薩摩街道を歩こう 2(松崎宿~山家宿)
⑤御茶屋跡


㊧本陣(御茶屋)東側と㊨南側の写真。
御茶屋は、藩主が休息や宿泊に使う、藩主のために設けられた施設である。
しかし、参勤交代で往来する他国の大名や幕府の役人にも「本陣」として使用させていた。
敷地は約2千坪で周囲には藪があり、警備の面も考慮されていたと思われる。御茶屋は藩営で、藩から給米を受けた「御茶屋守」が経営に当たっていた。
なお、現在の建物は明治以降のもので、当時のものは何も残っていない。
⑥旅籠「油屋」


建物は、小郡市の市指定有形文化財で、階建の(主屋)と左側の(座敷)から成っている。
旅籠建築としては、大型で上質であり、大名を泊める本陣・脇本陣に次ぐ扱いを受けていたと考えられる。
建物以外にも、当時使用されていたお膳や看板などが残っており、旅籠の様子を偲ぶことができる。なお、昭和初期まで旅館として営業を続けていた。
西南戦争(1877年)の際には、有栖川宮熾人(たるひと)親王の官軍の陣営として使用されていた記録が残っている。また、乃木希典(1912年没)が昼食・休息をとったことも日記から明らかである。
⑦霊鷲寺(りょうじゅじ)

松崎藩主有馬豊範(とよのり)の菩提寺。勅願寺で格式が高く、参勤交代の大名も駕籠や馬から降りて礼拝したという。入口の右側には、【
下馬】の石碑がある。
また、本堂の須弥壇の上には有馬家・皇室・天皇・徳川家の4つの家紋が並んでいる。
現在は老朽化により解体され、楼門のみが残っている。
⑧一里塚


干潟(ひかた)の一里塚跡。「一里木(いちりぎ)」の地名が今も残っている。一里塚は約5Km毎に設置され、旅人たちの目印になっていた。久留米藩の場合、久留米城下を起点に設定された。
城山公園(花立山)にて昼食。

⑨国境石



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筑後国境石(乙隈境石)と筑前国境石(馬市境石)は、江戸時代に建てられたもので、現在でも小郡市と筑紫野市の市境となっている。写真中央の木は大榎(えのき)です。
筑後と筑前の国境石、何故か(筑前に比べ小さかった?)筑後の境石が立て替えられた。不用になった境石は現在、小郡市埋蔵文化財調査センターの一角に保存されている。
⑩石櫃(いしびつ)の追分石。



薩摩街道と日田街道(日田往還)の分岐点にある追分石。
「右肥後・薩摩道、左豊後・秋月・甘木道」と記してある。
ここから薩摩街道は続くが、私たちは先の中牟田小学校まで歩き(ここまで12Km)バスで山家宿に向かう。