千寿の楽しい歴史
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田舎の風景(千寿の楽しい日々)
 もみすり

10月4日午前8時から午後5時まで、籾摺り(もみすり)の手伝いに行きました。玄米ともみに分けることです。作業は5人です。私は計量器のところの役です。  その様子を紹介します。

 田の稲はコンバインで刈り、乾燥機(テンパリング式)で上下に移動しながら乾燥します。

 乾燥した稲は、2階(ツシ)に保存します。漏斗形になっています。

 2階からもみすり機に落ちるところです。少なくなったら、2階にあがり、中心に寄せる仕事があり、埃がして、きたないところです。

 まだ、もみが機械の中を通っているところです。何回も大きい網から小さい網を通ります。向こう側の網が玄米に近くなったものです。

 籾殻はビニールの円筒の中を通り、積み上げられます。050.gif

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 計量器に袋の両側を挟んで固定します。手を放したら、数秒して前の残りの米が自動で落ちてきます。

 始める前に、ゴム印で名前、住所、品種名を打ちます。品種は「夢つくし」です。
米30Kgと空袋600gで30.6Kgに設定します。時速、平均25袋で袋の中に落ちてきます。1KG手前から落ちる速度が遅くなります。30.6Kgで自動で落下が止まります。

 1M横に「楽だ君}を設置します。私は規定量になった袋を両手の指の力で移動します。この時のコツが、膝を袋の後ろに当てて、横に送るように移動させることです。

 「楽だ君」の横で袋の口を丸めて紐を縛っているところです。この袋を中側に押し倒すと、自動で腰の高さまで持ち上がります。運ぶ人が抱えてパレットに並べます。

 袋をパレットの上に並べた状況です。

 パレット上に7個の6段、積み上げたものです。これをリフトでトラックに積み、農協の倉庫に運びます。050.gif

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収穫は2日間、もみすりをしましたが360個(米俵だと180俵分です。)粉米が20Kgの20個位あります。

1反(1000平方メートル)あたり、普通7から8俵ですが、豊作で9俵取れていました。017.gif 011.gif 003.gif

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# by kusennjyu | 2009-10-04 22:54 | 風景 | Comments(0) |Topに戻る
2009ふるさと歴史探訪(鷹尾城跡2)千寿の楽しい歴史
鷹尾城跡(2)  柳川市大和町

平成21年10月3日の2回目は、10月2日の続きです。同じように掲示します。

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文章・半田隆夫

天正元(1573)年以降、西北九州における大友氏の勢力が後退すると、鷹尾城主 田尻鑑種(あきたね、親種の嫡子)は、佐嘉の龍造寺氏に接近しました。そして、天正9(1581)年、龍造寺隆信の命令により柳川城・塩塚城・佐留守垣城を攻め、蒲池氏の一族残党を滅ぼしました。
 
しかし、翌10年、鑑種は、龍造寺氏に背いて鷹尾城に立て籠もり、薩摩の島津氏に援軍を頼んで戦いましたが敗れ、同12(1584)年2月、肥前佐嘉郡巨勢(こせ)、伊万里市に移されました。
 
天正15(1587)年、豊臣秀吉の九州平定後、立花宗茂が柳川城に入り、家臣立花三左衛門尉を鷹尾城番にしました。

関ケ原の戦い後、筑後藩主田中吉政の家臣宮川才兵衛が鷹尾城番として6千石を領有しましたが、元和元(1615)年の「1国1城令」で鷹尾城は廃城になりました。(福岡女学院大学講師)

伊万里市に親種寺(しんしゅじ)があります。紹介します。

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田尻家の菩提寺で、親種(ちかたね)の子 田尻丹後守 鑑種(あきたね)によって、元亀 元(1570)年6月23日 親種が筑後田尻村の鷹尾城で病没したので城中に親種寺を建立したのが始まりとされている。

その後 天正17(1589)年筑後 鷹尾城から鑑種によって現在の地 大久保 に移され、郷土の逸材、名僧不鉄柱文和尚を開山に請い、田尻家の菩提寺としその一族と共に 檀信徒の寺として今日に至る。

本堂の裏山には田尻家歴代当主の墓石を始めその一族の五輪塔や、歴代和尚の無縫塔など整然と建立されている。
親種の墓碑は自然石で中央に建てられ「玉雲院殿前伯列太守大倫竜喜大居士」の16文字の戒名が刻まれている。

18代当主田尻泰浩さんの松浦一酒造を紹介します。
私は、まだ行ったことがありません。今年の9月に「蔵を守る河童のミイラ」を教えてもらいました。

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昭和28年、田尻さんの先々代にあたる16代目の時、母屋の屋根替えの際に、大工の棟梁(とうりょう)が梁(はり)の上に紐(ひも)でくくりつけられていた黒い木箱を見つけた。「河伯(かはく)」の文字。
中には見たこともない奇妙な形をした物体が横たわっていた。

それがミイラである。(下の写真)

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「酒造りには良い水がは欠かせません、酒蔵は水神を大切にします。「河伯」が河童という意味だと聞いた先々代は、これこそ祖先から言い伝えの‘珍しいもの’に違いない、この蔵を守ってくださる水神様だ、と酒蔵の奥に神棚を設(しつら)えて祀(まつ)ることにしたそうです」(田尻さん)

全国から訪れる参拝客

この蔵元では子宝に恵まれない期間が長くあり、11代から16代までは養子を迎えることで老舗(しにせ)を守ってきた。

しかし、ミイラを祀った16代目はなんと5人の女性を授かったが、17代目も養子を迎えた。
この17代目についに双子の男子が生まれ、今の18代目の田尻さんだ。
18代目を継いだ田尻さんには男子と女子を授かる。双子の父親となる。

この神威(しんい)が評判となり、「河伯のミイラ」には全国から大勢の参拝客が訪れる。
今でも蔵には「おかげで子宝に恵まれた」という礼状が届くという。

河童のミイラが祭られていることで知られている造り酒屋で酒蔵見学ができます。伊万里市街か
ら平戸方面へ向かう204号線沿いにあり、広い駐車場(無料)も用意されているので立寄りにも
お勧めです。事前に予約しておくと蔵の案内もしていただけるそうです。

松浦一酒造ホームページ
http://www.matsuuraichi.com/index.html


筑後・田尻村の豪族で、「河伯」の箱を伊万里に移り、酒蔵を始める際に持ち込まれたのだろう。

田尻村には河童伝承が伝わる飯江(はえ千寿)川が流れています。そこにいた河童なのかもしれない。

                    
# by kusennjyu | 2009-10-03 12:20 | 田尻氏の郷の散策 | Comments(0) |Topに戻る
ふるさと歴史探訪(鷹尾城跡)千寿の楽しい歴史
鷹尾城跡(柳川市大和町鷹ノ尾)    柳川市大和町

今日から「有明新報」でふるさと歴史探訪が再開されます。
今回は文章を半田隆夫先生が担当されます。はじめてでしょうか。

第1回を「鷹尾城跡」で感激しています。
田尻親種に関する記事が出ています。


a0137997_17215694.jpg小さいので読めないと思います。記事(文章・半田隆夫)を代入します。

鷹尾城は、近世初頭の典型的な平城(ひらじょう)で、南筑後の国人領主田尻氏の本状でした。
田尻氏の居城は、平安・鎌倉時代より三池郡田尻山の飛塚城(ひづかじょう)でしたが、
風水害で要害が悪くなったため、天文17(1548)年、田尻親種(ちかたね)が大友宗麟の
許可を得て鷹尾に築城しました。
本丸の規模は、東西26間(47M)、南北10間半(19M)でした。

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親種は、永禄3(1560)年に築いた江浦城や津留・堀切・浜田の城を支城としました。これを鷹尾5カ城といいます。
戦国期の筑後は、大友、龍造寺、島津の3氏を中心に激しく動きました。元亀元(157)年、
田尻親種は、大友宗麟の龍造寺討伐に出陣し、5月半ばの佐嘉城東口の戦闘で深手を負い、鷹尾に帰り、6月23日に城中で死去しました。城跡に墓碑が立っています。(福岡女学院大学講師)




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鷹尾城跡は、鷹尾八幡神社の東、矢部川にかかる泰仙寺橋の北側(堤防左岸下側)付近にある。
その城跡の一角に「鷹尾城主伯耆(ほうき)守親種墓」・「鷹尾城戦没戦死の墓」の碑がある。





半田隆夫先生の紹介

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「薩摩から江戸へ」副題「篤姫の辿った道」を平成20年12月1日、海鳥社から出版されています。平成18年から「薩摩街道を歩く会」の提唱され講師として指導されています。
平成18年 第1回 「瀬高宿」(みやま市)から「羽犬塚宿」(筑後市)まで。
平成19年 第2回 「松崎宿」(小郡市)から「山家宿」(筑紫野市)まで。
平成20年 第3回 「山川町」(みやま市)から「南関町」(熊本県南関町)まで。
平成21年 第4回 「府中宿」(久留米市)から「松崎宿」(小郡市)まで。(予定)
平成22年 第5回 「瀬高宿」(みやま市)から「山川町」(みやま市)まで。(予定)
平成23年 第6回 「羽犬塚宿」(筑後市)から「府中宿」(久留米市)まで。(予定)

いろいろ著書はありますが、大和町史・山川町史・南関町史・親子で学ぶ大和町史なでです。
近隣市町で講師として歴史講座を担当され尽力されています。  
柳川市在住。

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# by kusennjyu | 2009-10-02 18:47 | 田尻氏の郷の散策 | Comments(0) |Topに戻る