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千寿の楽しい歴史
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2010みやま市高田町の無形民俗文化財(千寿の楽しい歴史)
無形民族文化財

渡瀬祇園祭(わたぜぎおんまつり)

所在   高田町大字下楠田  渡瀬地区

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郷土の年中行事の中では最も勇壮なものである。悪疫退散、五穀豊穣、稲虫退除の大祭典であるから、熱意を込めて大蛇山の製作をする。従来は目玉をはじめ全部氏子の神棚に奉祀している伊勢皇太神宮の大麻をもって張っていた。

当日、社頭には神旗の大幟(おおのぼり)が風に翻(ひるがえ)り、鐘・太鼓の囃子は十分に祇園気分をかき立てる。

夕刻から人手が多くなり、青壮年達は揃いの服装(浄衣)で火の粉除けの編笠(あみがさ)をかぶり、掛け声勇ましく往来する。
人気の焦点は、目玉争奪の激戦であるが現在は諸般の事情により中止され勇壮な姿は見られない。

この地区には他に大名行列があるが、藩政時代には祇園奉行(ぶぎょう)が臨席し采配(さいはい)を採っていた。代々北町の大名行列は新開地区の青壮年、中町の大名行列は濃施、唐川方面の青壮年、南町の大名行列は隈、神崎の青壮年によって奉仕されていた。

渡瀬祇園(古い写真)へ

無形民族文化財

江浦町祇園祭(えのうらまちぎおんまつり)

所在   高田町大字江浦町地区

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祇園祭は全国各地で行われているが、この江浦町の祇園祭は渡瀬、中島、三池、大牟田市で行なわれる祇園祭と同じである。

江浦町の場合は、田中組は、踊り山車(やま)を、他の二の丸吉原組、新町組、古町組はそれぞれ大蛇山を製作し、勇壮な祇園囃子にのせて、町内を大蛇山が練り歩き、悪疫退散、五穀豊穣、稲虫退除を祈ってまわる。

以前は勇壮な目玉争奪線が行なわれていたが、現在は諸般の事情により中止されている。 各地に現在もなお、その地区独特の祇園囃子が伝えられている。

無形民族文化財

粥占い(かゆうらない)

所在   高田町大字江浦742~2 八幡神社

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神事名を粥占御試祭(かゆうらないおためしさい)と言い、粥に発生する「カビ」デソノ年の気象や農漁業の状況を予測するもので、江浦八幡神社に伝わる伝統神事である。

前年の秋に収穫された御初穂(おはつお)(稲)は、12ケ月を意味して1升2合を元旦に神前に奉納された後、1月15日に粥として炊き、方位を印した銅鍋に入れ、神殿内に1ケ月安置する。

1ケ月後の祭当日(2月15日)に神事・お祓いの後、これを取り出し蓋が開けられる。
粥に発生した「カビ」の色彩・形状・場所等は毎年異なるので、経験豊かな占いも時間をかけ慎重に判定する。

藩政時代には、柳川藩に報告されており、藩ではこの報告を元にその年の政策を決めていたと言われる。
現在は、全氏子へ報告されている。

高田町の民話と伝説 江浦潟の宇佐八幡宮由来へ

無形民族文化財

大注連縄送り(おおしめなわおくり)

所在   高田町大字上楠田地区  上楠田天満宮

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上楠田天満宮の祭典に約400年前から奉納されている行事である。

以前は、祭典の2日前からかなりの大きさの大きさの注連縄(しめなわ)を作り上げて板が、現在は、前日に藤カズラを芯にして、直径45㎝、長さ6mの大きさに作り上げている。

祭典当日は、早朝から身を清めた法被(はっぴ)姿の青年達8人が、大注連縄をかついで座元を出発する。
大注連縄は、鐘や太鼓の祭囃子とともに地区内の家々を練り歩き、五穀豊穣、無病息災、家内繁盛を祈願し上楠田天満宮に奉納される。

この行事は、毎年12月25日の早朝に行なわれている。

by kusennjyu | 2010-04-06 22:43 | みやま市の文化財 |Topに戻る