりを見ければ幸に、いいを一つへ立て、十郎殿よそめしてこそおわします。

「ツ メ」五郎あまりの嬉しさに、鹿こそとうれ十郎殿は、御らんじられてそうか、鹿ぞと云に心え、東西をきっと見るに、おゝへ立たる敵なれば、見づけんも一つどうり、五郎あまりにたえかねて、夏山や、しげんみの鹿は射にくそう。そのおにあがけて、せこに合てゆきがたを、とはせ給うと申時、扨はそのうおのあなたへ、敵のあると心へ、そわをのぼりに駒かけあげて、向の原をきつと見るに、げにも祐経此処にありねしかもあたりに人はなし、天のおしえ仏じんの、あたへ給うとうれしくて、十郎は兄なれば、一の矢おばなに者か、さまたぐべきと思いて、うつぼのそこの、ひぞうのとめ矢を取て、からと打つがい、矢先をさざへはづかえし、定の矢をと心得敵の、矢壺ばかりに目をかけ、馬の足は見ざりに、心ははやれども、人に色をさとられじと、こがけにすすみあゆませ行に、乗たる馬は国元よりも、こわまれなり乗しげし、よわき馬に、つよくたづなを乗程に、ヒヤとあるふしぎに胸をつき、屏風をかへす如くにはや、まつ坂さまにどうどう落、五郎あまりのかなしさに、いそぎ駒より飛んでおり、祐成をとつて引ったて申し、馬起こあんとひしめくまに、祐経名馬に乗たれば、谷峰へだてゝ落のびぬ、行方知らねばいづこをさしぞ、たづねて行べきかたもなし。

「フ シ」兄弟の人々、宝の山に入りながら、無なしくかえるふぜいに、討たでやみぬる兄弟、心ざしこそ、むねんなり。


続きます。





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by kusennjyu | 2017-01-26 20:46 | みやま市の文化財 | Comments(0) |Topに戻る
2017幸若舞 高館(上)・千寿の楽しい歴史
幸若舞 高館(上)

鼓方:松尾正光  太夫:松尾素直 シテ:松尾健志 ワキ:松尾拓尚

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去る程に鎌倉殿、梶原をめしての御定には、いかに梶原承れ、誠にぎけい(義経)がむほんにおいて、うたがう処なし。いそぎ義経をたいぢし、世をおさめんとの御定にて、長崎の四郎に参百騎を下したぶ、長崎参百騎を給はり、いそぎおくにも付しかば、さいそく廻しせいぞろへ、安衡がたちによりきし、照井の太郎を筆とりにて早着到を付くる、先惣領ならば安衡、次に錦木戸、四郎元吉、ひづめの五郎玉づくり、野馬くら殿御兄弟、其外の人々に、きつその弥七木原の源吾、雲居の小太郎、阿津瀬の刑部、中島の与藤次、松島玉つくり、小島の兵藤を先として、名字のさむらい七百余騎、其外都合つはものども七千三百余騎と早着到を付る。仰々頃はいつなるらん、文治五年うる四月お二十七日、今日た日がらよからず、明日の辰の刻にむかうべしとさだめ、大田、山口、中村に、すでに陣取てひかへたり。扨(さて)も高館の御所へは、敵向ふよしを聞召し、侍たちを召さるるに、宵ひ迄は、侍八人、大将共に九人と聞くへしが、つぐる日の御合戦に、侍九人、大将共に拾人の、
「カカリ」由来をくわしくたづぬるに、
「イ ロ」紀州熊野の住人鈴木の三郎重家有(ある)夜鈴木女房に、かたりけるは、何某思ふ事ありて、此あかつきに奥州へ罷り下り候べし、心のままに罷り下り、君も目でとふましまさば、
「フ シ」明年の夏の頃、たよりの文をまへらせん、夏の頃しもすぎゆかば、浮世は不定のならい、道の草葉のつゆしもと、きへぬる世と思し召しあとをば、頼み奉る。いとま申してさらばとて、ぢたいが鈴木殿、熊野そだちの人なれば、山伏の姿に、様をかへ、笈とつて、かたにかけ、物うき竹のつへをつき、そのふしぶしに、よをこめて、藤城を立いでて、はやここのへに、つきにけり。人目しのぶのたびなれば、いつしか、はなの、みやこをば、かすみとともに、立いでて、大津の浦よりふねにのり、海津の浦にあがりつゝ、北国道の浮きなん所を下らせ給ひける程に、人にやどをからざれば、あるいは野にふし山に臥し、七十五日と申には、奥州衣川高館の御所に付にけり。
「コトバ」鈴木なんとか思ひけん、笈すずかけを、かたわらにとりかくし、笈の中よりも打かけを、とりいだし着るままに、十二ふるいたるあみ笠を、ふかぶかとひ(引)つか(込)うで、高館殿のていを、見奉るにふしぎや、紀州藤城にて、承り及し時は、ひばん当ばんそしょう人、さながらみうちにみちみちて、門外へは、駒の立てどもなきように、承り及びしが、是はなにとて、さびしく御座あるらん、ふしぎさよと思ひ、もんのからいしきに腰をかけ、みうちのていを、心しづかに聞いたる。扨ても高館の御所へは、敵向ふ由を聞し召し、侍たちをめさるゝに、いつもかわらぬ武蔵坊をさきとして、以上八人君の御前にかしこまる。判官御攪じて、いかにかたがたが、手にかけ、首をとつて、関東へ参せよ、くんかうけじょうにあづからば、奉公の忠には、後世をばとうてたべ、
いかに、いかにとおふせけれども、御べんじ申す者もなし、片岡亀井の六郎が、目と目をきつと見合て、こは口おしき御定かな、たれあつて、此内にも、我君の御首を給り、鎌倉え、こうさんの申すべきぞ、今迄落ぬ人々は、皆御供とこそおぼすらん、さわいながら、此内にも、おちんと思ふ人のあらば、ひらにいとまを申して落ちよ、たれもうらみはのこるまじいと、座敷をきつと見渡せば、
「フ シ」すずしく、申されたるものや、たれもかように申したき、御ぺんじにて候ぞや、おもうにかたきあかつきよすべし、大手からめてと、ふたてにわけぬ事あらじ、みかたはたとへ、むぜいなれど、両陳にむらがつて、いくさは花を散らすべし、まだほのぐらき、そう朝に、あれは大手是はからめて、なんどゝて、声をば聞くともすがたはみじ、我も人も心しづかに有時に、かみえ申して御酒給はり、さいごのなごりを、おしむべし、尤然るべしとて、種々の大平い大づつを、でんへ申しいだしつつ君も御出ましまして、
 女房達のお酌にて、かみえさかづきすはりけれど、下は以上八人、三ごんの酒すぐれば、のちにはたがいに入れみだれて、思ひざし、思ひどり、自酌自もりの楽あそび、舞つうとふつのむほどに、亀井が呑だるさづきを、武蔵殿に思ひざし、立つてん舞にける。
「サ シ」靏菜山には千年ふる。
松の枝には靏すく、岩おがかたに亀あそぶ。
「コトバ」しほり三つ鴨の入れ首をひともみもうで、鴨の羽がへしをさつささいて、立廻る所に、門外を見てやれば、
「カカリ」太刀はきばさんだ男子の
「フ シ」あみがさまぶかに、引かうだるが、からいしきに腰をかけ、亀井が舞を聞いたる。
「コトバ」亀井の六郎もたれなるらむと思ひしに、げにと思ひ世になれば、舞をば、すでに舞ひをさめ、酌に手かけていたりしが、かどなるおのこの声として、だいのこわねをさしあげ、のうのうみうちへ案内申し候らはんと、たからかによばわる。
「フ シ」なりをしづめて座敷には、
「コトバ」たれなるらんと聞所に、西塔の武蔵此声をききつけ、あれはかたきのやつばらが、案内けんみの其為に、
「カカリ」いつわりまなんできたりてそう。
「フ シ」なにさま朝のつかいをば。
「ツ メ」あますまじひというまゝに、袴のそばを高くとつて、長刀おつとり出むとす。亀井の六郎もつづいて座敷をづんど立、武蔵が袖をひつとどめのしづまり給へ武蔵殿。ふしぎや此声を、聞たる様に思ふとて、
「フ シ」武蔵をとどめて亀井、はしりいでて見てあれば、
舎兄鈴木の三郎殿、たびやつれにおもやせて、一人ここに立たまう。亀井夢ともわきまへず、するすると走りより、鈴木がたもとにとりつけば、兄も弟もつり付て、扨ていかにいかにとばかり也。はるかにありて鈴木殿、やなに事かある亀井、亀井此よし承り、その事にて候ぞや、君の御うんも我れらがうんも、いま此時につきはてて、明日をかぎりと早なりぬ、夫をいかにと申すに、秀衡浮世に有りし程は、君をもたつとみ申せしが、ういむ常の習とて、秀衡こぞの冬、はかなくなりて候ぞや、其子供我君に、心替りを仕り鎌倉よりの見みには、長崎の四郎殿を申し下したまはりて、扨国の大将に照井だてが向ひつゝ、太田山口中村に陣取て、あると聞てそ、などやかほどに御身の、思召し立ならば、弐年も三年もさきにおくだりましまして、一たんらくを、したまいて、思ひいでと思召あるべきに、なんぞつめたる御運かは、今日下り、給ふこそ、よろこびの中のなげきなれ、今生にて、見みえ申こそ、なによりもつて、うれしう候へ、浮世のもうしうはれてあり、かみにもしろしめさるまじ、とがめあやしむ者あらじ、おちこち人の風情にて、おかへりあらや、鈴木殿。
「ツ メ」鈴木此由打聞いて、ふかくなり亀井じょうもんじょうの、どにほねはうづむとも、なをばうづむか、ふかくさよ、師弟主従父子、夫婦,三世のきへんのなくしては、なんしに今日参るべき、鈴木が参へりて候と、かみへ申せ、亀井」とて、わらんづぬぎ捨、上にきたる打かけぬいで、ふはあと捨、おとといつれて判官の御前をっしてぞ参りける。


続きます。





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by kusennjyu | 2017-01-22 22:19 | みやま市の文化財 | Comments(0) |Topに戻る
2017幸若舞(安宅・下)・千寿の楽しい歴史
幸若舞 安宅(下)

鼓方:松尾正春  太夫:永江哲也 シテ:松尾哲郎 ワキ:松尾拓尚

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「コトバ」西答の武蔵、たんだ一すぢに思きり、藤塚手取打こえ、さしも、待かくる、富樫の城に入たるは、人にかわって、覚て有り、山伏の方にて、有間、れんじゅ千方をこそ、ゆむべきに、武蔵なにとか思ひけん。千方をもよまずし、高念仏と申して、あげつつ門よりつっと入て、城のていを見るに、まつぽぞにこそこしらえたれ。表のやぐら拾三所、脇のやぐら九ところ、二重三重に高矢ぐらをあげさせ、東門を見渡せば、鞍置馬四五拾疋引立てこそおいたりけれ、西の塔侍には、富樫が若と百人計りなみいて、ひき目くったり、矢は

いだり、碁将棋双六に、心をいれたる所も有、又ちゃく座を、見てやれば、四拾斗りなるおのこの、兵紋のひたたれに、烏帽子のさじきを、たんぶたぶとあげさせ、ふんどうにさしかかり、わか侍に双六打せ。

「カカリ」じょごんしていたりけるは是ぞ此国の。

「ツ メ」おゝ富樫の助とおぼへてあり、ああら口おしや、時こそあれひこそあれ、富樫の御出たる所に、なにがし来たるは、つめたる業とおぼへてあり、しのばばやと思ひしが、見えたる事のなきさきに、かたきにけごをみえられては、あしかりなんと存ずれば、大のこはねをさし上、熊野山の山伏が、仏法仕行の其ために、出羽の羽黒へとうり候、時料たべとぞかうたりけれ。

「カタキリ」富樫御覧じて、持たる扇にて、たゝみの表を丁と打て、ヤー、あれを見よ人々、愚人夏の虫とんで火に入るとは、よくこそこれはつたゑたれ。心をつくして侍かくる所に、西塔の弁慶こそ、たんだ今きたったれ、打てはれからめよ、ヒャー、さし縄なんどとひしめいたり、もとより武蔵、我身の上とはしつたれ共、聞ぬていにもうてなして、大木小木の、花ながめ、そらうそふひて立たりけり。

「コトバ」時刻もうつさず富樫が若党百人ばかり、真黒によろい、弁慶を真中に、おっとりこむる。「武蔵是を見て、」はやりりゅうの若者共に、ひしびしと打とられては、あしかりなんと存ずるれば、笈かけながら富樫の居たりける縁のはなに、するすると立寄り、如何にのう、富樫殿、以前よりは、如何なる野心な、張行のものを召しをかれ、只今参つたる法師までも、浮目を見んずるやらんと、よくよく承りて候へば、此の法師が身の上と聞なしたるは、空事ぞうか富樫殿。「富樫聞いて」わ御坊は判官殿の御内なる、膝元去らずの西塔の弁慶にてはなきか。「武蔵聞いて」ヘエーどこえぞ、それ山伏の名の世の常多しと申せども、膝元去らずなどと言ふ山伏の名の、今こそ聞いて候え。
「富樫聞いて」左様に才覚の廻って弁舌の明らかなるが、弁慶にてはなきか。弁慶にてはなきか。
「武蔵聞いて」左様に才覚の廻って弁舌の明らかなるが、弁慶ならば、さのたもう、富樫殿も、左様に才覚の廻って弁舌の明らかなるが、さって、御身も弁慶か。
「富樫聞いて」なんとも陳ぜば陳ぜ、只弁慶と言ふ。
「武蔵聞いて」こう申す法師がひたいに、もし弁慶と言ふ、字ばし据って候か。
「富樫聞いて」ホーホー字据ったると同じ事よ、鎌倉殿よりたんじょうのある上は、疑いよもあらじと言ふ。
「武蔵聞いて」ヘエーよもたんじょうはあらじ、たばかり事に言ふよと思い、ししょうのあらば見んと乞うた。
「富樫聞いて」あゝらむざんや弁慶が、いつまで命ながらえんと、たんじょう、こうつるやさしさよ、それそれ見せよと仰せければ。
承ると申して、富樫が若党四・五人座敷をはらりと立って、八尺屏風をとり出し、武蔵の前に颯と立て「カカリ」絵図をざらりと投げかけ、弁慶に見する、写しもうついたり、書きも書きたる絵師かな武蔵の丈は、六尺二分、「フ シ」絵図も六尺二分なり、色黒く、丈高く、まなこのにくぢを写いてあり、あまつさえは、武蔵めが、左の目先に、あざのあるまで写ついたはのがれつびようは更になし。
「コトバ」武蔵心に思うよう。今は又言葉をかえ、陳ぜばやと思い、如何にのう富樫殿以前にこの法師、熊野山伏とは、御身の心そっと引見申さんがためなり、是こそ南都東大寺の、勧進ひぢりぞうよ。
「富樫聞いて」ホーホーたつとうっぞおひじり、南都の勧進にてござあらば、定めて勧進帳がござあるべし。こなたえ、たべ拝まんとこわる。
「武蔵聞いて」南都の勧めとは伸べたれども、勧進帳があらばこそ、持たぬと言わば、棒打に打ちふせらりようず、又持ったと言わばあらばこそ、是非をわきまえかね立つたりしが、いやいや持ったと言はばと思い、おろかなり富樫殿、それ三国一の大がらんの、すゝめをなそうぞず勧進ひぢりがなど勧進帳を持たいであるべきか、是非見参に入れんとて笈をひつたとおろしおき、からげ縄、ふるふるとひっといて、上段に手を入れ、からりからりとさがせども、都にて入れたる事の候はねば、
「カカリ」笈には更になかりけり。武蔵あまりの口惜しさに、目をふさぎ。
「フ シ」南無や八幡大菩薩、源氏の氏子をば、百王百代守らんとの御誓いと承りて候zっぞや、一ッの瑞相を、見せしめ給えやととからり、からりと、探さるる、げにや八幡大菩薩の、あたえたびけるが、都にて此度、入れたりとも、覚えぬ、しぜんの、往来の、巻物一巻候いけるを、おっ取てさし上て勧進帳はこれにあり拝み給えと見せにけり。
「コトバ」「富樫御覧じて、こなたえたべおがまんとこはる、」
「武蔵此勧進帳が誠の勧進帳にて御座あらば如何に富樫がおがむまじいと言とも押へて拝までと、大俗の身にて、手にとり拝むものならば、五体すくんで立どころにて、危しとをどす。」「富樫武蔵におどされ、さあらば夫にて遊ばされ候へ、是より聴もん申さんと言ふ。」
武蔵此勧進帳を読み応ぜんな不定、読み損ぜんな治定なり、読み損ずる物ならば人手にはかゝるまじい、あれについて立たる白柄の長刀、ひんぼうに、飛んでかゝらん若者共を、思ふさまにおっぱらい、あれに引いて立たる、あしげの駒の爪かたそうの、いかにかけあしのはやかるらんに、ひんぼうで打乗り、みまんどへ参り一の刀にて、御前がいし奉り、武蔵め腹を切らうず。」
「君御腹を召れなば十一人の人々も、皆々腹を切らうず、生きては功をなさずとも。」
「カカリ」死んでは功をなすべきなり。
日頃我君七生までと、契りをおかせ給たる、あたごの山の太郎坊、平野山の次郎坊。
「ツ メ」ン山々の、小宮、天宮、天皇、八神、八生神、ごづめんづ、あぼらせつ、い行いるいの鬼どもを引ぐし候て、ほんもうならば関東へ、せつなが間に乱入って、箱根山の峠より黒雲の棚引き、電光を飛せ、玉を磨く鎌倉に、志やぢくの雨を降らせ、八ツ七郷を洗い流し、にくかりし梶原を、そうなくも殺さずして、百鬼人に仰せ付け、熱鉄の湯を沸し、口の中に流し入れ、六プ五臓を、焼払い、七代子孫の取殺して、ほんもを遂るならば、かん志よう状にて、あらずとも、あゝら人神と武蔵目が、あをがれんずる事どもを、あんの内と思ひければ、ちっともさはぐけしきはなし。


続きます。





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by kusennjyu | 2017-01-21 20:52 | みやま市の文化財 | Comments(0) |Topに戻る
2017幸若舞 日本記(にほんき)・千寿の楽しい歴史
幸若舞 日本記(にほんき)

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日本記

鼓方:松尾成功  太夫:松尾直哉 シテ:田中晴己 ワキ:中村拓夢

大江小学校の六年生3人で、昨年出場して上達しています。

大江小学校の友達が一番前で鑑賞して応援しています。

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抑々(そもそも)日本開闢(かいびゃく)のみぎん、いざなぎ、いざなみ二人(ににん)のみこと語らいをなし、ともにわかちて宣(のたま)わく、すでに天ひらく上、定めて、下に国ある可し、やそしまを、もとめんと、雲の上より、御ほこを、さしおろし、一大海のおもてを、かきさぐり給へど、ほこにあたれる島もなし、さればにや、すなはち、その、くうごうの以前に、天つちひらけはじめず、今じょうこうの時をへ、みこ、出現の身をわけ、かしらを、しゅみとなし、眼を日月とす、出入るいきを風とし、四ツの枝をししゅうとす、骨は金、涙は水、しゝむらを土となし、かみ、ひげを草木とするなり、青きを東、赤きを南、白気を西、黒きを北と名付け、黄なる色を中央とするなり、中を土に司どって、甘き味、出てくるなり、北に黒き水ありて、志は、はゆき味をなせり、西に白き金有って、からき味をなす、南に赤き火を生じて、にがき味をなせり、東に青き気を生じて、すゆる味をなす。
「カカリ」すき味を薬師とす。
「フシ」(付け)双調の声を説法す、にがきを以ておほしきの、ほうしょう如来これなり、からき味をば阿弥陀とし、ひょう調の声を出だすなり、しははゆきは、ばんじき調、釈迦のおんぜいこれなり、あまき味をば大日の、いちごう、つじやうの、ひびきあり、きゅうしよう、かくちう、ごいん、すにがあまから、志ははゆき、にうみ、らくみ、じょうぞみ、じゅくぞみ、だいごみ、五ツの声を、あつめつゝ、けごん、あごん、ほうどうはんにゃ、ほっけとこれを申すなり、仏も経も、しんごんの此の中よりも作り出す、地獄、極楽をしなめて、仏も法も、そうぼうも、一体必らず、三方、三方やがて三巻、三巻りきに一心、一心即ち空にして、へだては更になきものを、如何なる迷不思議にや、これ程広き大海に一ツ嶋のなきあらん。
「コトバ」いざなぎ、御ほこをあげんとしたまう、
いざなみ御らんなって、何とて其の御ほこを、いたづらに上げさせ給ふぞ、天の陽をかたどって、地のいんぜいのあがってこそ、いんようともひらくべけれ、たゞねんごろに、さがし給へと、おゝせれば、
いざなぎ、げにもと思し召し、重ねて御ほこをさしおろさんとし給ふ、其のほこのしたたりが、遥の海に止って、一ツの嶋なりぬ、
いざなみ、ごらんなって、あわぢよと、おゝせられし、其の御言葉をかたどって、今のあわぢ嶋これなり、
なにとしたるが故にかたまりけるぞと尋るに一大海の表に
「カカリ」大日の梵字すわり
「ツ メ」(付け)浪にゆられて、漂へり、遥のほこのつよきに、ぼしかたまって土となる、大日の梵字の上に、出来はじめし国なれば、大日本国とは申すなり、
「打切り」かほどめでたき、あわぢ嶋、けしのせいに出きて、天竺も開けり、扨(さ)て大唐もはじまれり、さしもに広き天竺国。月をかたどる国なれば、月し国とは申すなり、唐土も広しと申せども、しんだん国と名付けて星をかたどる国なり。日本我朝は、小国なりとは申せども、じぢひきと名付けて、日をかたどれる国なれば、三国一とは」申すなり。心のまゝの寿命にて、永く栄ふるめでたさよ。

続きます。







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