千寿の楽しい歴史
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2017宮ケ浦古墳群(高田町下楠田)古墳時代・千寿の楽しい歴史
宮ケ浦古墳群(みやがうらこふんぐん) 古墳時代

高田町下楠田

みやま市史資料編上巻(発行・平成29年3月)

P321~324より

みやま市教育委員会発行


宮ケ浦古墳群は、愛宕山を頂点として、南西に延びた丘陵地の先端に位置し、現状では「髙田濃施山公園」内に5基存在します。本古墳は、公園の造成に伴い平成4~6(1992~94)年に高田町教育委員会により、5基の古墳群の発掘調査が行われました(図1)。

古墳群は、標高31mに4号墳、標高28.6mに1号墳、標高28mに5号墳、標高25.4mに2号墳、標高25mに3号墳が南斜面に3段に造成された丘陵地に位置します。石室の開口方向は1号墳、2号墳、4号墳は南西、3号墳と5号墳は南東の方向を石室の入口とします。

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1号墳(図2)は、5基の中で2番目に大きな円墳と推定されますが、東に地形の制限を受けているため、円墳の規模は確定出来ませんでした。周溝は、石室の西より北に延びます。埋葬施設は、羨道部入口が西南西に開口する複室の横穴式石室です。

敷石は、玄室と前室で検出されました。石室全体の規模は全長9.75mを測ります。石室内からの遺物の出土は少なく、玄室内では須恵器の把手付甕・大甕など、羨道部より完形の須恵器の直口壺が出土しました。周溝からは、坩・坏・平瓶・高坏・胴部最大径96.6cmを測る大甕など多くの須恵器が出土しました。他に鉄鏃が石室・羨道部・周溝より、装身具は耳環が玄室より7点・勾玉1点・切子玉1点・ガラス玉数点、前室より耳環1点出土しました(図3・4)。 

 2号墳(図8)は、墳丘と前室と羨道部の一部が削平されており、天井石は失われていました。埋葬施設は、南西に開口する複室の横穴式石室です。敷石は、玄室と前室で検出されました。玄室は長さ2.25m、幅2.1mの正方形のプラン、前室は長さ1.45mを測ります。出土土器は少なく、石室より須恵器の●・坏が出土しました。鉄製品が多く、前室より馬具、羨道部と周溝より鉄鏃が出土しました。装身具は玄室より一対と推定できる耳環が2点出土しました(図3・4)。 

3号墳(図5)は、周溝を伴うやや胴張りの玄室を持ち、古墳群の中で一番大きな古墳です。墳丘は大部分が削平されており、天井石が石室内に落ち込んでいる状態で検出されました。周溝は石室の南西より北に延び、幅4m、深さ1.4mと深く、平面の規模は北西部分で21mほどを測ります。埋葬施設は、南東に開口する複室の横穴式石室です。敷石は、玄室・前室・羨道部で検出されました。石室全体の規模は全長10.73mを測ります。石室
自体の造りは粗く、羨道部のプランもかなり乱れています。出土遺物は、石室内からは土師器甕頸部破片・瓦器椀、羨道部より須恵器の坏などが出土しました。周溝からは、胴部最大径80cmを測る須恵器の大甕が出土しました。鉄製品は、玄室では鉄鏃の茎先端部のみでしたが、前室から広根(ひろね)定角式鉄鏃や、広根箭定式鉄鏃、羨道部より圭頭鏃が出土しています。馬具も多く出土し、中には鉄地金銅張剣菱形杏葉(けんびしかたぎょうよう)や杏葉の留金具、鞍金具(くらかなぐ)があります。装身具は、耳環が玄室より4点・勾玉1点・管玉2点・丸玉・ガラス玉(図6)、前室より耳環1点・・丸玉・ガラス玉が出土しました。羨道部では耳環2点・・丸玉が出土しました。耳環は、金・銀の安定が良く現在でも鮮やかな光沢を放っています(図7)。

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4号墳(図10)は、古墳群の中で三番目の大きなもので一番高所所に位置します。また、埋葬施設は、複室の横穴式石室で羨道部が立ち切られたような急斜面に面し、遠方の有明海を望む南西に開口しています。石室も他の古墳の石とは違い、面取りしたものを使用しています。また、唯一天井石が残る古墳です。墳丘は削平されて、前室と羨道部にわずかな墳丘を残すのみです。石室全体の規模は全長7.15mを測ります。主軸方位はN―41度―Wです(図10)です。石室玄室からヘラ記号を有する須恵器坏蓋が、前室と羨道部より須恵器坏蓋・身が出土しています(図12)。鉄製品は、前室より鉄鏃の圭頭鏃と広根箭定式で鏃身に山形刃部が付くものなどが出土しました。また、前室から馬具も多く出土し、その中には環鏡板付轡金具(かんかがみいたつきくつわかなぐ)・鐙(あぶみ)の絞具から吊り金具などがあります(図11)。装身具は、耳環が玄室と羨道部で各1点、玄室でわずかでありますが、ガラス玉2個が出土しました。

5号墳(図9)は、周溝を伴う単室の横穴式石室です。墳丘がかなり削平され、石室は袖石のみ確認し、現存長さ3.15mを測ります。出土遺物も須恵器高台付壺の底部破片と耳環のみです。

本古墳群では、4号墳前室より完形の須恵器坏を2枚重ねた形で出土し、他の古墳とは異なり丁寧なヘラナデを施した坏が出土したこと、面取りした石材を利用したことなどから、4号墳の被葬者は本古墳群の中で最も有力者かと想定されます。

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これらの古墳群は6世紀後半ごろに築造され、長くは11世紀初頭まで追葬されたのではないかと推測されます。また、この古墳の築造された地点が現在でも有明海を望む場所であることから、有明海と関係する被葬者像も考慮する必要があります。

続きます。






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# by kusennjyu | 2017-08-07 17:11 | みやま市の歴史 | Comments(0) |Topに戻る
2017東濃施古墳(高田町下楠田)古墳時代・千寿の楽しい歴史
東濃施古墳(ひがしのせこふん)古墳時代

高田町下楠田(市指定史跡)  

みやま市史資料編上巻(発行・平成29年3月)

P318~320より

みやま市教育委員会発行


東濃施古墳は、三池郡高田町が国の地域づくり推進事業の指定を受けて、JR渡瀬駅東側の濃施山一帯に『髙田濃施山公園』を建設することに伴い、平成4~7(1992~1995)年に公園予定地内に所存する遺跡の発掘調査を高田町教育委員会が行いました。東濃施古墳は平成5(1993)年に発掘調査を実施しています(文献1)。

東濃施古墳は、公園予定地の中央部、東側に舌状に緩やかに延びる丘陵上の標高32.6~35.2mに位置します。この古墳は踏査では10m程度の円墳と推定されていましたが、調査を開始すると当初推定していた墳丘は石室の部分のみ残存し、かつ墳丘は南側と北側が旧斜面で、大部分が削られていました。周溝は確認できなかったので、墳形を円墳と判断する根拠は乏しいですが、両袖の複室の横穴式石室を有し、石室の規模から22m程度の円墳と推定されます。調査開始時点では、奥壁と前門の天井石を確認し、玄室の天井石は石室内に落ちている状況であったため、石を取りのぞき、掘り下げて調査を行っています。

石室(図1)は現存する全中長は11.7mを測ります。石室の主軸はN―6度―Wで、南に開口する複室の横穴式石室です。

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玄室は両側壁の長さともほぼ4m、幅奥壁3.1m、玄門側2.6mを測り、やや奥壁側に開く長方形のプランです。天井石はほぼ失われていました。

玄門には、高さ37cm、横87cmの框石(かまちいし)を敷き、玄門の幅90cm、框石から楣石(まぐさいし)まで1.35m、天井石が残っている部分で高さ2.65mを測ります。また前室側に最大幅1m、高さ82cm、厚さ16cmの駒形に閉塞石を立てていました。前室は、右側壁0.95m、左壁側1.24m、幅2.64mを測り、長さに対して幅の非常に横長の長方形のプランです。前門は、高さ60cm、横38cmの框石を敷き、玄門の幅60cm、框石から楣石まで1.2m、天井石まで2mを測ります。羨道(せんどう)は、框石から長さ5.53m残り、幅1.5mを測ります。

出土遺物は、玄室内では右奥隅より、完形の須恵器提瓶(1)が、また口縁部が一部欠損していますが、ほぼ完形の外器面にヘラ記号を有する須恵器坏蓋(2)が出土しています(図2)。

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前室では右袖部より、須恵器の台付長頸壺・短頸壺・鉄鉢・埦・埦蓋、土師器では須恵器の模倣形態の高坏と丹塗りの壺・丹塗り皿が出土し、そのほかに須恵器つまみ付坏蓋・坏身が出土しました。羨道部では、須恵器の小壺・坏・高坏・甕の破片・把手など、土師器では高坏・小皿が出土しました(図3・4)。

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鉄器は、玄室より鉄地金銅張無脚雲珠(てつじこんどうばりむきゃくうず)をはじめ、前室、羨道部より馬具・鉄鏃ほか多くの鉄製品が出土しました(図5)。

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また、羨道部より青銅製の三累環が柄尻被せ金具を二分の一欠損した状態で出土しました。(図6・口絵)。環の全幅4.8cm、全長2.8cm、環径は中央2.3cm×2.7cm、厚さ5.2cm、左2.1cm×2.1cm、厚さ4.6mm、右2.2cm×1.9cm、厚さ4.1mmの半球形環3個を三つ葉状に連接させています。柄尻被せ金具は左右幅4.8cm×4cmを測ります。幅3.5cm×3cm、厚さ1.8mmの楕円形青銅板柄尻金具を装着しています。この金具の両縁には二条の隆状帯が巡ります。この三累環は柄尻被せ金具に三累環を接着し、環が割合薄手で、柄縁金具とともに鋳造し、茎をもたないものです。

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そのほかに痩身具では、銅釧・耳環は玄室より銀環7点・金環1点、前室より銀環1点・金環1点、羨道部より金環3点、計13点が出土しました。玉類は、羨道部よりガラス製の小玉・羨道部より碧玉の管玉・水晶製の切小玉が出土しました。

三累環は小田富士雄「九州発見の三累環頭柄頭」によると、長崎県北松浦郡生月島生月町山田(現、平戸市生月町山田免)987番地の古墳から出土した三累環頭柄頭と酷似しています(文献2)。また、福岡市の三苫古墳群1号墳出土の三累環も同様の形態です。
 
三累環の型式は、新谷武夫の「環状柄頭研究序説」内の型式分類では三型式にわけられており、その中で、「外環の断面が薄造りで扁平なもの。柄縁金具とともに鋳造し、茎をもたない。柄の先端に被せる方式のもの。」に本例も属します。新谷によるとこの型式は日本化した作りのもので、6世紀後半ごろから作られ、広く用いられたものであろうと指摘されています(文献4)。

東濃施古墳の築造年代は、特に九州では出土例が少ない三累環や馬具などの出土品が多様で、有明海を望む丘陵上の古墳という立地から政治的・経済的な有明海交流面の
一端を担った在地首長墓であると想定されます。

横穴式の名称

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古墳の構造

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2017城道遺跡(弥生時代)・千寿の楽しい歴史
城道遺跡(じょうみちいせき)高田町舞鶴 弥生時代  

みやま市史資料編上巻(発行・平成29年3月)

P235より

みやま市教育委員会発行


城道遺跡は、みやま市高田町舞鶴字城道に所在する中細形銅剣出土推定値です。中細形銅剣は平成7(1995)年、高田町教育委員会に高田町大字舞鶴在住の故野林一美より持ち込まれました。野林によると、昭和25(1950)年頃に野林一美の父、羊郎が飯江川上流の井堰付近河原にて土石を再集中に発見し、家に持ち帰り大切に保管していたとのことで、出土地点は聞き取りにより三池郡高田町大字の舞鶴字城道飯の飯江川上流付近であることがわかりました。詳細な場所は特定できず、銅剣そのものも上流から流されてきた可能性がありますが、出土場所から城道遺跡としました。城道遺跡の周辺は銅剣発見当時に遺跡の分布はあまり確認されていませんでしたが、遺跡南側に緩やかに延びる丘陵地にある日当川遺跡では、弥生時代の石斧が出土しており、また近年、竹飯馬見塚遺跡と原町西小路遺跡で縄文時代・古墳時代の遺跡が発見されています。さらに、飯江川に沿った西方2kmほど下流の北側に位置する広大な扇状地である竹飯遺跡群では、甕棺墓を検出した犬ノ馬場遺跡、堺遺跡など遺構密度が高い弥生~古代の遺跡があります。

中細形銅剣は鎬 (しのぎ)が刳方(くりかた)までしか伸びず、刳方の一部が破損し、表面には部分的に黒色の錆が付着しています(図1・2)。現存長38.3cmのうち茎(なかご)部分は2.3cm、剣身長は36cmを測ります。刳方下端、突起部はそれぞれ関(まち)から8.2cm、12.9cmの位置にあります。脊は元部で1.3cmを測り、厚さも元部では1.1cmとなります。身幅は、関部で3.3cm、刳方下端は復元値4.6cm、突起部は3.6cmを測ります。剣身部の刃部研ぎ出しについては後世に再度研がれた痕跡があります。関は明確に直線をなさず、わずかに斜め方向に茎へ移行します。茎は少し扁平気味です。色調は全体的に緑青色を呈します。銅質は良く安定し保存状態は良好です。重量276gを測ります(文献1)。

銅剣は北部九州における弥生時代の「クニ」の成立と展開を考える上で重要な位置を占めるものです。出土例が少ない中細形銅剣が福岡県南端域で発見されたことは、北部九州の青銅器を考察していく上で極めて貴重なものです。

銅剣は平成8(1996)」年に野林一美から高田町へ寄贈され、同年2月1日に高田町指定文化財(現みやま市指定文化財)となりました。

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銅剣の名称

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# by kusennjyu | 2017-08-03 20:27 | みやま市の歴史 | Comments(0) |Topに戻る