千寿の楽しい歴史
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2017小野英輔(オノ・ヨーコ父)・千寿の楽しい歴史
小野英輔(オノ・ヨーコ父)

テレビ放送から


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有難うございました。






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# by kusennjyu | 2017-08-25 10:52 | 柳川・大牟田・大川の歴史散策 | Comments(0) |Topに戻る
2017小野英二郎(オノ・ヨーコ祖父)実業家として・千寿の楽しい歴史
小野英二郎(オノ・ヨーコ祖父)実業家として

柳川藩立花家中列伝 原達郎著 P106~P111

同志社大学理財学教授

妻となる税所鶴と知り合う。

明治22(1889)年に帰国し、柳川の橘陰学院(県立伝習館高校の前身)の教頭を務めたが、明治23(1890)年2月、明治期の日本の産業革命に関する博士論文「日本における産業の変遷」によって、ミシガン大学から博士号を授与された。日本人で初めてのことで、アメリカで出版され、同年11月、恩師新島襄の遺志により理財学教授として同志社に迎えられ、教鞭をとることになる。

明治25(1892)年、同志社に同志社政法学校が開設され、英二郎は同校の創立事務を担当し、翌年、教授兼教頭となるものの、経済不況やキリスト教的風潮などの影響を受けて生徒が集まらず、経営は困難を極めた。明治28(1895)年、英二郎は慶応義塾大学理財科の最初の銀行論貨幣論担当者となり、明治33(1900)年まで務めている。



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日本銀行入行する。

明治29(1896)年、恩師のアダムスと共著で『公債論』を刊行する。これは2年前の日清戦争勃発にあたり、明治政府は緊急勅令で軍事公債を募集したしていたことから、当時の国際情勢からみて、日本は陸海軍を増強しなければ国家を保つことができないと指摘し、そのため財政確保の方法を説いたものであった。

このような英二郎の活動が川田小一郎日本銀行総裁の認めるところとなり、日銀入りを勧められ、明治29(1896)年6月、同志社を辞職して日本銀行へ入行。大阪支店副支配人となり、本店検査局長を経て明治39(1906)年11月からロンドン代理店監査役を務め、明治44(1911)年に帰国して本店営業局長に就任する。大正2(1913)年、日銀の組織変更に伴って日本興業銀行へ移り、副総裁を務めることになる。

大正3(1914)年に勃発した第1次世界大戦による好景気の波は、紡績、鉱業、電気、鉄道などの大工業への投資を活発化させた。しかし、大戦終結後の大正9(1920)年にはバブルが崩壊して株式恐慌となり、日本経済は金融難に陥った。

大正11(1922)年に著した「支那視察談」には、「日本は東洋の諸国に向かって、日本から文化を興して行く丈の気概を持たなくてはならぬ。さなくしては到底私は日本の国威を高め世界の尊敬を受くるところの国民には成り兼ねると思います」と述べ、日本人が世界において文明指導の役を果たすためには、中国へも貢献し、中国人と調和して共存共栄してゆく必要性を力説している。

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第4代日本興業銀行総裁就任

大正12(1923)年、英二郎は第4代日本興業銀行総裁に就任。この年の9月1日に起きた関東大震災は死者9万余、行方不明4万余を出す大惨事となり、国民総生産の3分の1という被害をもたらし、経済界は大打撃を受けた。

この未曾有の国難に立ち向かった英二郎は、その復興のため中小企業向け融資に尽力。昭和2(1927)年に始まった金融恐慌対策に挺身するなか、日仏銀行副総裁、共立鉱業社長、昭和銀行創立委員などを兼務するなど、欧米経済通としても活躍。金融界の重鎮として重責をになった。

同年6月、高橋是清大蔵大臣が恐慌への対策を終えたとして辞職。三土忠造新大臣と交代したときの歓送迎会には、東京銀行倶楽部の会員約280名が出席したが、この会の委員長を務めたのが英二郎である。このときの写真が高橋是清直筆の署名入りで、小野家に伝えられている。

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三男の英輔は父の後を継ぐ。

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昭和2(1927)年11月26日、63歳で逝去する。

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これらの激務が原因となったのだろうか。昭和2(1927)年11月16日、英二郎は鉱銀で執務中に倒れ、26日に逝去する。周囲から日銀総裁就任を期待された英二郎、志半ばの63歳であった。

東京の多摩霊園にある英二郎の墓の横に建つ顕彰碑には、次の文が刻まれている。

故日本興業銀行総裁小野英二郎君ハ柳河藩士小野作十郎君ノ長男元治元年六月廿三日筑後柳河ニに生ル明治十三年京都同志社ニ遊学シ後米国ニ赴キオヘリン及ミシガン両大学ニ経済財政ノ学ヲ専攻スルコト六年明治廿四年恩師新島先生ノ知遇ニ感ジテ同志社ノ教職ニ就ク明治廿九年川田日本銀行総裁ノ聘ニ応ジ日本銀行ニ入リ大阪支店長代理検査局長営業局長等ニ累進セリ又日露戦争後ヨリ六ケ年間代理店監査役トシテ紐育及ロンドンニ在勤ス大正二年日本興業銀行副総裁ニ任セラレ大正十二年総裁ニ陞任ス在職五年ニ満タントシテ突如疾ヲ獲テ遂ニ永眠ス実ニ昭和二年十一月廿六日享年六十有四従五位勲三等ニ追叙セラル総裁身ヲ財界ニ置コト三十年其学識ト経験ニ加ルニ精励篤誠ナル人格ヲ持テス隠然財界ノ重鎮タリ君温恭自ラ持ス然モ事ニ臨ミテハ奪フ可ラサルノ節アリ本行ノ要職就テ以後欧州大戦関東大震災並ニ昭和二年ニ勃発セル金融界ノ動揺等其界ノ波瀾ニ際会シテ国家ニ貢献スル所多大而シテ本行ノ業礎ヲ安定シ重キワ加ヘシタリ其経営ニ當リテハ常ニ全力ヲ傾注シ職務ヲ以ツテ快楽ト為スモノヽ如シ殊ニ最終数月ノ間励精奔走往々寝食ヲ忘レ遂ニ執務中総裁室ニ於テ発病起クサルニ至ル鳴呼悲天日本興業銀行全員ハ恩ヲ受クルコト多年追慕ノ情久フシテ念殷ナリ茲ニ一周忌辰ニ値リ相謀リテ此碑ヲ建テ以テ記念ト為ス   昭和三年十一月二十六日

この小野英二郎家からは多くの人材を輩出している。その詳細は『オノ・ヨーコの華麗な一族』を参照いただきたいが、今日、世界で一番有名な日本人といわれるオノ・ヨーコさんは、英二郎の3男である英輔(東京銀行常務)の長女である。

さらには長男・俊一の妻が日本バイオリン界の礎となった小野アンナで、3男の康平は足利赤十字病院創設院長。4女寿満子の夫が国際連合初代日本大使の加瀬俊一、その長男が外交評論家の加瀬英明である。

また英二郎の姉の宮川千代の次男・武はブリヂストン創業者である石橋正二郎の妹・直子と結婚してブリヂストン常務を務めている。

柳川に残る小野英二郎屋敷跡を「柳川ふるさと塾」が整備して、6年間の保存活用運動の結果、柳川市が購入。小野家やオノ・ヨーコ、ジョン・レノン夫妻を記念した公園として、海外からの観光客にも歓ばれるものになってほしいものである。


続きます。



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# by kusennjyu | 2017-08-24 16:57 | 柳川・大牟田・大川の歴史散策 | Comments(0) |Topに戻る
2017小野英二郎(オノ・ヨーコ祖父)米国から帰国まで・千寿の楽しい歴史
小野英二郎(オノ・ヨーコ祖父)米国から帰国まで

柳川藩立花家中列伝 原達郎著 P106~P111

藩主立花家から家臣たちが屋敷を拝領し、集中して住んだ城内地区は「御家中」と呼ばれ、その中に20家の小野家が認められる。

各小野家は祖先を同一にするものと考えられ、宗家は柳川藩筆頭家老の小野和泉守家だが、新外町にあるのが100石の小野英二郎((第4代日本興業銀行総裁)家である。

英二郎の祖父平三郎は奥頭分で会計方の大阪外聞役兼御試番、父の作十郎は藩御能方などを務めて400坪の屋敷を拝領していた。

小野英二郎は元治元(1864)年に誕生し、明治維新の時は4歳であった。やがて藩校の後身である中学伝習館から同志社英学校(現在の同志社大学)2年に転学。創始者である新島襄から洗礼を受けて、5年生のとき中退して内村鑑三と同船で渡米する。

オハイオ州のオベリン大学文学科に入学した英二郎は、卒業後の明治20(1887)年にミシガン大学大学院へと進み、著名な財政学者であるHC・アダムスに師事して、経済学、財政学を修めた。

父の作十郎


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小野家の明治3年頃の石高

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英二郎(米国から帰国まで)

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続きます。




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# by kusennjyu | 2017-08-23 19:40 | 柳川・大牟田・大川の歴史散策 | Comments(0) |Topに戻る