2010金甲(石橋酒造)みやま市高田町田尻・千寿の楽しい歴史

金甲(石橋酒造) 高田町誌 P351
1.沿革 酒造の創始は明治8年10月である。 昭和25年12月復活。 昭和28年10月法人組織に変更。
2.代表者 石橋 豊
3・原料米 主に熊本県産こめを使用している。用水は河水。
4.商標の由来 商標は「金甲」である。古来、東山(御牧山)を金甲山といい、ここに源を発する河水をもって 醸されるので「金甲」と命名されたという。
「筑後写真集」(昭和43年発行)P84から86の飯江川より。
石橋駿河は女性である。そして三池郡高田町田尻の金甲酒造社長だ。 するが・・・名を聴いただけでは男女の区別がつきにくい、当の駿河も自分の名を気にしたのは遠い昔のこと、いまではむしろ誇りにさえ想っている。
駿河の実家は旧柳川藩立花家重臣の血を引き、父は県下でも知られた教育家である。娘時代を教育者の家庭で厳しい躾をうけて育った。
駿河が金甲酒造の石橋家に嫁いできたのは昭和のはじめーーそのころ金甲酒造の門前を飯江川の支流が流れ、その向こうには石橋家のミカン山が広がり晩秋ともなると黄金色のミカンが連山を色どり、飯江川では蔵男たちが酛(もと)すり唄を歌いながら米を洗う、のどかな風景だった。金甲酒造は明治、大正、昭和と80年も続いた酒蔵である。
同家の格調高い建築様式をみただけでも旧家の酒造場であることが分かり、また文久、嘉永年間の古文書や、仕込桶を2階の仕込場へ揚げ卸(おろ)しした珍しい阿弥陀車などが残っており、由緒深さが偲ばれる。
駿河の夫、石橋豊(故人)は大阪の大学醸造科をでるとすぐ家業を継ぎ、結婚してからも杜氏(とうじ)といっしょに仕込場で醸造と取組んでいた。当時、大学を出たばかりの豊と杜氏の間では酒造意見の食い違うことは再々だった。夫は“経験が勝つか、学理が正しいか・・・”つきつめた表情で呟やくと酒造倉にとびこみ、夜どうし仕込桶の麹や泡を睨み、微妙な醗酵の変化を実験、夜明けになって部屋へ帰ったりした。
そんなとき駿河は一夜をまんじりともせず明かした。夫の様子を見ようにも、そのころ女が倉にはいる事は厳禁になっていた。 駿河が嫁いで初めての仕込期を迎えたある晩だった。彼女が可愛がっていた女中が、徹夜作業の倉男たちが腹をすかしているだろうと優しい心遣いから夜食のにぎり飯をつくり、いそいそと仕込場へ持って入ろうとしたとたん「くっことならん・・・」 倉男の大声で怒鳴られ、女中はたまげて引き返してきたことがあった。そのとき駿河は前に夫から倉の“女人(にょにん)禁制”は聞いてはいたが、“まさか・・・”といった気持ちが幾分かあり、深く気にとめていなかった。
酒造りを現実に直視してこんなにも厳しいものか、と怒鳴られたのがまるで自分の事のように思え、注意しなかった迂闊さを恥じた。その駿河でさえまだそのころは店にきた得意先の番頭に“いらっしゃい・・・有難うございます・・・”がうまく言えず困ったりした。
筑後写真集(さけどころ瀬高) 邪馬台国紀行 飯江川より(昭和43年発行)
豊~昭和40年ごろ死亡 駿河~平成12年ごろ死亡 冥福を祈ります。
現在は土地は売られ建物は解体して野原になっている。私と同級生は養子に行き、商売をしている。